得体のしれないモノと決意
城から出ると、淀んだ空が不気味に口を開けているかのように存在していた。大地は淡く水晶のように輝き、見たことのない色や形の花が咲いている。中には氷のように下を向いて固まってしまっているものもあった。
「聖なる泉へはどうやって行けばいいの。妖精さん」
「エルフィンとお呼びください。具体的な道は、この世界にはありません。ただ歩いていても、同じところを漂うばかりです。心のフォルスを使ってみてくださいな」
「具体的にはどうすればいいんだい」
「想い、念じるのです」
優斗は少しだけ期待した。こどもの頃に夢見た魔法のような力が使えるかもしれない。そう思うと、次第に胸がバクバクしてきた。
どんな所へ行こうか。聖なる泉を彼は見たことが無い。ただ、思い出したことがある。
彼の幼いころに亡くなった祖母である。彼女はいつだって優斗の味方だった。そして、家族の繋ぎ役でもあった。祖母が亡くなると、彼は父子家庭になってしまった。
医者の父親だったから、生活に困ることはなかったが、仕事柄、夜遅くにならないと帰ってこない。優斗の心はいつも寂しかった。
――もう一度、祖母に会いたい。
そう想い目を瞑る。再び目を開けると、優斗は深い深い森林の中にいた。そこには一軒の小屋がある。ギィッとゆっくり開いた木造の扉。
「あら。お客さんかぇ」
木製の小さなバケツを持った小柄な腰の曲がったお婆さんが彼のことを見て、にこっと挨拶をした。その表情は穏やかで、どこか祖母の面影を感じた。
「もう、聖なる泉は遥か彼方ですよ」
「ごめんよ。でも、少し話してもいいかい」
「駄目です。ファンタジアには時間が残されていないのですから」
バケツを置き、何かを持って、のそのそと近づいてくるお婆さん。優斗はその姿をどこか愛らしく感じた。まるで昔の穏やかな祖母を見ているようで、懐かしく感じたのだ。
「ほれ、タイムじゃ。たっぷりとフォルスがこもっとるから美味しいぞ」
「ありがとうございます。えーと」
「オリフィエルと呼んでくれ」
ニッコリ微笑むお婆さんには、あっちの世には無い、どこか神秘的な魅力を感じた。彼女もきっと女神フォルトゥナから生み出されているのだろう。
優斗は、十枚のタイムが入った革袋をズボンのベルトの帯に括り付けて、話を続けようとした。
「時間が無いのです。もうそろそろ――」
エルフィンが言いきる寸是で、鋭い爪を持った一つしか目が無い、霧のような、何とも形容しがたい存在が彼らの前に現れた。白目は黒く赤い瞳をしている。得体のしれないそれは、優斗たちと目が合うと、間髪入れずに襲ってきた。
「魔物です!」
妖精の声が響くと、隠れていた鳥たちは灰色の空へと飛び立ってしまった。始めて見る魔物に動揺して語り掛ける優斗。しかし、言葉が通じない。
「――!」
魔物が、オリフィエルにめがけ忍び寄った瞬間、咄嗟に彼は心で強く念じた。
(死なないで、おばあちゃん!)
それは、優斗の祖母の死期を看取る時の祈りと重なった。彼の祖母は脳梗塞で亡くなった。突然のことだった。優斗は倒れた祖母にそれしか言えなかった。得体のしれない魔物が、彼には祖母を殺した脳梗塞と重なったのである。
「ひやぁああっ!」
オリフィエルの叫び声が聴こえたと同時に、彼女は銀色の膜につつまれ、優斗の後ろに瞬間移動していた。それは彼がはじめて魔法を使った瞬間だった。
「使ったのですね。ハートナイトの力!」
「……守ることもできるのか」
ならばと、彼はハートナイトの力を魔物にも試してみた。
(君はどうして僕たちを襲うんだい)
想い、念じ、語り掛ける。いかにも優斗らしい選択肢だった。魔物は、止まりはしたが、大きな爪を鳴らして目を見開き威嚇している。今にも襲ってきそうな恐怖心を抱きながら、彼は言葉をかけ続けていた。
心配そうに見守る二人。
(そうだ!)
優斗に一つの提案が浮かんだ。目の前の魔物に名前を付けてみようと。昔何かの本で読んだことがある。名は体を表すと。できるだけ優しい名前にしよう。そうして付けた名前は……、
「ラヴィ。君は今日からラヴィだ!」
「……ラ……ヴィ……」
「嘘。魔物が言葉を話すなんて!」
エルフィンが驚くように口元に手を当てて飛び回る。お婆さんも、「あらまぁ」としわくちゃな顔で呟いた。肝心の魔物はというと、名前を呟いた瞬間から目に正気が宿り、自身の不気味な姿を咎めるように、「あぁ、なんて醜いのだ……」と嘆いていた。
「そんなことないよ。生まれ出でる生命全てが美しいんだ」
「ラヴィ。美しい」
「そうだよ」
その様子を見て、エルフィンはハートナイトの力の可能性を感じたが、次の瞬間。ラヴィは一瞬で暗い風に包まれて、石と化してしてしまった。女神フォルトゥナから生まれた存在ではない魔物は、たちまちこうなってしまうのだろうか。
それもこれも謎の奇病のせいであろう。
「こんなのってないよ!」
悲しみを感じた優斗は、その場で誓った。必ず聖なる泉のフォルスを復活させると。道なき心の道を旅することを決めた瞬間である。
その様子を見張っている、黒く禍々しい形のない影の存在を知らずに。