少女は舞い降りた
※三人称視点になります
ジグはメガネ二人組と別れて一人で森を歩いていた。
先ほど広場でトモシビを見たときはテンションが上がった。
思いっきり上から目線で煽っていたが、彼女は自分の目に叶うように頑張れと言ったのである。
目に叶ったら何をしてくれるんだろう、そう思ってゾクゾクした。
ただの挑発かもしれないが、相変わらずのオーラを放つあの少女に彼は焦がれた。
だがその直後、背後から手に押し付けられた物によって、彼の心は急速に冷えた。
それは小さく畳んだ紙だった。
指令だ。
彼以外のスパイがいたのである。
(この辺のはずだが)
紙には座標が書いてあった。そこに来いと言っているのだ。
木の陰からフードを目深に被った女性が姿を見せた。
「こんにちは、今日は冷えるわね」
「……向こうと比べたらな」
ここはこの大陸で最も暑い場所の一つだ。これで冷えるなどと言えるのは彼と同郷の人くらいだろう。
「時間がないから単刀直入に言うわ。仕事を手伝って欲しいの」
そう言って彼女は短剣を抜いて見せた。その刀身には天秤の絵が彫られている。
それは暗殺者の証だった。
彼とは異なる、要人暗殺のためのスパイ。
つまり暗殺を手伝えと言うのだ。
彼女の権限はジグより上である。断る権利はない。
「これを」
彼女が見せたその写真を見て、彼は呻いた。
その少女はよく知ってる。出会ってからずっと頭の中に住み着いている少女だ。さっき元気に周囲を煽っていた少女だ。
なんで? よりによって?
ジグは頭の中がグラグラ揺れているような気がした。
「なぜ……と聞いてもいいか?」
「ええもちろん。王都であった例の騒動はご存知?」
「ああ、あの……雷神落とし」
雷神……こちらではスカイサーペントと言われてる魔物はアルグレオでもよく知られていた。空を飛んでいるのだから大陸など関係ないのだ。
南の大陸では雷鳴と共に現れる神獣と伝えられている。
少し前、その雷神が王都を襲った。お祭りを見物していたジグは突然の襲来に震え上がり、逃げ惑い、そして神の奇跡のような光柱が雷神を貫いて天に昇るのを見た。
その顛末はグランドリアの戦略兵器『雷神落とし』としてアルグレオに報告された。
「その雷神落としの正体が彼女、トモシビ・セレストエイムだと言ったら?」
「はあ?」
ジグは間抜けな声を上げた。
「……どうしますかね」
「どうって、お嬢を殺させるわけにはいかないだろ」
「ですねぇ……はぁ……」
聞いてしまった。
聞いてしまったからにはもう無視できない。イトゥーとテレンスは嘆いた。
彼らはこんなのでも魔法戦クラスだ。エリート候補である。
ジグと名乗った男の行動に怪しいものを感じた2人は、透魚……通称イカクラゲの皮を被って後を付けていたのである。
気配を断つのは2人とも得意だ。
「直接止めるか?」
「プロの暗殺者に勝てますか?」
自信がなかった。
何しろ彼はトモシビと引き分ける程度の強さなのだ。テレンスも似たようなものである。
それならトモシビ達に知らせた方が良い。彼女自身はともかく取り巻きは実力者がいる。
とにかくこの場から離れようと後ろを向く二人。
そこには怪物がいた。
「ッ!?」
突如横合いから飛び出してきた何かに、ジグ達は飛び退いた。
獅子のような生物。ジグのワンルームアパートが半分埋まるくらいでかい。間違いなく魔物だ。
そしてその魔物に追われていたらしい二人の子供。
ジグの知り合いだ。
「ま、ま、任せた!」
「は?」
その2人は、やけに洗練された逃げ足でジグと暗殺者の後ろに回りこんだ。
(俺たちを盾に!?)
魔物は唸り声一つ上げず4人と対峙した。
ただの魔物ではない。
獲物を観察する狩人の目線をしている。
魔物は一度深く沈みこむと真上に飛び上がった。
ガサリと木が鳴る。
落ちてこない。
またガサリと鳴った。視界の端で影が動く。木の上を飛び回っているようだ。
「上からか。厄介だなくそ」
「正面からの戦闘は苦手なんだけど」
「いやー頼りになります」
「ちっ、お前ら一応魔法使いなら……」
来た。
丸太のような前足を振りかざしてそいつは降って来た。
全員が避ける。
ジグは口から火を吹いた。
「……あんた人間?」
「一応な!」
「やめてください、火事になります」
怯んだ魔物に全員で攻勢をかける。学生2人はジグの目から見てもなかなか強い。この国の戦闘員のレベルは高いらしい。
彼らは空中を縦横無尽に飛び回り、マンティコアの爪と牙を避け、尻尾を切り落とした。
うまい。
かなり戦い慣れている。
ジグと暗殺者も負けじと剣を振るう。
やがて暗殺者の剣が心臓のあたりを貫いた。
いける。
ジグが勝利を確信したその瞬間、暗殺者を巻き込んで魔物が爆発した。
至近距離の爆風でジグは吹き飛ばされてしまう。
木に叩きつけられ、息が止まる。
メガネ2人が剣を構えてジグを見下ろした。
「お前、ら……」
「彼女を害する者を見過ごすと思いますか?」
「ここよ、ここ」
頭をトントンするイトゥー。とてもうざい。
会話を聞かれていたのだ。
ジグは瞠目した。
万事休す。
スパイに暗殺……そんなクソみたいな仕事の末にガキどもにやられて終わるのか。
ろくな人生じゃなかった。
しかしジグの胸には穏やかな安堵があった。少なくとも彼女を殺さなくて済んだのだ。
でも、ああもし……もし生まれ変わったら、その時は……。
(あの子の椅子になりたいな……)
そして目を開けたその瞬間、ジグは見た。
丸太のような豪腕がイトゥーを吹き飛ばすのを。
続いて、テレンスと名乗ったメガネの1人が薙ぎ払われた。
2人を力付くで排除して目の前に現れたのはそこで死んでいる魔物だ。
2匹目の出現だった。
魔物が腕を振り上げるのを、ジグはぼんやりと見つめた。
その頃、森は戦場と化していた。
凶悪な魔物が跋扈し、参加者同士でも戦闘が繰り広げられている。
「ちっ、雑魚が」
そう呟いてバルザックは魔物の体から手を引き抜く、心臓を貫く手応えがあった。
これで2匹目。
木の上から無音で飛びかかってくる魔物……獅子の体に毒針を持つそれはマンティコアという魔物だ。
授業でも習った。魔王の軍勢の人食い魔獣として教科書に載っている。
「血が出てるぞ? バルザック、大丈夫か?」
「返り血に決まってんだろ」
マンティコアを従えたオルクスが嘲る。
余裕を見せてみたもののバルザックから見ても厄介な魔物だった。
動きが早い上に全く音がしない。
何よりも連係能力が高い。
「ご機嫌じゃねえかオルクス、ペットと一緒で心強いか?」
「これは俺の力だ。俺は魔獣使いになったのさ」
「ほう、じゃあ俺がそのお前を使えばこいつらも俺の力か。いいじゃねえか」
バルザックは破顔した。
なるほど仲間とは良いものだ。仲間の力は自分のもの、自分の力も自分のもの。あのグレンやトモシビの力はそういうものだったのかと彼は納得した。
彼の中でグルグル渦巻いていた苛立ちが、ようやく収まるところへ収まった気がした。
「よし、今なら許してやるぜオルクス。俺様の舎弟に戻れ」
「馬鹿が! てめえがこれから俺の舎弟になるんだよ!」
彼が操る4匹のマンティコアが動く。
木の上に2匹、地上に2匹。
自慢の鼻のおかげで魔物の居場所は大体わかる。
(被弾覚悟でやるしかねえか)
負けるとは思わない。幸いここにはトモシビと取り巻きのクロエがいる。とっ捕まえて治療させれば良い。
彼の頭の中ではクロエは無料診療所と同義である。
マンティコアは同時に来るはずだ。バルザックの野生の勘が告げている。
樹上の気配が止まった。
張り詰めた空気が満ちた。
視界の端で大きなものが動いた。
(来る)
バルザックの足元が破裂した。
跳躍のために地面を蹴っただけだ。彼ほどの力があればそれだけで火薬で打ち出したかのような勢いが出る。
飛びかかるマンティコアの爪がかすめる。それを無視して、オルクスに狙いを定めるバルザック。
さらにブースターを使い、木を蹴って加速する。
マンティコアですら追いつけないスピードだ。
牛の顔に恐れが浮かんだ。
彼がポケットに入れた手で何かを握りしめているのをバルザックは見逃さなかった。
ジグの頭上からボタボタと血肉が降り注いで来る。
「あ……」
突然、目の前の魔物がドバッと弾け飛んだのである。
あたりは血と肉と臓物が散らばって地獄のような光景を作り出している。
木々の緑の切れ間から何かがキラリと光って見えた。
それは輝く銀髪に赤の映えるあの少女だった。
彼女の周囲には無数の魔法陣が浮かんでいる。
そして彼女は天女のようにゆっくりと下降し、彼の前に降り立った。
「……この服、かわいい?」
いきなりそんなことを聞いてきた。
彼女が纏っているのは異国風の衣装だ。袖が広くなっていて優雅な印象を受ける。露出した白い太ももと黒のコントラストが彼に取ってはたまらなく扇情的に思えた。
「か、可愛い……です。トモシビ・セレストエイム……様」
彼女の目が輝いた。
「ドM」
彼女はどうやらジグのことをそのあだ名で覚えているらしかった。
魔物の血肉と臓物がブチまけられたこの地に舞い降りた無邪気な少女。
ジグには彼女が天使か……あるいは噂に聞く魔王のように見えた。
マンティコアはライオンの魔物ですね。
ライオンですが木登りが得意です。
時系列的に次のお話は少し戻ります。




