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料理人ヒースの場合。Ⅱ

 兵士達が慌ただしく移動する街道沿いの道――――から、少し離れた樹上にて。


「さて、これで一段落と言ったところか」


 兵達の動向を窺っていた眼鏡の男は、指揮官が砦への帰還命令を下したことを確認し、


「ぁ~、さっさと帰りてぇ」


 心底面倒だと言わんばかりにぼやきながら静かに木を降りると、散らばって行く兵達から慎重に身を潜め、ひっそりと森の中へと足を踏み入れ――――


「・・・なにしてるんですか? ヒース(・・・)さん」


 森の中でまな板と食材を広げ、ニヤニヤ笑いながら野菜を刻んでいる男を呆れ顔で見やる。


「おう、メルクの。見て判るだろ? ()制作だ」


 メルクの、と呼ばれた眼鏡の男…メルク商会番頭のジャン・ディル・メルクは、自分よりも年上のクセに悪ガキのような顔をする料理人…ディルがわざわざこの国までやって来る要因となった、『エリック』として追われている男へと溜息を吐く。


「罠、ですか・・・もう必要無いかと。あなたを追っていた彼らは、砦へ帰還するそうですよ」

「マジかよ? 最近の若い奴ぁ根性無ぇな」


 ヒースは呆れたようにディルを見やる。


「熱中症が根性でどうにかなりますか。むしろ、根性で堪え続けたら死ぬでしょうに? 全く」

「まぁ・・・人死には寝覚めが悪ぃがな。追いかけっこや鬼ごっこってのは、鬼を()けて(かわ)して揶揄(からか)いながら翻弄して、思い通りに転がして、疲弊した鬼を前に高笑いして、むきにさせた鬼を、如何(いか)に悔しがらせるかってのを楽しむ遊びだろ?」

「・・・相変わらず性格悪いですよね、あなた」

「まぁな。アルルちゃんが…俺の遊びの師匠が、かなりイイ性格(・・・・)してるもんでな? つか、前にいたとこなんか、猛吹雪の雪山で百人くらいと三日三晩追いかけっこして出て来たんだがな? それに比べると、ここの連中は案外ヌルいな」

「・・・」


 ヒースはプロの料理人だが、プロの軍人ではない。軍人ではないが、玄人はだしの狩人(・・)ではある。


 なんでも、食材は自分で採取したい派だそうで、緑深い熱帯の密林から万年雪の積もる峻険(しゅんけん)な山中、鬱蒼(うっそう)とした暗く深い森林、荒れ狂う極寒の北方の海、または南洋の暑い海まで、飽くなき探求心でどんな環境へも食材を狩猟する為に赴く、優秀な猟師で漁師の、屈強な狩人兼、料理人だ。


 弓や(もり)、縄、網、(トラップ)、猟銃などの取り扱いに()け、どこぞの命知らずな冒険家(アイザック)並みに、極限の僻地でも食材調達をして生還できる腕前なのだとか。


 砦の兵士達もまさか、自分達が捕らえようとしていたのが猛吹雪の雪山で百人以上に追い掛けられても、そのことを楽しみながら逃げおおせられるような、一流冒険家並みに動ける料理人だとは思うまい。


 そんなヒースは基本的には興味のある食材を求めて各国を旅し、気が向いたり、その地方の郷土料理に興味を抱けば、旅先で料理人として働く。


 働く場所は居酒屋であったり、大衆食堂、レストラン、パン屋、ケーキ屋、食べ物の屋台、バーなどなど、食べ物に関係するなら、なんでもやる。そして偶に、軍に属して料理番をやったりもする。


 ヒースは料理人としてかなりの腕前を持ち、野戦料理から僻地の田舎料理、遠い異国の料理、屋台料理、酒の(さかな)、お菓子、更には貴族に出されているような繊細な料理まで、実に幅広いジャンルの料理を習得している。


 そして、それだけの腕を持ちながらもヒースは貪欲なまでに勉強熱心なので、どこへ行っても大抵は重宝される。


 美味しい料理が嫌いな人間は、滅多にいないことだろう。もしいたとしても、少数派。そして、故郷の料理に郷愁を感じる人間は多い。そんな料理人を気に入るのは当然だろうから。


 しかし、行く先々で重宝されるヒースは、一つところへ留ることをしない。


 いつも途中で、其処(そこ)から旅立つ。誰に引き止められようとも、絶対に其処を出て行く。


 今回のように、彼を手放したくないという軍人達に集団で追いかけられても、それを揶揄って楽しむくらいの余裕を見せて、その包囲網をすり抜けて行く。そうして旅立った場所へ、ヒースが戻ることは二度とない。


「ところで、あれ本当に熱中症なんですか? 目眩や舌、手足の痺れ、吐き気、脱水なんかは熱中症の症状に当てはまりますが、痒み、腹痛なんかは熱中症の症状ではないと思いますが? 一応聞いておきますが、本当に毒やら食中毒ではないですよね?」


 ディルは、具合の悪そうな数十名の兵達の症状について訊ねる。ヒースへ卸した食品に毒物は無かった筈だが、料理は錬金術だという言葉もある。ディル自身はあまり詳しく知らないが、食品の組み合わせや調理方法に拠っては食中毒を起こしたり、毒物ができてしまうことがあると聞いた。


「ああ、あれな? 舌の痺れや腹痛の方の原因は多分、ほうれん草のカレー(サグ)や、森ン中(・・・)作って(・・・)置いた(・・・)火鍋にたっぷり入れたスパイスの食い過ぎと、重曹水だ。熱中症は、発汗、解毒作用の高いスパイス食った後、この陽気で歩き回ったせいだな。あと、スパイスは食い慣れてねぇ奴が沢山食うと、腹壊すんだよ。重曹水も身体にはいいが、()り過ぎはよくねぇ。健康にいいと、数日前から砦で流行らせたが・・・味覚が鋭い奴が重曹を多く食うと、半日は舌が痺れてエグみを感じる。味覚が鋭くなくても、胃腸が弱ぇと腹にもクるしな。痒みの方はまぁ・・・ほうれん草の茹で汁が原因だがな」

「は?」

「俺は料理人だぜ? 料理に(・・・)毒を盛る(・・・・)程、腐っちゃいねぇよ。自分が毒食うことはあっても、他人(ひと)様に食わせる料理にンなこと、絶対ぇにしねぇ」

「そうですか」

「だが・・・」

「だが、なんです?」

「医者のリディ嬢ちゃんを貶すアホ共が、ちっとばかりムカついたもんでな。嬢ちゃんを馬鹿にした連中の軍服に昨夜(ゆうべ)、バレねぇようこっそりとほうれん草の茹で汁を霧吹きで掛けてやったぜ」

「ほうれん草の茹で汁?」

「おう、知らねぇか? ほうれん草の茹で汁に触ると、痒くなるんだよ。生の山芋なんかを触って痒くなんのと同じ成分が入ってンだと。ンで、気温が高いと、痒みが更に増す。たっぷりの水で洗い流すか、レモン水や水で薄めた酢、塩水なんかで洗うと痒みが治まる。肌が弱いと大変なことになるがな」

「なにしてるんですかあなたは」

「や~、一瞬納豆(ハワイジャ)か擦り下ろした山芋辺りを連中のブーツに突っ込んでやろうかとも思ったんだが、食材が勿体無ぇからやめたんだ」


 からからと笑うヒース。その顔は、まさに悪ガキと称するのに相応しい表情だ。


「・・・納豆(ハワイジャ)って、あの腐った豆ですよね? ねっちょりと糸引く、(にお)いの凄い・・・それはやめてあげてください。本気で。色々とダメージがデカいような気がします。というか、ヒースさん。今更ですが、毒物や食中毒を引き起こした容疑者としてあなたが手配されるのも、時間の問題では?」

「ああ、レシピは置いて来たし・・・『俺の料理を不味そうだとか抜かした野郎共の軍服にほうれん草の茹で汁掛けてやった。唐辛子汁じゃねぇことを感謝しろ』って、ちゃんと書き置き残しといたからな。余程アレな医者じゃねぇ限りは大丈夫だろ」

「唐辛子汁は、使用する唐辛子の種類と濃度に拠っては火傷する程危険な代物では?」

だから(・・・)、ほうれん草の茹で汁にしてやったンじゃねぇか」

「・・・そうですか」

「おう。可愛いイタズラってやつだな」

「おっさんに可愛いもクソも無いでしょうに?」


 ヒースは四十も半ばを過ぎたそろそろ五十代(アラフィフ)だ。


「まあ、万が一指名手配されたとしても、無事逃げおおせるよう逃走経路の確保は済んでいますが」

「さっすがメルクの。一応一人で抜けらンねぇこたねぇが、お尋ね者になんな存外面倒だからな」

「お尋ね者、なったことあるんですか?」


 ディルは胡乱(うろん)げな表情でヒースを見やる。


「ぁ~、あれだ。軍事に偏った幾つかの国や地域では、顔晒して歩けねぇかもしれんな」

「犯罪ですか? さすがに他国での犯罪の揉み消しはできませんからね」

「違ぇよ。美食家気取りの阿呆な権力者に目ぇ付けられたんだっての。国籍取得やら弟子の強要、それを嫌がりゃ結婚の強要。果ては無理矢理の借金やら、ハニートラップなんかのえげつねぇ手段の囲い込みで監禁して、無理矢理専属にして料理作らせる気満々な連中から逃げただけだ」

「あぁ、そういうことですか」


 昔から、権力者がよく使う手法ではある。

 家族や弟子、仲間などの大事なモノを作らせ、それらを人質にしたり、借金を背負わせたり、弱みを握るような囲い込みで料理人を、その周囲の人間達の人生を無理矢理縛り、料理を作らせる。

 それでも料理人が従わない場合、または毒を盛るなどして反逆の意思を見せた場合は、大切な者達までもが連座で処分される。

 そういう風にして権力者に縛られ、無惨にも一族郎党、弟子一同などが処刑されたという料理人()の話は、昔からよく聞くことだ。


 ヒースは、そうさせられる前に逃亡したらしい。

 なんでも、国籍取得や弟子取り、縁談の話、そして戦争の話題を察知した時点で、その場所を出ることを決めるのだとか。ヒースは縛られること、自由に料理ができなくなることを酷く嫌う。


「まぁ・・・国を出るときにちっとばかり、武器(・・)で軍人共とやり合ったが」

「武器って、重火器かなんかですか?」


 どこぞの冒険家(アイザック)は護身用に銃を携帯している。そして、ヒースも猟銃の扱いに長けている。


「ったく、判ってねぇな? 俺は料理人(・・・)だぜ? 料理人の武器(・・)っつったら、料理。そして、スパイスや調味料、食材や、それを扱う知識だろ」

「? 具体的には?」

「俺の料理は美味い。腹減りな野郎共の目の前に置けば、奪い合いをする程度にはな。喧嘩して足の引っ張り合いや共倒れを狙える()として使える」

「あぁ・・・この陽気の中で、それも森の中に放置されている、明らかに不審な鍋にホイホイ引っ掛かって、汗だくで食べた後、熱中症になってぶっ倒れたアホな兵士が数名程いましたね」


 ヒースは人死は厭だと、倒れた連中に塩と砂糖を溶かした水を飲ませて回っていた。


「まぁな。で、スパイスやハーブは、調味料や保存料としては勿論、種類や使い方に拠っては薬にもなる。気付けや傷薬、痛み止めとしてな。(いぶ)せば煙幕になるし、狼煙(のろし)としても使える。虫除けや獣避けにもなる。逆に、虫寄せ、獣寄せになったりとかもな。ンで、刺激が強い唐辛子や胡椒、マスタード、ホースラディッシュなんかは、肌や粘膜に当たると痛みを感じるだろう? お前がさっき言ったように、濃度に拠っては火傷状になる。ほうれん草の茹で汁や山芋なんかも、痒くなるしな。痛みや痒みは、集中力を著しく落とす。粉類なんかはバラ撒けば目潰しになるし、火を点けりゃ燃える。水に溶けば、鳥もち代わりにもなるし、足場を悪くすることもできる。ナッツ類は投げりゃ(つぶて)になるし、踏み潰すと油で滑る。蝋燭(ろうそく)や燃料代わりにもなるぞ」


 次々と、食材を武器代わりとして扱う方法を述べて行くヒース。


「随分と勿体無いことをしますね? 食材(・・)に」

「無論、食わねぇ物はなるべく古い物を使ってるぜ? 偶に傷んでたり、腐ってるやつとかをな」

「新しい物の方がまだ、ダメージが少ない気がして来ました。主に、精神的な・・・」

「追いかけっこってのは、鬼の心を折った方が早く終わるってアルルちゃんが言ってたぜ?」


 ニヤリとヒースは不敵に笑う。

 読んでくださり、ありがとうございました。

 ディル再び登場です。

 前回倒れた人や具合の悪い人達は熱中症プラスアルファの症状でした。毒物や食中毒ではありません。ある意味、それよりも質が悪いような気はしますが・・・ヒースも結構イイ性格です。

 こんなん書いといてなんですが、食べ物を粗末にしたり遊んだりするのはやめましょう。


 そして、これから暑くなって行きますので、熱中症には重々お気を付けください。

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