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2017年/短編まとめ

浴槽に沈められないボクの死体

作者: 文崎 美生

死にたい、と呟くことがあったとしても、それを実行に移す人間は少ないと思う。

寝坊したから死にたい、とか、仕事で失敗したから死にたい、とか、言うけど実際死ぬ人間はいない。

所謂命がいくつあっても足りない状況だ。


華の金曜日、略して華金。

湯船に少し熱いお湯を張り、あぁぁ、とオッサン臭い唸り声を上げながら沈んでいく。

週末ということで、疲れ切った体が休養を必要としているために、瞼が重い。


疲れた、死にたい、眠い、死にたい。

酷く単調な思考で、自身の命が酷く軽いものだと理解していた。

いや、少なくとも、死にたいと言うだけに飽き足らず、首を吊ったり高いとこから飛び降りたりもしたので、口だけではなく、命を軽く扱っている。


鼻までお湯に沈めて、ぶくぶく、ごぽごぽ。

瞼は既に落ちきっていて、真っ黒で真っ暗だ。

かつて、首吊りや飛び降り以外にも、入水なんてこともしてみた。

因みに今現在も生きて、息しているのは、通りすがりのダイバーに助けられたからである。

なんて小説的と笑ったのは、過去の話。


ぶくぶく、ぷはっ、一度顔を上げて空気を取り込む。

入水と言えば、太宰治だろう。

人間失格が有名なところで、中学時代に読んだが、とても好きな作品である。

まぁ、あれは作品に書いてあったもので、実際には睡眠薬を飲んで海岸に倒れていたらしい。

入水では、なかったと。


その後は、入水心中という形でお亡くなりになったそうだが、太宰治が好きなら皆が皆羨ましく思うのではないだろうか。

少なくとも、ボクは羨ましいと思う。

一緒に水の中に沈み、青の棺桶に二人揃って包まれるのならば、幸せだろうと。


ぶくぶく、ぼこぼこ、上半身を完全に湯船の中に倒して、水泡を大量に生み出していく。

基本的に入水を考えると、足が向く先は海だ。

あの広くて深い青に沈んで、それこそ海の藻屑になれたのなら、この上なく幸せな死だろう。

なので、湯船に沈んで死ぬなんて、ましてや全裸で死ぬなんて恥ずかしくて出来ない。


「ちょっと、生きてる?」


ぶくぶく、水泡の音の隙間に、聞き取りにくい、輪郭のぼんやりとした声。

薄く薄く目を開く。

生憎、金槌で泳げなくて、更には水でもお湯でも海水でも関係なく、液体の中で目を開けない。

薄らと開いた先でも、直ぐに目が痛くなり、ぎゅうっと瞑り直す。


湯船の中で手を伸ばし、浴槽の縁に置かれているであろう手を探し、掴む。

華奢で全体的に細い手だ。

強く掴んで、これまた力任せに引く。

自分の方へ引けば、当然相手の方は、浴槽に、湯船に突っ込むことになる。


ザブンッ、とお湯が波打ち、ザバザバと大きな音を立てて流れていく。

目が痛いのを我慢して、開けてみる。

そこには、目を見開いた幼馴染みがいて、眼鏡の位置がズレていた。


目が合うと、見開かれた目が更に見開かれて、目玉が落ちてきそうだ。

薄らと開いていた自分の目も、ちゃんと開いて、緩く唇の端を引き上げれば、幼馴染みの形の良い眉が歪められ、水泡が増えていく。


ぶくぶく、ぼこぼこ、二人分の水泡が浮かんでは消えていくのを見ながら、手を離してやった。

すると、当然離された手を確認した幼馴染みが、直様浮上する。

ぷはっ、と空気を入れ替えるための一呼吸が聞こえて、ゆっくりとボクもまた、体を起こす。


沈んでいても、お風呂に入っていたのは事実で、服は着用していないボク。

それに対して、タイルの上で小さく噎せては、水の滴り落ちる髪を掻き上げる幼馴染みは、しっかりと服を着用していた。

今日は白いシャツに、百合のレトロカメオの付いたループ帯を引っ掛けて、黒のパンツスタイルだ。

細身でシャープで、美人で綺麗な幼馴染みぴったりの服装だったが、濡れたせいで台無しになっている。


「……水も滴る、何とやら」


浴槽の縁に顎を乗せて呟くと、タイルの上に座り込んだ状態の幼馴染みが、こちらを睨み上げる。

眼鏡は押し上げられ、正しい位置にあった。

実際、容姿は整っていて、美人とか、綺麗とか、そういう褒め言葉の似合う幼馴染みだ。

だから、そこに水がプラスされたのなら、水も滴る何とやら、ピッタリだと思う。


「アンタ、巫山戯るのも大概にしなさいよ」


ぎゅうっ、と髪の毛とシャツの水気を絞りながら、厳しい言葉を吐き出す幼馴染み。

決して巫山戯てるつもりはなかった。

しかし、何事に置いても、感じ方や受け取り方はひとそれぞれだ。

本人が巫山戯てなくとも、相手にそう取られればそれまでなのかも知れない。


「大丈夫、だーいじょーぶ。こんな所で死ぬつもりは無いから」


んはっ、と変な笑い声を漏らせば「当たり前じゃない」と言われてしまう。

ついでに、続いた言葉は「アンタの死体、誰が片付けると思ってるのよ」だったけれど、それは本気じゃなくて冗談なのをボクは知っている。


溜息を吐く幼馴染みは、透けたシャツを見下ろして、また、溜息を吐く。

幸せがその唇から零れ落ちていくのを見て、その分、ボクが深く息を吸い込む。

白いシャツが透けた先にあるのは、薄グレーのチューブトップだった。


細工の効いた下着でもなければ、少女チックなキャミソールでもなかったのだが、まぁ、良い。

別にそういう趣味でもないので。


「はぁ。取り敢えず、逆上せる前に上がりなさい」


面倒そうにそう言って、立ち上がる幼馴染みは、完全に前髪を掻き上げた状態だった。

同様に、ボクの頭に手を置いて、前髪を掻き上げて出て行こうとする幼馴染みを見て、ボクは湯船から手を伸ばす。

先程とは違い、馬鹿みたいな力は入れない。


振り返った幼馴染みは、訝しげな顔をして、首を軽く捻っていた。

「何、上がるの?」なんて問い掛けには、首を横に振って答える。

生憎、それ相応の羞恥心くらいは持ち合わせているので、弛んだ体を見せ付けるつもりはない。


「ねぇ、今度、湖にでも行こうよ」


海の方が好きだけれど、とは言わない。

川よりも海の方が好きだし、泉よりも海が好きだし、湖よりも海が好きだ。

プールよりも海が好きで、無駄に人の多い夏の海よりも、人の少なくて静かな冬の海の方が好きだ。


勿論、幼馴染みという立場上、それなりに付き合いの長い幼馴染みは、それを知っているので、片眉を上げてみせる。

「妙な気まぐれね」と言うが、それは湖だからなのか。

それとも、外に出ようという積極性を見せたからなのかは微妙なところ。

もしかしたら、どっちもかも知れないが。


細くて白くて、骨の形が良く分かる手首に触れたまま、緩く口角を上げる。

指先を軽く動かせば、血管のある場所まで分かって、何だか奇妙な感覚。


「山奥の、人気の少ない湖。探しておくから、楽しみにしててね」


たまには気分と趣旨を変えて、海じゃなくても良いのかも知れない。

少なくとも、家の風呂場、浴槽よりはマシだ。

一人より二人の方が、確実かも知れない、口の中の呟きは、幼馴染みには届かないけれど、手の甲を撫でて笑う。


次の瞬間には、頭の天辺を平手打ちされて、浴槽に沈められそうになったけれど、湖は諦めない。

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