読書家シュゼットの場合。Ⅲ
すみません、シュゼットの話は上中下の3部では収まりませんでした・・・
シュゼット・ファウストは、グラジオラス辺境伯領にある図書館の管理者の娘として生まれた。母は元司書で、両親共に読書好きだった為、シュゼットは生まれる前から本に囲まれていたと言える。
生まれる前から本に囲まれ、シュゼットが生まれてからは、毎日毎日本を読み聞かせられていた。優しく、おっとりとした穏やかな母の声が。
オモチャを与えられるよりも前から絵本を与えられ、本を大切にすることを教えられて育った。
シュゼットの母は優秀な人で、近隣の国の言葉を解し、外国の本も読み聞かせてくれた。
悪いドラゴンが聖なるドラゴンに退治される話。白鳥になる呪いを掛けられた姫が呪いを打ち破る話。人間に知恵を授けるドラゴンの話。遠い異国の冒険譚。可愛らしくてイタズラ好きな妖精や小人達の話。意地悪なドラゴンの話などを毎日・・・
そんなある日、シュゼットの母は交通事故に遭い、帰らぬ人となってしまった。
当時四歳程だったシュゼットには、母親がいなくなった理由がわからなかった。
母が急に姿を消して寂しかったシュゼットは、本棚から本を引っ張り出して広げた。母が、いつものように読み聞かせてくれることを待って・・・
けれど、本を広げて幾ら待っても、母はシュゼットの下へ現れてはくれなかった。
見兼ねた侍女が「読んで差し上げましょうか? お嬢様」と言ったが、シュゼットは首を振った。シュゼットは、母を待っていたのだから・・・
そして、じっと本を見詰めていたシュゼットは、思い出した。「シュゼットちゃん、早く自分で本を読めるようになりましょうね。そうすれば、きっと今より、もっともっと本が大好きになりますよ」と、本を読み聞かせながら優しく微笑んで母が言っていたことを。
母はきっと、自分が単語だけでなく、既に文章を読めることを知っていたに違いない。
単語を指差して読むと母は決まって、「シュゼットちゃんは賢いですね。すごいですよ。偉いです」と喜んで誉めてくれた。
だからきっと、「今度は、シュゼットちゃんが自分一人で読んでご覧なさい」ということなのだ。
そう思ったシュゼットは、本を読んだ。母が読んでくれた本を、一人で読み切った。
もう少し大きくなってから、と部屋にあった少し難しい本を、一人で読んだ。
そうして、部屋に置いてあった本をどんどん読んで行き、とうとう全てを読んでしまった。
けれど、母は現れてくれなかった。
それでもシュゼットは、本を開き続けた。
朝から晩まで、一日中ずっと。毎日毎日。
そうやって、母が現れるのを待ち続けて本を読むシュゼットを不憫に思った父は、シュゼットを図書館へと連れて行くことにした。
幸いなことに、シュゼットはずっと本ばかり読んでいてとても物静かな子供だったので、父の業務の邪魔にはならなかったから・・・
父に連れられて図書館で過ごすようになったシュゼットは、次第に本へとのめり込んだ。
本を読んで、文字を追っていると、時間を忘れた。その間は、母がいなくても寂しくなかったから。
朝から晩まで図書館で過ごすシュゼットには、本を読む時間がたっぷりとあった。そして、本を読み続ける根気と、集中力も。
小さな身体で、ずらりと並ぶ本棚から本を引っ張り出し、時には大人に本を取ってもらいながら、片っ端から本を読んで行き、五歳の半分を過ぎる頃には、図書館に置いてある閲覧に指定の入る本以外を、おおよそ読んでしまった。
この時点ではまだ、シュゼットがちゃんと本を読んでいることに気付いた大人が、どれだけいたのかはわからないけれど・・・
そうやって、いつものように図書館で本を読んでいたある日のことだった。
図書館に、どこか浮世離れした妙齢の女性が、とても旧い本を持ってやって来た。
シュゼットは最初、その女性に全く気付かず、黙々と本を読んでいた。
けれど、その女性がシュゼットに気付いた。小さな手で大きくて重く、古い本の厚いページを捲り、藍色の瞳がその文字を追っていたことに。
「あらあら、それはもしかして・・・古代文字ではありませんか! 驚きましたわ。お嬢さんは、そんなに旧い言葉が読めるのですか?」
声を掛けた女性に気付かず、シュゼットは大きな本から顔を上げることもなかった。
「まあまあ、凄い集中力ですこと! 小さなお嬢さんは、とても勉強家ですのね。ごめんなさいね? お邪魔するつもりは無いのですよ」
女性は気を悪くした様子もなく、微笑ましいという視線をシュゼットへ向けた。
「失礼しますね」
そして女性は、シュゼットの隣に並んで座り、旧い本を広げたのだった。暫くして、
「・・・やっぱり、難しいですわ」
溜め息混じりの呟きが落ちる。
旧い本を広げたはいいが、そこに記されている言語はとても旧く、辞書や参考文献を捲りながらでも、その意味を読み取ることが非常に難しい。それでも本を見詰めていると、
「・・・じゃりゅうに、ついて?」
ぽつんと、小さな声が読み上げた。
「え? お嬢さん、これが読めますの?」
驚いた女性が、大昔の旧い文字を読み上げた小さな女の子へと視線を向ける。
「とびとび、ですが。読める部分はあります。古代文字のくずし文字と、しんせー言語がまざってます。しんせー言語は、むずかしいです」
「まあまあっ、素晴らしいことですわ! では、読める部分の意味だけでも教えてくださいな」
「わかりました」
わからない単語があって飛び飛びではあるが、シュゼットは一生懸命に書いてある文字を読んだ。
その内容は・・・
『――邪なる竜について――
人間の子らよ。
其方らが、我に討伐を請い願うアレについて、少し語ろう。そして、己が行いを顧みるがいい。
アレは・・・性格は非常に難があるが、それでも災禍を齋す程の兇悪さはない。
存外知られていないアレの趣味は、造園だ。
人間の子が好んで足を踏み入れぬ荒れ野を自ら切り拓き、耕して土壌を整え、種を植え、水を撒き、一から草木を育てることを得意としている。
そして、アレの育てていた草木の中に、偶々人間の病に効くものがあった。
アレが丹精籠めて作りし植物には、通常で育った植物よりも滋養や薬効成分が高い。
人間の子らは、それをアレに無断で奪い、アレの庭を踏み荒らした。
それでも、アレは幾度かは我慢したそうだ。
然れど、人間の子らは節度を知らず、我が物顔で庭を荒らし、アレの育てた草木を根刮ぎ摘み盗り、奪い、挙げ句の果てにはアレを邪竜と称し、忌み嫌うようになった。
己が大事にしているモノを寄越せと、土足で棲み処を踏み荒らし、剣を向けて来るモノへ、相応の対応をすることが悪事と呼べようか?
其方らは、侵略者へ黙って宝を差し出すことを是とするか? 全く抵抗はせぬと言うか?
そして、アレが度重なる人間の子の奪略と敵意に辟易し、「こんな場所、もう要らぬ」と余所へ移れば、やがて草木が枯れ、獣が湧いた。
それを、人間の子らはアレが呪いを掛けたのだと、我に言った。
しかし、それは順番が違う。元々荒れ野であった地をアレが開墾し、世話をしていたのだ。その、世話をする者自体がその地を見捨てたのであれば、荒れ地に戻るが道理。獣も単に、アレを畏れて避けていたに過ぎぬ。アレが去れば獣も戻ろう。
更には、竜退治の英雄という称号欲しさにアレを追い回せば、返り討ちにされて当然であろう。
そのようなことが幾度となく繰り返されれば、アレが自らを邪竜を称するようになり、人間の子を疎むのも無理はなかろう。
然れど、アレは積極的に其方らを害そうとは思っていまい。
人間の子らよ。今一度問おう。
それでも、我にアレの討伐を願うか?
よく考えるがいい。
――聖なる竜の言葉より――』
当時のシュゼットには、旧い文字で記された内容を読み解くのは難しかったが、邪竜と呼ばれている存在の、それまでの価値観がひっくり返るような衝撃の内容だった。
聖竜は、人間の為に邪竜を退治した存在だと、昔から伝えられている。
どんな物語でも、邪竜は悪者で、英雄とされた人間や聖竜に倒されたり追い払われたりしている。
けれど、この旧い本には、それまでの邪竜像とは全く違うことが記されていた。
確かに、邪竜退治の話には、薬草や花畑などの記述は多い。そして、邪竜が去ると、どんなに世話をしようとも、その地は荒れ果てると伝承にはあった。それが、邪竜の呪いなのだと。
けれど、この聖竜の言葉だという記述は、全てをひっくり返すものだった。
拙くはあるが、シュゼットは一生懸命女性へとその内容を伝えた。
「あらあら、まあまあ、驚きの内容ですこと! これは、今までの価値観が覆される大発見ですわ。・・・ああ、いえ、だから、でしたのね。わかりましたわ。この本が隠されていた理由が・・・」
女性は納得したように頷くと、にっこりと優しくシュゼットへと微笑んだ。
「ねえ、賢いお嬢さん。どうでしょうか? この本を解読するのを、手伝って頂けませんこと? わたくし達の、神の家で」
「?」
きょとんと首を傾げたシュゼットへ、
「見たところ、お嬢さんは本がとてもお好きなようですし、わたくしの住むところには、沢山の本がありますの。どうでしょうか? お嬢さん」
女性は言い募る。と、
「ねえ、そこのシスター? 親のいる子供を、保護者の同意無くして勝手に修道院に連れ去る行為ってのは確か、ボクの記憶だと、誘拐って言う立派な犯罪行為だったと思うんだけど? 違ったっけ?」
横から可愛らしい声が掛けられた。
「それとも、いつの間にか教義か法律か風習が変わったことを、ボクが知らないだけかな?」
目深に被ったフードの小柄な体躯。見えない顔の上半分。しかし、その口元は弧を描き、ニヤニヤと辛辣に嗤いながら言い募る。
「まあ! いいえ、違いますわ。わたくしとしたことが、気が急いてしまいましたわ。いけませんわね。まずは保護者の方の同意を得るべきでしたわ。ご忠告大変感謝致します。申し訳ありません、お嬢さん。わたくし、今日はこれで失礼致しますわね? では、またお会い致しましょう」
修道女と呼び掛けられた女性はハッ! としたようにシュゼットへ頭を下げ、旧い本を閉じると、そそくさと立ち去った。その後ろ姿へと、
「ったく、あんな黴臭い本をちみっ子に読ませてンじゃねーっての。ちみっ子ってのは、病気になり易いんだゼ? 馬っ鹿じゃねーの」
不機嫌に吐き捨てる可愛らしい声。
「?」
訳がわからなくてぽかんとするシュゼットへ、その人物は訊いた。
「ねえ、小さなお嬢さん。君は、パパやママと別れてまで、沢山の本がある修道院に入りたい?」
先程とは打って変わった優しい口調に、シュゼットはふるふると首を振った。
「・・・ママは、てんごくに行っちゃったんです。だから、わたしまでいなくなると、パパがさみしがると思うんです。だから、行けません」
一年以上前には、わからなかったこと。けれど、図書館に置いてある、おおよその本を読めば、理解する。
さすがに、悟る。
シュゼットの母が、もう帰って来ないことを。
そして更に、シュゼットまでがいなくなれば、父は酷く悲しむであろうことを。
「それは・・・悪いことを聞いちゃったね。ごめんね、お嬢さん」
シュゼットが首を振る。と、
「けどまぁ、とりあえずは大至急手洗いとうがいだねっ☆ちみっ子は免疫力低めだし」
その人物に抱えられてお手洗いへ連行された。そして、念入りに手洗いとうがいを済ませると、
「すいませーん、この子誘拐されかかってたんですけどー、保護者の人呼んであげてくださーい」
カウンターへ連れて行かれ、あれよあれよという間にシュゼットは、父の下へ保護された。
「パパと離れたくないなら、グラジオラスのお城へおいで。それじゃあ、またね? 本好きのお嬢さん」
その人はシュゼットに小さく囁くと、大人達が騒いでいる間にいなくなった。
読んでくださり、ありがとうございました。
ドラゴンの記述が長いですね。
次回、Ⅳへ続きます。