ドクター・リドの場合。
不快に思うような表現があります。
ドクターは、大変疲れていた。
このところ、どこぞの元王族の馬鹿が仕出かした後始末に駆り出されているからだ。
ちなみにその馬鹿は、親戚の獣医師に拠って去勢され、修道院に送還済みだ。
その馬鹿のせいでドクターはグラジオラス辺境領内の病院から王都へ呼び付けられた挙げ句、既に二十件の堕胎処置をさせられていた。そして、今週中にまだ三人の手術が残っている。
いい加減領内の病院へ戻りたいというのに、堕胎処置をしなくてはいけない人数が増えて行くのだ。中には、明らかに元王族との間には出来ていない筈の、妊娠期間がおかしい阿婆擦れ女もいるのだが、万が一にもそんなアバズレ共に元王族の子(馬鹿女共が主張しているだけだが)を産ませるワケには行かないと、王室直々の依頼。それを断ることなど、論外だ。
ただで堕胎処置ができると喜ぶ頭の足りないアバズレ共と、そんなアバズレ共とどこぞのクズ野郎共との間に生まれる筈だった命を奪わないといけないことへ、ドクターは大層怒っていた。
けれど、その命を奪う行為が、『将来的な火種を消すのに必要なこと』なのだと理解している自分に対しても・・・
ドクターは疲れたので、暫く仮眠を取ることにした。急患以外で起こすなと言い置いて・・・
・・・・・・・・・
・・・・・・
・・・
「……ドクター、起きてください、ドクター・リド」
ドクターは、眠気を堪えて起きる。
ここはどこだったか? そうだ、わたしは今。王都のグラジオラス邸宅に滞在中だった。
「…急患か? 今行く」
返事をしたドクターはサッと目を覚まし、最低限の身繕いをして部屋を出た。
「いえ、それがその……」
煮え切らない返事の使用人の様子に、ドクターはムッと不機嫌になった。
「急患以外で起こすなと言った筈だ。わたしは、疲れていて眠いんだ。わかっているだろう」
「それは、重々承知です。しかし、お客様がドクターを出せと騒いでいまして」
「・・・誰だ」
低い声で問い掛ける。
「グラノワール公爵のご令息です」
「チッ…仕方ない。出る」
公爵の令息なら、今回の呼び出しの件でドクターへ追加の仕事依頼かもしれないからだ。
そして、階下へ降りて・・・
ドクター・リドは、久々に驚いた。
言葉の通じない馬鹿を久々に目撃したからだ。
ドクターの目の前には、意味不明なことを喚いている青年の姿があった。ドクターはそれを、不思議なモノを見るような目で観察しながら言葉を紡ぐ。
「リディエンヌ嬢を出せ!」
「だから、わたしがリディエンヌだと言っています。用件をさっさと仰ってください」
先程から、使用人共々そう言っているというのに、同じ問答を繰り返している。
「嘘を吐くな! わたしの婚約者のリディエンヌ嬢はお前みたいなみすぼらしい貧相な女などではないっ!? わたしの邪魔をするなっ!?」
使用人達に、屋敷の奥へ行こうとしているのを止められている男。その男をぼんやりと眺め、ドクターはなんとなく思い出した。
「・・・おお、確かそんな者があったような気がするが・・・はて、誰だったか・・・?」
「だからわたしはっ、リディエンヌ・グラジオラス嬢の婚約者、ベリアルド・グラノワールだと先程から言っているだろうっ!?」
鼻息荒く名乗ったのは、確か十年以上前にドクター・リドことリディエンヌ・グラジオラス侯爵令嬢が婚約させられた、グラノワール公爵の次男だか三男辺り? だった・・・ような気がする。
「では、ベリアルド氏。リディエンヌになんの用件だと言うのです?早く仰ってください」
ドクター…リディエンヌは、目の前にいる自分に全く気付かず、『リディエンヌ・グラジオラス』の婚約者を名乗る男を感慨も無く見やる。
自分も彼の存在を忘れていたのだから、お互い様だと思いながら。
「リディエンヌ嬢は、繊細で優しく、可愛らしい令嬢だっ! 幾ら陛下の命とはいえ、あのような悍ましい所業をさせることは間違っているっ! 少しくらい医療の勉強をした女の子に医者の真似事をさせるなど、今すぐやめさせるべきなんだっ!? ああ、可哀想なリディエンヌ嬢・・・あのような恐ろしき所業にさぞや打ち震えていることだろう。彼女は、わたしが守ってやらなければならないんだっ!?」
舞台役者張りに自己陶酔をし、脳内に繊細で優しいというリディエンヌ像を作り上げているベリアルドに、ドクターは精神病を疑い始める。
しかし、国内でも有数の外科医であるドクター・リドには精神病の判断は難しい。専門外だ。
ぶっちゃけ、リディエンヌは彼が言う程繊細でも優しくもないし、可愛げも無い。元王族のやらかした尻拭いの堕胎処置を、『将来の火種を消す為には仕方ないこと』だと割り切ることができる程には、貴族的な考えもできる。
その、リディエンヌが仕方なくやっている命を奪う行為を、『ただで堕胎処置ができる』と喜んで自分に処置を頼んで来る馬鹿な阿婆擦れ共や無責任なクズ野郎共を、赦せるか自体は、別だとしても。
自分の脳内で作り上げている『可憐なリディエンヌ嬢』とやらが如何に可哀想であるかを語り続けるベリアルドに、知り合いの精神科医を紹介すべきかドクターが悩み出したところで、クスクスと笑い声がした。
「「あははっ、やあドクター。困っているようだね? お助けしようか?」」
ユニゾンで応接室へ入って来たのは、この邸宅へ滞在中の、同じグラジオラス姓を名乗る血の繋がらない縁戚の双子だった。
「アウル達か」
「うん。ドクターが眠そうだからね? アウル」
「疲れているなら早く休むべきだよね? アウル」
お互いにお互いをアウルと呼び合う、二卵性だが容姿の似ている双子が、ドクター・リドを困らせているベリアルドへと口を開く。
「全く、婚約者の顔も判らないなんてとんだ婚約者もいたものだね?」
交互に、
「全くだよ。しかも、ベリアルド氏の無知さにはびっくりだ。ドクター・リドの名は、近隣諸国へも鳴り渡る程だっていうのにさ?」
嘲るように。
「それを、少し医療に詳しいだけのお嬢さん? とんだ侮辱もあったものだよ。ホント酷い、酷過ぎる」
ベリアルドを小馬鹿にするようにクスクスと笑う双子を、カッとしたように怒鳴るベリアルド。
「誰が無知だっ!?」
「いやいや、無知にも程がある」
「ドクターが陛下から直々に受けた命令を、やめさせるべきだなんて…」
ふっとクスクス笑いを止めた双子が、
「「反逆罪でも食らいたいのですか?」」
真顔でベリアルドへ問い掛けた。
「っ!? わ、わたしにそんなつもりは」
「つもりが無くても、そう聞こえましたよ?」
「どこに、誰の目と耳があるかわからないのに」
「しかも、ドクターへの命令は密命の筈なのに」
「密命を、大声で言い触らして否定とは…」
「「これはもう、完璧にアウトじゃないでしょうか? ベリアルド・グラノワール公爵令息」」
「っ!?」
そして双子は、
「そして、確か・・・どこぞの貴族の次男が、夢見がちな貴族令嬢の夢を応援してさ」
またニヤニヤと嗤い出す。
「夢に挫折した頃に優しくして、その令嬢を弄んで飽きたら捨てる、だとか」
「そんな馬鹿な遊びの噂を聞いたような?」
「確かそんなクズ男の話を聞いたような?」
「どこの誰だったかな? アウル」
「さてさて、どこの誰かな? アウル」
ベリアルドを見詰めながらニヤニヤと言い募る。
「確か、そろそろ公爵邸を追い出されるとか?」
「ああ、それで婚約者を思い出したのかな?」
「わ、わたしは用を思い出したので失礼する!」
「「ああ、そうそう。このことはグラノワール公爵へ確りとお伝えしておきますね?追って沙汰が下されることでしょう。一番軽い罰で、領地での軟禁生活かと思われます。それでは、ごきげんよう。二度と会わないことを願って」」
「このガキ共がっ!?」
双子へ殴り掛かろうとしたベリアルドは、
「成る程。反逆罪でその罰は軽いな」
ドクター・リドの言葉でサッと青ざめ、逃げるようにグラジオラス邸から去って行った。
「ま、反逆罪っていうのはお茶目な悪戯なんだけど」
「ちょ~っと脅しが効き過ぎたかな?」
「いい薬なのではないか?」
「それもそうだね。婚約破棄は決定で。グラジオラス大公へ報告しなきゃ」
「いいよね? ドクター」
「構わない」
「じゃあ、ドクター。もう寝ていいよ」
「新しい手術は三日後の予定だからね」
「それまでゆっくり休んでね」
「睡眠不足はお肌の大敵だよ?」
と、双子がドクターへにこりと笑いかけた。
「ああ、助かったよ。では、お休み。梟達」
「「お休みなさい、ドクター・リド」」
ドクター・リドは、白衣を翻した。
「まあ、彼にはほんの少し感謝していたがな? 道を、閉ざさないでくれたことを」
小さな呟きが拾われることはない。
ドクターは部屋へ戻って眠りに就いた。その身を、医学へ捧げられることを慶んで。
※※※※※※※※※※※※※※※
「それにしても、あれはヒドいよねー」
「全くだよ。ドクターは実は美人なのにさ?」
ドクター・リドことリディエンヌは、少し長めのアッシュブラウンの髪をひっつめにし、常に化粧っ気が無く、喋り方も無愛想ではあるが、決して貧相ではない。本来は、黒い瞳に冷たい色を宿す美貌の女性。
「寝不足で髪とかぼさぼさじゃなければね?」
「もう少し顔色がよくて疲れてなければね?」
「寝不足がドクターの魅力を下げている」
「過労で倒れないといいけどね」
ドクターが去った応接室で、二人の梟が小さく囀ずりを交わす。
「「とりあえず、婚約破棄おめでとう♪」」
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十数年前。当時十歳の可愛らしい少女だったリディエンヌは、医者になりたいと思った。けれど、リディエンヌの両親は反対した。
それを、婚約したばかりだった婚約者がリディエンヌ嬢の夢を応援すると言ってくれたのだ。
例え、その応援するという言葉が、五歳以上も年の離れた少女へと縛り付けられたくなかった少年の、卑怯な計算だったとしても。
応援という言質を取ったリディエンヌは、グラジオラス本家の大公へ頼み込み、医学を学んだ。
そしてリディエンヌは、グラジオラス侯爵位と領地を賜った。
なにも、武力だけが力ではない。
武門の家には怪我が絶えない。
ドクター・リドの外科医としての腕と名声は、国境を守るグラジオラス家に必要な力だ。
優秀なドクターが存在しているというだけで、精神的な支柱になるのだから。
今更、余所の家になどは渡せない。余所の家の害虫を近付かせてはいけない。
グラジオラス辺境伯領の為に。
そしてなにより、婚姻などよりも、リディエンヌ・グラジオラス本人が医学の道を強く望んでいるのだから。
読んでくださり、ありがとうございました。
前回の後始末を付けさせられているリドよりも双子に持って行かれてますね・・・
ちなみに、リドは学業をスキップしてます。ハイスペックなので。