探検家アイザックの場合。下
予想より長くなりました。
アイザックが城預かりとなった翌日。
「ふっふっふっ、ザックよ! そんなに冒険がしたいというならよかろう! ボクが君を超一流の冒険家へと鍛えてしんぜようっ☆」
と、言い出した道化が張り切ってグラジオラスのコネをフル活用し、幼いアイザックを様々な場所へと放り込んだ。
グラジオラス辺境伯領の私設軍の訓練、農作業、サバイバル訓練。そこでの体力強化、護身の為の武力強化、サバイバル訓練で生存率の強化、加えて武器の扱い方。
そして軍での訓練を終えると、メルク商会の商団キャラバンへと連れて行かれた。
商団キャラバンで街道の移動方法を学び、山岳地帯や砂漠地帯、熱帯地方、雪山などの歩き方、水や食べ物の確保方法、調理方法、こうして軍とは違うサバイバルの方法を学び、訓練と知識の吸収、地図の読み方、地理の把握。
商船に乗って見習いとして働き、船の操作方法、潮や風、海流の読み方、星や天体の動きで方角や距離の測り方、海図の読み方、ロープの使い方、船の修繕方法、遭難したときの心得などなど、様々なルートのキャラバンで様々な地方や国を、めまぐるしい勢いで転々とさせられた。
無論、商人に囲まれているのだから、計算や目利き、交渉などは全て実地で叩き込まれた。
そのお陰で、数カ国の公用語をなんとなく聞き取れるようになり、片言でなら少しは話せるようにもなった。
軍での訓練は死ぬ程キツかったし、本気で泣いたこともあった。各地の極限キャラバンを転々としたときには、一歩間違えば死んでいたかもしれないような目には何度も遭ったし、『あのクソ道化め!』と、何度も心の中で罵倒もした。
けれど、それでもアイザックは新しい場所、知らない土地へ行くと胸が踊った。
もっと、もっと知らない場所の景色を見たいっ!!! そんな渇望にも似た強い衝動が湧き上がり、じっとしていること…足を止めることが、できなかった。
こうして十数年を世界各地を転々とさせられながら過ごし、生き残る為の様々な技術と知識を身に付けたアイザックは、更なる仕上げとしてグラジオラス城砦にて賢者に地質学、植物学、鉱物学、薬物学、天文学、医学の基礎、応急処置の方法など苦手な座学をみっちりと叩き込まれ――――どこへ出しても恥ずかしくない立派な冒険家へと成長した。
ちなみに、アイザックが一番ツラかったのは城での座学だったりする。どこにも移動しない、なにも起こらない平穏な日々が、恐ろしく平坦で・・・退屈で死ぬかと思ったくらいだ。
本の虫は嬉々として参考書の山脈を築き上げ、その参考書を元に座学を教える賢者はバカスカとやたらアイザックを殴る上に、絶対に脱走させてくれない無情なる鬼教師だったので、勉強の合間の気分転換にベティやロディウスなんかと手合わせしてストレス発散をしなければ、頭がおかしくなっていたかもしれない。
まあ、あの二人には殆ど勝てなかったが・・・特にベティ。十程も年下の女の子に思いっ切り、何度もボッコボコにされた。あの見た目と体重の軽さで、並みの剣士よりも攻撃が重いとか、絶対に詐欺だと思う。そして、ボコボコにされたアイザックを、更に殴りながらビシバシ授業を進める賢者に・・・もっと手加減を! と、切実に思ったものだ。まあ、初対面で賢者に舐めた態度を取った自分のせいでもあるのだが。
それはさて置き、実は道化と賢者には未だに多少ムカついていたり、クソが! と思わなくもない。
けれど、アイザックをどんな苛酷な状況下でも生還できる『超一流の冒険家』へと育て上げてくれた道化と賢者には、感謝もしている。まあ、色々と便宜を図ってくれる現城代の姫にも。
しかし、刻まれたトラウマとはまた別の部分…アイザックが様々な冒険をして来た上で研ぎ澄まされた本能的な感覚のどこかで、城代達を畏れてもいるが・・・
※※※※※※※※※※※※※※※
アイザックが断崖絶壁を登り切ると、そこには・・・なだらかな窪地が広がっていた。
標高が高くなるにつれて気温が下がり、雪や氷が積もるところの多かった断崖絶壁の岩肌だが、この窪地は所々に雪が溶けている場所がある。
そして、窪地の奥の方には、白く聳え立つ断崖絶壁が見えている。頂上は見えて来たが、まだもう少し登らないと辿り着けないようだ。
「・・・ここでキャンプするか」
まだ日暮れまでには一、二時間の猶予はあるだろうが、野宿をするならば直ぐにでも準備に取り掛からなければならない。
アイザックは呼吸を調えるべく深く息を吐き、今夜の寝場所を決める為に周囲を探索する。
警戒しつつ窪地を見て回っていると、どうもこの窪地は、暖かいようだと気付いた。
最初は、断崖絶壁を登っているときに吹き荒ぶ風に容赦無く体温を奪われたから、風が無いことで暖かく感じるのかと思ったが、所々地面の雪が溶けているので、やはり山肌表面よりもこの窪地は暖かいのだろうと確信する。
そして窪地の更に奥に行くと、洞窟があった。大きな割れ目で、中は広いのかもしれない。
動物の気配が無ければ、今夜はこの洞窟で明かそうと思い、中を覗くと・・・
「・・・マジか・・・」
アイザックは、洞窟の中に灯りを見付けた。洞窟入り口付近に背負っていた荷物を下ろし、最低限の荷物と武器を手に、中へと入る。
暗い洞窟内には光り苔のような弱々しい灯りではなく、壁際に等間隔で燭台が置かれ、火の点いた蝋燭が洞窟内の岩肌をぼんやりと照らしている。
先客がいることは明らかだろう。しかも、熱で溶ける蝋は脂臭くない。ふわりと甘い匂いが漂って来るので、高級な蜜蝋が使用されているようだ。
奥にいるのはどうやら、とても酔狂な人物のようだと銃を構えて警戒しながら進む。と、
「誰だ?」
滑らかなテノールの声が反響。そして、旅装束のスラリとした美少年が蝋燭の灯る燭台を手に立っていた。緩い三つ編みにされた長い金色の髪と、同じく金色の瞳が揺らめく炎を反射して煌めく。
その美貌は、見覚えのあるもので・・・
「ゲッ、鬼賢者っ!?」
思わず洩れ出た心の声に、
「ん? ・・・誰かと思えば、アイザックではないか。こんな、なーんも無いとこまで来るとは暇な奴め。そして、誰が鬼か。お前に厳しくしたのは八つ当り込みでわざとだ、この阿呆餓鬼が」
金の瞳を眇め、ふんと鼻を鳴らす賢者。その姿は、アイザックよりも大分年下に見える。
「そんな、なんも無いところに、なんでアンタがいるんだ? …賢者」
前人未踏な筈の地に、先客。それも、苦手としている人物がいて、アイザックは銃を仕舞いながら、苦虫を噛み潰したかのような顔で質問をする。
「ここは、わたしが貯蔵庫にしている洞窟だ」
「貯蔵庫?」
「ああ、酒をここの奥に仕舞ってある」
「・・・いや、さっきアンタ、ここはなんも無いって言ったよな?」
「なにも無く、人が立ち入らぬ場所だから貯蔵庫にしたのだ。尤も、つい今し方どこぞの阿呆餓鬼に知られてしまったがな?」
皮肉げに返すテノール。
賢者は、なぜか昔からアイザックに当たりがキツい。アイザックの他にも、なにかしら色々と面倒事を引き起こす変人共はいるというのに、アイザックにだけ、やたら厳しいような気がする。
「・・・アンタ、なんで俺に厳しいんだ? さっき、わざと厳しくしたとか八つ当りしたとか言わなかったか? 大人気ないぞ…若作りジジイ…」
若作りジジイの部分だけぼそりと呟く。賢者は昔から、なぜか喋り方が微妙にジジ臭い。
そして、アイザックが二十歳になる前から、賢者のその容姿は全く変わっていないように見える。
最後にその姿を見てから、二十数年が経つ。あの頃から賢者はアイザックの年上を自称していたので、少なくとも四十半ば以上にはなっていないとおかしい計算になる。けれど、その見た目は十代半ばの美少年のままだ。
道化とは幼少期以来会っていないが、姫も含めてこの城代達は、長年に渡って容姿が変わっていない。そして、その疑問を、グラジオラスの誰もが口にしない。
「誰が若作りジジイか、クソ餓鬼が。まあ、いい。暇なら酒を運ぶ荷物持ちがてら、付いて来い。食料を分けてやらんでもない」
顎をしゃくり、身振りで付いて来いと示す賢者。手にした燭台から、壁際に置かれている燭台へと火を点しながら暗い洞窟の奥へと進んで行く。
「お前に厳しくしたのは、お前の自業自得だ。アイザック。お前が昼日中から城壁クライム制覇なんぞしたせいで、グラジオラス辺境伯城砦は子供でも侵入できるちょろい城だと噂が立った。それで、近隣諸国や他領の阿呆な曲者共がこぞって押し寄せて来たのだ。お陰で、調子こいたどこぞの馬鹿にシュゼットが誘拐されかけるわ、それにキレた道化が曲者を捕らえて拷問すれば、拷問に興味を持ったエステバンとリヴェルドの性格が修正不可能な程に捻じ曲がるわ、ロディウスが超一流の暗殺者になるわ、城の防衛機構の組み換えやら、その他諸々余所との調整にわたしの十年が丸々費やされるわ・・・全く以て、碌なことが無かったぞ。その、尻拭いをわたしにさせた諸々の要因の一端とも言えるクソ餓鬼が、ある程度小突き回しても死なんくらいに成長して、目の前に阿呆面晒して現れて、しかも教えを請う側の生徒のクセに生意気な態度を取るようなら、軽く八つ当りする程度は、可愛いもんだとは思わぬか? なあ、アイザックよ」
アイザックは長年積もった恨みがましい愚痴の言葉に、十分に気温が低くて涼しい筈の洞窟内で、ダラダラと冷や汗を垂らしながら賢者の後ろを歩く。
それらの出来事が自分のせいではないと言える程、アイザックは厚顔無恥でも恩知らずな愚か者でもない。
「全く、本来ならベアトリスにわたしの剣を教えるつもりは無く、あそこまで強くする予定も無かった。そして、曲者の対応に追われて長時間放置されなくば、シュゼットもまだ常識的な本好きで済んでいただろう。エステバンとリヴェルドも、あれ程壊れはしなかったやもしれん。ロディウスもまた、戦士や狩人程度で収まっていただろうよ。まあ、言うても詮無きことではあるがな? 元はと言えば、悪いのは全て、面白がってお前を止めなかった道化の阿呆だからな。お前に責任を取れなどとは、言わんさ。取れる筈も無かろうし」
洞窟内に反響するテノールが、グサグサとアイザックの良心と罪悪感を抉って行く。
「・・・すみませんでした!」
幼い頃の無謀な行動。その余波が齋した思わぬ影響の数々に耐えきれなくなり、アイザックは深く頭を下げる。
アイザックの脳裏に浮かぶのは、危ない連中だと思っていた数名の幼馴染達。彼らが危なくなった要因が、自分であるなどとは考えたこともなかった。
「別に、わたしに謝らんでもよいわ。お前の謝罪なんぞ、なんの役にも立たん。たらればを言うても切りは無く、全くの無意味。これは単なる八つ当りだ。程よく罪悪感に苦しめ、阿呆餓鬼が」
その言葉にアイザックが悄然と俯くと、
「・・・」
ふっとテノールが笑った。
「・・・どの道、あれらにはああなるような素養が元々あったのだ。まあ、少々おかしいくらいの普通であったなら・・・という、わたしの感傷に過ぎんよ。そんな夢想も、悪くはなかろう? さて・・・では、後で運んでもらおうか。アイザック」
足を止めた賢者が燭台で照らす先には、樽や瓶が沢山置かれていた。
「ほれ、そこに置いてある荷車で運ぶがよい」
賢者が示した壁際には、荷運び用の台車が一台立て掛けてある。
「・・・運べ、と?」
「別に強制はせんよ。元々わたし一人で運ぶつもりであったからな」
「・・・運ばさせて頂きます。で、これを全部とか言うのか?」
見えている分だけで、如何にも重たそうな大きな樽が十程。瓶はざっと五十程はあるだろうか?
「いや、瓶は三十程でいい。まあ、布での梱包が先ではあるがな」
「わかった。ところで、わざわざこんな辺鄙どころか秘境の禁域に保管するくらいに、価値のある酒なのか? これは」
「さてな? わたしが造った蜂蜜酒を蒸留したものだ。まあ、原料が稀少な蜂の蜜ではあるから・・・底値でも、一瓶金貨以下には下るまい」
「マジかっ!?」
「ああ、姫への土産だ」
「え? あの姫さん、酒飲むのか?」
どう見ても十代半ばより上に見えない、誇り高き童顔なレディの顔が思い浮かぶ。
「姫はああ見えて笊の蟒蛇だ。相当飲む」
「・・・まあ、それはいいんだが、どうやってこれ麓まで運ぶ気だ? 背負って崖を下るのか?」
「そんな重労働誰がするか、阿呆。飛ぶわ」
「は? どうやって?」
「文明の利器があろうに?」
「文明の利器?」
「なんなら、乗せてやってもいいぞ?」
金色の瞳がキラリと煌めいた。そのイタズラっぽい笑顔は、どこか道化と似ていた。
「いや、賢者。俺はこの山を制覇したい」
と、アイザックは賢者の申し出を断る。
「そうか。それは残念だ。まあ、わたしは後三日程はここで酒の世話をする。その間にお前が落ちて死んだら、墓くらいは建ててやろう」
「不吉なお気遣いどうも」
こうして酒の梱包をして洞窟で賢者と泊まった翌日。アイザックは食料や水、酒を分けてもらい、竜が住むという霊峰ロンジュの山頂を制覇した。前人未到な筈の地に賢者がいたことで、微妙な気分だったが・・・
ちなみに、登山中に竜と出逢うことはなく、竜らしき生物の影も形も見当たらなかった。
そして、山頂から窪地に戻ったアイザックは、賢者に扱き使われたのだった。
読んでくださり、ありがとうございました。
アイザックがやたらスパルタ教育された理由を、賢者が愚痴りながら語ってます。
なんだか、予想以上に賢者が色々と喋ってくれて長くなりましたが・・・
各地の梟達は、アイザックを教育兼監視込みで試したりしてます。
道化世代の人達の闇が深い要因の一つですね。なんだかんだで悪いのは、面白そうだから♪という理由で城の警備をわざとザルにしていた道化なのですが・・・
文明の利器については、次回となります。