せめてもの慈悲
なんでも幼馴染の家がダンジョンになったらしい。
……いやいやなにがやねん。
「ダンジョンって、どういうこと? 新しい小説の設定でも思いついたの?」
「ううん、家がダンジョンになったの。冗談じゃないよ? 妄想とか、そういう設定とかでもないし……本当なんだよ?」
当たり前だ。もしこんな時間に叩き起した理由が下らない冗談を言うためだったらはっ倒してやるところである。
言ってることは突拍子もないし、当の本人もそれを自覚しているのだろう。
ひーちゃんの不安そうに揺れる瞳が、この話が紛れもない真実だと雄弁に訴えかけてくる。
「分かった分かった。とりあえずその、ダンジョンについてもう少し詳しく知りたいんだけど……」
「うーん、とりあえずこれ読んでみて」
渡された紙きれを見る。どうやらメモのようだ。
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ひのでへ
いい加減、引きこもるのはやめなさい。
お母さんもお父さんも我慢の限界です。
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「……ちょっとまって」
「もう読んだの? 凄い、さすがもーちゃんだね」
「いや、まだ二行目だけど……え? 引きこもってるの?」
「うん、そうだよ? ひのでは家族みんなが認める、立派な引きこもりになったのです」
……マジかよ、ひーちゃん引きこもってたのかよ。隣に住んでてそれなりに交流があるはずなのに完全に初耳だよ。
というかなんでそんな自慢げなんだよ。どこに誇るところがあるんだよ。
あれ、知らなかったの? と小首をかしげるひーちゃんに大きくため息が出る。
「……いつから?」
「うーん、二週間くらいかな?」
「ながいな! もっと三日くらいの短いスパンだと思ってたよ!」
「ちょうど夏休みだし」
ちょうどの意味が分からない。
「でもここんとこ毎日うち来てたよね? 今日だって来てるし」
「それが、どうかしたの?」
「どうかしたのって、普通に部屋出てるじゃん」
毎日家から出る人間を世間一般では『引きこもり』などとは呼ばない。
昨日なんて外出している隙に部屋に来て、僕のPCでソリティアをしていたからな。
挨拶の代わりに僕の口から出た言葉が「自分のパソコンでやれよ」だったことを覚えている。
平常時でもわざわざ僕の部屋まできてやることじゃないのに、これで引きこもっていると言うのだから冗談にしか聞こえない。
むしろ冗談であってくれ。
とまあ、僕としては当たり前のことを聞いたつもりだったのだが、なぜかひーちゃんは首をかしげている。何を言ってるの?と言わんばかりの表情だ。
「それは、だって、部屋を出てるって言っても、行き先はもーちゃんの部屋だけだし……」
「ん? どういうこと?」
僕の部屋と自分の部屋を行き来していることと、僕の質問との関連性が全く分からない。
「どういうことって言われても……もーちゃんの部屋はひのでの部屋でしょ? だから、部屋を出た内に入らないって」
「僕の部屋は僕の部屋だよ!」
でしょ?じゃねぇよそんな事実ねぇよ。
「お父さんお母さんたちも、もーちゃんの部屋は外出じゃないって」
「公式な見解だったのかよ!!」
お父さんお母さんたち、というのは藤見家と東雲家の両親四人全員を指している。つまり、保護者たちはこの事態を共有しているということだ。関係者の中で知らないのは僕だけだったらしい。
まあ、そういうことなら仕方ないか。
……いや、仕方ないか? 仕方なくない気がするぞ?
「納得した?」
「うーん、納得したかどうかは置いといて。確かに言われてみれば、最近うちの親とおばさんが深刻そうに話しこんでたり、ひーちゃんが僕の部屋に突撃して来ることがやたら増えたような気はしてたけど……」
そう言えば風呂もうちでわざわざ入っていた気がする。
こうして考えてみれば色々と兆候はあったらしい。
「ずっとパソコンしてると飽きちゃって、暇になって、そしたらもーちゃんに会いたいなーって」
そして僕の部屋でパソコンをしていた訳か。意味が分からない。
というか暇なら部屋から出ろよ。引きこもりの素質皆無かよ。
ほっぺたを真っ赤にしてえへへーと照れ笑いするひーちゃんの後頭部を思いっきりはたきたい衝動にかられるが、そんなことはしない。僕は我慢の男だ――失礼、僕は紳士だ。
「さいですか……というかそもそもな話、ひーちゃんはなんで引きこもってるの?」
いちおう僕も関係者なはずなのに、理由どころか引きこもっている事実すら知らなかったからな。これくらい聞いても良いだろう。
「うーん、なんでだろうね……そんなことより、ダンジョンは? メモもまだまだ続きがあるよ?」
唇をとがらせながら、つい、とそっぽを向くひーちゃん。
あからさまにはぐらかされてしまったか。
まあ今はいい。いずれ絶対に聞いてやる。
「はぁ、はいはい。えーっと……」
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ひのでがそこまで頑なに部屋を出ないというならこちらにも考えがあります。
まず第一に、ご飯を届けるのをやめます。
第二に、ひのでの部屋のブレーカーを落とします。
第三に、うちとももちゃんのお家のネット回線を切ります。
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「え? これマジ?」
「うん、昨日からご飯持ってきてくれないからお腹ぺっこぺこなんだよ」
「いやいやそっちじゃなくて……うわ、本当だ、ネットに繋がらない」
有線も駄目だし、無線に至っては接続可能なSSIDすら表示されない。というか無線は分かるけど有線どうやって切ったんだよプロバイダー仕事しろ。
携帯の回線は残っているものの、未だに通話とメール専用のガラケーしか持たない僕とひーちゃんは、情報社会から完全に孤立してしまった訳だ。とばっちりもいいところである。
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第四に、我が家をダンジョンにしました。
もし今まで通りの生活がしたいならももちゃんと協力してダンジョンを攻略しなさい。
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「……は?」
メモはここで終わっている。裏を見返しても何も書いていない。
念のためもう一度表を見る。
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第四に、我が家をダンジョンにしました。
もし今まで通りの生活がしたいならももちゃんと協力してダンジョンを攻略しなさい。
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同じことが書いてある。そりゃそうだ、同じメモだもの。
「……なあ、これどういうことだ?」
「そのまんまの意味だよ? うちがダンジョンになったの」
「うん、それはさっきから何回も聞いてるんだけどさ……」
ひーちゃんの返答は相変わらず要領を得ない。
そもそもダンジョンとはなんだ。あれか、モンスターとか盗賊とかがいて、奥にボスとかいるあれか。ひーちゃんの家で宝箱がドロップするとかそういうことか。
自分で言ってて全く意味がわかんねぇよ。
メモを頭から見返したところで、当たり前だが情報量は増えない。それどころか、おばさんの筆跡で突拍子もなく『ダンジョン』だなんて書いてあるからなおさら混乱してしまう。
混乱状態から抜けだせない僕を尻目に、ひーちゃんは僕の枕であそんでいる。
「うーんとねぇ、つまり、ダンジョンを攻略しないとネットが回復しないし、ご飯にも辿りつけないってことなのです」
「……なるほど死活問題だな」
ひーちゃんが現状を要約してくれたおかげで、差し迫った状況であることはなんとなく理解ができた。ダンジョンが何を指しているのか未だによく分からないが。
というか、これだけじゃ詳しいことが何も分からない。情報量が少なすぎる。ももちゃん――おばさんが使う僕の愛称だ――と協力して、などと書いてあるが協力のしようがない。
「ちなみにもう一枚メモがあるよ」
「まだ続きがあるのかよ!」
とりあえず続きを読んでみて、その後どうするか考えよう。
◇◇◇◇◇◇◇◇
渡された二枚目のメモに目を通す。
相変わらず、おばさんの綺麗な字でダンジョン云々書いてあるもんだから違和感が酷い。
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ここからはダンジョンについて説明します。
ダンジョンはひのでの部屋からスタートします。
ゴールは玄関です。うちの玄関から外に出ることができたら、ダンジョン攻略です。ゴールにはダンジョンマスターもいるのでしっかりと倒してください。
途中、モンスターや悪い人たちが出てくることもあるかもしれませんが、ももちゃんと力を合わせれば倒せるはずです。頑張って戦いましょう。
武器やテントなど、攻略の助けになるものも少しだけ用意しているので、後で確認してください。
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「戦闘とかあるんだ……いや、ダンジョンだからそりゃ戦闘もあるんだろうけどさ……」
というか僕がいることが前提なんだな。ひーちゃんが僕に頼ってきた理由もここにあるのだろうが、なんか納得がいかない。
ぶつぶつ言いながらも、メモを読み進める。
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我が家のダンジョン化は攻略すれば解除されます。解除されればネットも電気も元通りです。もちろん、食料も自由に手に入ります。
ただし、攻略しないと、お家の外に出ることはできません。
窓経由でももちゃんのお家に行くことはできますが、もちろん外に出ることはできません。
健康で文化的な最低限度の生活を送りたいならば、真面目にダンジョンを攻略してください。
今のひのでには少し大変かもしれませんが、将来のことについてもう一度考え直す、良いきっかけになればと思います。
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「え!? これ僕も外に出られないの!?」
生存権を人質に取ってきやがった。人の親がやっていいレベルの強迫じゃねぇぞこれ。
「うーん、お母さんのことだから、多分そうだと思う……」
「ちょっと確認して来る!」
ひーちゃんを部屋に残し、急いで玄関を確認しに行く。
「くッ!! このッ……おりゃッ……!!」
開かない。押しても引いてもびくともしない。それどころか壊れる気配すらない。ふと玄関の窓から外を見ると車が消えている。ということは――
「クソッ、親父とお袋も消えてやがる……!!」
両親の寝室はもぬけの空だった。これじゃあメモの真意を確認する事もままならない。
ついでに他の窓や裏口を確認してみるも、溶接でもしたかのごとくびくともしない。どうやら、外に出れないというのは本当らしい。
「はぁ、はぁ、とばっちりが徹底してやがる……はっ! もしや冷蔵庫も……!!」
嫌な予感がして慌ててキッチンに駆け込み、冷蔵庫を開ける。そこには
『せめてもの慈悲』
と蓋のところに油性ペンで書かれたプリンが二つだけ入っていた。他は何もない。広大な空間に、二カップのプリンが寒々と置かれている。
「ちくしょおおおおおおおおお!!!!」
なんだよこの仕打ち。僕が何したってんだ。
仕方なく、プリンと二本のスプーンとお皿をを握り締めて部屋に戻ることにした。
「どうだった?」
「だめだったよ。玄関どころか窓も開かない。冷蔵庫もほぼ空っぽだった。ついでに親父とお袋も消えてた。水はさっき顔洗ったときは出たし、トイレも普通に使えたから問題ないと思うけど」
そっかぁ、と消沈するひーちゃんに「ほらよ。せめてもの慈悲だ」プリンと食器を渡し、メモの最後の部分に目を通した。
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追伸。
ももちゃん。
ひのでのことに巻き込んじゃってごめんなさい。
ちーちゃんとはじめくんにもちゃんと事情をお話しているので、ここはしょうがないと割り切って、思う存分ダンジョンを攻略して下さい。
どうか、ひのでのことをよろしくお願いします。
東雲紫乃・千秋より。
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「『ここはしょうがないと割り切って』のお前が言うな感やばいな……」
ちなみにちーちゃんとはじめくんとは、僕の両親である藤見千歳と藤見一のことだ。そして差し出し人の東雲紫乃さんはひーちゃんの母親で、東雲千秋さんは父親である。
つまり両家の両親公認ということだ。もうやだこの家。大人四人そろってんだから誰か一人くらい異を唱えろよ。
「どう? 読み終わった?」
「まあ、一応ね。……とりあえず現状を確認しようか。まず、僕もひーちゃんもお互いの家以外にはどこにも行けない」
「うん」
「食料はゼロ。使えるライフラインは水のみ」
「うん」
「しかもひーちゃんの家がダンジョンになった」
「うん」
「そして、これらの現状を打破するためにはダンジョンを攻略するしかない」
「その通り」
「……ひとついい?」
「うん? なぁに、もーちゃん?」
「結局ダンジョンって何なんだよおおおおおおおお!!!!!」
ここにきて、僕、藤見百春の混乱は限界に来ていた。
百春「ちなみにさ、なんでこんな朝早くから突撃してきたの?」
ひので「実はね、ひのでね、昨日の夜から何も食べてなくって」
百春「そう言えばそんなこと言ってたっけ」
ひので「お腹がすきすぎて、朝五時に目がさめちゃったのです」
百春「奇遇だね、僕もそれくらいに目が覚めたよ」
ひので「でね、家がダンジョンになったこと思い出したら、いても立ってもいられなくなってきちゃって」
百春「うん。遠足前の小学生かな?」
ひので「我慢できなくなってもーちゃんに電話しちゃった!」
百春「しちゃった! じゃねぇよ。あんな切羽詰まった顔してたくせに緊急性皆無かよ」
ひので「えへへー」
百春「えへへー、じゃねぇよ。僕の睡眠時間返せよ」