娼館番頭ヘリオトロープの場合。下
ヘリオトロープ・タロッテ。
タロッテ男爵家擁する国営娼館、サロンの統括責任者で、常にヴェールで顔を隠した貴人。
その素顔は傾国の美貌と謳われており・・・
純銀を紡いだかの如く輝く銀髪に、透き通るような白磁の肌。切れ長の瞳は紫がかった灰色の、とても神秘的な印象のスモーキーなアメジスト。滑らかな頬に、高くもなく、低くもない通った鼻筋。ほんのり赤みを帯びた麗しい唇。細い顎。
彼は、傾国の美貌と称されるに相応しい、とびきり美しい男性だった。
男性とは思えない程の麗しい美貌に、すらりとした細身の体型。男性にしては少し高めの滑らかなアルトの声。男の格好をしても尚、匂い立つ色香は、彼を男装の麗人のように見せている。
中性的且つ、男も女も関係無く虜にしてしまうような、圧倒的美貌。それが、ヘリオトロープを表すに相応しい言葉だった。
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ヘリオトロープ・タロッテこと、ヘリオスはグラジオラス辺境伯領から、王都のとある子爵家へ嫁いだ女性の子供として生まれた。
彼は、生まれた頃から美しかった。
成長するにつれ、その美しさには磨きが掛かり、絵画から抜け出た天使のようだと噂され、齢三歳にして彼は外を出歩けなくなった。
彼の、その麗しくも美しい愛らしさに、他の貴族から養子縁組の申し込みが殺到。
そのときは、グラジオラス大公が全てはね除けてどうにかなった。しかしその後、犯罪紛い、または犯罪そのものの手段で彼を手に入れようとする者も出現し始め、誘拐未遂、脅迫、家への不法侵入などが彼の家の日常になり・・・
様々なことが積み重なった結果。彼の両親は、彼を王都で育てることを断念し、四歳の彼をグラジオラス城塞へと送り出した。
幸い、幼い頃の壮絶な日々を彼はあまり覚えておらず、更に幸運なことに、グラジオラス城塞には奇人変人ばかりが住んでいて、彼の美貌はグラジオラス城塞の人間達には一個性として扱われた。
けれど、彼のその傾国の美貌を危惧したグラジオラス大公と彼の両親は、彼が自らその身を守れるよう、剣や格闘技を厳しく仕込むことに決めた。
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それから、グラジオラス城塞で成長したヘリオス少年は・・・非常に不満に思っていた。
同じ師に剣を習っている妹弟子のアイラや、グラジオラス城塞へ勉強しにやって来ている変人達は自分の意志でやりたいことを決めているというのに、ヘリオスは自分が特に好きでもない武術を、無理矢理仕込まれているからだ。
ヘリオスよりも先に、護身術として武術を習っている年上の少年達よりも、ヘリオスは既に強い。だというのに、これ以上の武術を希望していないヘリオスを鍛えることを、師匠がやめてくれない。
近頃は、特に面白くなかった。
好きでもない剣を、妹弟子のアイラに負けたからといって、師匠に叱られた。「お前、アイラに負けてるようじゃ、この先やってけないぞ。もっと真剣にやれ」と。
それが気に食わず、「なら、辞めてやる」と言ったら、益々叱られた。
ヘリオスには、武術を辞めることが許されないらしい。グラジオラス大公が決めたことなので、ヘリオスのやる気がどんなに無かろうと、師匠に無理矢理鍛練に引っ張り出される。
動かないで師匠の攻撃を避けなければ、一方的にボコボコにされる。師匠の一撃は大層重く、手加減されていても、当たると凄く痛い。とても、とても面白くない。
ちなみに、ヘリオスとアイラの師匠は、甲冑を着てランスを構えた重装備の男を、素手で簡単にボッコボコにできるというか弱い女性なので、逆らえる人が非常に少なかったりする。
か弱いが聞いて呆れる…など、軽々しく言ってはいけないのだ。確かに、師匠は燃費が悪過ぎて空腹で動けなくなることがあり、そのときだけはか弱いのだが・・・
人体解剖図や医学書をじっと真剣に見詰める少女や、馬の絵を描いたり蹄鉄を集めている少年。一人でグラジオラス城塞の中をずっとうろうろしている怪しい少年などなど・・・
ヘリオスより年上の変人達は、それぞれの学びたいという分野の勉強をとても楽しそうに学んでいて、彼らが羨ましくてしょうがない。
けれど、ヘリオスには特にしたいことが無い。そこまで打ち込める好きなことが無かった。
だから、そんなこんな状況が重なったヘリオスは、輪に輪を掛けて色々なことが楽しくなかった。
そんなある日、
「じゃ、お兄ちゃん城見学の旅に出るわー」
と、ヴァルク少年が他三名の少年を連れてグラジオラス城塞を突然出て行った。
ヘリオスは城下に出ることさえ許されていないのに、ヴァルク達は呆気なく外へ出て行った。
それから、何度か彼自身が書き溜めた図面を置きにグラジオラス城塞へと戻って来て・・・そのときにヘリオスは、ヴァルクへお願いした。自分も外へ連れて行ってほしい、と。
ヴァルクは渋っていたが、ヘリオスは必死に頼み込んで、なんとか同行をOKしてもらった。
そして、この外出がヘリオスが後に女装を始める切っ掛けとなった出来事となった。
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「いーい、ヘリオスー? 知らない人に付いてっちゃ駄目ー。知らない人に連れてかれそうになったら、兎に角大声か大きな音を起てることー。知らない人に話かけちゃ駄目ー。困ってるような人がいても、ヘリオスは絶対助けちゃ駄目ー。ヘリオスは細い道に入っちゃ駄目ー。ヘリオスは外国人に近寄っちゃ駄目ー。変なことされそうになったら、相手をぶん殴ってでも逃げることー。あとは・・・迷子にならないでよねー? ほら、フードちゃんと被って顔隠してよヘリオスー」
やたら細々と注意をして来るヴァルクを若干ウザいと思いつつ、ヘリオスはわくわくしながら城下へと降り立った。
このとき、ヘリオス少年十二歳。
自分の美貌を全く判っていなかった彼はこの日、軽く地獄を見ることとなった。
集団の少女達に取り囲まれて服を剥かれそうになったり、年上女性や粗野な野郎共へ貞操を狙われたり、ヘリオスを巡って決闘や乱闘が起きたり、子供を使ってヘリオスを油断させた外国人に誘拐されそうになったり、ヘリオスを狙った国際的な人身売買組織の一員が摘発されたりと・・・
兎に角、城下へ降りてから町を歩いて、たったの半日足らずで、ヘリオス少年は人間不審になるには十分過ぎるような目に遭った。
ヴァルク達に助けられてグラジオラス城塞へ帰るまで、ヘリオスはずっと放心していたという。
後に、ヴァルクは語った。
「やー、凄かったわあれー。ヤバいヤバい。俺あんな殺気立った町見たの初めてよー? それにしてもさー、前から思ってたけど、ヘリオス顔はものっそい美人なのに、中身は案外普通だよねー」
無論、ヘリオスは心底へこんだ。
落ち込んでいるヘリオスに、医学を学ぶ少女は頭蓋骨の標本を手渡し、「人間など、一皮剥けばこうなる」と言い、馬好きの少年は「馬と触れ合え」と言って乗馬服をくれ、「ほら元気出しなよー。俺のお宝分けてあげるからー」城好きの少年はそう言って図面をくれた。他にも、変人達が思い思いの物をヘリオスへくれた。
乗馬服や食べ物、実用品以外は、貰った物が全く嬉しくなかったが、ヘリオスは少しだけ慰められた気がした。
そして、武術へと打ち込んだ。
師匠やグラジオラス大公の意向が全く間違っていなかったことを悟り、自分で自衛できるようになろうと、死に物狂いで自身を鍛え上げた。
結果、ヘリオスは王立騎士団で十指に入ると噂されているアイラ・グラジオラスに勝てる、数少ないうちの一人になった。実は同門の師匠を持つ妹弟子だったりするのだが・・・
その間にユレニア・タロッテがグラジオラス城塞へ連れて来られ、案外面倒見の良いヘリオスへユレニアが懐いたりもして・・・
こうして少年時代を過ごしたヘリオスは、ある日グラジオラス城代の姫に言われた。
「タロッテの娼館で働け」
「は?」
「他領の貴族や、他国の王候貴族からも、ヘリオトロープ。君への縁談、養子縁組、果ては愛人契約をしたいとの申し出が山程来ている」
「は? いや、姫様?」
「全員、君の性別には拘らないそうだ。一々上手く断るのも面倒でな。だから君は、誰にも手に入れられないような存在になるといい。それに、君が女性嫌いになってしまったように、高級娼婦の彼女達も、基本的には男嫌いが多い筈だ。安心するといい、ヘリオトロープ」
「なんでそんな場所に」
「数年前。私の許可無く城下へ下りた君が、自分で蒔いた種だ。幼少期から麗しいと評判だった天使を探している連中に、グラジオラス城砦が知られた。そろそろ、自分でどうにかしてみろ」
「・・・わかり、ました」
こうしてヘリオスは、ヘリオトロープ・タロッテとして娼館の管理を任されることとなった。
「やー、ヘリオス元気ー? お兄ちゃん、無期限で城から外出禁止になっちゃったー。ま、お城に住めるのは嬉しいんだけどねー?」
へらへらとヴァルクが言い、入れ代わりに城を出られることになったヘリオスは、彼の事情を聞いて、とても複雑な気分になった。
「・・・いや、兄じゃないし」
「えー、俺親戚のお兄ちゃんよー? まー、いいけどねー。娼館の管理するヘリオスにアドバイスしたげるねー? 女は女装した男は対象外でー、男は綺麗過ぎる女には手出しを躊躇うんだってー」
「・・・なにそれ?」
「女から襲われなくなるかもよー? って話ー。まー、頑張ってねー。ヘリオスー」
へらへらしたヴァルクの言葉は半信半疑で、試すには非常に勇気を要したが、彼の言葉通り、女装したヘリオスへ無理矢理言い寄って来る女はほぼいなくなった。そして、男も・・・
それからヘリオスは、親しい人の前以外では女装をし、ヴェールを被ることにした。タロッテの娼館管理者、ヘリオトロープとして。
ヘリオトロープは国営娼館の管理者となり、サロン・クレマチスを国際的な社交場へと作り上げた。その情報収集能力で、自国と他国の権力者達へ多大な影響力を及ぼし、自身の価値を高めた。王族にさえ、手出しを躊躇わせる程へと。
初めて他国の王族からの縁談を自力で袖にできたとき、ヘリオトロープ・タロッテは、自分自身の身を守れることを慶んだ。
ちなみに、ヘリオトロープは至ってノーマルなので、女装は自衛の為にしているだけだ。その美貌が衰えたら、喜んでやめようと思っている。
そして、傾国と称される自分の美貌へ関心を持たないグラジオラスの変人達を、愛している。
だからヘリオトロープは、今日も情報収集へと余念がない。グラジオラス辺境伯領と、自分の身を守る為に。
読んでくださり、ありがとうございました。
ヘリオは、超絶美貌ですが、中身は案外普通の人だったりします。
そして、武術は自衛の為に努力して、死に物狂いで強くなりました。
ヘリオがユレニアの面倒を一番見ていたのは、まともな同年代や年上の子供がいなかったからです。変人ばっかりで・・・