騎士爵ベアトリスの場合。下
不快に思うような表現があります。
騎士爵位を持つベアトリス・グラジオラス卿は、元は農民だった。
更に言うと、グラジオラス領民ですらなかった。もしかしたら、元は外国にいたのかもしれない。
彼女は、元の出身地を覚えていない。
今から三十年程前。彼女は、あちこちを旅する賢者と呼ばれている人物に拾われ、旅をしてグラジオラス辺境伯領へとやって来た。
それ以前の彼女は・・・
幼い頃の記憶は、常に空腹。お腹を空かせて、ひもじい思いばかりしていた。
彼女は、人口四十人程の鄙びた貧しい寒村に生まれた。
おそらくは乳児の頃から大食漢だった彼女は、貧しい村の食料事情を圧迫し、大食らいの仔熊と呼ばれて疎まれ、常に口減らしの有力候補の対象だった。
彼女に家族の記憶は無く、彼女に与えられるのは、食事ではなく餌だった。
人の何倍も食べるのだからと、村人から牛馬のような扱いを受け、餌だと言われて少量の食料を放り投げられる日々。
少量の餌では満足できず、常に飢えていた彼女。そして、口減らしの有力候補。
そんな日々の中、彼女はとある理由から、いつもギリギリで口減らしから逃れていた。
彼女が非常に頑健で怪力だからと、村の者達は害獣や盗賊退治に、幼い彼女を使うことを思い付いたからだ。
鄙びた寒村の住民達は、幼い彼女へ剣を持たせ、一人で戦わせた。
そして彼女は、害獣や盗賊を退治した前後には、お腹一杯に餌が食べられるのだと学んだ。
そんなある日、彼女は怪しいローブ姿の一人の旅人と出逢った。
「のわっ!? なんだこのちまい子供はっ!? ん? 剣を持った、幼子・・・?」
森の中を一人で歩いていたローブ姿のひょろい人物を捕まえ、彼女は聞いた。
「とうぞく?」
「は? いや、わたしはただの迷子の旅人だが」
引っ張ったローブからフードが脱げ、艶やかな金色の髪が零れ落ちる。
「・・・とうぞく、ちがう。えさ、ない」
彼女は、とてもがっかりした。
ここ暫くの間、害獣や盗賊が全く出ていなくて、彼女はとてもお腹を空かせていた。
ぐぅ~と、悲しげに鳴るお腹。
「なんだ? 子供、腹が減っているのか」
彼女が頷くと、
「ほれ、食べるといい」
その旅人は、彼女が見たことの無い、けれどとても美味しそうな匂いのする物を差し出した。
「・・・いい、の?」
彼女は、慎重に旅人を伺う。
彼女は、村の大人から食べることを厳しく制限されていたから。彼女が、与えられる分量以上の食料へ手を付けると、暫くの間、彼女の餌が減らされる。
餌が減ると、とてもひもじい思いをして辛い。彼女は、それを警戒した。
「うん? 要らんか?」
「たべる!」
旅人が引っ込めようとしたそれを引ったくるようにして奪い、口に入れた瞬間、
「っ!?!?」
口の中に広がった甘さに彼女は身悶えた。
「お、おい、どうした? 大丈夫か? 子供?」
感動にぷるぷると打ち震える彼女を、心配そうに覗き込む旅人。
「ぉ、おいしいっ!!!」
「そ、そうか? ・・・もっと食べるか?」
「たべるっ!?」
旅人が差し出したのは、穀物とドライフルーツを蜂蜜で和えて固めたグラノーラバー。
一本で大人が半日程は動けるという携帯食料。
彼女はそれを、バリバリと貪った。
「もっと!」
「ほう、まだ腹が減っているか。よし、もっと食べていいぞ?」
旅人は笑いながら、次々と彼女へ食べ物を差し出し・・・彼女はそれを、夢中になって貪った。
「もっと!」
「すまないな? 残念ながら、今ので終わりだ。もう食料が尽きてしまった」
そしてとうとう、彼女は旅人が持っていた食料の全てを食べ尽くしてしまった。
「ぅ・・・」
彼女は、食料が尽きたという旅人の言葉に血の気が引き、顔を青くする。
食料が尽きるというのは、とても恐ろしいことだから。それも、彼女が全て食べてしまった。「食料が尽きる前に、あの仔熊は殺すべき」そう、村の偉い人が話していたことを思い出した。
「ごめん、なさい・・・ころさないで、ください。いっぱいはたらきます。から、ころさないで」
ガクガクと怯えて震える小さな彼女を見下ろし、旅人は怒りの表情を浮かべた。
「・・・幼子に剣を持たせ、野盗の類を払っている集落がこの辺りにあると聞いたが・・・」
鈍く光る金色の瞳。
「おねがいします、ころさない、で」
「子供。名はなんという?」
「? なまえ? こぐまって、よばれてる」
「仔熊? ・・・それは名ではあるまい。全く・・・では、子供。お前は男か? 女か?」
「おんな」
「そうか。・・・あまりかけ離れた名では、名と認識するのは難しいだろうか? ふむ・・・では、今からお前の名はベアトリスだ」
「べあ、とりす? わたしの、なまえ?」
「そうだ。わたしの食料を食べた分、お前にはたっぷりと働いてもらうからな? さあ、付いておいで。ベアトリス」
旅人は、彼女へ手を差し伸べた。
※※※※※※※※※※※※※※※
「おなかすいた。えさ、ほしい。けんじゃさま」
ベアトリスがそう言ってローブの裾を引くと、賢者がとても嫌そうな顔をした。
「ベアトリス。違う。餌ではない。お前が食べるのは食事だ。せめて、ご飯かおやつと言え」
「ごはん? おやつ?」
「そう。食事。ちゃんとご飯と言わないと、お前にはやらんぞ? わたしが作るのは、料理だ。お前が食べるのは、断じて餌ではない」
「ご、ごはん! ごはんほしい!」
「よし、いい子だ。では、食事を食べるときには、なんと言うんだったか?」
「え、と? い、いただき、ます?」
「宜しい。では、食べてよし」
賢者は、ベアトリスへ食事を与えることを嫌がらなかった。それどころか、食料を食い尽くしたベアトリスを疎みも、厭うことすらしなかった。
食料が尽きたからと、食べられる野草や動物を狩って調理し、ベアトリスへ食べさせてくれる。
最初に餌じゃない、温かいご飯を食べたベアトリスはとても感動した。
そして、賢者の分まで全て食べてしまった。怒られると思って身を固くしたベアトリスを、賢者は怒らなかった。それどころか、足りないならもっと作ってやるから手伝ってくれと笑った。
賢者がベアトリスへくれる物は、どれも食べたことのない美味しい物ばかり。
ベアトリスと名付けられた彼女は、賢者と出逢えたことを慶んだ。
正直、ベアトリスと名付けられた彼女には、賢者の言うことは難し過ぎてよくわからない。
けれど賢者は、村の人達のように、ベアトリスを飢えさせることはしない。
そして、いい子だと、頭を撫でてくれる。村の人は、彼女へ触ることを嫌ったのに。
ベアトリスは、賢者のことを大好きになった。
しかし賢者は、ベアトリスへ働いてもらうと言ったのに、彼女はまだなにもしていない。
それが、とても気になっている。
「けんじゃさま。あたし、はたらいてないのに、ごはんたべていいの?」
「そうだな。お前には、我が領地に着いてから沢山働いてもらうさ。それまで、わたしと勉強しよう」
「べんきょー?」
「そう。お前くらいの幼子が、通常であれば知っている筈のことを、お前はまだ知らないからな? まずは・・・とりあえず、見知らぬ人間を見掛けたら盗賊かどうか聞くのをやめろ。無礼だ」
「? わかった」
こうしてベアトリスは数年後、賢者へ連れられてグラジオラス辺境伯領へやって来た。
※※※※※※※※※※※※※※※
そして彼女は、グラジオラス辺境伯領へ帰還して城代となった賢者へ庇護され、ベアトリス・グラジオラスとして十年間を城で過ごした。
その間に武術を学んだ彼女は、元々の体質も相まってめきめきと強くなり、やがて最年少で騎士爵を賜った。その食費を、グラジオラス辺境伯領の公費で賄われながら・・・
そんなある日、ベアトリスは賢者へ呼び出された。
「さて、ベアトリス」
「なんだ? 賢者様」
「十年経ったので、わたしはまた旅に出る」
「? それで?」
「次の十年は姫が城代となり、城を治める」
「姫、様?」
「まあ、彼女はわたしの・・・姉妹のような者だ。そういうワケで、留守を頼む」
「嫌だ! あたしも一緒に!」
「駄目だ。お前は有名になり過ぎた。連れては歩けん。それに・・・実は今度、とんでもなく美しい子供が城へと連れて来られるらしくてな?」
「は?」
「自衛できるよう、鍛えてやれ」
「賢者様?」
「特別な子供が大変だということは、お前がよく判っているだろう? ベアトリス」
「・・・わかった」
「いい子だ。では、姫の言うことをよく聞いて、わたしが帰るまで、我が領地を守ってくれ。姫の次の城代が少々・・・いや、かなり心配ではあるが・・・」
賢者とそう約束したベアトリスは、その後に城へやって来て城代となった姫の言い付けを守り、とんでもなく美しいという子供を鍛えたり、強くなりたいという女の子を弟子にしたりと、グラジオラス辺境伯領で過ごした。
そしてベアトリスは、今日もグラジオラス辺境伯領を守る為に働く。
偶にグラジオラス辺境伯領から離れたりもして。
読んでくださり、ありがとうございました。




