外交官マーノの場合。上
不快に思う表現があります。
とある宿屋の一室にて。
対面になったソファーの向こう側。
「ああ、マグノリアっ! 無事でよかったっ!?」
「生きていてくれて嬉しいわっ」
「さあ、家に帰ろうか」
涙を流し、口々に再会を喜ぶ中年の男女。
「ああ、マグノリア姉さん。会えて嬉しいよ」
そして、その隣で微笑む青年。
その光景を彼女は、薄い笑みを浮かべて見返す。
「どうした? マグノリア」
「きっと、いきなりのことで驚いているのよ」
「マグノリア姉さんは可愛いな。俺、マグノリア姉さんのこと、好きかもしれない」
爽やかな笑顔で青年が言った。
「あらあら、この子ったらもうっ」
「これから一緒に暮らすんだから、嫌うよりは好きになった方がいいだろう?」
「そうだな。マグノリア。お前さえよければなんだが・・・その、ジーンと一緒にならないか?」
「もうっ、あなたまでそんなことを・・・マグノリア。気にする必要はないわよ? あなたにはちゃんといい人を見付けてあげるから。年齢的にちょっと難しいかもしれないけど、きっと大丈夫よ。安心してちょうだいね? マグノリア」
二人を窘めるように苦笑する中年女性。
彼女がベアトリスと王都へ来て、また王都を出立してより数日後。
どこから嗅ぎ付けて来たのか、街道沿いの宿屋へ彼女の親戚を名乗る連中が押し掛けて来た。
なんでも彼女は、実は生き別れになった彼ら夫婦の姪なのだそうだ。そして、彼女を連れ帰るだとかなんとか・・・そう主張して、宿屋の従業員を説得し、押し通って来たようだ。
そしてこの、大層馬鹿馬鹿しい、お涙ちょうだいの茶番を繰り広げている。
「申し訳ございません。どちら様でしょうか? わたくしには、あなた方のことがわからないのですが。どなたかと、わたくしを勘違いされているのではありませんか?」
彼女は薄く微笑みを浮かべ、彼らへ告げる。
「わたくしは、マグノリアという名前ではありませんわ。マーノ・フェルヴィと申します。あなた方とは、初対面ですもの」
「ああ、可哀想に・・・わたし達のことをなにも覚えていないのか? マグノリア」
「酷い目に、遭ったものね・・・」
「大丈夫だよ。マグノリア姉さん。俺達があなたを守るから安心してね?」
その一家は心配そうな顔をして立ち上がり、マーノの肩へと手を伸ばそうとする。
「やめてくださらないこと? わたくしは、あなた方のことなど知りませんわ。初対面の女性へ触れようとするなど、不躾にも程があります。それ以上近寄るならば、警邏隊をお呼び致します」
マーノは冷たく言い、彼女の親戚だと名乗る彼らへと警告をする。
「そんなっ、マグノリア・・・」
「お前はわたしの兄のグレイワーズ・フェルヴィの一人娘のマグノリアじゃないか!」
「そうだよ。マグノリア姉さん。俺はジーン・フェルヴィ。姉さんのイトコだ。覚えてないの?」
「お前と兄さんは、十二年前に買い付けに行った先で事故に遭った。それで、わたし達はずっとお前のことを探していたんだ。まさか、グラジオラス辺境伯領で外交官をしているとは思わなかったよ。マグノリア、大きく・・・なったんだな?」
「事故のせいで、俺達のこと忘れちゃった?」
悲しげにマーノを見詰め、親類を名乗る一家。
「わたくしの名前は、マーノ・フェルヴィ。両親は既に亡く、親類縁者もございません。わたくしは天涯孤独なので、親戚などは存在致しません」
マーノはキッパリと彼らを否定し、
「そもそも、マグノリア・フェルヴィ嬢は、その十二年前の事故とやらで亡くなっているのではありませんこと? 遺体が見付かっていないのに、さっさと葬儀を挙げたのでしょう?」
とある父娘の話を、にっこりと笑顔で語る。
「グレイワーズ・フェルヴィ氏とその娘。マグノリア嬢が、買い付け先の山間部で事故に遭い、グレイワーズ・フェルヴィ氏は死亡。マグノリア嬢は行方不明・・・でしたかしら? そしてあなた方が、グレイワーズ氏から男爵位とフェルヴィ商会を引き継いだのでしたわね?」
低い温度の声で。
「そして確か、最近王都で騒ぎがあっただとかで・・・密輸入禁止法違反を犯した貴族や商人達が、近々一斉検挙されると小耳に挟みましたが・・・後ろ暗い取り引きをされていた方々は、これから大変そうですわね?」
マーノの言葉に顔色を変えた一家は・・・
「っ…お前にはっ、親族としての情ってものが無いのかっ!? マグノリアっ!?」
「そうよそうよっ!? フェルヴィ男爵家や商会の一大事のときに、なに他人事みたいなこと言って澄ましてンのよこの薄情者っ!?」
「この俺が、アンタみたいな嫁き遅れの年増女を貰ってやるって言ってンだぞっ!? 有り難いと思えよっ!? この堅物地味眼鏡がっ!?」
本性を露にし、口々にマーノを罵る。
「いやですわ。なにをワケのわからないことを仰っているのでしょうか? わたくしは、グラジオラス辺境伯領外交官のマーノ・フェルヴィだと申した筈です。あなた方のことなど、存知ません。外交官であるわたくしに集る気ですか? 全く以て、厭らしい方々ですこと。これ以上騒ぐというのなら、警邏へ突き出しますわよ?」
しかし、涼やかに受け答えをするのは、グラジオラスの優秀な外交官だ。
「っ!?」
「では、お引き取りを」
一家三人へ、マーノは笑顔で出口を示した。
※※※※※※※※※※※※※※※
マーノの親戚を名乗る連中が憤慨しながら宿屋から出て行ったのを確認し、
「・・・いいのか? アレ。マーノ」
ベアトリスはマーノへ確認を取る。
実はベアトリスは、マーノが座っていたソファーの裏側に潜み、連中がなにか仕掛けて来るつもりなら、すぐに動けるよう待機していた。
今回は、なにも食べずに静かに気配を殺して。
「ええ。わたくしには、なんのことだかサッパリわかりませんもの。わたくしは天涯孤独の身の上で、家族や親族など、一人もおりません」
「ふぅん・・・ま、お前がいいならいいさ」
「はい。ところで、ベティ様。お夕食は、なにに致しましょうか?」
「肉ー」
「では、豚の丸焼きを頼みましょうか」
「やったー♪」
にこにこと喜ぶベアトリスを見て、マーノは胸をきゅん♡とさせた。
親戚を名乗る連中がいる間、ずっと冷えた気配を纏っていたマーノがやっと笑顔になったことで、ベアトリスも少し安心した。
※※※※※※※※※※※※※※※
その夜。
宿の客がひっそりと寝静まった深夜。
マーノの泊まる部屋へ、侵入する影が二つ。絞ったランプの薄明かりが仄かに部屋を照らす。
二つの影はそっと足音を殺すように移動すると、寝台の膨らみへ影の一つがのし掛かる。
「・・・」
そして、
「静かにしろ」
押し殺した低い声。
「お前が悪いんだ。マグノリア」
「そうそう。アンタみたいな嫁き遅れを、この俺が貰ってやるって言ってンだからさ? 責任はちゃんと取ってやるから、喜びなよね」
昼にマーノの親戚を名乗っていた親子が、厭らしくマーノを見下ろしていた。
マーノはそれを睨むように見上げ、枕の下へ手を入れると、常備してあるモノを掴み、
「・・・」
躊躇うこと無く、イトコを名乗る青年の足へと強く突き刺した。
「ぎゃーーっ!?」
「なっ、どうしたっ!?」
上がった息子の悲鳴に、その父親が息子を覗き込むと、その足には万年筆が刺さっていた。
「五月蝿くて耳障りな声ですこと。全く」
冷ややかな声。
「安眠妨害も甚だしい。他の方々へ迷惑ですわ。闇討ちや夜這いなら、もっと静かに行うべきではありませんか」
そして、暗い中にぼんやりと浮かぶ白い指先がくるくると弄ぶのは、鋭い筆先をした万年筆。
「ああ、言い忘れていましたが、この万年筆には、毒を仕込んでおりますの」
「毒っ!? ヒィっ!?」
「お前はなんて酷いことをするんだっ、マグノリアっ!? 見損なったぞっ!?」
足を押さえてヒィヒィ言う息子に、その父親が血相を変えてマーノを責める。
毒を仕込んでいるのは、マーノが指先で弄んでいる方の万年筆なのだが。
「これはまた、異なことを仰いますのね? 婦女子の部屋へ深夜に、それも暴行目的で訪れておいて、よくもそのような世迷言が言えますこと。呆れますわ。それに、わたくしは外交官ですもの。闇討ち、暗殺、ハニートラップを常に警戒し、自衛手段を常備しているのは当然のことでしょうに? では、警邏をお呼び致ましょうか」
「なんだ、殺さないのか? マーノ」
割り込んだのは、のんびりした女声。
「なっ、誰っ! ヒッ!」
「ええ。宜しいのです、ベティ様」
マーノは彼女の叔父を名乗る男の背後から、その背中へと音も無く抜き身の剣を突き付けていたベアトリスへと答えた。
「だって、殺してしまったら、これから先の転落人生を眺めて愉しむことができませんもの」
にっこりと、それはそれはイイ笑顔で。
マーノ・フェルヴィは優秀な外交官で、国外へ出て様々なモノ達と戦うことを許された、非常に優秀なロディウスの教え子でもある梟だ。
読んでくださり、ありがとうございました。
今回はマーノさんです。