会計係ユレニアの場合。上
長いようなので分割します。
不快に思う表現があります。
誤字直しました。ありがとうございます!
静かな庭園に、ぐずぐずと女の泣き声が響く中。
「ユレニア・タロッテ様、どうかこの婚約を破棄なされてくださいませっ!」
グラノワール家が推奨し企画したジュリエッタ・レスティラウト伯爵嬢の婚約調印式で、突然声を上げたのはレスティラウト令嬢だった。
「どういうことだっ!?」
グラノワール公爵代理、次期公爵と内定されている令息ナサニエル・グラノワールが、声を上げたレスティラウト家令嬢へと怒鳴った。
「どうもこうもございませんわ。どこぞの家の次男が仕出かした不始末で、我がレスティラウト伯爵家の家計は火の車。零落も時間の問題です。それを、豪商として有名なタロッテ男爵令息を婿入りさせて補填しろなどと、大層失礼ではありませんこと?」
毅然とした態度で話す令嬢。
「ミランダっ!? お前はグラノワール次期公爵が我がレスティラウト家の為にわざわざ骨を折って取り図らってくれたことへ逆らうというのかっ!?」
レスティラウト伯爵が、顔を真っ赤にさせてレスティラウト家のミランダを怒鳴り付ける。
「なぜお前は、姉であるジュリエッタの婚約を素直に祝ってやれないんだっ!? 家族だろうっ!? お前がそんなに冷たい娘だとは思わなかったぞミランダっ!?」
この婚約を破棄しろと訴えているのは、婚約するジュリエッタ・レスティラウト本人ではなく、その妹でレスティラウト家次女のミランダだった。
「ジュリエッタが幸せになることを祝えないだなんて、なんて酷い娘なのっ!?」
ヒステリックに叫んだのは伯爵夫人。
「祝う? 冗談じゃありませんわ。本人は泣きじゃくっていて、調印式だというのに、お客様の一人もいらっしゃいませんのに?」
婚約の調印式だというのに一人の客もおらず、手入れの行き届いていない庭園は閑散としている。
それら全てを、ミランダは鼻で笑い飛ばす。
「どこぞの公爵家の次男が、愚かな姉と母を誑かして食い物にした挙げ句、多額の品を貢がせたことは知っています」
「なっ、なに馬鹿なことを言っているのあなたはっ!? 黙りな」
「黙りません。更に言うならば、お母様がその除籍されたスペアを囲っていることも知っています。姉に婿をというのは、大方そのスペアを…いえ、その平民の男を独り占めにするつもりだったのでしょうね」
「お前っ、どういうことだっ!?」
レスティラウト伯爵が夫人へと掴み掛かり、ますます大きくなる女の泣き声。
「そんなのでたらめに決まって」
「でたらめではありませんことよ? お母様が最近雇ったという、仕事をしない執事がその男ですもの」
「なんてこと言うのアンタはっ!?」
「事実ですが?」
「なんて女だ全くっ!?」
「あら? お父様こそ、最低ではありませんか。わたくしを、地方の娼館へ高級娼婦として売り飛ばすおつもりだとか? どの口が家族などと仰るのです? さて、本当に酷いのは誰なのかしら?」
ミランダは冷たい目で家族を見た。
「なっ!? お前知って」
「無論ですわ。なにも考えていない愚かな姉と、このわたくしを一緒にしないでください。ちなみに、既にお祖父様へ全て報告しておりますわ」
「父上にかっ!?」
「ええ。お父様を蟄居させて、お祖父様が伯爵位へ復帰なさるそうです」
「そんな勝手は許さんぞっ!?」
「勝手ではありません! 我が家を滅茶苦茶にしたのは、お父様の監督不行き届きです! わたくしが隣国へ留学している半年の間に、よくもまあこんなに馬鹿馬鹿しい事態に陥ったものですわね?」
ミランダは忌々しいとばかりに血だけが繋がったモノ達を見やる。
両親は元々、頭が足りなくて甘え上手な姉のジュリエッタだけを可愛がり、酷く甘やかし、先代伯爵に似た確り者の妹のミランダを嫌った。
子供の頃から家で問題が起こる度、ミランダがレスティラウト伯爵領で隠居生活を送る祖父へと細々報告し、祖父がそれを舵取りをすることで伯爵家はどうにかなっていた。けれど祖父はそれを憂い、息子である現レスティラウト伯爵が一人前になってくれることを祈っていた。
そして、ミランダが隣国へ留学するのをいい機会だとし、思い切って連絡を絶ってみたら・・・
「たった半年でこの酷い有様。お祖父様は、大いに嘆き、大層激怒して、お父様から爵位剥奪を。そして、伯爵位へ戻る決断をしたという話ですわ」
レスティラウト伯爵は蒼白な顔になる。
「お母様も修道院送りだそうです」
「なんですってっ!?」
「当然ではありませんか。お祖父様が伯爵位に戻るのですもの。それとも、お父様とご一緒に領地で隠遁生活をなさりますか? まあ、それはお父様次第になると思われますが」
伯爵夫人は縋るように伯爵を見詰めるが、伯爵が夫人を見る目は冷たい。
「そういう事情ですので、ユレニア様及びタロッテ家の皆様。当方からごり押しした婚約で、大変勝手なこととは重々承知しておりますが、我がレスティラウト家との、ジュリエッタとの婚約の話は無かったこととしてくださいませ」
ミランダは深々と頭を下げる。
「全く、酷い話もあったものだ」
応えたのはタロッテ家側の保護者。少し低めの声に、艶やかな銀色の髪を結い上げ、ヴェールで顔を隠し、豪奢なドレスを纏う貴人。
「なにが酷いの、ヘリオー?」
にこにことヴェールの貴人へ問い掛けるのは、柔らかな灰色の瞳にアッシュブラウンの髪の、無邪気に笑う青年ユレニア・タロッテ。
この騒ぎの中、婚約相手の令嬢が泣き続けているというのに、ずっと無邪気な笑顔を見せている。
「そうだね。ユレニアの隣で泣き続けている婚約予定の愚かな娘も、この状況を全く理解していない、レスティラウト家両親も、心底見苦しく、非常に馬鹿馬鹿しい」
「馬鹿馬鹿しいのー?」
「そう。馬鹿馬鹿しい。特に、ベリアルド某の不始末を、我がタロッテ家へ被せて始末を付けようとしている、グラノワール公爵家が」
冷たい声が言い募る。
「なっ!?」
「万が一、ユレニアとそこの見苦しい娘が婚約したとしても、ベリアルド某がタロッテ家擁するサロン、クレマチスを使用した代金。指名料、サロン外への同伴出張料、時間超過料、そして彼女達への侮辱行為への慰謝料、そして延滞料金はキッチリ請求させて頂きます。鐚一文負ける気はありませんので、耳を揃えてお支払いください。悪しからず」
「なんだとっ!」
声を荒げるナサニエルを無視、ヴェールの貴人は静かにユレニアへ目を向ける。
「ユール。ベリアルド・グラノワール。代金、延滞料、罰則金、慰謝料」
「はーい、ベリアルド・グラノワール。グラノワール公爵家の紹介状でクレマチスの顧客になった。クレマチス従業員への指名料金、同伴出張料金、時間超過料金、支払い滞納金。及び、従業員への接触禁止事項違反、従業員へ露骨な性行為を求める会話などの禁止事項違反、従業員への侮辱行為などの禁止事項違反、従業員へ水や酒を掛けるなどをした暴力禁止事項違反。以上の禁止事項を破った為、罰則金が発生。及び慰謝料の請求。それぞれの金額は…………………」
ユレニアの無邪気な口調が鳴りを潜め、淡々とベリアルドへの請求金額を挙げて行く。
「以上、計算終了。占めて合計、金貨で一万と三千二百八十四枚と銀貨七十二枚ー」
にこやかに請求金額を述べるユレニア。
「なっ!? そんな金額誰が払うかっ!?」
金貨一枚は、この国の平均的な中流家庭が一月は暮らして行ける程の金額となる。
「払って頂けないのでしたら、グラノワール公爵家を提訴致します。法廷で争いましょう」
「だ、大体、娼婦に触ってなにが悪いっ!?」
「・・・ったく、これだから馬鹿は困るんだ。うちは高級サロン。国営の公娼だ。しかも、クレマチスの名の通り、高潔を旨としており、身体は一切売ってない。売らなくても客を取れる超一流しかいないんだ。身体売らない女の覚悟舐めンじゃねぇっ!!!」
貴人のドスの利いた啖呵に怯むナサニエル。
「あと、うちの娘達へは他国の貴族が通って来たり、後宮に招聘される程の器量良しが揃ってンだよ。下手すりゃ国際問題に発展する可能性があること判ってて言ってンですかね? 視野狭窄で狭量、無知蒙昧な次期公爵様は」
タロッテの経営する国営の娼館は情報収集や社交の場でもある。それも、国際的な社交場だ。
それを、グラノワール公爵家の嫡子であるナサニエルが理解していないのは致命的。
「っ!?」
「ああ、言い忘れていましたが、全額の支払いが確認されるまで、我がタロッテが経営する店へのグラノワール公爵家とその縁続きの方々の出入りを禁止させて頂きます。苦情はグラノワール公爵家へと申しておきますので悪しからず。ついでに・・・高級娼婦舐めンなっ! この脳足りんボンボン野郎がっ! ・・・それでは、ごきげんよう」
即座にあの莫大な金額を支払わなければ、グラノワール公爵家を国際的な社交場から閉め出すという宣告。
「・・・」
ナサニエルはもう、なにも言えず黙り込む。
読んでくださり、ありがとうございました。