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料理人ヒースの場合。Ⅰ

 遅くなりました。

 会話が大分多いです。

「ハァハァっ、くっ……」


 とある兵士は、荒い呼吸を吐いて歩を進める。


 上司から下された命令を守る為…いや、それは彼自身や同僚達の欲望故でもあったが・・・


 彼らへと下された命令。それは――――


 彼の勤める砦を本日付で職を辞したとある人物の確保。それも、なるべく捕獲対象を傷を付けずに、という条件で。


 職を辞する権利は極一部の『辞められない例外』を除き、当然の権利だと思われる。本来ならば。

 そして『彼』には、その例外とも言える『辞められないような事情』は特に無かった。『彼』は、情報を取り扱うような業務には就いておらず、特殊な権限、立場なども全く有してはいない。

 しかし、その人物はもう、この砦に無くてはならない必要不可欠な存在となっていた。


 例え当人がそれを望まなくとも、砦にいる誰もが、『彼』を手放したくはないと思ってしまうくらいに、『彼』は優秀過ぎたのだ。


 『彼』がいなければもう、砦に勤める者達がやって行けない程には・・・


 『彼』は気さくで、砦の誰からも好かれた。普通の平民出身の兵士は勿論、貴族出身の者や気難しいと評判の人物から、神経質な者、人嫌いな者、傲慢な者、砦の最高責任者でさえも、『彼』のことをとても気に入っていた。

 身分や役職さえも超越した、砦の人間達の精神的な支柱にすらなっていたのかもしれない。


 だから、職を辞するという『彼』を逃さないよう、砦の兵士達が一斉に追い掛けている。


 そしてそれは、簡単な命令の筈だった。


 砦に勤めてはいたが、『彼』はこちらのようにプロの軍人というワケではなかった。


 ここは四方を森に囲まれた国境付近の田舎の砦。街へ行くには砦から出て森の道を抜け、街道へ向かうだろう。と、皆で森の道を張っていた。『彼』を確保する為に。


 しかし――――


 『彼』は街道へ繋がるどの道にも現れず、時間だけが過ぎて行った。


 そして、「もしかして俺達の見張りを察知し、森を突っ切ろうとしているのでは?」と、誰かが言い出した。それに拠り、このまま道を見張る者と、森の中を捜索する者とに部隊が分けられた。


 そして――――初夏の汗ばむ陽気の中。


 森を捜索中のとある兵士は、判り易い『彼』の痕跡(・・)を発見した。それをじっくりと見聞(・・)し・・・


 それから――――暑くて上着を脱いでも汗が止まらず、段々と頭痛がして来た。

 滴る汗が入り、段々と霞む目。

 ぐらぐらと揺れる視界。


 数十分程前まではなんとも無かった、筈だった。しかし森を歩いているうち、段々と体調に異変が生じ始めた。


 始めは、暑いという程度に思ったが・・・


 今は、明確に身体が熱い。だというのに、悪寒がして手が細かく震えている。

 酷く気分が悪くて仕方ない。

 ピクピクと痙攣する瞼。

 舌がピリピリと痺れる。

 渇いてひりつく喉。

 皮膚が痛痒く、赤くなっている。


 彼は、自分の身体になんらかの異常が起きていることを最悪の体調として自覚はしているが、その異常がなぜ起きているのかが判らない。


 痛む頭、渇く喉、痺れた舌、ダラダラと止まらない汗、熱く火照(ほて)りながらも悪寒に震える身体、赤くなった痛痒い皮膚、朦朧(もうろう)とする意識。


 彼の思考能力が、酷く低下して行く。


 足取りがふわふわして来て、歩けているのかもわからなくなって――――


 あぁ……死ぬかもしれない、と思った彼の意識が、ゆるりと闇へ落ちて行き・・・


「・・・まぁ、さすがに死人が出ると寝覚め悪ぃからな? おら、口開けろ。これ飲んどけ」


 迷惑そうな低い声がして、口の中に甘い液体が入って来たような気がしたのを最後に・・・


 彼は、すっと意識を失った。


 ・・・・・・・・・

 ・・・・・・

 ・・・


※※※※※※※※※※※※※※※


 前日の砦の昼食時。


「腹減ったー、死ぬー」

「げっ、ピクルス」

「お前、好き嫌いすンなよ」

「野菜なんかより肉をもっと入れてくれ!!」

「特盛りで頼む!!」

「飯が美味くねーとやってらんねー」

「訓練キッツいもんなー」

「酒場のリンダちゃんが可愛くてさー」

「あのやたら化粧濃い女か?」

「おまっ、俺の天使になんてこと言うんだ!」

「いや、騙されてんぞお前」

「お、うめぇ!」

「ああっ、俺の肉っ!?」

「フハハハハッ、早い者勝ちだ!」

「この鬼畜めっ!」

「お前さ、いい加減金返せよ」

「必ず返すからっ、もう少し待ってくれ!」

「今度飲み比べしようぜ」

「お、いいな」

「俺も交ぜろよ」

「あそこの店のミートパイが絶品でな?」

「あ~、アップルパイが食いてぇ」

「ここの飯は母ちゃんの飯より断然美味い!」

「お前の母ちゃん、料理下手だもんな……」


 ざわざわと、砦に詰める兵士達が無責任でくだらない話や噂を面白おかしく話しながら昼食を取る。


「なぁ、知ってるか? あの話」

「あの、ってどの話だよ?」

「あれだって、あれ」

「だから、あれじゃわかんねぇって」

「ほら、あの亡くなった公爵様ンとこの……」

「あぁ……アレ、か。あの、隣の国の、な」

「そうそう。アレ、な。…………だってよ」

「ハッ……そりゃ、道中あんだけ遊んでりゃなぁ」

「しかも、面白いなぁ、それだけじゃなくてよ?」

「あん?」

「あのバカサマがやらかした後、あの国結構ゴタゴタしてンだとよ。あのすぐ後に、ほら、うちの国でも割と有名な、あの医者の女侯爵サマが……」

「あ~、そりゃアレに決まってンだろ。自分より優秀で頭が良い上、他国まで名前響かせてる凄腕の女医者なんて、誰が欲しがるかよ? ま、どうせ頭でっかちなお堅い女だろ。顔もどうだか?」

「バっカお前、どんなドブスでも侯爵様ってンなら、金とか絶対ぇあるだろ!」

「バカはお前ぇだろ。どうせ入婿に自由にさせる金なんか有るワケねぇって!」

「そりゃそうか! ハハハハハハッ!」

「……つか、よ。ぶっちゃけ、どう思うよ?」

「まぁ、狙い目っちゃ狙い目じゃね?」

「あの国、今大分ゴタついてっからなぁ」

「おう。夜逃げ貴族共が周辺国に流出してンだってよ。なにしたンだか?」

「亡命望んでンのもいるらしいが、どうせ不正だか、借金持ちだって話だろ?」

「ホンっト、馬鹿だよなぁ? 裏切り者を重用するわきゃ無ぇってのにな」

「今攻めこんだら、あの国落とせンじゃね?」

「ガタガタの国は脆いからなー……」

「おー、イケるイケる」


 ガヤガヤと騒がしい食堂から洩れ聴こえて来る雑多な話に紛れ、不穏な話が厨房へと流れて来た。


「・・・潮時、か・・・」


 小さく呟かれた低い声は、忙しい厨房の喧騒に紛れて消えた。


 そして――――


「なあ、料理長。明日のランチメニュー、俺に決めさせてくれないか?」

「ん? なんだエリック、新しい料理か?」

「ああ。サグっていう南方の料理なんだが」

「サグ? 知らないな。どんな料理だ?」

「スパイスをたっぷり使った料理で、材料は……」


 と、料理長へ掛け合うのは四十代程の男。


「それだと足りない材料があるな」

「ああ、大丈夫だ。足りない材料やスパイスは注文すればいい。馴染みの商会がいてな。外国産の物でも割合安く卸してくれんだよ」

「それなら任せるが・・・注文するのは今日だろ? 明日に間に合うのか?」

「ああ。連中は仕事が早いからな」


 男は、ニヤリと笑って言った。


「明日までに準備は整える」


※※※※※※※※※※※※※※※


 枝分かれする手前の街道沿いにて。


 次々と体調の異常を訴える兵士達を前に、指揮官は込み上げる不安を拭えないでいた。


 ある者は舌に痺れを。ある者は皮膚へ異様な痒みを。ある者は脱水症状を。ある者は腹痛を。ある者は、それら複数の症状を併発・・・


 数名が体調不良を訴えるならまだしも、数十名が一斉に体調不良を訴える異常さ。


 指揮官の頭に(よぎ)る不安と疑惑。


 毒を盛られたのではないか? はたまた、集団食中毒の可能性。


 そして、自分は大丈夫なのかという不安。今のところ、指揮官には部下達のような不調の自覚は無い。


 しかし、まだ症状が出ていないだけなのでは? という不安を押し殺し、決断を迫られる。


 命令された通りに『彼』をこのまま追うのか、それとも・・・


 指揮官は(かぶり)を振って逡巡を止め、不安げな表情で浮き足立つ部下達へ命令する。


「ただ今を(もっ)て、砦へ帰還する!」


 毒を盛られたか、食中毒か・・・


 これだけの人数が一斉に不調となっているのだ。いずれにしろ、大事となることは間違いない。


 『彼』を連れ戻せと下された命令より、部下達の安全を優先することにした。指揮官としても、一個人としても・・・断腸の思いで!!


「砦へ戻り、医師の判断を仰ぐ! 動ける者は衛生兵の手配と、森の中を捜索中の者達へ急ぎ伝えよ! 動けぬ者はその場で待機! 症状の軽い、動ける者は砦へ向かえ! 症状の無い者達は、自力で動けない者を砦へと運べ!」


 瞬間、響いたのは兵士達の絶望と苛立ちの声。


「っ!?」「クソっ」「なんてこった!」「隊長は諦めンのかよっ!?」「おい、よせ」「だが、そんな簡単に!」「仕方ないだろう」「見ろ、重症の奴だっている」「俺は、俺がアイツを連れ戻すっ」「もうよすんだ」「俺はこれからなにを楽しみに生きて行けばいいんだっ!?」「こんなことならっ……」「もっとお代わりをしておけばっ!?」「アイツの料理は最高だった」「王都でも通用する腕前でした」「あれがもう食えなくなるだなんて!」


「そんなことは判っている!! わたしだって、『彼』が作ってくれた故郷の料理にどれ程心救われたことかっ・・・だがしかしっ、軍を預かる…お前達の命を預かる身として、個人の感情で動くことはできない!! 命令だ! 直ちに砦へ帰還せよ!!」


 指揮官の悲哀の怒号が轟いた。


 砦に所属する人間の殆どの者、貴族から平民、はたまた外国出身の者達から慕われている『彼』こと――――貴族の料理から、僻地の田舎料理、果ては遠い外国の料理までの、幅広い種類の料理を作り、気さくな人柄で、個人が食べたいとリクエストした郷土料理を次々に再現してくれた――――酷く優秀な料理人、エリックのことを諦めろと。


 指揮官は――――辞めた時期と、この集団体調不良の原因如何(いかん)に拠っては、『エリック』を罪人として捕縛することも考慮して。

 読んでくださり、ありがとうございました。

 1話目の『女騎士アイラの場合。』のポンコツ王子がいた国のどこかの砦です。

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