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ただのゴブリンじゃ駄目なのだろうか

「ねぇねぇもーちゃん、今、町でいうとどの辺にいるんだろうね」

「……さぁ。そろそろ最寄りのノーソンを過ぎるくらいじゃない?」


 ダンジョンの中は、元はひーちゃんの家だとは思えない程広かった。

 いや、広い、と言うと少し語弊があるかもしれない。

 茶色い壁、同色の地面と天井。

 等間隔に設置してある松明のおかげで随分明るいが、おそらくこれは洞窟と呼んで差し支えないだろう。

 と言っても観光地化された鍾乳洞よりもよっぽど整地されているし、分かれ道も今のところ見つからない辺り、天然の洞窟というよりは人工のトンネルと言ったほうが近いかもしれない。

 多少曲がりくねってはいるものの、道幅はおよそ三~五メートルほどで、ひーちゃんと並んでも余裕で歩くことができる。

 広い、と言ったのは洞窟の幅員もさることながら、長い通路のような道が延々と――かれこれ五分くらいは歩いていただろうか――続いているからだ。


 もちろん、ひーちゃんの家が元々これほど広かった訳ではない。

 五分も歩けば、ひーちゃん家の敷地どころか最寄りのコンビニ、ノーソンで買い物ができてしまう。

 そう考えると、ここは果たして町内地図のどの辺にあたるのだろうか。


 それとも、今僕が背負っている不思議なリュックのように、不思議な力が働いて、ひーちゃんの部屋のドアと異空間をつないだりしているのだろうか。


 ――そんな、取り留めもないことを考える程には、何も起きなかった。


 モンスターもない、罠もない、至って平穏な冒険だ。

 武器も防具も与えられたため、それを使う機会も少なからずあるのだろうと身構えてはいるものの――もっとも、それらしいものを与えられたのはひーちゃんだけだが――、とりあえず現時点ではモンスターどころか昆虫一匹、見かけることはなかった。

 

 ひーちゃんに至っては、隣で楽しそうに鼻歌を歌っている。

 どう見たってお散歩気分だ。

 

 今のところ一番のハイライトというか、気分が盛り上がった瞬間は、ウロボロスという御大層な名の鉄パイプを台座から引き抜く直前だろうか。

 引き抜く瞬間でも、引き抜いた直後でもないのが悲しいところだ。

 

 あるいは、命の危機を感じたという意味では、ひーちゃんがパンツを回収したあの一瞬が一番かもしれない。

 基本的に下ネタ全般に耐性がないひーちゃんは、羞恥心がある閾値を越えると覇王になる、という恐ろしい――もとい、可愛らしい癖がある。

 覇王化したひーちゃんはいつもよりちょっぴり凶暴になる。加えて、そばにいるだけで命を諦めたくなるような覇気を垂れ流したり、おおよそ人間とは思えないような身体能力を発揮したりすのだが、それが生身の生き物に向けられることは滅多にない。


 かく言う僕も、ひーちゃんの身体能力を直接味わったことがある訳ではないのだが、覇王化した余波で損壊した数々の器物をみるに、その殺傷能力は推して知るべき、と言った感じだ。

 そう考えると、帯剣している彼女の横を歩いている、というのは実はそれだけでかなりスリリングな状況なのかもしれない。

 

 ともかく、この平穏は、唐突に下半身丸出しのおっさんでも現れない限り、しばらくは崩されることもないだろう。

 ダンジョン、と言われれば数歩毎ににモンスターとエンカウントしそうなイメージだが、今のところそんな様子は一切ない。

 

「……というかそもそも」

 

 ――モンスターなんて、本当にいるのだろうか。

 

 いや、ここは正直に言おう。

 僕はモンスターなんてかけらも信じてはいない。

 

 ダンジョンは、まあいい。

 実際にひーちゃんの部屋と繋がっているところを見たし、現にこうして探索してる。

 そう言う不思議なモノも、僕が知らなかっただけで現実に存在するのだろう。

 そこは認めよう。

 

「どうしたの、もーちゃん?」

「いや、別に何でもないんだけどさぁ……」

 

 だが、モンスター云々は別だ。

 あれに関しては未だにおばさんの冗談だろうと思っている。

 むしろ冗談であってくれと願っている。

 

 そもそも、現実世界にそんなモンスターや盗賊なんている訳ないのだ。

 いや、世界中探せば盗賊まがいの略奪行為を生業にしている武装集団も普通にいたりするのかも知れないが、そんなことは本質的な問題ではない。

 

 僕が今話題にしているのは、街道で荷馬車を襲ったり、アジトに金銀財宝を貯えこんでいる、「げへへ、こいつはとんだ上玉だぜぇ」みたいな奴らだ。

 もっと千夜一夜物語とかに出てきそうな感じのあれだ。

 あとモンスターだ。


 そんな危険な生物、現代社会に、とりわけこの平和な日本にいるはずがない。

 いたら公安と猟友会が黙っちゃいない。

 

 百歩譲ってそんなファンタジーな奴らがいたとして、仮に今この場に出て来られたとしても、僕らにはそれをどうする事も出来ない。

 最近はやりのweb小説じゃあるまいし、聖剣貸してやるからそれで倒せだなんてどう考えても無茶な話だ。

 ましてや鉄パイプで倒せだなんて正気を疑うレベルだ。どんな御大層な名前がついていても建材のポテンシャルなんてたかが知れている。

 日本人の高校生を何だと思ってやがる。

 

 だから、物語的には山も谷もない平らな洞窟をハイキングしているだけの現状に、僕は充分満足している。むしろ、このまま出口まで平たんな道のりであってくれと切望して止まない限りである。


「ねぇねぇもーちゃん、なんか聞えない?」


 ――あるいは、そんな消極的なことを考えていたからだろうか。


「ん? なんかって何……って、これは、誰かの声?」


 洞窟内を反響してよく聞き取れないが、少し甲高い声が複数人分。

 振り返っても誰もいないから、おそらくは前方にいるのだろう。

 あいにく数十メートル先が曲がり角になっており、行く手の先の方まで確認できない。


「確かに、なんかこっちに来てるみたいだけど……。とりあえず一旦止まって、様子を見ようか」

「……うん」


 未知との遭遇に取り乱さずにいれたのは、男の意地か、それとも今にも遭遇しそうな未知の危険性を性格に把握できていないせいか。

 不安そうに僕の布の服の裾を掴むひーちゃんの気配を感じながら、右手に鉄パイプを構える。さすがに、ひーちゃんの方が装備が豪華なんだから頑張れよ、だなんて情けないことは言えない。


「何かあっても、何が来ても、僕がいつもみたいになんとかするから。ひーちゃんは後ろに隠れてて」

「……うん。ありがと、もーちゃん」


 声はどんどん近付いてくる。

 ギャッギャッ、という甲高い声は、話し声というよりは鳴き声のような感じだ。

 願わくば、モンスター役を与えられた声優のお兄さんたちが役作りのために洞窟をハイキングしてる、といったしょうもないオチがついて欲しいものだが。


 そんなことを逃避気味に考えていると、ついに声の正体が姿を現した。


「な、なんだあれ……!?」


 緑の絵の具にヘドロを混ぜたような色をした皮膚に、小汚い腰巻。

 シルエットは人型だが、極端なガニ股と猫背が少し不気味だ。

 体格はそこまでよくない。身長だけ見れば、一六五センチあるひーちゃんにくらべ、優に十センチは低いだろう。


 手に持っているのはこん棒のようなもの。

 それが、三人。おおよそ文化的かつ文明的な人間には見えないソレが、数十メートル先を歩いていた。

 幸いなことに、こちらに気付いた様子は、まだ無い。

 

「あれは、若手ゴブリンだよ」

「……へっ? あのおじさんたちが?」

「おじさんじゃなくて若手ゴブリンなの!」

「若手ゴブリンって、なにその若手芸人みたいな……」


 ただのゴブリンじゃ駄目なのだろうか。

 耳元で聞えたひーちゃんの声色は、少し硬めで、おっとり成分がいつもより幾分か少ない。

 その、断言するような口調に違和感を覚え、追求するための文言を頭の中で組み立てていると。


「もーちゃん、くるよ!」


 鬼気迫るひーちゃんの声に逸れていた意識を仮称ゴブリンに戻せば、手に持ったこん棒でこちらを指して何やらギャイギャイ喚いていた。

 と思うと、ひょこひょこと猫背を上下させながら、こちらに向かって走ってくる。


「もーちゃん、あの人たち倒して!」

「えっ、まてまてまてまだ心の準備できてないって! とりあえずひーちゃんは下がってて!」


 聖なる鉄パイプを構える手に力を込めるが、情けないことに腰が引けるのが自分でも分かる。

 当たり前だ。僕は普通の高校生だ。

 鉄パイプで人を殴るどころか、殴り合いのケンカだって小学生以来やったことはない。


 というかそもそも――

 

「――この人たち殴っていいの!? 鉄パイプって結構痛いよ!? 頭とか当たると致命傷だよ!?」

「いいから! その人たちモンスターなの! 早く倒さないとこん棒でぶたれちゃうよ!」


 ぶたれるって、わしゃお母さんを怒らせがちなイタズラ坊主か。

 

「……ってうぉっ!」


 先頭のゴブリンが手に持っていたこん棒を振り回してきたので、慌てて後ろに下がって避ける。

 ブォン、と風を切る音とともに繰り出された一撃。幸いなことに掠る事もなく空を切るが、あんなもの当たるとタダじゃ済まないぞと背筋に冷や汗が流れる。


「本当に襲ってくるのかよっ……!!」


 どうやら、心の準備などと悠長なことを言っている場合ではないらしい。

 

 その隙に接近して来る他の二体。

 一体でも冷や汗ものなのに、三体で囲まれるといよいよピンチだ。

 

 そんなことを考えながら、再び襲ってきた大振りのこん棒を、先程同様後ろに避ける。

 すると、今度は後ろから接近していた他の二体も、慌てた様子でこん棒を回避していた。


 いやいやお前らも避けるんかい。

 

 思わず突っ込みそうになりつつ、聖なる鉄パイプを構えて次の攻撃に備えるが、何やら様子がおかしい。

 

 ギャッ!と小さく悲鳴をあげた二体は、うぉっあぶねぇ! 当たるかと思った! 突然振り回すなよ! みたいな顔をしている。

 僕よりよっぽどオーバーリアクションだ。

 

 すると、先頭の攻撃してきたゴブリンも、後ろを振り向いて、あっ、ゴメンゴメン! 大丈夫? 当たってない? みたいな動きを始めた。

 後ろの二体も、もー、気をつけてよね! みたいな反応だ。

 

 なんだよお前ら、仲良し三人組かよ。3娘1(さんこいち)かよ。


 ともかく、よく分からないが先頭のゴブリンがこちらに背を向けている今がチャンスだ。


「隙あり!」


 背を向けた先頭のゴブリン目掛けて、鉄パイプを思いっきり振り下ろす。

 勢いのついた鉄パイプが、ゴブリンの猫背にクリーンヒットした。

 頭に当てられなかったのは手元が狂ったからか、はたまた覚悟が足りないからか。

 

 しかし、確かな手ごたえ。

 鉄パイプで生き物を殴るのは初めてだが、この感触なら相当なダメージが入っていることだろう。

 

 殴られたゴブリンは、グギャッと悲鳴を上げ、背中を抑えて思いっきりのけぞっている。

 手に持っていた得物のこん棒も取り落としたようだ。

 そのままぴょんぴょん飛び跳ねながらぐるぐる回転し、蹲ったかと思うと、今度は地面を転げ回り始めた。

 少し大げさにもがき苦しむゴブリンに、他の二体の反応はというと。

 

「……なんだこれ」

 

 その様子を指差しながらゲラゲラと大笑いしていた。

 仲間が攻撃されたことに憤慨するでもなく、怯えるでもなく。

 ただただ腹を抱えて笑っていた。


 その時、僕は目にしてしまった。

 転げまわっているゴブリンが、自分の手で腰巻をずらし、半ケツを出したところを。


 これはあれだ。

 眼鏡芸人が水とか被ったときにわざと眼鏡をずらすあれだ。

 

 残りのゴブリンも、大げさな動きで半分顔を出したお尻を指差している。


 いやいや、コッテコテのリアクション芸かよ。変な所でプロ魂見せてんじゃねぇよ。


 ひとしきり転げまわると、はみ出たお尻をこちらに見せつけるようにゆっくり起き上がり、背中を二体に見せた。

 

 大丈夫? 赤くなってない? みたいな。

 

 すると、後ろの二体も、うぉ! すげぇ! みたいな顔をするとこっちに向かって手招きし始めた。

 それに合わせて、背中の殴られたか所をこちらに向けるゴブリン。

 なるほど、よく見ると確かに赤くなって腫れている。

 一体のゴブリンがその赤い部分を指差して、このあたり、と指示してくれているのが嫌に親切だ。

 

「わぁ、ほんとだ……痛そう……」

 

 後ろでひーちゃんが小さく呟くのが聞える。


 視聴者および会場のお客さんへ臨場感をお届けしますってか。やかましいわ。


 すると、今度はダメージを受けたゴブリンが無事なゴブリンに対して何やらギャイギャイ言いだした。

 指名されたゴブリンも、自分を指差し、え? 俺? やだやだやだ、みたいな顔をしている。

 何が始まるのだろうか。

 黙ってその悶着を眺めていると。

 

「仲間割れかなぁ……?」

「いや、多分あれだよ、バラエティ番組でよく見るお約束的な……」


 やり玉に挙げられていたゴブリンが、こちらにお尻を突き出す形で、他の二体に固定されていた。

 固定担当の二体は、その状態のまま、空いた方の手でしきりに鉄パイプと僕を指差している。

 

 どうやら殴れということらしい。

 いわゆるケツバットと言うやつだ。

 固定されたゴブリンも、ギャーギャー喚いていはいるものの、そこまで暴れている様子もない。

 むしろこちらをちらちら見ながら、思いっきりやれ! みたいな目をしている。

 

「なんなんだよこの清々しいまでの芸人根性……」


 このゴブリンども、オイシイという概念を完全に理解してやがる。


 指示された通り、聖なる鉄パイプ、ウロボロスでゴブリンの薄汚れた尻を思いっきり叩く。

 バチーンと響く快音。

 聖なるケツバットをくらったゴブリンは、先程のゴブリン同様大きくのけぞると、地面に転がりくねくねともがき始めた。

 例のごとく大笑いする残りのゴブリン。

 そして、やはりこっそりとお尻を出すケツバットゴブリン。

 

 なんだろうこの茶番。

 だんだん腹が立ってきた。


 赤くなったお尻を確認しながら騒いでいる三体を黙って見ていると、唐突にハプニングが起こる。

 なんと、お尻を仲間に披露していたケツバットゴブリンの腰布が、ハラリと脱げたのだ。

 

 姿を現すゴブリンのミニゴブリン。

 非戦闘体型の小柄なソレが、ゴブリンの動きにあわせて前後左右にゆらゆらと揺れている。


 予期せぬ大惨事に、ここぞとばかりにギャーギャー騒ぎ出す賑やかし担当のゴブリン。

 え、どうしたの? みたいなわざとらしい表情できょろきょろしながら、堂々とこちらにイチモツを見せつけるケツバットゴブリン。

 その頭をこん棒ではたきながら、さっさと履けよ! とキレのいい突っ込みを見せるリーダー格ゴブリン。


 バラエティ的には満点だがBPO的には赤点のハプニングに、ゴブリン達はここ一番の輝きを見せていた。


 ――そのとき、僕の真後ろからぶちっ、と何かが切れる音が聞えた気がした。


 その音に、僕は手遅れを悟った。


はぁぁッッッ!!」


 振り向いたと同時に、覇王じみた奇声を上げるひーちゃん。

 唐突に変わる洞窟内の空気。

 頭の中でガンガン鳴る警鐘に従い、全身の筋肉を総動員して道を開けた。


 壁に張り付く僕。

 腰を落として聖剣に右手を添えるひーちゃんと、動きを止めた全裸のゴブリンの間に遮蔽物はない。


 先程までのお祭り騒ぎとは一転、静寂があたりを包み込む。 

 今、この空間で動いているのはコントの余韻にゆらゆらと揺れる全裸ゴブリンのイチモツのみだ。

 

 震えることすらできない。

 もし、何か一つでも動きを見せたら――ヤられる。

 そんな空気をこの場にいる全員が感じ取ったのか、こう着状態に陥る。


 ――そのまま、どれくらい時間がたっただろうか。

 三秒か、三十秒か、あるいは三分、三十分経ったような気さえする。


 身を切るような静寂に耐えきれなくなったのだろう。

 一体のゴブリンが、「ヒッ」と小さい悲鳴を上げる。

 

 それにつられたのか。はたまた防ぎようのない生理現象か。

 規則的な振り子運動を続けていたゴブリンのミニゴブリンが、ピクッ、と跳ねるように動いた。

 

 刹那――


「えっ……?」


 ひーちゃんの姿がぶれたかと思うと、一瞬のうちにゴブリンたちの後ろに姿を現した。

 聖剣はいつの間にか鞘から抜かれ、右手に大きく振り抜かれている。

 

 ――全く、見えなかった。

 ある程度離れた位置から見ていたにも関わらず、だ。

 一体どれほどの速度で動いたというのだろうか。

 少なくとも、一介の女子高校生が――否、人間ができる動きではない。

 

 ひーちゃんは、一体――。

 

 しかし、そんな僕の驚愕を置き去りに、事態は動き出す。


「ギャァァァッ!!」


 叫び声とともに血を噴き出す全裸ゴブリン。

 左肩から右の腰にかけて、すっぱりと切り裂かれている。

 致命傷だったのだろう。そのまま、一歩、二歩、前に進んで、崩れ落ちるように地に倒れ伏した。

 さながら時代劇の切られ役のような最期だ。

 

 やがて、洞窟の地面に横たわる薄汚いお尻の山が淡い光りを放ちはじめ、空気に溶けるように消えていく。

 命尽きたゴブリンが、ダンジョンに還ったのだろう。

 それを見てガクガクと震えだす二体のゴブリン。

 

「駄目だよ? ちゃんと、見てる人たちがどういう気持ちになるかを考えないと」


 子供に諭すような、ゆったりとした口調。

 ひーちゃんがどんな表情でその言葉を口にしたのか、今の僕にはそれを確認するすべはない。

 菩薩を思わせる慈愛の表情か。はたまた悪鬼羅刹もかくやの憤怒の形相か。

 しかし、その声色に温度はない。


「お茶の間にはね、小さい子どもや女の子もいるんだよ?」

 

 ――その瞬間、彼らの恐怖が臨界点を越えた。


「ギ、ギ、ギャァァァ!」


 半狂乱になったゴブリン達が、こちらに走ってきた。

 なんともまぁ汚ぇツラである。

 

 というか、そろそろ僕も限界だ。


「やかましいわ!」


 タイミングを合わせて、二回、鉄パイプを振ると、見事にそれぞれのゴブリンの頭にクリーンヒットした。

 各々思い思いの「グゲェ」といううめき声とともに、仰向けに倒れるゴブリン達。

 よく見ると、アニメみたいにグルグルと目を回している。

 とことんコミカルな奴らだな。


 しばらくすると、最初のゴブリン同様、光を放ちながら溶けるように消えていった。

 

「ほんと、何だったんだよこの終始一貫した茶番は……」

 

 ひーちゃんを見ると、どこか悲壮感を漂わせた表情で聖剣を鞘に仕舞っていた。

 見事な手際でゴブリンを切り捨てていたが、やはり生き物の命をその手で絶ったことに対する罪悪感のようなものがあるのかもしれない。

 

 僕にとってはしょうもない茶番劇でも、ひーちゃんにとっては、今後一生付いて回るトラウマになった可能性もある。

 ここは、僕が慎重になって、彼女の心のケアに回らないと。


「ねぇひーちゃん……その、だいじょう――」

「うへぇ……ばっちぃ……」


 違った。罪悪感とか一切なかった。

 

 よくよく見ると、悲壮、というよりは羽虫でも呑み込んだかのようなしかめっ面をしてる。

 どうやら、自らの手で生き物を切り裂いたショックよりも、ゴブリンのイチモツを目の当たりにしたダメージの方が大きかったらしい。


 相変わらずブレないな、ひーちゃんは。


「とりあえず、初モンスター戦は無事に終わった……ってことでいいのかな、これ」 


 殆どコントを見ていただけのような気もするが、ともあれひーちゃんの下ネタ耐性の低さと驚異的な戦闘力のおかげでモンスターたちを倒すことができた。

 今はただ、この聖剣が自分に向くことがないよう願うばかりである。


「どうしたのもーちゃん、はやくいこ?」

「……うん、すぐ行くよ」


 忘れないうちに、心のルーズリーフに『勇者装備のひーちゃん + 男のサービスショット = 突然の死』と書いて赤線でラインを引っ張っておこう。

 これだけ強烈な体験だったのだから、テスト前に見返せばちゃんと思い出せるはずだ。



若手ゴブリン


【装備】

下半身:汚い腰巻

その他:小道具(スポンジのこん棒など)


【備考】

一体で行動するゴブリンをピンゴブリン、二体をコンビゴブリン、三体をトリオゴブリン、と呼ぶ ※1。トリオゴブリンはリアクション芸に走りがちで、ピンゴブリンは奇抜な格好をしていることが多い。コンビゴブリンは互いの立ち位置にやたらこだわるので、攻めるときはそこを利用しよう。

上下関係には厳しいが、笑に対するプライドは総じて高い。対抗して面白いことをしようとすると『この素人何イキってんねん、おもんな』みたいな顔をして不機嫌になるので注意が必要。


※1

家電ゴブリンや運動音痴ゴブリン、といったゴブリンの個性による分類も存在するが、客観性を欠いているとの指摘も多く、厳密な場で使用されることはほぼない。


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