料理人ヒースの場合。Ⅴ
「う~ん・・・」
「アルルちゃん?」
「・・・あのね、ヒース。ボクは確かに、ボクの権限内でなら、君の希望を叶えるって言ったよ?」
珍しく、真剣な様子の可愛らしい声。
「けど・・・君が厨房で働くかは、ボクの話を聞いた後で、自分で決めるといい。これから話すことは、嘘だと思うなら、信じなくてもいい。でも、ちゃんと考えてほしい」
溜め息を吐いた道化が口を開く。
「娯楽が乏しい時代には、美女、美酒、美食なんかが権力者達の判り易いステータスというやつでね。それらを集めることに腐心する連中も少なくはなかった。今では考えられないだろうけど、酷く馬鹿らしいことに、美女や料理人の拉致監禁なんてのは当たり前。ときには戦争を起こしてまで手に入れていたものさ。けどね、争ってまで手に入れた者達が、大人しく言うことを聞くとは限らない。だから、そういう人の一族郎党、または大切なモノを人質にして言うことを聞かせるなんてのは、ザラだったんだよ」
そういうことは、以前に聞いたことがあった。ヒースの祖父が前に話してくれたことだ。「昔の料理人はな、命懸けで大変だったんだぞ」と。「少し前までは料理人は技術を隠匿し、レシピを巡っての殺し合いなんかも、よくある話だった」のだと。
「昔に比べると少しはマシになった今でも・・・権力者の料理人には、連座というのが有り得る。脅すつもりはないけどね。ヒースには、それをちゃんと知った上で、どの程度の料理人になるのかを、考えてほしい」
そう言って、道化は行ってしまった。
それからヒースは道化に言われたこと、祖父の言っていたことをよく考え――――
やはり、自分で作った美味しい料理を父や母、祖父へと食べさせてあげたいと思い、厨房で働くことを道化へ願い出た。
「OK。わかった。君がちゃんとよく考えて決めたのなら、ボクはなにも言わない。けど、やめたくなったり飽きたりしたら、他の道も検討してみるといい。いつでも相談に乗るよ」
こうしてヒースは、厨房で働くこととなった。
ヒースが厨房で皿洗いや野菜の皮剥きをして頑張っていると、いつの間にかどこぞのワケありな豪農の子やワケありな貴族の子息、小さな本好きの女の子、少々頭のおかしい貴族の子息達が続々と城預かりとなって行った。
彼らは彼らでそれなりに仲良くなっていたようだが、忙しく厨房に出入りしていたヒースは彼らとはあまり顔を合わせることはなかった。また、道化も彼らに掛かりきりになり、ヒースを城下へ誘って遊び回ること自体も少なくなって行った。
ヒースの両親や親族の捜索については、ヒース自身が自分の住んでいた街を覚えていないせいか、あまり捗っていないとのことだった。父とあちこちを旅して歩き回ったことも、住んでいた地域の特定を難しくしているのかもしれない。
ヒースが道化に保護されて数年が経ったある日。城内がざわついていると思ったら、昼日中からグラジオラス城塞の城壁をクライム制覇したいろんな意味で凄い子が、グラジオラス辺境伯城塞へ侵入当日から城預かりとなった。
その後、城の住人を狙ったごたごたが少々続き、その都度道化が酷く不機嫌(禍々しい雰囲気で酷薄にニヤニヤと嗤う)になり、城全体の雰囲気がピリピリと張り詰めていた。
一時はどうなるかと思ったが、城の住人を狙った輩には、キッチリとそれなりの報復がなされたようで・・・オリーも忙しく動いていて、ヒースと顔を合わせることが減った。
そして、そんなごたごたが一段落した頃。
存外味覚の鋭いヒースを気に入ってくれている料理長から、「本格的にコックにならないか」とのお誘いをもらった。そして――――
ヒースは、なぜか道化に呼び出された。
「さて、ヒース・・・ボクは、君に話さなきゃいけないことがあってね」
「アルルちゃん? なんだ? 改まって」
ニヤニヤと、常にイタズラっぽい(不機嫌なときにも禍々しい)笑みを絶やさない道化の、珍しく引き結んだような口が開いた。
「まずは・・・君の祖父は、レフィリオ伯爵家に仕えていた料理人のヘザーで間違いないかい?」
仕えていた貴族の名前はちょっと覚えていなかったが、祖父の名前に頷くと、
「? じいちゃんを知ってるのか?」
沈んだような声が続けた。
「料理人ヘザーは、伯爵家の専属料理人だった。けれど、君が城に保護された年に亡くなっている」
「は? ・・・アルルちゃん? そんな笑えない冗談、やめてくれよ。な?」
ヒースは、道化の、質の悪い冗談だと思った。
「・・・冗談、だったらよかったのにね。残念ながら、これは冗談なんかじゃないんだよ。君を拾った年。王都にあるレフィリオ伯爵家のタウンハウスで、複数の貴族が毒を盛られたという毒殺未遂騒ぎが起こった。そして、その相手が悪かった。伯爵家よりも格上の侯爵がいた。その後、料理を作った料理人のヘザーが毒を盛ったとして、処刑された。更に、侍女として働いていたヘザーの娘で、君の母親でもあるエリカも連座として投獄された」
「っ、嘘だっ!?」
「事実だよ。だからヒース。君は、ここにいる。多分、君のお父さんは、『一族郎党の連座』から、君を連れて逃げたんだ」
道化の沈んだ声に、ヒースはサッと血の気が引いて行くのがわかった。
「そん、な・・・じいちゃん、が・・・?」
「ボクの調べでは、君のおじいちゃんは無実だ」
「え?」
「無実なのに、彼らの体調不良の原因とされて、処刑されてしまった」
「なんでそんなことっ!?」
「料理を作って提供したのが、君のおじいちゃんだったから。その料理を食べた後に体調を崩した人がいて、その中に高位貴族がいたから。原因をちゃんと調べる前に、君のおじいちゃんは、大きくなった事を収める為の生贄にされたから」
「っ!?!?」
「権力者へ料理を提供する料理人には、常にこういう危険が伴う。冤罪だとしても、ね。・・・それでも、君は料理人になりたいかい? ヒース」
道化の静かな問いに、ヒースはなにも答えられなかった。
「・・・母さん、は?」
真っ白になった頭で、後から来ることのなかった母親のことが、脳裏を過る。酷く、厭な予感と共に。
落ちる溜め息。
「・・・エリカさんも、既に亡くなっている。投獄された後、自ら・・・だそうだ。君達二人の負担になるまいとして、だろうね」
「な、んで・・・」
「ボクの想像でしかないけど、人質になりたくなかったのかもしれない」
誰に対する人質なのか?
それは・・・ヒースを逃がした父に対する、または、冤罪であった祖父に対する人質なのだろう。と、そう、思い至ってしまった。
明るく朗らかで、くるくるとよく働き、お茶目で、口数の多くはない父を尻に敷いていた母は・・・存外頑固な性格をしていた。
そしてヒースは、唐突に理解してしまった。自分が埋葬されていた場所の近くの木に、『ヒース』と『エリカ』という名前が刻まれていたことの意味を。それは、家族を亡くした父の、弔いの意だったのだと。
ヒースは運良く息を吹き返し、更には道化に拾われてこうして生きているが、母はもう・・・
父がヒースを連れ、領主の私有地で道化の管理する『ポイズン・ガーデン』を、無理に抜けようとしたのはおそらく、他国へ行こうとしていたから。
自分がこの城で暮らしているうちに・・・あれから、もう何年も経ってしまった。
それを考えると、ヒースが死んだと思っている父が、この国にいる可能性は非常に低いだろう。
ここで、グラジオラス辺境伯領城塞で両親を待っていても、誰かがヒースを迎えに来ることは・・・きっともう、無いのだろう。
「っ・・・!」
「知っていて、それでも今までずっと黙っていたボクを恨んでくれて構わない。悪かったね、ヒース」
いつもとは全然違う、沈んだ低いトーンの可愛らしい声が言った。その言葉に首を振る。
「っ・・・アルルちゃんは、なにも悪くない」
「・・・とりあえず、ヒース。これからどうしたいのかを、考えるといい。それが決まるまでは、君の好きにしてなよ。もう下がっていいよ」
「アルルちゃん・・・」
城代の部屋を出たヒースはぐるぐると考える。
旅をしていたとき、美味しい料理を作ったヒースへ、なぜ父が「お前はもう、料理をしなくていい」と、顔を歪めて言ったのか。
ヒースが厨房で働きたいと言ったとき、なぜ道化が困った風だったのか。
なぜ、料理人以外の道を示唆していたのか。
父が、道化がどんな気持ちだったのか・・・
ヒースは、祖父から料理人は大変なのだと聞かされていた。
道化からも、料理人が如何に大変な仕事であるのかを、聞かされてた。
だからヒースは、料理人になることの大変さを聞いていた。知っていた。
けれど、知っていただけ、だった。
単なる知識として。昔話のように・・・
ヒースは、なにも判っていなかった。なに一つ、わかっていなかった。
なにも、理解していなかった。
それが、どういうことなのか。
他人へ、貴族へ、『料理を出す』という行為が、『誰かの命』への責任を負うことなのだと。
当事者になってみて、初めて理解した。
料理を作った料理人がなにも悪くなくても、毒を盛ったと疑われた時点で、その料理人が、その家族ごと、一族郎党ごと、殺されてしまうこともあるのだと・・・
ヒースの家族が、もういないことを。
家族には、もう会えないということを。
それからヒースは、考えて考えて・・・
部屋で倒れていたのを、オリーに発見された。
「暫く顔を見ないと思ったら、なにをしていたのですか? シュゼットの真似なら迷惑ですよ」
「ぅ……オリー様、すみません」
考え込み過ぎて食事を忘れて丸一昼夜。天才ではあるが生存本能の機能しない少女を引き合いに出され、小さくなるヒース。
「しかも、脱水と空腹での貧血だなんて・・・あなたが食事を抜くとは、珍しいこともあるのですね。どんなに体調が悪くても、絶対に食事をするのがあなただと思っていましたが? ヒース」
「・・・」
「とりあえず、食事を用意するので食べなさい」
そうして用意された食事は、やっぱりとても美味しくて・・・なぜだか無性に泣けて来た。
「……っ」
もういないと、亡くなったと聞かされたのに、もう誰も、ヒースを迎えに来ないというのに・・・
やはりヒースは、この美味しい料理を父や母、祖父へと食べさせてあげたいと思ってしまう。
美味しい物を食べて、笑顔になってほしいと、思ってしまう。
そしてヒースは、泣きながらオリーへ話した。
家族が、もういないことを。もう誰も、ヒースを迎えには来てくれないことを。父とも、会うことが酷く困難になったと気付いたことを。
「っ……それ、なのにっ……まだ、料理人になりたいとっ、そう思う俺を……馬鹿だと思いますかっ」
「そう、ですか。聞いてしまったのですか」
いたましいという表情でヒースを見るオリーに、彼女も祖父や母のこと知っていたのだと、気付く。
「・・・ヒース。お祖父様とお母様のことは残念でした。ご冥福をお祈り致します。けれど、わたしはあなたのその気持ちを、とても尊いことだと思います。あなたが、それでも料理人になりたいというのであれば、わたしも応援します」
そしてオリーが、
「・・・どう思われますか? 道化様は」
ドアへ向かって問い掛ける。と、
「・・・ボクだって、ヒースが本当に料理人になりたいなら、応援するよ?」
少し元気のない可愛らしい声と共に、フードを被った頭がひょっこりと部屋を覗く。
「! アルルちゃんっ!?」
「道化様がしおらしいと、違和感が凄いですね」
「あのね、オリーちゃん。ボクだって、偶にはへこむことくらいあるんだよ」
ぷい、とそっぽを向く道化。
「そうですか」
「そうだよ。もうっ、…ホントオリーちゃんは、姫に似て来たよね…それで? ヒースは、料理人になるって決めたのかい?」
「ああ。最初は父さん母さん、じいちゃんに美味しい物食べさせたいと思ってたけど・・・俺はやっぱり、誰かの美味しそうに食べる姿が好きなんだ」
「そっか・・・わかったよ。それなら、このボクがヒースを最強の料理人に育ててみせようじゃないかっ☆」
「道化様、料理をなさるのですか? 料理は賢者様がお得意だと思っておりましたが」
「ふっふっふっ、ボクはね、オリーちゃん。混ぜるな危険で遊ぶのが大好きなのさ♪」
元気を取り戻し、ニヤニヤと笑みを含んだ可愛らしい声が宣言する。
「存知ていますが?」
「というワケで、ヒース!」
「なんだ? アルルちゃん」
「ボクは心を鬼にして、君をグラジオラス辺境伯領私設軍へ放り込むから覚悟したまえっ☆」
「へ?」
そして翌日。ヒースは本当に、グラジオラス私設軍の訓練へと放り込まれた。
更には、訓練が終わった後に、道化のスペシャルな授業を受けさせられるという。
ちなみに、軍の訓練にはヒースよりも小さいアイザックが交じっていた。しかも、アイザックの訓練は、なぜかヒースの訓練よりもハードで、ヒースには気付いていないようだった。
「なんで、軍の訓練なんかっ……」
へばりながら文句を言うと、
「うん? ボクは言ったじゃないか? ヒース。君を、最強の料理人してみせようっ☆ ってさ?」
ふふんと胸を張る道化。
「いや、それなんか最強の意味が違くね?」
「全くもうっ、なにを言うんだいヒースは! 生きてさえいれば、料理が作り放題だろうっ☆例え冤罪や濡れ衣を掛けられとしても、そこから逃げ出せばいいのさ♪軍の訓練は、生き抜く為のものだからねっ☆」
「まぁ、そういうことです。一般教養の護身術程度では、軍に追われてしまうと抵抗するのは少々厳しいでしょうし」
「・・・ところで、なんでオリー様がここに?」
「ふっふっふっ、オリーちゃんはボクの生徒なのさっ☆ヒースの先輩だねっ☆」
「オリー様が、先輩?」
「ようこそ♪ボクの毒物学★講座へ!」
「毒物学、講座?」
「ええ。毒物を知ることは、高位貴族としての嗜みの一つですので」
「怖っ! なんかすっげー怖いんだけどっ!?」
「宮廷料理人や毒味役の嗜みでもありますよ」
「そういうこと、か・・・アルルちゃん」
「そういうことだねっ☆万が一、毒物が混入しても、毒物の味や効果、解毒方法を知っていれば、対処が可能になるだろう? 対処法を知っていれば、即座に殺される可能性は低くなる」
こうしてヒースは、軍での訓練に揉まれ、道化の毒物学講座を受け、身体を鍛え、知識を蓄えた。
更には、アイザックの後を追うようにして、メルク商会の極限地域のキャラバンへと放り込まれた。
そして、様々な地域で生き延びる術を学んだ。巡った場所でその地域独特の料理、食材、調理法、調味料と出逢い、更には食材の調達法、狩猟方法を嬉々として学んだ。
ヒースはどの地域に行っても貪欲に美味しい物を求め、作り方を学び、料理を振る舞い、それを食べる人々の美味しそうな笑顔を、慶んだ。
こうして、道化の目論みで一流の冒険家並みに動ける最強の料理人が出来上がった。
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「さて、どうすっかなぁ」
「どう、とは?」
「次はどこへ行くかと思ってな」
「……あまり辺鄙過ぎる場所に呼ばれるのも困るのですがね? ヒースさん」
と、ディルは放浪癖のある料理人を見やる。
「ハハハ、悪ぃ悪ぃ」
全く悪いと思っていなさそうな顔でカラカラと笑うヒース。
「・・・まぁいいですけど、本格的に追われる前に、さっさとこの地域を抜けましょう。『砦落とし』が出たと、騒ぎになると面倒です」
ディルは溜息を吐き、ヒースを促す。
「そうだな」
と、『砦落とし』と称されて各所方面の軍事関係者から恐れられる、最強の料理人が立ち上がった。
読んでくださり、ありがとうございました。
まさかのⅤ。こんなに長くなるとは・・・
実は、前回の道化世代の拾われっ子第一号はヒースだったりします。あんまりリヴェルト達とは交流していませんが。
ちなみに、娯楽が乏しい時代は、美食、美酒、美女が最高のステータスでした。
なので、昔の料理人は、本当に戦争を起こしてまで権力者達が奪い合っていたそうです。料理人の拉致監禁は当たり前。「一族郎党殺されたくなくば、働け!」という人質での囲い込み、追い込み。そして、レシピを巡っての殺し合いとかも・・・ガチです。
美女を巡っての争いは、トロイア戦争などが有名な話ですね。