音楽家セスの場合。Ⅲ
すみません。Ⅲです。
上中下には収まりませんでした。
「・・・ところで、セス・リオールに想う相手がいるというのは本当なのか?」
眉間にシワを寄せたショーンが、ミカエルに膝枕されて寝息を立てるセスを見下ろす。
「それは僕も知らなかったな?」
ミカエルはクスリと笑う。
「ああ、あれ?」
「まあ、一応間違ってはないよ」
「数年前から娼館で働いてる、セスと仲睦まじい幼馴染み♪」
「わたし達より年は上だけど、ある意味あっちも、中身が幼児な天才だからね」
「気が合うみたいで、二人共仲良しなんだよね」
「わたし達には理解できない領域で、お互いにわかり合ってる感じ?」
「セス・リオールのような者が他にいるのか!」
驚愕の声を上げたショーンが、
「いやいや、あっちはセスとは全然違うよ」
「そうそう、あっちは数学の天才ってやつ?」
アウル達の言葉に怪訝な顔をする。
「数学?」
「そう。数学が大好きで、数学者の作る凄く難しい問題をにこにこ楽しそうに解いて行くんだ」
「うちの領の税収計算や収支計算も、毎年嬉々としてやってるような人だよ。円周率とか大好物」
「ねぇ、アウル達。それってもしかして、ユレニア・タロッテ男爵令息のこと?」
「「ミカ、正解~♪」」
「ちょっと待て! 令息ってなんだ!」
「なんだって言われてもね? アウル」
「ね、アウル。わたし別に、相手が女性だなんて、一言も言ってないし?」
「そうそう、仲睦まじい幼馴染み♪って、言っただけだもんね?」
「・・・まさか、セス・リオールは・・・」
仲睦まじい幼馴染みというのが男だと聞き、次いでミカエルの膝に頭を乗せて寝ているセスへと視線を向けたショーンの顔が青ざめる。
「まあ別に、それが? って感じだけど」
「その辺りは個人の嗜好の問題だしー?」
「「他人に迷惑掛けるようなことしなければ、わたし達は別に気にしないけどねー? とは言え、セスとユールはそうじゃないんだよね」」
二人してニヤニヤ笑いながら、ショーンの抱いた疑惑をあっさり否定するアウル達。
「言ったでしょ。あっちも幼児みたいだって」
「子供同士だとか、家族に近い好きだと思う」
「多分、恋愛とかそういうのは、まだわからないんじゃないかな?」
「まだ……というか、これからもわかるような気はあんまりしないけどね?」
セス・リオールには、欠けているものや足りないことが幾つもある。それは常識であったり、知識や空気を察することであったり、様々だ。
けれど、その最たるものは・・・
※※※※※※※※※※※※※※※
セスは、小さい頃から音楽が好きだったような気がする。昔のことは、とても朧気であまり覚えていないが。
確か、セスの家には楽器があった。
それは、弦が数本しかないような手作りのちゃちな竪琴。セスの小さい頃には、今みたいにオモチャなんて全然無くて、子供が遊べるような物は他になにも、家に置かれてなかった。
物心付く前から、音の鳴るそれをぽろんぽろん掻き鳴らして遊んでいたように思う。
煩いと言われながらも、一人でずっと・・・
セスのいた村にはチェンバロを持っている家が一軒だけあって、お祭りやお祝いのあるときにはその家で演奏がされたりしていた。
いいな、自分もいつか弾いてみたいなと思っていたことは、なんとなく覚えている。
村の教会にはオルガンがあり、それは偉い人だけしか弾いてはいけなかった。
そして、町にあるような大きな教会にはパイプオルガンという、壁一面に広がるとても大きなオルガンがあるのだと聞いたことがあり、酷く羨ましいと思ったことは、少し覚えている。
そう。セスは、とてもとても羨ましかった。
「煩い音を馬鹿みたいに鳴らして遊んでるよりも、さっさと仕事手伝いな」
「忙しいときに遊んでばかりの役立たず」
「遊ぶより仕事だ。猫の手だって欲しいってのに」
「音楽なんて、金持ちの道楽だよ」
「うちにそんな余裕は無いさ」
「子供だって労働力なんだから」
「歩けるようになったら家の手伝いを」
「役立たずの穀潰しは要らないんだ」
「音楽で食ってけるのは、裕福で余裕のある人達か、旅芸人くらいなもんさ。判ったら働きな」
セスの周りは、いつだってそうだったから。
それは、セスにはとても昔のことのような気がして、酷く朧気で、誰がセスにそう言っただとか、そんなことはもうわからないのだけれど。
セスは家族のことをあまり覚えていなくて、家族の顔や名前、家族構成すらも、わからない。
自分がどこに住んでいたとか、その地域自体の名前も、全くわからない。覚えていない。
そんなあやふやな記憶の中、覚えていることは、セスの住んでいた場所では、セスが楽器を弾けるような環境ではなかったということだけだ。
だから、セスはあの夜・・・
・・・・・・・・・
・・・・・・
・・・
※※※※※※※※※※※※※※※
「ちなみにセスは、アイラさんやそのお師匠様に近寄って行って膝枕を要求した挙げ句」
「硬いって溜め息を吐くくらいには、図太い神経をしているような子だからね♪」
「ぅ、わ……君達の言うアイラさんって、騎士のアイラ・グラジオラス卿のことだよね? それは本気で凄い……っていうかさ、アイラ様のファンに知られたら殺されそうな話なんだけど? セス、危なくない?」
「「フフっ、内緒だよ? ミカ」」
クスクスと笑みの交わされる話し声の中、
「・・・むぅ」
パチリと新緑の瞳が開く。
「あ、起きた? ごめん、煩かったかな?」
「・・・んーん。やな夢見た」
セスは真上から見下ろすミカエルに首を振る。
「やな夢って、どんな夢?」
「大丈夫? セス」
心配そうにセスを覗き込む双子のアウル。
「ん。起きる。なんか、弾く」
むくりとミカエルの膝から頭を上げたセスに、ショーンが嫌そうに顔を顰める。
「・・・」
すっと立ち上がったセスはきょろきょろと辺りを見回し、手近に置いてあったリュートを手に取り、そのまま床に座る。
チラリとアウル達を視線を向けた新緑の瞳が、伏せるようにリュートを見下ろす。
ピンと伸びた背筋に、リュートを支える腕。指の長い手がそっと弦を押さえ――――
ある程度伸びた爪が、ピィィンと弦を爪弾く最初の一音。それを皮切りに、次々と紡がれるその『音』は、長年研鑽し続けた老練の演奏家が奏でるような、艶やかに円熟した美しい音色。
しんとした室内に鳴り響く、軽やかな旋律。
曲はセシリオ・ソードリリーの『比翼の囀り』
比翼とは、片翼の雌雄の鳥が互いに身を寄せて支え合う姿から、総じて夫婦や恋人同士が仲睦まじい様子を例える言葉だが・・・互いがいないと生きては行けない様を表す言葉でもある。
セスが奏でるのは、その比翼の鳥が楽しげに囀っている様子を表現した曲だという。
美しいものというのは、ただそれだけで、人を魅了する。身動ぎすら忘れ、奏でられる美しい旋律に聞き入る四人。
やがて、リュートを掻き鳴らしていたセスの手が静かに止まる。
「・・・本当に、いつ聴いても圧巻だよねぇ」
落とされるのは感嘆の溜め息。
「「・・・まぁ、セスだからね♪」」
ふふんと自慢げに応えるのはアウル達。
誉められている本人は感嘆の溜め息に頓着せず、リュートを置いて次の楽器を物色している。
アウル達の活動の隠れ蓑として発足された、とても不真面目な絃楽器同好会の、久々のまともな音楽鑑賞会と言えるだろう。
弾いているのは、なかなか絃楽器同好会の活動をしない、正式な幽霊部員のセスだが。
「・・・」
そんな中、とても面白くないという顔をしているのは、ショーン一人だけ。
その、面白くなさそうなショーンだけが、本当の意味でセスの演奏の凄さを理解している。
セス・リオールは十代半ばという若さにして紛れもなく、超一流。演奏家としては、既に遥か高みにいる存在だ。
同じ特待生枠で試験を受けたショーンは、試験会場でセスの演奏を聴いて、自分がそれまで積み上げて来た自信を、木端微塵なまでに打ち砕かれた。そして、この美しく洗練された音には勝てない。と、悔しくもそう思わされてしまった。
ハッキリ言って、自身の演奏直前まで寝ていた彼のことは、絶対に落ちると思っていた。それが蓋を開けてみれば・・・「なに弾けばいい?」と欠伸混じりで、なんの気負いもせずに課題曲を、それはそれは美しい音で奏でた。
人の自信を、簡単に砕く程の腕前で・・・
その場で、審査員達の満場一致で特待生がセス・リオールに決まった。
審査員や受験者達の中には、セス・リオールの奏でた音へ衝撃を受け、音楽をやめると言う者までいたというのに・・・合格を聞いた彼は、特に嬉しそうにするでもなく、「眠いから帰る」と言って試験会場から去って行った。
全く以て、巫山戯ているとしか思えない。だからショーンは、初対面のときからずっと、セス・リオールのことが大嫌いだ。
楽器を物色していたセスが、今度は置いてあったヴィオラを手に取る。立ったままヴィオラを構え・・・そしてまた、美しい旋律が奏でられる。
今度の曲はセシリオ・ソードリリーの『剣舞~白鳥と猟犬、ときどき熊~』
緩急の激しいアップテンポな曲調。弓で弦を弾くだけではなく、指で弦を叩いたり、弾いたりと、左右の手が忙しなく動き続けている。
セス・リオールがあの試験会場で弾いたのは、その場にあったピアノだった。
そして、ついさっきまで弾いていたのはリュート。そして今弾いているのは、ヴィオラ。
セス・リオールは他にも、ヴァイオリン、チェロ、コントラバス、ハープなどの絃楽器に加え、アコーディオン、ピアノ、チェンバロ、更にはパイプオルガンが弾けると言い、パーカッションなどの打楽器も演奏できるらしい。
アウル達に拠ると、セスはそのどれもの楽器で美しい音を奏でて演奏をすることができるという。
本当に本当に、巫山戯た話だ。
そんなこと、普通に考えて有り得ない。幾ら天才なのだとしても、絶対におかしい。デタラメだ。
それら楽器の、どれか一種類でも極めることが困難で、熟練者と言われるまでの腕を持つに至るには幾年月も掛かるというのに・・・更には、作曲までできるのだという。
それではまるで、セス・リオールが音楽の神に愛されているかのようではないか。
先程の騎士科生徒が演奏対決で指定した作曲家はおそらく、数年前から名を聞かれるようになった作曲家の、セシリオ・ソードリリーだろう。
セス・リオール本人とその演奏、そして彼の出身地を知るような、少し勘の良い者なら、直ぐに気付く。ソードリリーというのは、グラジオラスの花の別名だ。
拠って、彼のセシリオ・ソードリリーが、セス・リオールのことなのだと。
先程の『比翼の囀り』など、なにをモチーフにした曲なのか、この場に於いては一目瞭然だ。
新雪の髪に半眼の新緑。ピンと背筋を伸ばし、楽器を奏でるセス・リオール。
この奏でられる美しい演奏を聴く度、どうしようもなく自分の腕が未熟に思え、嫉妬と羨望の感情が強く胸を焦がす。けれど、同時に・・・この音に魅了されてやまない。
だからショーンは、彼のことが大嫌いだ。
そして、自尊心の強いプロの演奏家でも、セス・リオールの音に心が折られた。拠って、セス・リオールは授業で楽器を弾かないでくれと、学園側から直々に頼まれている。
音楽科生徒達の心を折って、その若い芽を摘み取ってしまわぬように、と。
しかし、そのことを知らない当の音楽科の生徒達は、演奏をしないセス・リオールを裏口入学だと口さがなく噂している。言われている本人自体は、馬耳東風で全く気にしていないようだが・・・
そんなセス・リオールに演奏勝負を持ち掛けるなど、愚かにも程がある。それも、『セシリオ・ソードリリーの曲』でなど、愚の骨頂だ。
まだ決闘の方が、余程勝ち目があるだろう。まあ、グラジオラス辺境伯領の者に挑んで勝てるかは不明だが・・・セス・リオール曰く、楽器より重たい物は持ちたくないらしい。が、コントラバスなどその重さは十キロ以上ある。
ちなみに、剣はそんなに重くないそうだ。しかし、演奏家でもあるセス・リオールが剣を扱えるとは思えないし、アウル達がセス・リオールに決闘をさせるとも思えないが。
ただ、先程の騒ぎでセス・リオールが一人のときに剣を向けられることがなくて、安堵したことは内緒だ。ショーンはセス・リオールのことは大嫌いだが、彼の奏でるその音には、嫉妬しつつも惹かれてやまないのだから・・・
読んでくださり、ありがとうございました。
娼館で働いてる年上の幼馴染み、の辺りでピンと来た方もいることでしょうが、仲良しな相手はユールでした。グラジオラスなので、色っぽい展開にはなりません。
そして、やっとセスが演奏してますね。ぼんやりもしてますが・・・
ちなみに、書いてる奴には音楽的な素養が全くありません。無茶苦茶言ってんなぁ…と思っても、スルーしてやってください。
チェンバロはピアノの原形となった楽器で、リュートは琵琶の親戚みたいな楽器です。