素晴らしい提案
こいつは何を言ってるんだ?
怜は目の前にいる頭一つ分低い位置にある女の発言に目をむいていた。
今までの会話の流れで、どうしたらその発言になるのか。所謂、天然という部類に入る女のか?
無言で、そう思っている怜を見透かすように美羽は、太陽の光で赤茶色く輝く不思議な瞳を怜に向けていた。
「今、私のことおかしいヤツだって思ったでしょう?」
すべて、お見通しだといっているかのようにそう言って、肩よりすこし長い茶色い髪を楽し気に跳ねさせながら鈴の音が鳴るように笑った。
「私は、頭がおかしくなったわけじゃないですよ。
至って冷静に考えた結果、たった今素晴らしい作戦が閃いたんです」
そういう美羽に怜は視線を外しながら思う。
とても至って冷静に考えていそうな雰囲気もなかったし、いつ思いついたのか知らないが精々数秒で思いついた作戦とやらがまともなものだと到底思えない。
やっぱりこいつは天然か。と思っていると、また視線が合った。
美羽の顔は、不満げに血色のいい頬を膨らませていた。
「今、とてつもなく私のことをバカにしているようですが、これからいう作戦を聞いたらそう思ったことを後悔しますよ」
美羽は咳払い一つしてニヤリと得意げに笑っていた。
「私たちお互い同じような悩みを抱えていますよね?
誰とも付き合う気がないのに、毎日のように言い寄られている」
間違いないですよね?と美羽は怜に確認してくる。それに対し、怜は無言で頷いた。
「でも、私たちは恋人を作る気がない。
そんな恋人不在の私たちを見て、私やあなたに思いを寄せてくる人たちは、これはチャンスなんじゃないかと思ってしまっている。私たちに恋人がいないのなら、頑張れば振り向いてくれるんじゃないか。
そんな、淡い期待を抱かせてしまっている。
結果、私たちに言い寄ってくる人が絶えないという現状に陥っている。ならば。私たちの隣。
この隙間を埋めておけば、そこに入ってこようとする人は減ると思うんです」
「だから、あの発言か」
「そうです。
もちろん、本当に付き合うわけじゃないですよ?
だから、お互い詮索はしないことが大事です。
必要最低限の情報だけ共有して、困ったときにお互いを利用すればいい。
一緒にご飯行きましょう。と誘われたとしても、告白されても、恋人がいるから。と、さっきの私みたいに断ることができる。
それ以前に、そういった呼び出しも自然と減っていくと思うんですよ。
どうです? この作戦、いいことずくめだと思いませんか?」
美羽は、大きい赤茶色の瞳を輝かせて怜に同意を求めた。
怜はその目を見ながら、確かになと思う。
これまで、そういった状況は嫌になるほど遭遇している。断る理由をいちいち考えるのも面倒になって、今は誰にも捕まらないようにすぐにその場を離れるようにするしか術がなかった。
それが、恋人がいるという一言ですべて穏便に済ますことができるとしたら画期的だ。
「でも、少し問題はあるんですよねぇ」
美羽は、整った眉の中心にしわを寄せて少しトーンダウンさせた声でそういうと腕組みをしてとの問題を説明し始めた。
「恋人がいるから無理です。と言って、さっきの男の人のように本当にそんな存在がいるのか! とか、お前が噂の恋人か! ふざけんな! とか、ちょっと面倒なことが起こる可能性は否定できないんですよねぇ。
……そういう事態も多少は想定しておかないといけないのですが……」
美羽の言う通り、その遭遇率は高そうだと怜も思った。
だが、それはお互い持ちつ持たれつ互いの事情に合わせればいい話だ。そのくらいの労力であの煩わしさから解放されるのならば、大したことはない。
そう判断して、口を開こうとしたらじっとまた怜の目を見つめて美羽はニコリと笑った。
「その眼は承諾ということで、いいですね?」
美羽は、怜が答えるより先にそういった。
開きかけていた口を噤んで不思議な色に光る瞳を怜は正視した。
さっきから、俺の考えを見透かしているようだ。
俺の周りにいる人間は、お前は何を考えているかわからない。無表情で喜怒哀楽が分かりにくい。散々そういわれてきたのに、この美羽という女はまるでそんなこと感じていないようだ。むしろ、何も言わなくても俺の思っていることを全部くみ取っているようにも思える。
「もしかして、こいつ俺の考え全部読めるのか?
なんて思ってます?」
そういってくる美羽に、感情を滅多に表に出さない怜の顔に驚きが浮かんでいた。
その反応に、そんなわかりやすい顔もできるんですねぇと美羽は笑っていた。
「別に超能力とかじゃないですよ。
私、その人の目を見ると何となく何を思っているのか、考えているのかがわかるんです。
あなたは、今まで出会ってきた人たちの中で一番分かりにくいですけど」
そういって、また美羽はコロコロと笑った。
美羽の柔らかい笑い声を聞きながら、怜は不思議な奴だと思っていた。
基本的に、多弁な人間を得意とはしない例にとって、自分のテリトリーに入ってくる者は尚更、避けたくなる質。そういった類の人間とは、なるべく関わらないようにしてきた。
この美羽も怜の中ではその部類に入るはずなのだが、なぜか不快に思わなかった。それは、この人の考えを読み取ることができるという能力のせいなのだろうか。
「あと、一つ大事なことを言い忘れました。
この作戦を遂行するにあたり、絶対破ってはいけない掟が一つあります」
美羽は、さっきまで笑顔を引き締めて、今度は真剣な眼差しで大きな瞳に怜の姿を映していた。
よく次々と器用に表情を変えられるものだと感心しながら、怜はその掟とやらについて問い返す。
「なんだ?」
「それは、絶対にお互い好きにならないこと。
万が一、どちらかが相手を本当に好きになってしまったら、その時点でこの作戦は打ち切りになります。
好きになったらお別れです。……いいですか?」
これだけは、絶対厳守だという美羽はまっすぐ怜を見つめていた。怜は深く息を吐きながら、そんなことかと呆れていた。
どんなに熱い思いを告げられても、今まで一ミリだって心はその場所から動くことはなかった。自分の心は感情を失った石のようだとさえ思う。そんな俺に、お前は病気なんじゃないかと心配されたのはつい最近のことだ。そんな俺が美羽を好きになるなんて、天地がひっくり返ってもあるはずがない。自分が誰かを好きになるなんてあり得ない。
怜はそう思いながら、美羽を見返すが、今度は先回りしてその答えを言うつもりはないようだった。
じっと怜の返答を待っている。
馬鹿馬鹿しい質問に答えるのは面倒に思いながらも、仕方なく怜は声に出した。
「当然だ」
その返答に満足したのか、美羽は満面の笑みで右手を怜の前に差し出した。
「交渉成立……ですね」
交渉成立の握手を求める細くて長い指。
怜は迷わずその手を取った。
想像以上に華奢な手だと思いながら、怜もまた柔らかく握り返す。
「お互い頑張りましょう」
日差しに照らされた美羽の無邪気な笑顔をみいってしまったのは、透き通るほど白い顔色のせいだと怜は思っていた。