音楽家セスの場合。Ⅰ
『其の身は全て、楽を奏でる為に』
此の身は全て、楽を奏でる為に。
『其の頭は、音を記憶する為に』
音を記憶する為に。
『其の瞳は、楽譜を読む為に』
楽譜を読む為に。
『其の耳は、音を聴く為に』
音を聴く為に。
『其の声は、音を伝える為に』
音を伝える為に。
『其の腕は、楽器を支える為に』
楽器を支える為に。
『其の手は、楽器を奏でる為に』
楽器を奏でる為に。
『我等が宴へ、久遠の調べを』
目の前に並べられるのは、美しい楽器の数々。
『さあ、奏でよ。我等が楽器よ』
此の身は、楽器を奏でる為の楽器。
さあ、音を奏でなければ。
示された楽器を構え、楽の調べを。
そういう約束、なのだから・・・
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プラウナ王立学園。
そこは、プラウナ王国の貴族令息、令嬢達が様々なことを学ぶ学園で、生徒それぞれに応じたカリキュラムが与えられる制度となっている。
なので、学びたい生徒はより高度な授業を受け、深い智識が与えられる。
けれど、そうでもない生徒は、それなりの授業をこなして学園を社交の場とし、将来のコネ作りに勤しむという二分化現象が昔から起きていて・・・
プラウナ王立学園には、総じて学力が高い生徒が多いが、中には勉学に熱意を持たない生徒もいる。
勉強が苦手だったり、学習意欲の無い生徒。そんな生徒達が通う学科もあって・・・
そういった貴族令嬢の通う家政科は主に、一般教養と近隣諸国の歴史や文化、マナーを学ぶことを主流とした学科だ。
家政科の在籍期間は三年。他の学科の勉強に付いて行けなくなって、家政科に籍を移す令嬢もいる。
その中には、親族に強要されて家政科に在籍せざるを得ない令嬢もいたりするが、そういう令嬢は家政科在籍期間の三年間、家政科の授業を調整しながら自分の学びたい学科にこっそり通ったりしている。
そして、家政科の一番の特徴は在籍期間三年の間に、いつ卒業してもよいということが挙げられる。無論、卒業試験はあるが、それに合格すれば家政科への在籍期間がたったの一日でも、プラウナ王立学園家政科卒業の証を貰える。
在籍期間一日は極端だとしても、家政科は婚姻などの理由で途中卒業が一番多い学科でもある。
拠って、『腰掛けクラス』や『花嫁修行コース』と称されることもある家政科には、学ぶことよりも人脈が欲しい貴族令嬢達が多くいたりする。
ちなみに、余談ではあるが、貴族令息には家政科に相当する救済措置に近い学科は存在しない。学習意欲、及び学力が著しく低い者は容赦なく退学になる。または、穏便に自主的な転校という措置が度々見られることはあるが。
そんな家政科に所属するパトリシア・サンダース男爵令嬢は、恋をしていた。
彼のことを想うと、胸が痛い程に高鳴って顔に熱が集まり、とてもではないが平静でいられない。
彼にはよくない噂もたくさんあるけれど、そんなことくらいではパトリシアの恋心は止められない。
更に言うなら、パトリシアは運がいい。
近頃なぜか家が傾く人が多いらしくて、学園の生徒が減っていた。
家政科の生徒が特に減っているような気がする。彼を狙っていた令嬢は家政科の生徒が多かったので、ライバルが減った今がチャンスということだ。
これはもう、運命と言っても過言ではない。そう、舞い上がっていた。
サンダース家はちょっと裕福だけど、階級的には一番下っ端の男爵家で、パトリシアにはまだ婚約者がいない。
プラウナ王立学園へ通っているのは、半ば人脈作りと婿探しの為だと言っても過言ではないのだ。
家族からは、なるべく条件の良い男を見繕いなさいと言われているけれど・・・
晴れた日に中庭で(さすがに雨の日などには見掛けないが)よく寝ている姿が目撃されているサボり常習犯の彼のことを、パトリシアは始め、噂通りの怖い人だと思っていた。けれど、よくよく彼を観察してみれば、なんと・・・
パトリシア愛読のロマンス小説の挿し絵に載っているヒーローに容姿がとてもよく似ていたのだ! それも、パトリシアの好みのイケメンヒーローにっ!?
小説ではヒーローの彼に少し悪い噂があって、けれどその噂は全て誤解で、実は繊細で傷付き易い心の持ち主。優しいけど、愛を知らなかった彼がヒロインに心を癒されて一途に彼女を愛して行くという・・・とても大人気のラブロマンスっ!!!
新雪のような真っ白な髪に、すらりとした身体付き。お話のように飛び切りの美形というワケではないけれど、少し幼げな整ったお顔立ちに、物憂げな表情。そして実際、彼の回りではお話のようなことが起きている。
彼が中庭で寝ていると、物語のように動物達が彼に寄って行くのだ。栗鼠や小鳥など警戒心の強い小動物達が、彼の側へ近寄って眠る彼を囲んだりなど、まるで童話のシーンのような光景をパトリシアは何度か目撃している。
だから、そんなヒーローによく似ている彼も、あのお話のように、きっと自分を一途に愛してくれるに違いないわ! そう思ってパトリシアは・・・
「あぁ・・・思い出しただけで、胸がキュンキュン高鳴るわ♥」
先日、とうとう彼に告白したのだった。
中庭でいつものように授業をサボって寝ていた彼に近付き、パトリシアは思い切って言った。
「わ、わた、わたしと、お、おつ、お付き合いしてくださいっ!」
「・・・」
落ちる沈黙に、思い切り噛み噛みになってしまったことを笑われるかと思って、パニックを起こしかけたとき。彼はぼんやりと物憂げな新緑の瞳をゆっくりとパトリシアへ向けて、寝転がったまま、ゆるりと小さく頷いたのだ。
パトリシアは一気に恥ずかしくなって、その場から逃げ出してしまったけど・・・
あれから、ドキドキしながら数日が経った。だというのに、彼の方からパトリシアにはなんのアプローチも無い。彼は学校自体には来ていて、いつものように授業をサボって昼寝をしているだけ。
中庭によく寝転がっているが、パトリシアが近くへ行ってもなにも言って来ない。
更には、パトリシアとお付き合い(勿論、結婚を視野に入れた)をするのだから悪い噂が無くなると思っていたのに、彼の悪い噂の方も相変わらずのようで・・・
彼がパトリシアへ視線を向けることも無かった。
あのときの気持ちがどんどん萎んで行くような気がしたパトリシアは、とても悲しくなって落ち込んでいた。そして、そのことを幼馴染みに零してしまった。
すると、幼馴染みはなぜだか彼にとても怒って・・・「どうにかしてやる」と、パトリシアに低く告げてどこかへ行った。
「どうにかって、なにをするのかしら?」
パトリシアはなんだか、胸騒ぎがした。
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ショーン・マクレガンは、プラウナ王立学園の音楽科に在籍する演奏家志望の生徒。そんな彼は、同じ音楽科のとある生徒のことが大嫌いだった。
『彼』は音楽科の、それも特待生枠の生徒のクセに、座学の授業にしか出ていなかった。授業で一度も演奏したことがなく、よく授業をサボって寝ている姿を学園のあちこちで目撃されている。
更には、その素行も非常に学生らしからぬ程に性質が悪いと有名だった。
曰く、娼館に出入りしている。曰く、見る度に違う女性を連れている。曰く、夜な夜な遊び回り、泣かせた女性は数知れず。だから彼は、授業をサボってよく寝ているのだとか・・・
それだけでなく、彼には黒い噂が常に付き纏っていた。
プラウナ王立学園には、特待生枠が存在する。在学に於いての費用の一切免除。入学費、授業料、制服から教科書、必要な備品、その全てを学園が負担するという特別な待遇。
それは一般貴族生徒の受験枠とは異なり、純粋な学力のみで合否を決める平民でも入れるという特別枠だ。普通科では毎年十枠程だろうか?
その特待生枠に入るには当然、学力が必要だ。好成績の維持が義務となる。具体的には、学年で三十指以内の成績を修めること。その義務を怠れば、特待生枠の返上。及び、授業料の支払い義務が生じ、一般生徒という扱いに切り替えられる。
平民としてプラウナ王立学園に入学し、好成績をキープして卒業後に目覚ましい活躍をした人物も多数存在するが、勉強に付いて行けなくて特待生枠を返上し、授業料の支払いが出来ずに泣く泣く退学した者も少なからずいる。
しかし、そんな普通科とは違い、音楽科の判断基準は少々異なる。知識や教養が乏しく、楽譜さえ読めずとも、心打つ素晴しい演奏ができさえすれば、王候貴族が通うプラウナ王立学園で最高の授業が受けられるという特別枠だ。
過去には、平民から宮廷音楽家にまで登り詰めた偉大な演奏家もいたという。
所謂、一発芸での入学。
毎年受験は行われるが、その一発芸の音楽科特待生枠は、大変狭き門なのだという。五年に一人程の割合でしか合格者が出ず、その合格者達はその誰もが学生の頃から天才演奏者と名を馳せている。
だというのに、ショーンの大嫌いな一発芸特待生は素行が良くなくて、音楽科の生徒だというのに入学以来、授業で一度も楽器を演奏したことが無い。
それでいて、かろうじて『彼』が出席しているという座学の成績は普通。なのに『彼』は、特待生枠から未だ外される気配すら無い。どう考えたって普通は、なにかしらの裏があるように思える。
そんな彼だから、裏口入学という黒い噂が信憑性を持って囁かれるのは至極当然のことだろう。無論、我が校はプラウナ王立学園である為、表だって不正な裏口入学だと言う者はいないが。
そんな中、ショーンは中庭に向かった。そして、
「セス・リオール! パトリシア・サンダース嬢の名誉を掛けてこの俺と決闘しろっ!?」
という低く鋭い声が、中庭に響き渡った。
「・・・・・・」
返るのは、沈黙。
騎士科の男子生徒が、音楽科の『彼』へと決闘を挑んだ。『彼』に勝ち目など無いと思う。
ショーンは確かに、『彼』のことを嫌っている。しかし、だからと言って、こんな状況に陥っている『彼』に対してざまを見ろと囃し立てている連中の気が知れなかった。
確かに『彼』のことは苦々しく思っているし、同じように……いや、自分よりも『彼』のことを更に不満に思っている連中がいて、『彼』を悪し様に罵っていたことは知っていた。しかし、こんな形で『彼』の未来が閉ざされてしまっていい筈が無い。
さすがに止めなくては! と、思ってショーンは『彼』がいる場所へ向かったのだが・・・
遅かった、とショーンは頭を抱えた。
「・・・ふゎ」
白髪頭が起き上がり、大きな欠伸。そして、こしこしと眠たげに擦られる目。
「? もう、お昼ごはんー?」
ぼんやりと、『彼』が口を開いた。
「寝惚けてるのかお前っ!? たった今、俺がお前に決闘を申し込んだんだ!!」
顔を赤くした騎士科の男子が、『彼』の足下へと白手袋を叩き付ける。
「・・・けっとー? なにそれ? ・・・手袋、要らないの? 捨てるなら、ゴミ箱。中庭、ポイ捨て禁止。知らない? 掃除のおばちゃん、困る。・・・ん? おばちゃん達に、嫌がらせ?」
「巫山戯ているのかっ!?」
きょとんと首を傾げた『彼』ことセス・リオールは、音楽科特待生。そして、芸術家にありがちな性格をしていて・・・常識が全く無い奴だった。
「勝負だ勝負っ!?」
セスに苛立った騎士科の男子生徒が怒鳴ったとき、
「やめてっ!? わたしの為に争わないでっ!?」
悲痛な女性の声が割り込んだ。
「パトリシアっ!? なぜ止めるんだ!! 俺はっ、お前の名誉の為にっ・・・」
「わたしはそんなこと頼んでないわっ!?」
いきなり出て来た少女の言葉に、顔を歪める騎士科の男子生徒。二人は知り合いのようで・・・
この展開にショーンはふと思った。往来で、人も沢山いるのによくやる……と。そして、
「ぅわ……なにこの茶番?」
驚いた。隣から聞こえた声に、
「え?」
思わず心の声が出たのか? とびっくりしていたら・・・
「全く、ゴミのポイ捨ては禁止だって言ってるのに。一体、何度言えばわかってもらえるのかね? ここの生徒さん達は……」
ちょいちょいとセスに手招かれて呼ばれた中年の掃除婦がぶつぶつ文句を言いながら、騎士科男子がセスへと叩き付けた白手袋という名の果たし状を拾ってしまう。
「あれま! これ絹の手袋じゃないの! こんな高級品を捨てるだなんて、なんて勿体無いことするの! ああそれとも、落とし物として届けるべきかしら?」
そして、野次が飛んだ。
「騎士科の生徒が申し込んだ決闘を、掃除婦が受けたぞーっ!?」
次の瞬間、
「はい?」
注目された掃除婦が首を傾げると、揉めていた騎士科男子と女生徒が揃って驚きの声を上げた。
「「はあっ!?」」
ちょっとしたカオスだ。
読んでくださり、ありがとうございました。
出だしあんなんなのに、セスは昼寝してボケかましてるだけですね。