人は皆、生まれたその瞬間から死へ向かって生きている。
目が覚めると春の匂いがした。
苦しくなる。
この季節特有の魔法だろうか。
さて、学校へ行く準備をしなくては。
「おはよー!」
「おはよう」
みんなの笑い声で溢れた世界。
ここでは今日もみんな生きている。
授業中も
休み時間も
なんてことなく生きている。
私も最近までは何となく生きていた。
死なんて意識しないまま、ただ当たり前のことのように。
私が死を意識し始めたのは半年前の出来事まで遡る。
-半年前-
私はある日部活中に頭を打った。
何ともなかったが、念の為ということで病院へ検査しに行ったのだ。
結果、大事には至らないけどしばらく安静に。
はい。
診察室から出て、外へと続く廊下を歩く。
結構大きな病院で、いろいろな患者がいた。
その中で1人の男の子を見つけた。
クラスの男子とは似ても似つかないほど、おとなしそうで、気品があるような。
その男の子はロビーの椅子に座り、1冊の本に目を通していた。
…。
ばっちり目があった。
き、気まずい。そんなにガン見してたかしら。
「となり。空いてますよ」
「え。あ!!はい。」
隣に腰掛ける。
うー。えーと。何を話したらいいのだろう。
「君。名前は?」
「相川美穂です。」
「なんで病院に?」
「部活で、頭打って。検査しただけ。」
「…そう。」
水野くーん。まーたこんな所で本読んで!早く部屋に戻りなさい
看護師さんが声をかける。
水野くんっていうのか。
「美穂ちゃん。またね」
そう言って階段へと歩いていく。
私は無言で頷くことしかできなかった。
水野くんが見せた少し笑った顔。
…かっこいいかも。
それから私はいつも水野くんの事を考えていた。
(まるで、恋してるみたいじゃない)
一目惚れ?
もう一度会いたい。その思いが強かった。
気がつくと病院へと脚が向いていた。
病院に入ると、ロビーに彼がいた。
前とは違う本を読んでいる。
「こんにちは。覚えてる?」
「美穂ちゃん?また頭打ったの?」
なっ!?そんなにドジじゃないわ!
思った事は口に出せなかった。
恋なのかもしれない。一目惚れなのかもしれない。
「水野くんはなんで入院してるの?」
「小さい頃から呼吸器官が弱くてね。大したことじゃないんだけど、念の為。」
「そう…なんだ。」
「ねえ。外の話聞かせてよ」
そう言って水野くんは本を閉じた。
いろいろな話をした。
学校のこと、家族のこと、友達のこと。
自分のことについてが1番盛り上がった。
盛り上がったと言っても、ほとんど私が一方的に話していたのだが。
それでも水野くんは時々笑ったり、真剣に聞いてくれていた。
「あら?水野くん。今日は調子がいいのね」
1人のお婆さんが声を掛けてきた。
「はい。友達が来てくれていますから」
「適度に休憩しなさいねえ」
「はい。」
お婆さんがゆっくりゆっくり歩いていく。
「いつもは具合悪いの?」
思わず聞いてしまった。
聞いてしまってから後悔した。
聞いてもいいことだったのだろうか、と。
「春だからね。憂鬱になるだろう?
春は好きだけど、苦しくなるよ」
「なぜ?」
水野くんが微笑しながら首を傾げた。
「なんでだろうね」
水野くーん。そろそろ検診だから部屋に戻っておいてー。
「また呼ばれちゃった」
残念そうに口を尖らせる。
「またきてね。美穂ちゃん。」
君に名前を呼ばれる度に心臓が跳ねる。
ずっと一緒にいたいと思ってしまう。
(そういえば下の名前知らないな…)
階段を登っていく彼。
どんな名前なのだろうか。
今度きいてみよう。
次の日も美穂は当たり前のように病院へ向かった。
病院に入ると、珍しく水野くんがいなかった。
今日は検査かな?
私は、以前水野くんが読んでいた本を開いた。
あの後、私は水野くんに少しでも近づきたくて、図書館で同じ本を借りてきたのだ。
『人間とは』
そう書かれた表紙。恐ろしく分厚い。
私は普段あまり読書をしないのだ。
分厚い本には耐性がない。
(読み切れるかなぁ…。)
水野くんとの話題が増えるかもしれない。
それはとても嬉しいことだ。
頑張って読もう。
「美穂ちゃん」
思わず本を隠す。
「水野くん。こんにちは」
「今日も来てくれたんだね」
君に会いたくて。なんてね。
言えるわけないけど。少しは頑張らないと。
「水野くんこそ、いつもここにいていいの?」
水野くんはふふっと笑って
「美穂ちゃん。人生自分のやりたいことやらなきゃ。
人は皆、生まれたその瞬間から死へ向かって生きているんだよ。」
だから生きたいように生きなきゃ
そう言って綺麗な顔で笑った。
あまりにもかっこよくて、見とれてしまう。
「さあ、外の話聞かせてよ」
水野くんはほんとに楽しそうに笑う。
私今日も外の話をした。
水野くんは頷きながら、時々笑いながら楽しそうにしていた。
「美穂ちゃん。僕、明日は少し忙しいんだ。だから来なくていいよ」
そうか。残念だなぁ。
「何か用事?」
「そう。明日だけね。やる事がたくさんあるんだ」
「わかった。じゃあ明後日に来るね」
「ありがとう。またね」
水野くんは手を振って階段を登って行ってしまった。
行ってしまってから、ふと気づく。
(ああ。また下の名前を聞き忘れちゃった)
次こそは絶対に、聞かなきゃ。
翌日、私は水野くんに会えないかわりに、借りてきた本を読んだ。
水野くんも読んでいた本。
『人間とは』
なんてインパクトのある題名だろうか。
水野くんが読んでいた。
その事実だけで、私にとってはとても価値があった。
『人間とは無力なもので、時間の流れには逆らえない。どう足掻いても終わりがくる』
本の最初の一行はこの文だった。
水野くんはこんなに難しい本を読んでいるのか。
きっと頭がいいのだろう。
勉強でも教えて貰おうかな。
…まずはこの本を読み終えなくちゃ。
外が明るくなっている。
(…あ、さだ。)
知らない間に机で寝てしまっていた。
今日は土曜日だ。
水野くんに会いに行こう。
(…今日はいるって言ってたのにな)
病院に入ると、ロビーに水野くんの姿はなかった。
受付に行って聞いてみる。
「…あの。水野くんの病室って…?」
「水野くん?うちは大きな病院だから、水野さんってゆー患者はたくさんいるのよ?」
どうしよう。
下の名前知らない。
「いつも本を読んでいて、あの、えっと。
これです!この本を読んでいた男の子」
私は『人間とは』を取り出し、みせた。
「あら?ああ!しょうまくんのことね!あなたのお名前は?」
「相川 美穂です。」
「水野くんから聞いているわ。彼なら202号室よ」
?
なにを聞いたのだろうか。
…そうか。水野くんは、しょうまくんって言うのか。
どういう漢字を書くのだろう。
水野くんにきいてみよう。
202号室。
ここ…だよね?
2回ノックをしてドアを開ける。
しょうまくん。
君の名を知ってから初めて会う。
「み、水野くん…」
なぜか名前を呼ぶのを躊躇ってしまった。
いつも見ていた彼よりも、少し顔色が悪かったからだろうか。
「美穂ちゃん。ありがとう。来てくれて」
無言で首を降ることで精一杯だった。
「僕はウサギになった気分だったよ」
「…?どうして?」
「寂しさで死ぬかと思った」
冗談交じりにそう言った。
水野くんの笑顔は少し弱々しかった。
本当に死んでしまうのではないかと思うほど。
「水野くん。私、水野くんのこと何も知らない」
教えて欲しい。
君のことを。
「僕の話なんて退屈だよ。なにも面白い事なんてない。」
やめておきな。
そう言って困ったように笑った。
「私は…、」
「検査が始まる時間だ。美穂ちゃん。………。また今度ね…。」
言葉を遮られた。
いつも一生懸命私の話を聞いてくれるのに。
私は悲しくなって逃げ出した。
次の日、なんとなく病院へ行く気にならなかった。
昨日のモヤモヤした気持ちがよみがえる。
思い出して苦しくなる。
それでも君に会いたくて。
だけど会う気になれなくて。
気分を紛らわそうと『人間とは』を開いた。
読み進めて、読み進めて。
3分の2を読み切った。
そこで日が暮れていることに気づく。
(もう、夕方…。)
窓から西日が差し込んでいた。
頬がオレンジ色に照らされる。
水野くんは今日も元気に過ごしただろうか。
気になるなら会いに行けばよかったのだ。
自分は意気地無しだと思って悲しくなった。
次の日も、その次の日も、私は水野くんに会えなかった。
病院へ向かおうとするものの、建物が見えてくると腰が引ける。
気がつくと、水野くんに会わなくなって、一か月が経とうとしていた。
季節ももう変わる。
私は久しぶりに『人間とは』を開いた。
読んでいると、ある一文に目が止まった。
『人は皆、生まれたその瞬間から死へ向かって生きている。』
水野くんが言っていた言葉だった。
その一文を読んだ瞬間、無性に水野くんに会いたくなった。
会いたくてたまらなくなった。
会ってこの本について話したかった。
水野くんが感じたことを知りたくなった。
明日は絶対会いに行く。
心に決めて眠りについた。
翌日、学校が終わるとそのまま病院へ向かった。
ロビーを見渡す。
水野くんはいない。
病室だろうか。
私は小走りに202号室へと向かった。
ノックをしてドアを開ける。
ドアの向こうは空っぽだった。
誰もいない、空っぽの部屋がそこにあった。
真っ白の壁。
小さな机。
少し乱れたベッド。
そして積み上がった本。
少し乱れたベッドから、さっきまで人がいた事がわかる。
水野くんはどこに行ったのだろう。
私は待つことにした。
待った。
とても長い時間、ベッドの横にある椅子に座って待った。
ドアが開く音がして振り返る。
そこにいたのは水野くんではなく、看護師さんだった。
あのとき、水野くんの部屋を教えてくれた看護師さんだった。
「あら?どうしたの?」
不思議そうに私をみる。
「水野くんを待っているんです。水野くんはいつ戻って来ますか?」
看護師さんは少し困った顔をした。
その顔に不安を覚える。
「水野くんなら、今朝、集中治療室に入ったわ」
世界の音が消える。
なにを言われているのかわからない。
「急に容態が変わったの。大事には至らなかったけど、油断はできないわ。今は薬で落ち着いて眠っているわよ」
自分の指先が冷たくなるのを感じた。
なぜもっと早く来なかったのだろう。
指先とは裏腹に、頭は熱くなっていく。
「私、私は、水野くんのこと…何も知らないんです。今日も、会って本の話をしたいと思って。ただ。それだけで。」
私には何もない。
その事実が胸に刺さる。
「美穂ちゃん。これ…。水野くんから預かったものよ」
看護師さんは茶色い封筒を差し出した。
「水野くん、寂しがってたわよ」
そう言って部屋から出ていった。
私は封筒を開き、中身を取り出す。
手紙だった。
美穂ちゃん。
この前はごめんね。
美穂ちゃんの前では元気な僕でいたかったんだ。
自分のことを話したら、弱くなっちゃう気がしてさ。
本当にごめん。
傷つけちゃったよね。
本当は追いかけて謝りたかった。
でも、最近身体が重くてさ。
人間は時の流れには逆らえないね。
実は僕は元気じゃありません。
見てわかってると思うけど。
美穂ちゃんに、明日は忙しいって言った日あったでしょ?
僕はあのとき大きな手術をしました。
それでも普通の人よりは全然弱い身体のままです。
美穂ちゃん。
もう僕に会ってもらえないんでしょうか?
僕は君の話を聞くのが楽しくてしかたなかった。
君に会えるのが楽しみでしかたなかった。
美穂ちゃん。
僕は君のことをもっと知りたい。
水野 翔馬
目から滴がこぼれる。
黙って、こんな手紙だけ置いて…。
嗚咽が漏れる。
水野くん。
私も君のことをもっと知りたい。
「早く…。戻ってきてっ…。」
寂しさで死んでしまうから…。
それから毎日。
私は病院に通った。
いつ君が目覚めてもいいように、治療室のドアの側で、ただひたすらに待った。
時々、容態が変わることがあった。
その度に、私は泣きながら祈った。
1週間が経って、いつも通り病院へ向かうと。
水野くんが危険な状態だと知らされた。
今日が山場だろう、と。
私が、死を身近に感じた瞬間だった。
私は、何も考えられない頭で椅子に座り、まるで漫画の世界のようだと思っていた。
治療室には、入れ代わり立ち代わり医師が入っていく。
その光景が不安を煽った。
耐えきれなくなって、私は外へ飛び出した。
走って、走って、走って。
病院の敷地をぬける。
人通りの少ない道に来て、私は思いっきり泣いた。
「水野くんっ…。死なないでっ。水野くんっ。」
何度も君の名前を読んだ。
「翔馬くんっ……!」
初めて口に出した君の名前。
空へ叫ぶ。君の名。
あぁ神様。どうか彼が目覚めますように。
私は涙をゴシゴシ拭きながら病院へ向かった。
治療室の椅子に座って、前だけを見て待った。
6時半を過ぎた頃、いつもの看護師さんが来てくれた。
「水野くん。もう大丈夫よ。」
世界に音が戻ってくる。
「回復の兆しがみえてきたわ。もう、大丈夫。」
安心した。
安心した瞬間、力が抜けた。
涙が止まらない。
「よか…ったぁ…。」
看護師さんが抱きしめてくれた。
「水野くんをよろしくね。」
そう言って頭を撫でてくれた。
「翔馬くん!こんにちは」
「美穂ちゃん。こんにちは!」
「今日はリハビリは?」
「そんな事より話したいことがたくさんあるんだ!」
そう言って私に駆け寄ってくる。
病院では走らない!
看護師さんに怒られている。
私のそばに来た翔馬くんは。舌を出しておどけて見せた。
「怒られちゃった」
2人でクスクスと笑う。
「話したいことってなあに?」
目を輝かせながら翔馬くんは口を開く。
「実はねー!僕もうすぐ退院できる事になったんだ!」
目を見開く。
頭が追いついていない。
それでね…。と、翔馬くんは続けた。
「退院したら…僕…と、付き合ってくれないかな?」
なっ…。
驚きのあまり声が出ない。
「ご、ごめん急に。ダメ…だよね…?」
ションボリと肩を落とした。
それを見て思わず笑ってしまう。
「なっ!なんで笑うの!?」
そんなこと…。
私がどれだけ待ったと思ってるのか知らないんだね。
私は翔馬くんに抱きついた。
ダメなわけないでしょう?
end.
二作品目になります。
まだまだ拙い文章です。
この小説は、私が幼い頃、母から聞いた言葉をもとにしています。
人はみんな、生まれたその瞬間から死へ向かって生きているんだよ。そう考えると不思議だよね。
やっと、その言葉を理解できる年頃になりました。
今日も一生懸命に生きます。