ドクター・エスの場合。上
不快に思う表現があります。
ダリア・コレントは自身に降りかかった理不尽に対し、酷く憤慨していた。
一週間前に突然、父が旅行をしようと言い出し、ダリアとお供の侍女をこの辺境地に先行させた。そして、馬車で移動。グラジオラス辺境伯領へ到着すると、馬車は両親を迎えにとんぼ返り。
それから三日後。ダリアと侍女が予約してあった宿に滞在して家族を待っているときだった。
宿代が三日分しか支払われていないという手違いが発覚。すぐに実家に手紙を送ったはいいが、手紙の往復には数日を要する。その間の宿代は後で支払うと言っているのに、従業員がわからず屋で、後払いは絶対に認めないと言い張った。
結果、ダリアは警邏隊に保護されることとなった。そして、更に屈辱だったのは・・・
警邏隊の猿みたいな平民が、ダリアのような貴族令嬢を一堂に集め、言ったこと。
ダリア達が捨てられたなど、意味がわからないことを言っている。
確かに、他の令嬢はそうなのかもしれないが、ダリアだけは違う。ダリアがこんなところへいるのはなにかの間違いに決まっているというのに、生意気な平民が、道を選べなどと言って、言語道断なことを強要しようとしている。
ダリアには婚約者が決まっていて、一年半後には結婚式を挙げる予定だ。
結婚してしまえば、家族水入らずでの旅行などできないと言われ、その通りだとダリアも思った。だから、こんな辺境にまで来てあげたというのに、出だしから散々な旅行だ。
両親も来ないし、もう早く帰りたいと思い手紙を出してから、既に数日が経った。だというのに、なぜか実家に連絡が付かない。
両親はなにをしているのか・・・
このまま実家の方へ連絡が付かなければ、少々気まずい思いをすることになるが、婚約者に連絡して迎えに来てもらった方がいいかもしれない。
こうしてダリアは、恥を忍んで婚約者へ連絡を取ったのだが・・・
返って来たのは、意味不明な返事。
ダリアとの婚約は既に破棄されており、彼の家はダリアとは…コレント家とは、無関係。という、信じられない内容だった。
だって、婚約は向こうから打診して来た話で、家格もコレント家の方が格上だ。
なのに・・・
意味がわからない。
そして、警邏隊の平民達が、早く道を決めろとダリアを急かして来る。
付いていた侍女は、婚約者からの手紙が来て後にダリアの下を去った。
警邏隊の平民に、自分のことは自分でしろと言われた。意味がわからない。
ダリアは貴族の…伯爵家の令嬢だ。そんなことができるワケがない。
意味がわからない。警邏隊の者は平民のクセに、貴族のダリアに無礼なことばかりを強要する。
悲観して泣くなど、ダリアはそんなみっともない真似は絶対にしたくない。
そして、このままではダリアは、修道院送りになるらしい。警邏隊の平民が言っていた。
そんなの、冗談じゃない。絶対に嫌だ。
なんとかしなくてはいけない。
けれど、どうすればいいのかわからない。
焦って、苛々する。
平民の暮らしや、修道院など真っ平だ。
と、考えて・・・ダリアは、猿のような平民が言っていたことを、思い出した。
貴族の暮らしがしたいなら、貴族へ嫁げばいい。それは道理だ。そして、警邏隊や騎士団にも貴族出身の者がいると言っていた。警邏隊の、誰が一番身分が高いと言っていたか・・・ちゃんと聞いていなかった自分が恨めしい。
だからダリアは、貴族出身の者を呼びなさいと命令した。そして、「保護された迷子に付き合っている程暇ではない」と一蹴された。
そんな巫山戯たことを言ったのは、男爵だか子爵辺りの身分の低い男だという。
憤慨して警邏隊の詰所に乗り込めば、邪魔だと追い返された。伯爵令嬢のダリアに、なんて酷い扱いをするのだと抗議をすれば、「コレント元伯爵令嬢だろう。今のお嬢さんは、単なる孤児だ。警邏隊の職務の邪魔をするというのであれば、保護どころか、公務執行妨害で引っ張ってもいい。刑務所に行くか? 元お嬢様」と、脅された。
警邏隊という職業を笠に着た、なんたる横暴。きっと、伯爵家のダリアに嫉妬しているのだろう。
このグラジオラス辺境伯領の警邏隊は、酷く野蛮だ。こんな連中は、ダリアに相応しくない。
もっと身分が高くて、ダリアのことを公正に見てくれる人を早く探さなければ・・・
ということでダリアは、この辺りで一番身分が高くて、けれど今のダリアでも会えそうな人物の下へ向かうことにした。
彼は変人だからお勧めできない。と、平民は言っていたが、それを決めるのはダリアなのだから。
※※※※※※※※※※※※※※※
そして、ダリアがやって来たのは病院。
侯爵家の関係者だという件の男性は、ユルいウェーブの掛かったアッシュブラウンの長い髪を首の後ろで括り、琥珀の瞳をした妖艶な…女性的ではなく、男性的な色香漂う美貌の紳士。噂に拠ると、彼は四十は既に越えているそうだが、その見た目は三十代前半程で若々しい。
そして、未だに独身。非常に大事な情報だ。
ダリアは彼の様子を観察し、窺っていた。
年齢を聞いたときには無しだと思っていたが、見た目は合格。むしろ、悪くない。
ダリアの元婚約者よりも身長が高く、とても見目麗しい顔立ちをしている。
医者というのも悪くない。稼ぎは大事だ。
しかし、問題は問題だが・・・
こんな条件の良い男性が、未だに独身でいる理由。ダリアはそれを、観察していて判った。
妖艶な美貌の紳士は・・・
「ああ、そこのあなた。そう、あなたです。あなたは美しい×××をしていますね。どうでしょう? 今からワタシの部屋で語らいませんか?」
と、病院に出入りしている人達を、麗しい美貌で熱っぽく、熱心に口説いていた。
それも、老若男女関係無く・・・
老若男女、一切関係無く!!!
女性は勿論だが・・・それが老婦人や男性、老人でも、それも、身分も構わずにっ!?
・・・つまり、彼が未だに独身だというのは、そういうことなのだろう。
まあ、浮気性の殿方を支えるのも女の甲斐性だという。男性にも・・・という殿方も、いるということは知識としては知っていた。
最初から、そういうものだと割り切ればいいのだ。どうせ、元婚約者とも元々愛情など、最初から持ち合わせていなかったのだから。
貴族としての暮らしができるのならば、あの彼でもダリアは構わない。顔は、物凄くいいのだから。
こうして相手を観察しつつ熟考したダリアは、彼の医師へとアタックすることにした。
「エステバン・グラジオラス様ですわね?」
「ええ。どうされましたか? レディ」
柔らかく微笑んだ妖艶な美貌が、ダリアを見下ろした。だが、その琥珀の視線は舐めるようにダリアの全身を観ていることが感じられた。
これなら行けるかもしれない、とダリアは思う。少々はしたないとは思うが、手段など選んでいる場合ではない。既成事実を作って責任を取れと主張し、彼へ結婚を迫ればいいのだ。
「その、実はわたくし、エステバン様へ大事なお話がありまして・・・」
恥ずかしげに視線を落とし、告げる。そして上目遣いで彼を見上げれば・・・
「成る程。大事な話ですか。わかりました。では、レディ。ワタシの部屋へ行きましょう」
と、積極的…というか、がっついた誘い。無論、ダリアに否やは無い。
エステバンへ付いて行くと・・・
「診察室、ですか?」
「ええ。ワタシの診察室です。どうぞ、遠慮無く上がってください」
ダリアは整形外科の診察室へと通された。
「それで、レディ。大事なお話とはなんでしょうか? どこか不調がお有りで?」
そういえば、彼は医師だった。拍子抜けだ。
「あ、いえ、そういうことではなくて・・・その、エステバン様、わたくしとけ」
「ハッ! そうですか! そういうことですかっ!? いやぁ、それは大変嬉しいですね! では早速、書類を作成しなくてはなりませんね!」
エステバン医師は食い気味にダリアを遮ると、その麗しい美貌を破顔させ、とても嬉しそうに机の抽斗を開けて書類を取り出した。
「ところで、お嬢さんは成人されていますか?」
ふと、思い出したように質問される。
「いえ、わたくしは来年十八になりますわ」
「成る程成る程。では、ご両親の許可を得るか、来年まで待つことになりますね」
「ええ、はい」
当人同士が成人していれば、婚姻に当たっての親権者の同意は必要無い。法律的には。
「とても重大な決断ですからね。大変勇気が要ったことでしょう。感謝します。年齢は、ワタシの方があなたよりも随分と上ですからね。きっと、不安なこともあるでしょう」
ニコニコと上機嫌なエステバン。話がトントン拍子に行っているようだ。
「ええ、はい」
もしかしたら、結婚しろと親族に煩くせっつかれているのかもしれない。
「それでも、ワタシの下へ来て頂けて大変嬉しく思いますよ。例え、ワタシの方が先に死んだとしても・・・まあ残念ながら、可能性としてはその方が高いのですが、然るべき処置や法的手続きなどは、全て完璧に手配してありますからね。あなたが憂うようなことは、一切ありませんよ。どうか、安心してワタシに身を任せてくださいね?」
「はい!」
なんてことだろう? 自分が死んだ後のことまで考えて、既に手配しているとは・・・とても素晴らしい人だ! 未亡人になった途端に侯爵家を追い出される心配はなさそうだ。
実は、エステバン医師は結婚の準備を進めていたが、相手がいなかっただけなのだろうか?
では、この条件は良いが、問題のある貴族の医師はダリアがものにすることに・・・
「ああ、今は契約できませんが、契約書はじっくりと読み込んで、ちゃんと内容を理解しておいてくださいね? 後で契約が違うと言われても困りますよ。これはあなたの、大事な将来・・・死後の尊厳にまつわることですからね」
「・・・はい?」
「病理献体の志願とは、若いのに大変感心なことです。本当に、非常に素晴らしい志ですよ。エンバーミングでの全身献体か、それとも部分的な献体か、はたまた骨にするのか・・・ああ、病理献体と銘打ってはいますが、無論のこと、病人ではない健康な方の献体も、常時大歓迎していますからね♪あぁ・・・考えただけでワクワクしますねぇ・・・ワタシが一番お勧めするのは骨格献体なのですがね・・・」
うっとりと頬を染めた艶やかな表情。極上の麗しき笑みでエステバン医師が言ったことの意味が、ダリアには全く理解できなかった。
「ふふっ・・・肉体という軛より開放されし、神秘の最奥! 奥ゆかしくも美しき純白の骨格! 想像するだけで素晴らしい造形美ではありませんか! どうです? お嬢さんも、そうは思いませんか?」
キラキラと妖しく輝く琥珀の瞳が、ダリアの全身を熱っぽく見詰める。
その視線には、一切の色欲が含まれていない。それを察したダリアは、自分の血の気がサッと引いて行くのがわかった。
読んでくださり、ありがとうございました。
色っぽい展開にはなりません。
無駄に色気のある外見や言動をしてますが、エストはガチの奇人なので・・・
ちなみに、前回ヴィルヘルムがレットに怒っていた原因は高飛車なダリアのせいでした。