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探検家アイザックの場合。上

 すみません、遅くなりました。

 彼は、崖を登っていた。


 何時間も前からひたすらに。


 着込んだ防寒具の中で汗を流し、分厚い皮の手袋で硬い岩肌を掴んで足を掛け、霧のように広がる雲を突き抜け、高い標高の低い気温、薄い酸素を懸命に呼吸し、白く(けぶ)る息を吐き出し、ただ前を向いて登り続けている。


 それも、落ちれば死は免れないであろう鋭く切り立った峻険(しゅんけん)な断崖絶壁を。


 しかも、この場所には四方数十キロの範囲に渡って人里の存在しない、秘境中の秘境だ。


 人がいないのだから、助けなどある筈も無い。そして、死ねばその死体を発見する者すら現れず、朽ち果てることになるだろう。


 彼の登るこの霊峰ロンジュは標高四千メートル程の切り立った険しい山で、周辺に住む民族からは(いにしえ)より竜の住まう山として禁域となっているそうで、前人未到(・・・・)なのだという。


 そんな、古来より禁域となっている山の断崖絶壁を登る男の名は、アイザック・ウィルストン。


 自他共に認める生粋の探検家だ。


 アイザックは高い場所や山が其処に在れば登らずにはいられないし、前人未到と聞けば胸が騒ぎ、絶海の孤島と聞けばワクワクする。


 行ったことのない場所、見たことのない景色を想像すると、血が(たぎ)って居ても立ってもいられない。一つ所になど留まれない。まるで、動き続けていなければ死んでしまうような・・・アイザックは、そんな回遊魚のような性質を持っていた。


 今回、竜が住まうと()われている霊峰に挑んでいるアイザックは、竜という生物をまだ見たことがない。


 幾つもの山を踏破し、人間の踏み入らぬ地へと好んで踏み込むアイザックは、人知の及ばぬ異質な存在がいることを、身を(もっ)て知っている。


 人間の踏み入らぬ森や山の奥深くに棲む未知のナニかや、人間を阻む海域や海底に棲む未知のナニか。


 それらは、ときに美しい姿形をし、美しい声や音、匂い、幻視(げんし)などで自らの存在を誇示したり、誘惑して来る。または、(おぞ)ましくグロテスクな姿形で生理的嫌悪を(もたら)す声や音、酷い悪臭で以てしてその存在を誇示し、(おど)して来たりもする。


 アイザックはそれらの存在を、幾度か感じたり認識したことはあるが、それらがナニであるかは、知らない。


 アイザックは単に、そんな人知を越えるモノが存在していることを知っているだけだ。

 夢や、極限状況下に()るストレス性の幻覚や幻聴、精神疾患、現地で自然発生したなんらかのガスや動植物、または水などが原因だという可能性もあるとは理解している。

 それでも、自分がそれらの存在を感じたことは事実だし、医者に診てもらっても、一応は脳も精神も正常だと診断がなされている。アイザックは至って健康体。


 そして、そんな不可解なモノ達に遭遇しつつも、アイザックは偶々無事に生還することができているだけに過ぎない。


 数年(ごと)の身体のメンテナンスや、旅券の申請など面倒な手続きで、グラジオラス辺境伯城塞に長く滞在するときは、そんな土産話を聞かせると年下の幼馴染や知人達がとても喜ぶ。ちなみに、手続きの(たぐい)は有能な外交官に丸投げだ。マーノには嫌がられるが、グッジョブだ。便利でとても助かっている。


 そして以前、人が踏み込めないであろう場所の洞窟に文字のようなものを発見したと話したら、本の虫(シュゼット)が大層喜んで、是非とも写真を()って来てくれと強くせがまれたものだ。


 アイザックとて、踏破した地を写真に残すことは嫌いではないので、二つ返事でOKした。


 それ以来、文字のようなものを発見したらなるべく写真に収めて、グラジオラス辺境伯城塞の本の虫へと送るようにしている。


 なんでも、本の虫の話に拠ると、その文字は()の有名な邪竜の遺した日記なのだとか。


 あれは神聖言語で書かれて…彫られて? いる文字なのだと、本の虫が言っていた。

 アイザックは探検家ではあるが、考古学者ではないし、古代言語に明るいワケでもない。

 あの、言語を読み解くことに特化している本の虫が神聖言語だというのなら、神聖言語なのだろう。

 ()竜とされている存在が、神聖(・・)言語を扱っていたとは、大層な皮肉だとは思うが。神聖教会のお偉方が知ったら、卒倒ものだろう。


 しかし、その文字らしきものを洞窟で発見し、実物を見て写真に撮ったアイザック本人は、それ(・・)をとても胡散(うさん)臭く、眉唾ものだと思っているが・・・本の虫自体は、邪竜の研究者として一部では有名だ。


 そして、邪竜の日記(仮定)が刻まれている近辺には、不思議と邪竜や人間に害をなすモノの伝説が伝わっていることも事実だった。

 例えそれが、世界各地の、秘境と呼ばれるバラバラの場所、そして少なくとも数百年にも渡る年代で点在していようとも・・・


 なのでアイザックは、竜の存在を見たことも(・・・・・)感じたことも(・・・・・・)ない(・・)ので、胡散臭いとは思っているが、全くの否定派だということもない。


 少なくとも、世界各地の秘境の岩盤に、文字らしきものを数百年に渡って刻んだ酔狂な生物がいたことは、既に証明されている。アイザックはそれを、自分で写真に撮っているのだから。


 もしも竜を見たら、アイザックはその存在を信じようというスタンスをしている。


 邪竜などの伝説が好きで堪らない連中より、邪竜の存在を大して信じているワケではない自分の方がその存在の証明(・・・・・)に近しい位置にいるということに、アイザックは不思議な感慨を抱く。まあ、それも本の虫の受け売りだが。


 未確認生物を発見したとて、アイザックの目的は未踏破の地へ辿(たど)り着き、その地へ自分の足跡を着けることなので、謎生物のことなど二の次。

 謎生物を発見して捕獲したり、その生態調査がしたいのなら、それはやる気のある者が勝手にすればいいとアイザックは思っている。


 アイザックはそんなことに興味は無いし、知ったことではない。


 アイザックは、自分がやりたいと思うことしかしたくない。そして、やりたいことに必要なことなどは、全力ですると決めているのだから。

 読んでくださり、ありがとうございました。

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