商人兼諜報員ディルの場合。上
不快に思うような表現があります。
古本屋で滔々と、如何に文字が素晴らしいかを語るシュゼットの目は、軽く…というか、普通にイっている。どう贔屓目に見ても、明らかにヤバい奴だ。
「・・・全く、面倒な・・・」
ディルは溜め息を零し、
「失礼。店主、この人の相手はしなくて結構です。注文したら、さっさと帰りますので」
店主を促して注文を頼む。と、
「は、はい!」
あからさまにホッとしたような店主が、さっと動き出した。
まあ、その気持ちもわからなくはないが・・・
とりあえず、最近の没落騒ぎ以降に貴族や商家から買い取ったという古本を全て注文し、グラジオラス辺境伯城砦へ送るように手配する。
手配はしたが、代金はシュゼット持ちだ。既に持っている本であろうが、ディルは構わない。
ディルの任務は、シュゼットをグラジオラス辺境伯領まで無事連れ帰ることで、金額などは些末なこと。ダブりなどの本をどうするかは、シュゼットが決めることだ。
だから、
「はい、シュゼットさん。そろそろ次の店に行きますよ」
恍惚の表情で文字の素晴しさを語り、イったままのシュゼットを引っ張って店を出る。
「え? え? ディル君? 私、まだ本を買ってませんよっ?」
「はいはい、本はグラジオラス城砦に送るよう手配しておきましたからね」
「あ、それなら安心ですね♪あ、でもでも、そしたら今は読めないじゃないですか!」
「はい、今は読まなくていいんですよ。次の店に行きますからね」
「そんなっ、せめて手持ちに十冊! 持って行きたいです! 移動中に読みたいです!」
「荷物が増えるので却下します。それより、早くしないと他の人に本が買われてしまいますが、いいんですか? シュゼットさん」
「ハッ! そ、そうでしたねっ!? 本がなくなる前に急ぎましょうディル君!」
と、そんなこんなで数軒目の古書店に・・・
先客がいた。貴族風の中年男性だ。
なんでも、神聖文字で綴られた貴重な本を買い取りさせてやるだとか・・・有り難い本だから高く買え! と、店主に偉そうに吹っ掛けている。
すると、その様子にシュゼットが件の本を見詰めてそわそわし出し・・・
「はいっ、はいはいっ!? その本、私に鑑定させてくださいっ!? 今すぐ鑑定しますっ!?」
と、突撃した。そして、鷹揚に頷いた男から笑顔で本を受け取り、ワクワクとページを捲る。
そして・・・
「・・・成る程成る程。これは、一目で判る偽物ですね。紙質も古くはないですし、内容も・・・神聖言語の有り難い本ではありません。大陸の東西南北の少数民族が使う文字を継ぎ接ぎした文章で書かれた・・・雑記のようですね」
という、シュゼットの鑑定が出た。
「・・・デタラメ言うなっ!?」
稀覯本コレクター且つ、言語学者でもあるシュゼットの鑑定なら、ほぼ間違いないだろう。
「では、お引き取りを」
店主が苦笑しながら言うと、
「この小娘がっ!?」
激昂した貴族風の男が、止める間もなくシュゼットへ殴りかかった。
――――その結果、肉を打つ音がして・・・
「っ!? ご、ごめんなさい! 大丈夫でしょうか? どこか傷はできてないでしょうか?」
あわあわと涙ぐむシュゼットの目の前には、苦痛に呻く男が倒れている。
「巫山戯やがってこの馬鹿女がっ!? 謝って済むと思っているのかっ!」
肩と足を押さえ、吠える男。
「そ、そうですよね・・・謝って済む問題ではありませんよね・・・でもっ、ごめんなさい!」
シュゼットは目に涙を浮かべ、手に持った文庫本サイズの聖書の背表紙をそっと撫でて言った。
「ごめんなさい、聖書さん! 幾ら緊急事態だとは言え、粗末に扱ったことを許してください!」
シュゼットは、自分に狼藉を働こうとした男の足をブーツで踏み抜き、その鎖骨をポケットから取り出した手の平大の聖書で素早く打ち据えたのだ。
そして、痛みに蹲った男…ではなく、武器にしてしまった本へと謝っている。心から。
彼女は、真剣なのだ。とても・・・
「ああ、文字の神さま・・・本当にごめんなさい、本を粗末に扱った罪深い私をお許しください」
「気にしてるのは本ですか・・・」
ぼそりと店主が呟くと、
「この無礼な馬鹿女がっ!? わたしにこんなことをしてただで済むと思っているのかっ!? 明日の日の目を無事に拝めると思うなよ小娘っ!?」
男が顔を真っ赤にして怒鳴った。
実年齢三十代後半のシュゼットを小娘呼ばわりすることには首を傾げるが、ストレートの長い黒髪に藍色の瞳、長年の不摂生と日に当たらない生活の為に、色白で華奢な見た目で童顔な彼女は、二十代前半に見えなくもない。
まあ、それについてはツッコミを入れないが・・・とりあえず、この男を放置してはおけない。
「さて、店主。わたしはこの方と、少しばかりお話をしたいと思います。その間、彼女の相手をお願いできないでしょうか?」
「・・・はあ、わかりました」
ディルは渋々頷いた店主へシュゼットを頼み、床に蹲まったままの男を引き摺って店の裏に回る。
そして軽く話し合いをして、お互い合意の上で別れた。二度と目の前に現れないと約束したので離してやると、男は泣きながら走り去って行った。
ここのところ、ずっと苛々していたせいで、少しばかり脅しが効き…ではなく、熱くなり過ぎたかもしれない。しかし・・・
「・・・戻らないといけない、か」
ディルは深く溜め息を吐いて、店へと戻ることにした。渋々ながらに・・・
ディルは、シュゼットのことが苦手だ。
もっと正確に言えば、ディルはベアトリスよりも上の世代の、グラジオラス辺境伯城塞預りだった者達を苦手としている。
グラジオラス辺境伯城塞へ預けられる子供達の待遇には、幾種類かある。
城へ通う者達、城を拠点にして遊学する者達、そして城へ住んでいる者達、だ。
学ぶ為に城へ通う者、学ぶ為に領外や外国へ出る者、そして、やむを得ない事情で城へ住む者。
その大概が奇人変人なのは言わずもがなだが、秀才や天才の類、そして鬼才を持つ者達。
ヘリオスのような外的要因でのやむを得ない理由というのは少ないが、無期限でグラジオラス辺境伯城塞預りが決まっていた人物達は皆、どこかぶっ壊れている。
ヴァルクやベアトリスなどは一部性能がぶっ壊れているが、まだマシな方。
ヘリオスも、あの美貌は人外染みているが、中身は案外普通だ。あれもあれで、暴食の野獣と打ち合いができる時点で性能が壊れているとは思うが、自衛の為なのだから、まだわかる。
そして、暴食の野獣に勝てはしない辺りに、人間らしさを感じて安心できる。スタミナ切れを狙える辺りは、人外に足を踏み入れているような気がしなくもないが・・・
他にも、フィオナやマーノ、パトリックやリディエンヌなどは、一部才能が突出はしているが、まだちゃんと人間らしい。
ディルはそれより下の世代とはあまり交流はないが、賢者や姫に育てられた子達は、割とまともに育っている・・・と、思っている。
ちなみに、ディル的にはヴィルヘルムは普通仲間だと認識しているが・・・
しかし、先々代の城代に育てられたという彼らは・・・普通に、色々とぶっ壊れている。
彼らは天才などではない。それでは足りない。彼らはまさしく、鬼才と呼ぶに相応しい。
諜報員として出世して、不本意ながらも知ってしまったこと・・・
知ってから、後悔したこと。
諜報員達の長であるロディウスは話は通じるが、裏切り者やグラジオラス辺境伯領を害する者には一切容赦せず、暗殺者の役目も担っている。
そして、捕らえた者を殺さないよう的確に拷問するのは、医師のエステバン。医学知識で、簡単には死なせないという。
更には、最終的に洗脳染みた説得をして改心させるのは、聖人と称されているリヴェルドだ。
色々と恐ろしいコンボというか・・・なんというか、闇が深い人達だと思う。
そして、世の中には知らない方が幸せなこともあると、ディルは思う。自分はもう、手遅れだが。
諦念と共に店に戻ると、シュゼットが聖書を抱き締めてぶつぶつと小さく呟いていた。
「……骨が折れても、人間は生きてさえいれば治るってエスト兄さんが言ってましたし、的確に折れば大丈夫らしいのですが・・・悪い人になにかされそうになったら、その前に動きを潰せってロッド兄さんにも教わりました。けどっ・・・身を守る為には、厚くて硬い聖書を武器になさい。神もきっとお赦しになることでしょう。って、ヴェル兄さんが勧めてくれましたがっ……本への罪悪感が半端ないですよぅ、ヴェル兄さん……」
グラジオラスの中でも、有数のヤバさを誇る連中の妹分として育ったシュゼットも、色々と推して知るべし・・・と言ったところだろう。
シュゼットが感じているのは、男を殴ったことでも、怪我をさせたことでもなく、本を武器として粗末に扱ってしまったということのみ、なのだから。
読んでくださり、ありがとうございました。
リヴェルド、ロディウス、エステバン。この三人は闇が深いです。
シュゼットもなんだかんだで危ない人です。