80/0/0.不穏
「いやぁー、この国とっても広いねぇー!」
腹が満たされたミミズは、街中を散策する事にした。
メテルをほったらかしにしているが、夕暮れ前に最初の宿に戻れば大丈夫なはず。
これは決して非行などではない、国のお勉強だ。
お勉強なら仕方ない、うん。
「ミミズさん、あの時計塔が見えますか?あの時計塔は、国ではなく町として機能していた時から造られ、まだ赤の国と呼ばれる前の昔の時代からあるんです。」
ミミズの隣から声が掛けられる、アイラだ。
教会を出る前、アイラが国の案内をさせて欲しいと申し出てきた。
まだ来て間もないミミズにナビゲーターがいると心強い、潔く承諾した。
ミミズはちらりとアイラを見つめる。
肩にかかるほどの長さに整えた、少し傷んでいるがふんわりとさせた紫色の髪、そしてシミ一つない赤い制服を着たアイラがいた。
アイラは、不幸であれど己の色を受け入れる選択をしたのだ。
十数年前より虐げられてきた色の差別、それなのに、それを赦し、共に歩むことを決めた。
とっても強い少女じゃないか。
その代わりといってはなんだが、髪を自前の櫛で整え、制服のシミの色を抜いて不純な色は何処にもないだろう程完璧にピカピカにしてあげた。
制服姿なのは、アイラの通う帝国戦士というこの国の兵士を養育する学校での決まり事らしい。
ミミズはアイラの指差した先にある時計塔に視線を向ける。
赤いレンガで円状に建てられた、高さはあるがこぢんまりとした時計塔だ。
まだ生きているらしく、長針が刻通りに刻まれている。
今では帝国の中枢にある立派な赤い城がこの国のメインとなっているが、昔、町と呼ばれていた頃はこの時計塔がシンボルだったのかもしれない。
そういえば。
この国は一体誰が治めているのだろう?
思えば、この国に着いてからというものの、長の話を聞いていない。
まぁ、ミミズには政治といった堅苦しいものはわからない。
固いのは干し肉だけで十分だ。
他のものはメテルにあげればいい。
己の中で自問自答を繰り返していると、一つの露店が目に入った。
生活にあると便利な小道具を主に売り出しているようで、手鏡や櫛などが揃えてある。
「ねぇアイラちゃん、あそこ寄っていい?」
「はい、構いませんよ。」
「やったー!」
アイラからお許しが出るや否や、嬉しそうに駆け足で露店に向かっていった。
アイラからしてみれば自分は案内人なのだ、断る道理もない。
この旅人、ミミズさんはとっても、面白い。
まだ会って間もないが、人と話す時や、行動を起こす時、そして食事を取る時、全てに対して一生懸命なのだ。
一体、何が彼女をこうして何事も楽しく行動出来るようにしているのだろうか。
アイラは苦笑いを浮かべながら、ミミズの後を追う。
ミミズは、一本のスプーンを手に取り、唸っていた。
そういえば、さっきもスプーンを取り出していた。
手品の小道具なのだろうか。
スプーンをしばらく眺めていたミミズは、その後溜息をつきながら頭を垂らし「たかい…」と呟き、残念そうにスプーンを元の位置に戻した。
「ミミズさんはスプーンが好きなんですか?」
「うん!大好き!スプーンを集めるのが趣味だったり!」
金銭を入れているであろう袋を取り出し、中身を確認しながらミミズは返答した。
何かはわからないが、スプーンにこだわりを持っているのかもしれない。
そうして、ミミズは決心したらしく、「これ下さい!」と元気に言いながら商品を指差した。
「あれ?」
アイラが疑問の声を上げる。
ミミズが指差したのは、先程の手に取ったスプーンではなく、丸みを帯びた赤色の可愛らしい櫛だったからだ。
精算が終わったミミズは、その櫛をアイラに突き付けた。
「これ、プレゼント!」
「わ、私にですか?」
「櫛持ってなかったでしょ?折角可愛いのに手入れしなきゃ勿体ないよ!」
アイラは、自分の身だしなみなど、気にした事がなかった。
結局はどんなにおめかしをしても、色の前には畏怖の眼差しを向ける者には映えないからだ。
でも、今はどうだろう。
折角自分の色を受け入れたのだ、可愛がってもいいのかもしれない。
アイラは、素直にミミズのプレゼントを受け取り、「ありがとう、ございます」と礼を言う。
まだぎこちないが、はにかんだアイラの表情は柔らかくなった気がする。
「えへへー、どういたしまして!」
そう言ってにししと笑うミミズは、露店から離れる。
ふりふりと揺れるふわふわの尻尾を生やしたミミズの背を見ながら、アイラは両手でミミズに貰った櫛を覆い、心の中で再び感謝を贈った。
アイラは気付いている。
ミミズの買った櫛のお金があれば、気に入ったスプーンが買えただろうに。
この人はなんて優しいのだろう。
貰った櫛を制服の胸ポケットにしまい、ミミズの後を追う。
その時。
ミミズの足がピタッと止まり、不意の行動にアイラは思わずぶつかってしまう。
何事だろうかと見てみると、ミミズの前に赤い甲冑を身に纏った者が五人程立ち往生していた。
アイラは、この者達が何者かを知っている。
「帝国戦士…。」
帝国戦士、この国を守る兵士だ。
帝国戦士の役割は、帝国戦士になる為の学校で候補生の教育、国で起きる犯罪事に対する治安維持や対応、そしてこの国を阻害する脅威との争いの為の国の盾になる事等、様々である。
そんな帝国戦士が何故、目の前に居るのだろうか。
そうして、ミミズと先頭に立つ帝国戦士の視線が交差した時、帝国戦士の重い口が開かれ、こう述べた。
「お前が白き獣人の旅人だな?」
白き獣人の旅人。
そんな特徴だらけの珍しい人物に、アイラは一人だけ心当たりがある。
それは、目の前に立つミミズだ。
しかし、何故帝国戦士がミミズさんを訪ねたのだろう。
その答えを、帝国戦士は言葉を続かせ、言った。
「貴様がこの国の者に暴行を行ったという発言を受け、貴様を拘束、尋問せよとの命令が下された。大人しく拘束させてもらう。」
どういう事なのだろう。
ミミズさんは何も悪い事をしていない筈である。
だって、今まで私と一緒に――――。
そこで、思い当たる。
出会う前、ミミズさんが助けてくれた時。
私を襲った人物。
帝国戦士に依頼を掛けたのは、間違いなくあの男だ。
それでは、ミミズさんに拘束の命令が出された原因は、私のせい?
慌てて帝国戦士に弁解を行おうとして口を開いた時、ミミズさんに声を掛けられた。
「アイラちゃん、君は何も悪い事をしていないよ。」
「でも…っ!」
でもそれは私が原因で起こした問題です、そう言おうとして、ミミズさんに人差し指で口を塞がれる。
「大丈夫、あの人達の狙いは私。だから、アイラちゃんは見逃してもらえる筈だよね、事が起こったらすぐに立ち去ること!」
「え?」
ミミズさんはそう言って帝国戦士の方に顔を向ける。
「そこのは悪魔の子か。そいつは仲間か?」
「いやぁー、丁度すれ違った人に案内を頼んでみました!みたいな?」
「ふざけているのか?まぁいい、こっちへ来い。」
「あ、ちなみに悪魔の子って言ってましたけど、君達より礼儀正しくて、可愛くてまるで天使のよう――――」
「早く来い!!」
ミミズさんの言葉を断ち切り急かす帝国戦士に、やれやれと言った感じに首を竦め、帝国戦士の方に歩き出す。
どうしよう、どうしよう。
ミミズさんを助けなきゃ。
パニックで頭の回転が悪くなる。
何か、私に出来ることは――――
「おい待て!!」
その時、怒涛の声が上がった。
驚いて声の正体を確認すると、帝国戦士がいた。
しかし、ミミズさんは居なかった。
帝国戦士の視線を追ってみると、狭い路地に逃げるミミズさんの背中が見えた。
帝国戦士の命令を無視する事は反逆とみなし、重い罪に掛けられる。
それを、ミミズさんは破ったのだ。
でも、ミミズさんらしく思う。
恐らく、このまま国を発つのかもしれない、もう会えないかもしれないのに、別れの挨拶も、しっかりとしたお礼も言えていない。
しかし、今は、どうか無事に逃げて欲しいと願う。
先程のミミズさんの言葉を理解した私は、呆気に取られた帝国戦士をちらりと見て、この場を立ち去る事にした。
「おや、帝国戦士サマ、悪魔を一匹取り逃しているじゃあないですか?」
立ち去る為に振り向いた私の前に、赤い制服を着た男が立っていた。
ボロボロの包帯の巻かれた鈍色の髪に、濁った赤色の瞳。
知っている。
その敵意の眼差しは、いつも私を監視している。
この瞳を、向けられると、身体が強張り、動けなくなる。
「ストレイド様!申し訳ございません…!」
一人の帝国戦士が男に走り寄り、頭を下げる。
ストレイド様、と呼ばれた男は帝国戦士の下げた頭を見下しながら腕を組み、口を開いた。
「そこの悪魔も同罪として拘束して下さい、あぁ、罪はあの逃げた子狐の反逆の分も付けといてね。」
「は…っ!承知致しました!」
その瞬間、私の身柄は拘束される。
男が、拘束された私の顎を無理矢理上げる。
「くく、いいご身分だなァ。あぁ?」
「く…ッ!」
「なんだよその眼は?まぁいい、せいぜい重い罰を受けろよ、悪魔の子。」
男はそう言い放つと、帝国戦士に「連れていけ」と指示を出し、帝国戦士はその言葉に頭を下げ、私を乱暴に連れていく。
。
そうして私は、中枢に聳え立つ赤い城に捕えられた。
=====
悪魔の子と呼ばれる忌み子が赤い鎧を纏う屈強な帝国戦士達に連れていかれている。
その様を見ながらニヤニヤと笑う男がいた。
ついに、ついに!
悪魔を捕らえたぞ!
ははは!ざまあみろ!!
散々俺を馬鹿にした代償だ!!!
「罪は重いぞォ…、そうだな、悪魔なんだから火炙りとかにされねぇかなぁ…、ククッ!」
帝国戦士に命令し、私利私欲に罪無き少女を罰する男。
この男。
この男こそ。
エイル=ストレイド。
この国を幾度と救い、英雄と呼ばれた帝国戦士を束ねる長である父を持つ者。
帝国戦士は逆らう事など出来はしない。
あの白い獣人を捕えられなかったのは腹立つが、大勢の帝国戦士に巡回要請もしたんだ、時間の問題だろう。
エイル=ストレイドは、卑しい笑みを止ませること無く、悪魔の子の連れていかれる城へ向かう。