料理人ヒースの場合。Ⅲ
例の如く、Ⅲです。
上中下には収まりませんでした。
誤字直しました。ありがとうございました。
森の中で鍋を煮ていると、ヒースには思い出すことがある。それは――――
今から四十年程前のこと。
大きな街のタウンハウスと呼ばれる屋敷の中の、小さな部屋で暮らしていたヒースは、
「出掛けるぞ。早く準備しろ」
怖い顔でいきなりそう言った父に連れられ、少量の荷物を持って住んでいた大きな屋敷を出た。
そして、慌ただしく辻馬車に乗り、住んでいた街からも遠ざかる。
なんで? どこに行くの? そう聞いても、父はなにも答えてはくれなかった。けれど、
「母さんはどうしたの?」
と聞いたら、
「・・・母さんは、後から来る」
と、父は辛そうな顔で答えた。
母は屋敷で侍女として働いており、父も同じ屋敷の衛兵として働いていた。
領地へ帰るのだろうか? ヒースは最初、そう思っていたが・・・
ヒース達父子は馬車を幾つも乗り継ぎ、馬車に乗れないときには徒歩で、住んでいた屋敷から、街から、どんどん遠ざかって行った。屋敷の主人の領地の方向とは、違う方向へと。
父の口数は少なく、子供心にもなにか事情があるのだろうと察せられた。
そんな生活が数週間続き――――結局、その間に後から来ると言われた母が来ることはなかった。
街道の道幅が狭くなり、段々と景色が寂れ、やがて馬車に乗ることはなくなり、朝から晩まで歩き通し、野宿することが多くなった。
歩きながら薪にする為の枯れ枝を拾い、井戸が使える場所では井戸から、川があれば川から水を汲み、そこらに生えている食べられる野草を摘んで、石や土で竃を作ったり、薪を積んで火を起こし、動物を狩って捌いて野営する。手際の良い父に教わり、幼かったヒースもそれらを手伝う。
――――そんな暮らしのある日。
ヒースは、野草や野生動物の料理を少しでも美味しく食べようと、工夫をしてみた。
片っ端から野草を口に入れ、手持ちの調味料とを肉に合うように組み合わせて調理した。それを味見をしてみると、我ながらなかなかのできだとヒースは自信を持って父へと料理を食べさせた。
しかし、美味しくなった料理を食べた父は、顔を歪めて言った。
「お前はもう、料理をしなくていい」
このとき、ヒースは気付いた。自分は父に、喜んでもらいたかったのだと・・・
けれど父は、ヒースに調理をさせてくれなくなった。食材集めや薪拾い、竃作り、動物を捌くことまではさせるが、調理や味付けは触らせてくれない。
理由を聞いても、答えてくれなかった。
不味くはないけれど、飛び切り美味しいというワケでもない、食べられはするが、素っ気ない料理を父が作り、言葉少なに食事を終える。
そうやって、旅が続いて行った。
なんで屋敷を出たのか? 母はどうしたのか? どこへ行くのか? 父の仕事は?
様々な疑問はあったが、そんな質問を父へできる雰囲気ではなかった。
ヒースは、暗い顔で足早に歩を進める父に置いて行かれないよう、付いて歩くだけ。
――――それから、父子で歩き通しの旅が何ヵ月続いたことだろうか?
とある森へ差し掛かった日のこと。
緑深く生い茂るその森へ入る手前には、看板が立てられていた。『警告。私有地につき立ち入りを禁ず。禁を犯した者へは、領主から相応の罰を降すこととする』という、物騒な文言の看板が。
父はその看板を見詰め、暫し逡巡し・・・立入禁止の森へと、踏み行った。
ヒースもその後に続いて・・・
このとき、父がその森へと踏み込まなければ、ヒースの人生はきっと今とは全く異なっていたことだろう。それが、どんな人生になっていたかは、予想も付かないことだが・・・
その森は、『領主の管理する森』という割には、あまり整っているようには思えなかった。
緑深い、閑かな森。木々は生い茂っているが、暗くはなく適度に光が入る。
落ちている枝を拾いながら歩いていると、
「やけに静かな森だな」
ふと、父が言った言葉にヒースは耳を澄ませた。すると、風に揺れる木々の音はするが、いつもは森の中でよく聴く音がしないことに気付いた。
虫の声がしない。鳥の羽撃く音、鳴き声がしない。獣の立てる音がしない。
「・・・あまり手入れされているようには見えなかったが、もしかすると、定期的に鳥獣を間引いているのかもしれないな。なるべく早く抜けるぞ」
低い声で言った父に頷き、ヒースは足を速めながらいつものように食べられそうな食料を拾う。
この森には鳥や獣がいなさそうなので、いつもよりも多めにキノコや野草、木の実を集めた。
そして小腹の空いていたヒースは、低木になっていた美味しそうな木の実をもいで口に入れた。噛むとそんなに甘くなくてあまり美味しくはなかったが、そのまま幾つか口に運んで食べた。
それから父の後ろに付いて歩いているうち、段々と気持ち悪くなり、息苦しくなった。
頭がクラクラとして来て、歩みが止まり、すっと狭まり、次第に暗くなって行く視界。やがて立っていられなくなったヒースは――――
「ヒース? どうした? おい、ヒースっ!?」
慌てる父の声を聞きながら、意識が途切れた。それが、ヒースが最後に聞いた父の声で・・・
・・・・・・・・・
・・・・・・
・・・
次に目が覚めたとき、ヒースは真っ暗な中にいた。身動きができない程に狭くて、なぜか身体中が凄く重たくて息苦しい。それに、ひんやりとして土の匂いがする場所だ。
重怠く、酷く動かし難い身体をどうにか動かして、この狭苦しい場所を出ようとして必死になり、どうにか『外』へ手を出せたときだった。
「おんやー? これはまた・・・なんと言えばいいのやら? とりあえずは――――“Detoxificaion”《解毒》」
空気を震わすような可愛らしい声がして、
「おりゃ!」
ずぽっ!? と、腕を引っ張られ、ヒースは誰かに力強く引っこ抜かれていた。土の中から。
「っ!? ゲホっ、ゲホっ!!」
なぜか土の中に埋まっていたらしいヒースは、驚いた拍子に口に入った土の味に酷く噎せる。急に明るくなった視界に眩み、そして目に土が入って痛い。涙が出る。ぷんと強く漂う湿った土の匂い。
「ふむふむ。咳をするってことは、一応アンデッドの類じゃなさそうだねぇ? 早過ぎた埋葬・・・ああいや、ここでは息を吹き返したと見るべきか・・・まぁ、『死んでない』ってだけで、『ちゃんと生きてる』のかは、まだわからないけど★」
可愛らしい声の誰かは、力の入らないヒースの身体をぽんぽん叩いて土を払い落としながら呟く。
「ざっと診たところ、どこも折れてないし、酷い怪我も見当たらない。なによりだねっ☆まあそれは兎も角、ホント困ったもんだゼ。ここは私有地につき立入禁止な上、領主が罰するってちゃ~んと看板立ててるのにもうっ。な~んで人間が侵入って来るのかにゃー? 全くっ」
咳き込み続けるヒースの背中を撫でながら、ぷりぷり怒る可愛らしい声。
「それとも、識字の問題かにゃー? 字読めない人には看板立てても全く無意味だからねぇ。ここは知られたくないから、噂とかも流したくないのになぁ・・・う~ん、ホント困ったもんだゼ」
パンパンと手を払う音。次いで、
「ゎぷっ」
濡れた布でこしこしと顔が拭われる。
「よし、顔の土も取ーれた♪さてさて、君はどこの誰なのかにゃー? なんだってこの、『立入禁止の森』にいるんだい?」
ヒースの介抱をしてくれているのは、目深に被ったフードで目元の隠れた小柄な人物。その、ニヤニヤと笑みを浮かべる口が可愛らしい声で聞いた。
「さあ、お茶でも飲みながら、命の恩人であるこのボクに感謝しつつ、包み隠さず話したまえっ☆」
どこから取り出したのか、水筒からこぽこぽとお茶が注がれ、ヒースへ差し出される木のカップ。
「ああ、多分すっごく喉渇いてるだろうけど、まずはうがいした方がいいだろうね。口の中に土が入ってるだろうし、仮死状態だった、もしくは息を吹き返した直後なら、筋肉がまだ上手く動かないかもしれない。ちょっとずつ口に含んで、落ち着いてゆっくりと飲み込むがいいさっ☆」
言われた通り、うがいをして口の中に残っていた土をペッと吐き出したヒースは、少しぬるくてほんのり甘いお茶をちびちび飲んで喉を潤し、
「・・・おれは、ヒース」
酷く掠れた声で名乗った。
喉はまだおかしいが、身体が先程よりも少し軽く、息がしやすい。力はまだ入らなくて立てそうにないが、話す分には平気だろう。
「ヒースだね♪だろうとは思ってたさ。そこの木に、『ヒース』と『エリカ』っていう名前らしき文字が刻まれてるのが見えてるからねぇ?」
と、ヒースを引っこ抜いた穴の背後の木を差す指先。木の幹には、『ヒース』と『エリカ』という文字が彫られていた。
「・・・父さんは?」
きょろきょろと辺りを見回しても、父の姿は無い。荷物なども見当たらない。
「残念ながら、見てないねぇ。君は、お父さんと二人だけでここへ来たのかな?」
コクンと頷く。
「二人、か。そして、ここには君一人だけ、ね・・・まあ、いいだろう。とりあえずは、君がボクの話をちゃ~んと理解できるようでなによりだねっ♪いやぁ、早過ぎた埋葬で脳が損傷して、感情や思考能力が破壊されてるような『生ける屍』になっちゃってたらどうしようかと思ったさっ★」
「?」
言われていることはよくわからなかったが、
「ああ、わからないなら気にしなくていいさ。さあ、話せるなら話したまえっ☆」
そう促され、ヒースはぽつぽつ事情を話した。
ある日突然、父が「出掛けるぞ」と言い出してから、住んでいた屋敷…街を出て旅をし、この森に来るまでのこと。
後から来ると言われた母が、今に至るまで……結局は来なかったこと。
家を出てからは、終始父が暗い顔でいたこと。
森を歩いていて気が付いたら、ヒースは狭苦しい場所…土の中に埋まっていて、ワケがわからないまま、助けられたということを。
「ほうほう。ところで、君の名前と並んでいた『エリカ』ってのは、誰のことなんだい?」
「エリカは、母さんの名前だけど・・・?」
「・・・成る程ねぇ・・・数ヶ月前に王都周辺でかなり馬鹿な毒殺未遂騒ぎがあったけど、それの巻き添えか。確か、連座で何名か・・・って割に、少し詳しく探ってみれば、『本当の原因』は重症の風邪。自分達が肝試しであの屋敷の『ずぶ濡れ幽霊ちゃん』に祟られに行ったクセに。それを無関係な人にひっ被せたクズ共が。全く以て迷惑極まりない話だゼ。どうせ祟られに行くなら、『ハゲさせる幽霊』のとこならまだ笑い話で済んだってのに・・・ことが判明してからじゃ、全てが遅かった。そりゃあ、無理にでも『この森』を通り抜けようとするワケだよ」
不機嫌に低くなる可愛らしい声。
「??」
「・・・まあ、あれだね。『この森』で特に目立った外傷は無し。けれど、一度心肺が停止してしまった。ということは、十中八九毒物だろうねぇ」
「毒?」
「ヒース。君はなにか口にしたんじゃないかい? 『この森』になっている植物をさ」
「低い木になっていた実を・・・」
歩きながら幾つか食べた。あまり美味しくない木の実を。確かヒースは、その後に具合が悪くなったのではなかったか・・・?
「『この森』を立入禁止にしているのは、それなりの理由があってねぇ。君はさ、『この森』のことを、おかしいとは思わなかったかい?」
「おかしい?」
言われてみれば、ヒースの父が言っていた。「やけに閑かな森だ」と。
「虫や鳥の鳴き声、獣の立てる音がしない」
「そう。ここは、ボクの毒物園なのさ」
「ポイズン・ガーデン?」
「『この森』にある植物は、ほぼ有毒植物でね。拠って、それを食べられるような動物が、殆んどいないのさ」
この森の植物がほぼ有毒、と聞いたヒースの血の気がサッと引いた・・・
ヒースは今になって漸く、気が付いた。父がいないこと。ヒースを残して消えた理由に。
自分が・・・おそらくは、『一度死んでから埋葬されていた』ということに。
「・・・おれ、は・・・」
だから、父がこの場にいないのだと。
「間違って踏み込むと酷く危険な場所なんだよ。『この森』…毒物園はね。だからボクが管理しているんだけど、やっぱり数年に一度は困った事故が起きるんだよねぇ。単純に、迷い込んだだけの人なら助けることも吝かじゃないけど・・・
Cogitavi et non requiratur si venenum erat,《毒ならそうそう求められることは無いと思ったのに、》
Hoc est rem adiuuit.《そうでもないってのは誤算だったゼ》
…まぁ、そういうクズ共の方が、気兼ね無く相手できるんだけど…」
可愛らしい声が困ったように言い、何語か判らない後半は聞き取れない程の低い呟き。
「さて、とりあえず君が落ち着いたところで、そろそろ移動しようじゃないかっ☆」
「は? いや、おれのどこが落ち着いた?」
絶賛ショック受け中のヒースを、
「うん? 君の容態だよ? 少々長話ができるくらいにはなっているじゃないか。まぁ、メンタルの方が落ち着くのを待ってたら、いつになるかわからないからねぇ? それに付き合ってられる程、今日のボクは暇じゃないのさ」
ニヤニヤと笑いながらバッサリ切り捨てる。
「へこむのは後で存分にしたまえっ☆ということで、運んであげるから大人しくしようか♪」
「へ?」
バサッとヒースは頭から布を被せられ、怠い身体がそのまま簀巻きにさる。
「ちょっ、なっ、なんだこれはっ!?」
「ああ、言ったでしょ? この森の植物はほぼ有毒だって。肌の弱い人は、近寄るだけで気触れるような木も生えてるからねっ☆念の為、さ。それに・・・」
そして、ひょいと小脇に抱えられ、荷物のように運ばれた。
「Per me,Si molestum non cognoscere viam.《道を覚えられても困るからねぇ》」
またもや何語か判らない呟きが落ち、
「さあ、飛ばすから口を閉じたまえっ☆♪~」
宣言の通り、子供とは言えヒースを抱えた小柄なその人は、鼻唄混じりに森の中を駆け抜けた。
――――それから数十分後。
「さて、と。この辺りでいいかにゃー?」
地面に降ろされたヒースは巻き付けられた布を解かれ、簀巻き状態からやっと解放された。
「・・・ぅう・・・」
「顔色悪いねー? まぁ、埋まってたからそれも当然なんだけど。なにか食べられそうかい? 食欲無いなら、無理にとは言わないけど・・・」
くらくらと貧血を起こし、ぐったりと地面に転がるヒースを見下ろす命の恩人。
「衰弱、か。やっぱり解毒だけじゃ厳しいか。仕方ない・・・“Corpors vires convaluisset”《体力回復》・・・ったく、ボクも大概、ちみっ子に甘いゼ」
空気を震わせる言葉が響くと、ぐぅぅという鈍い音がヒースの腹から聞こえた。
「っ・・・」
パッとお腹を押さえるヒース。
「ふっふっふ♪お腹が空くのはいいことさっ☆準備するからちょっと待っているがいいっ☆」
そう言い、パパッと手早くそこらの石を組んで簡単な竃を作り、落ちている薪を拾って火を起こし、鍋に水筒の水を入れて沸かし始める。
「♪~」
鼻唄を歌いながら持っていた荷物を漁り、なにかを取り出してパキパキと小さく割りつつ、ポイポイっと鍋へ放り込んで行く。やがて漂って来たのは、美味しそうな甘い匂い。
「手持ちの食料じゃ、今の君にはそのままあげられないからね。流動食状になるまで、あともうちょっと待っててね?」
ゴクリと喉を鳴らし、じ~っと鍋を見詰めるヒースに苦笑気味の待て。
「賢者お手製の穀類とドライフルーツたっぷりのグラノーラバーで栄養価と味は甘い以外問題ないけど、如何せん、今の君がそのまま食べるには消化器系に負担が掛かる」
どこかの森の中、ぐつぐつ煮立つ鍋の音。漂う甘い匂いの湯気。フード姿の命の恩人。
「えっと、その、あなたは?」
「うん? ああ、そっか。まだ名乗ってなかったかにゃー? ボクは道化って呼ばれてるのさっ☆道化さんでも道化サマでも、道化ちゃんでも好きに呼んでくれて構わないさっ☆」
ヒースは、道化と出逢った。
読んでくださり、ありがとうございました。
※見知らぬ植物を口にするのは危険です。お気を付けください。
ちなみに、『ずぶ濡れ幽霊ちゃん』と『ハゲさせる幽霊』は、『クラウン・ラプソディ♪下』の肝試し回に出てた幽霊です。