世界の中心で愛を叫んだ魔物
学園の地下迷宮へは校庭の大穴から入った。
ここがスライムの反応に一番近い。
マップを見ながら歩を進めて行く50人近くの治安部隊と予備隊5人。
魔物はいない。生物の気配もない。
無数のアイコンはギュウギュウ詰めになって固まっている。
すぐに行き止まりがあった。
通路が壁に塞がれている。
その壁の正体に気付いたとき、全てが理解できた。
この蠢く壁は全てスライムだ。
もはや迷宮ではない。
学園の地下にはスライムが充満していた。
「スライム……」
「トモシビ、貴女のおかげです。見てください。ワタシはもうこんなに大きくなりました」
蠢く壁が喋った。
昨日聞いた声。
紛れもなく私のスライムだ。
なんてことを……。
本当になんということを。
私はこの子に最初から騙されていたのだろうか?
衝撃を受ける私を、チラリと見てナザレ隊長が進みでる。
「王都の魔力を吸っていたのも、木を枯らしていたのもお前か?」
「ええ、ワタシです」
「ならば駆除するしかないが……その前にお前の目的を聞いておこうか」
「そうです、なぜお嬢様を裏切ったのですか?」
スライムの表面が蠢いて私の顔を形作った。
あの時よりずっと精巧な顔だ。
「裏切ってなどいません。ワタシの目的はただトモシビの願いを叶えるのみです」
私の願い? これが?
そんなはずはない。
「トモシビ、ワタシは貴女が好きです。貴女のためなら何でもできる」
「こんな事、望んでない」
「ワタシは人間と共生するのです。貴女が望む通りに」
「これが共生だと? お前が王都に寄生しているだけではないか」
「いいえ、これからワタシの下で人間は管理されます。ワタシはそのために力を蓄えたのです」
第2の衝撃が私を襲った。
管理? 人間を?スライムが?
スライムは私達を見回すように顔を動かした。
「人間はペットを管理するではありませんか。ワタシをそうしてきたように。責めているのではありません。優れた種が支配するのは当たり前のことです」
「お前が人間より優れていると言いたいのか」
「ワタシの演算能力はもはや人間など比較になりません。力も頭脳もあなた方より上です」
「では、試してみるか?」
ナザレ隊長が剣を抜いた。騎士団の面々もそれに続く。
私も……やらなきゃいけない。エクレアが、フェリスが、クロエが、エステレアが戦闘態勢に入った。
「無駄です。ワタシはあなた方一人一人をターゲットとした座標変換ですら一瞬で完了できます。このように」
スライムの表面に魔法陣が走った。
ドサリ、とナザレ隊長が倒れる。
なんだ? 早すぎてほとんど見えない。
周囲を見ると私以外全員が地に倒れ伏していた。騎士団も私のチームも全員だ。
息はある……いや皆、意識もあるようだ。しかしその体はピクリとも動いていない。
「馬鹿な……」
「安心してください。神経系の電気信号を撹乱しただけです。すぐに治ります」
「おのれ」
倒れながらも魔術を行使しようとするナザレ隊長。
だがスライムの魔術の速度は彼を圧倒的に凌駕していた。
彼は今度こそ意識を失って動かなくなった。
「騎士団全員を気絶させました。これは躾です。ペットを管理するのに必要なことです。人間もそうしているでしょう?」
それがスライムの言う共生なのか。人間が犬や猫にするように躾をして、可愛がって、繁殖や餌や自由の全てをスライムが管理する。スライムは私の思考を読んだかのように答え始めた。
「その通りです、トモシビ。ワタシは平等で、安全で、永久に発展する持続可能な社会を人間にもたらします」
スライムの表面から体が出てきた。ピンクの肉塊のままだが私を模した体だ。そして、その人型の分体は私に歩み寄り、私の手を取った。冷んやりしてブヨブヨしたスライムの感触。
「トモシビ、貴女は人間の女王となるのです。想像して下さい、未来を」
「スライム……」
「貴女の下で人間は一つになる。永久の繁栄を約束します。セレストエイムを発展させましょう。貴女は世界中の美味しい物を食べて綺麗な物や珍しい物を手に入れる。貴女はワタシと理想の人生を送るのです。貴女の幼い声を馬鹿にする者なんていません」
その光景はありありと浮かんだ。いつか語った私の夢。全て同じだ。
スライムの支配下という点を除けば。
「大丈夫、全てうまくいきます。貴女にはワタシがいます」
これは私への愛の言葉だ。
スライムは最初から私の言葉を全て理解していた。私の言葉によってスライムは育てられた。
私の思考、私の悩み、私の夢を吸収して。
この行動も全部私のため。
つまり、私がスライムをこうしたのだ。
「スライム、その未来は来ない」
「……トモシビ、馬鹿な真似はやめて下さい。貴女だけは攻撃したくない。お願いです」
未来は私の力で成し遂げなければならない。
スライムは優れたものが支配するのは当たり前と言った。そうかもしれない。
ならば話は早い。自然の摂理に従って私が止める。
だって私が……。
「私が一番、強くなるから」
私は素早く武器を取り出すと、巨大なスライムの本体に投擲した。4発。
そのブヨブヨした体に食い込んで飲まれていった。
「どうしても戦うのですか?」
「……」
「……仕方がありません。少し我慢して下さいトモシビ」
来る。
異常な速さの魔法陣。
私はほとんど同じ速さで魔法陣を描く。
もはや得意技となった障壁の魔術だ。
私の脳髄に直接打ち込まれる電流を体内の障壁で迎撃する。
西部劇のガンマンのような早業の応酬。
本来なら反応もできない速度だ。だがそれはもう一度見た。やる事とタイミングが分かればどうにかなる。
「素晴らしい。しかし、どうするのですか? 彼我の絶望的な性能差は理解できているはずです」
「……もう、終わった」
異変を察知したのだろう。
私を模したスライムは後ろを振り向いた。
巨大なスライムの肉塊が崩れ始めている。
「まさか……なぜ……?」
毒だ。
スライムにだって天敵が存在する。
それは……あの木人だった。
「トモシビ、意識を奪います」
さっきよりずっと遅い。ヒョイと飛び退く。
私のいた場所に魔力が走り、消えた。
座標系が変わっても私に誘導するわけではないのだ。
「もう私には勝てない」
現地調査でスライムがいなくなっていたこと、そこに木人が根付いていたこと、見せてもらった木人のデータ。そこからキョウカ先生が推測した。
木人は最初からスライムを目指して歩いていたのだ。森林を破壊していたスライムに対抗すべく毒を持ったのだろう。
スライムの本体は彼らに滅ぼされたのである。
その直前に、あの本体は私にこのスライムを託したのだ。
研究して、解明して、利用する。それが人間の力だ。スライムがいくら能力が高くても経験がない。
スライムは人間を舐めすぎなのだ。
「では、さっき撃ち込んだアレが……? しかし、そんな短時間で毒を行き渡らせる事は出来ないはず」
できる。
なぜならあれは自分で動き回る魔導具だからだ。
私は残りを取り出して魔力を込めて見せた。
それはみるみるうちに変化して、デフォルメされた私の人形になった。
「み、ミニトモシビちゃん……?」
フェリスが力無く驚く。
誰かに倒された木人が加工され、この人形の素体になった。
不思議な縁である。
さらに人形に魔力を込める。
人形はグングン大きくなって私と同じ背丈になった。
魔力で膨らむベッドの式を使った膨張の魔法式。
これはカズトーリさん達がゴーレムの部品からヒントを得て改造した戦闘用の人形だ。
魔力で命令して動かせるようになったこれを、私は魔導人形と名付けた。
「これがあなたの体内で暴れてる」
「トモシビ、本気で攻撃しますよ。今すぐ止めて下さい」
私は首を振った。
スライムは体の全てが脳のようなものだ。この人型分体だけでは卓越した演算能力も失われる。
それに……スライムは私を本気で攻撃などしない。そんなこと出会った時から知っている。
「ワタシを……殺すのですか? トモシビ……」
スライムは悲しそうに言った。
「殺さない。あなたは人間と共生する魔物になる」
私は答えた。
「想像して、スライム。私のセレストエイムで、あなたは人間と共に繁栄する。スライムみたいな魔物も入れて、平等で、安全で、持続可能な永久に発展する社会を作る」
「……人間の言う共生とはペットと飼い主です。それ以外ありません」
「私が創る」
スライムは頑固だ。
私には想像できる。想像できるならあとはそれに向かって進めばいいだけだ。理想の社会に。
スライムの語る未来と私の語る未来。どちらが良いだろう?
価値観は一つではない。だが、一つ言えることはスライムの未来は私にとって妥協でしかないということだ。私の言葉で育ったスライムにとっても、きっと……。
その時、不意にフェリスが怯えた声を上げた。
「トモシビちゃん……雷みたいな音がする。あれが来るよ」
伏せた耳、丸めた尻尾。この反応は一つしかない。
「……まさか」
「す、スカイサーペントですか? 王都に?」
あれが、この王都に?
やつの巨体を思い出す。
あの怪物が街に襲来したら一体どれほどの被害が出るだろう?
「……王都の魔封器が完全に停止したせいです。大丈夫、地下にいれば平気です、トモシビ」
「そうですね。騎士団がきっとなんとか……」
4人が立ち上がり始めた。電撃の効果が切れたのだろう。
そうだ。騎士団は私たちよりずっと強い。
スカイサーペントだって追い払って……。
……いやだめだ。
思い出した。
今、騎士団はここで意識を失っている治安部隊しかいないのだ。
「……彼らはあと数時間は目を覚ましません」
「じゃあ、どうするの? どうしようトモシビちゃん?」
「ワタシが餌になります。そして中から有りっ丈の魔力で暴れます」
「スライム……勝てるの?」
「分かりません。しかしワタシの膨大な魔力を食べれば満足するはずです。皆さんはここにいてください」
スライムは覚悟を決めて歩き始めた。
どうする?
最悪のタイミングで最悪の魔物が現れた。
やつに追い回された恐怖が蘇る。
勝てるだろうか?
「スライム、まだ魔力、ある?」
「はい。王都から集めた魔力はこの分体にも保存していました」
「みんな……いける?」
4人を見回した。
失敗したら死ぬ。
私はまた無茶をしようとしている。
しかも皆を巻き込んで。
だが、4人は力強く頷いた。
「やるのね? 燃えてきたわ」
「お嬢様、何か作戦があるのですね」
「トモシビちゃんと一緒なら怖くないよ」
「私もお役に立てるなら」
よし。
きっと成功する。
私は死なない。誰も死なない。
王都を魚の餌にしてたまるか。
私が王都を救うんだ。
私が私なら……私のなりたい理想の私なら、絶対にそうする。
出口に向かう私達をスライムが止めようとする。
「トモシビ、やめてください。貴女では勝てません」
「みんながいる」
「いても無理です」
「大丈夫」
全て上手くいく。未来は見えている。
「私にはスライムもいる」
一応、巨大スライムちゃんのスペックは作中最強クラスです。




