興味のない男
「大隈 玲さん。
私と付き合ってくれませんか? 」
目を輝かせ頬を赤らめながらはにかんでいる名前も知らない女子を目の前に、怜は授業終わりの片づけに手間取ったことを心底後悔していた。
呼び出された大学の中庭の柔らかい芝生の上に佇みながら、何度こんなシチュエーションに出くわしてきたことかと、怜は気付かれないようにため息をつき、昔の記憶を辿っていた。
中高校は、各学年三クラスしかない狭い世界な上に共学だったせいもあり、誰が好きだ、付き合った、別れた。そんな話題ばかりで、うんざりだった。
色恋沙汰なんて道を歩いているときに生えている雑草くらいにしか認識していないのに。なぜか女子はしつこいほどかまってくる。
休み時間は特に地獄だった。
じっと席になんか座っていたら、女子たちが次々とやってくるから屋上や空いた教室に逃げ込むしかない。万が一捕まったときは、あからさまに嫌な顔をしてやるが、ひたすら話しかけられるという始末。
もうやめてくれと鋭く睨んでいるのに、そんなの気にすることなく甲高いお喋りをやめることはなかった。
こんなに冷ややかな態度と顔で示しているのに、何故だ?
半ば追い詰められていた怜は、数少ない親友に珍しく相談したことがあった。
「お前の表情筋は、死んでるから嫌な顔していると自分で思っていても、無表情にしかみえないんだよ」
そういわれた怜は、ならばはっきり言葉で言わねばならない。そう思った。
それから、怜は基本無口なのは変わらないが話すときは思ったことをオブラートに包むことなくストーレートに伝えるようになったのだった。
そんな記憶に気をとられていた怜の目に、早く返事をしてほしいと期待に胸を膨らませた女子の顔が映り込んでいた。
そんな相手に怜は迷わず、告げる。
「無理です」
感情のないストレートな刃に容赦なく切りつけられた女子は目を大きく見開き、みるみる眼の淵に水が溜まっていった。
いい加減にしてくれよ。と、怜はそう言いたいのを堪えながら無言でこの後の出方を待っていた。
そして、しばらく俯いていた女子は
「わかりました……」
息絶える直前の最後の一声を残し、踵を返し走っていった。消えてゆく背中を見ながら、怜は内に溜まっていた濁った空気を吐き出していた。
お決まりのパターンなのに、こればかりは慣れない。
怜の冷え切った感情の中にうっすらと罪悪感が降り積もる。
大学に入り多少なりとも広がる世界に飛び込めば、この訳のわからない環境から抜け出させると思っていたのに。
これで、何度目だ?
大学卒業まで一年を切ったせいなのか、特にここ最近はこのような呼び出しが頻繁だった。
初夏の陽気の中に少しひんやりとした春の匂いが残る。その風に吹かれながら、怜はどんよりと沈んでいく気持ちを自覚していた。
もういい加減に解放してくれ。
怜が風に揺れる芝生の先に目を落とし呟いたとき。
「ごめんなさい」
風に乗って聞こえてきた透き通った声が怜の鼓膜を震わせた。
怜はふと顔を上げて、声が流れてきた風上に目を移すと割と近いところで、つい先ほどの繰り広げていた自分と同じシチュエーションの男女が目に入った。
違うところといえば、男女の立場が逆。
あの重苦しい空気の濃度から、怜はここに来るよりだいぶ前からあそこにいたようだと推測していた。
全く気付かなかった。
話の行方よりも、そこに人がいたことの驚きが勝る。
全体的にさして興味もわかなかった怜は早々にそこを立ち去ろうと踵を返した時だった。
「僕は、あきらめきれない」
君が好きなんだ。と、男の情けない懇願の声が怜の背中から聞こえて、胸中で毒づいていた。
「ごめんなさい」
なんて、わざわざ柔らかいニュアンスで返すから面倒なことになるんだ。
相手を傷つけまいとして、優しく断ろうとしているのか知らないが、そんなの色恋に染まりきった能天気な頭には無用だ。
絡んできた糸は、問答無用で断ち切る。
それが鉄則だ。
なのに。
「気持ちは有難いんですが……私には受け止められません」
そんな生ぬるい答えに、怜は苛立ちを覚えて声の主である女の方に顔を向けた。
女は、本来の優しげな目を困り果てた目にさせて、鼻筋が通った先のピンク色の形のいい唇はへの字になっていた。日差しに照らされているせいか肌がやけに透き通っていて眉間に刻んだ影が色濃く見える。風に揺れる肩より少し長く伸びた髪が跳ねて、太陽の光に当たると赤茶色に光る。ジーンズに白いブラウスという、ラフな格好なのに清楚な雰囲気が滲み出ていた。
いつも怜に一方的に話しかけてくる同じ溝口ゼミに所属する山本渡だったら
「あの子は理工学部の匂いを感じない。文系女子だ」と、即答するのが目に浮かんだ。
渡の重苦しい髪の毛を思い出し、また怜はため息をつく。
それにしても、なにモタモタしているんだ?
未だにあの男を振り払うことができず、おろおろしている女に、怜の苛立ちは募る一方だった。
いつもならあんな場面に出会したところで、風さえも吹かない。荒れ始めた波は収まるどころか、足元を掬い始めているのを怜は自覚し始めていた。
今日の俺は、どうかしてる。
さっき背中を丸めて去っていたあの女子のせいなのか。それとも、目の前で繰り広げられている状況がそうさせているのか。それさえもよくわからない。
困惑という波に襲われている間、知らず知らずの内に怜の視線は、もたつく女子を凝視していたようだった。
眉毛を八の字にさせ子犬のような目をさせた色素の薄い茶色い瞳と怜の目は、まともにかち合っていた。