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これが電話だったら叩き切ってやるところだ

読んでいただきありがとうございます。

「ん……う、ん……」


 目が、覚める。

 現在も部屋に響いているやたらチープな電子音に睡眠を邪魔されたようだ。

 一瞬、平日の朝に鳴るよう設定されているアラームかとも思ったが、部屋の薄暗さから鑑みるに、どうやら起きる予定だった7:30にはまだ2時間ほど余裕があるらしい。

 つまり、音の正体はアラーム音ではない。ぼやける頭でそこまで考えて、音の正体が着信音だということに気付く。


 誰だよこんな早朝に……ってこんな非常識な知り合いは彼女くらいか。


 眠気という名の引力に抗いながら、覚醒しきっていない頭を必要最小限動かして右手を騒音の原因へと伸ばす。

 小刻みに震える携帯の画面を見えるように傾ければ、黒地に浮かぶ『ひーちゃん』の文字に、予想が当たっていたことを教えられた。

 最初は無視しようかと思ったが、コール数が十を超えた辺りで観念して通話ボタンを押した。


「……こんな朝早くにどうしたの、ひーちゃん?」

『どうしようもーちゃん、緊急事態』


 受話器越しに聞えるひーちゃんの声は、いつもと同じ、不思議と耳に残る、優しくおっとりとした高い声だ。


 ちなみにもーちゃん、とは僕こと藤見百春の愛称だ。言葉を覚えたての頃に『ももちゃん』を『もーちゃん』と言い損なったのを、十数年たった今でも訂正せずに使い続けているらしい。

 思えば、そんな小さいころからひーちゃんは頑固でマイペースだった。


「緊急事態って、なにかあったの?」

『あ、もーちゃんおはよう。よく眠れた?』


 今日も今日とて相変わらずマイペースだ。


「うん、おはよう。少し眠り足りない気がするけど、そんなことより緊急事態はいいの?」


 そして、こうやって脱線しがちな話を軌道修正するのは、いつの頃からか僕の役目だった。


『あ、そうだった。今からそっち行くから窓開けて?』


 思わずベッドに横たえていた体を起し、窓の外を見る。

 そこには、隣の家の窓越しこちらを覗き込む少女、ひーちゃんがいた。

 キャミソールにショートパンツという、殆ど下着一歩手前のような格好で、右手に持った携帯を耳に当て、ニコニコしながら『あけてー』と左手を振っている。


「え、やだよ!」


 寝ぼけた頭には些か刺激的すぎる光景に、言いながら思わず全力でカーテンを閉める。

 流石に僕も17歳、早朝5時に同じく17歳の女の子を家に上げるのは抵抗がある。

 そもそも高校生にもなった女性を窓から家に招き入れるなんて、外聞が悪いにもほどがある。

 近所に変な噂がたったらひーちゃんが困ることになるだろう。


 そう、僕は紳士なのだ。別に、最近ぐっと可愛くなったひーちゃんに、寝癖やよだれの跡がついてるかもしれない寝起きの僕を見られるのが恥ずかしい訳ではない。

 ましてやひーちゃんの部屋着であるキャミソールとショートパンツ姿にドキッとして思わず断ってしまったなんてこと、あるはずがない。


 隠れるように布団をかぶりなおして無視を決め込むが、そんなことで諦めるひーちゃんじゃないことは僕が一番よく知っている。


『ねー、開けてよー』


 窓を棒で突くような硬質な音が部屋に響く。

 小学二年生のときに初めて窓を経由して部屋を行き来して以来、何度も聞いた『窓を開けて』の合図だ。

 最近は減ってきたが、携帯を持っていなかった時代は、毎晩のように窓を専用の棒で突いては、カーテンを開けた僕に笑顔で手を振ってきていた。


 当時のことを思い出していると、不意につい先ほどの刺激的な光景が脳裡をよぎり、頬が赤くなるのを感じる。


「……別にわざわざ部屋に来なくても電話で済ませればいいじゃん」

『えー、もーちゃん絶対途中で切るもん。真剣な話なんだよ?』


 なるほど、本日のトピックは電話を叩ききりたくなるくらいめんどくさいか、バカみたいな話かのどちらからしい。めんどくさくてバカみたいな話、という可能性もあるか。

 本人も相当な話を持ち込もうとしている自覚があるのだからたちが悪い。


 それならば、せめて正規の入り口から入ってこさせよう。窓から入ってこられると色んな意味で心臓に悪い。


「どうしても部屋で話したいなら玄関から来なよ」

『無理なの! それに、玄関から入ったらおじさんとおばさんが起きちゃうでしょ?』


 その気遣いを僕にも見せて欲しいところだ。


「無理なことはないと思うけど……そこまで気になるんだったら八時くらいに出直してくればいいじゃん」

『もー、イジワル言わないでよー。なんで開けてくれないの? 緊急事態なんだよ?』


 ひーちゃんの泣きそうな声と、窓をひっかく棒の音が、どこか物悲しく耳に響く。

 まるで僕がとっても酷いことをしているような、これを無視し続けたら僕の血と涙がなくなってしまうんじゃないか、そんな気分にさせられる。

 実にうまいこと僕の罪悪感を刺激する嫌な音だ。


 昔からそうだ。ひーちゃんは絶対に折れないし、すぐに泣く。

 ため息をつきつつカーテンをあけると、そこには親に捨てられた子供のような顔をして、不安げに佇むひーちゃんの姿があった。


 ああくそ。いっつもこうだ。自分が困ったら、僕の迷惑なんか考えずにいっつも頼ってきて、断られることなんか最初からこれっぽっちも考えてなくて。いざ僕に断られるとこの世の終わりみたいな顔して。

ひーちゃんは僕のことをなんだと思ってるんだ。


「はあ、もう、わかったよ。顔洗ってくるから10分くらいまってて」

『……うん!! まってる!!』


 窓越しに、ひーちゃんの顔がぱぁっと綻ぶ。

 ひーちゃんは卑怯だ。こんな顔見せられたら断れるわけないじゃないか。




◇◇◇◇◇◇◇◇





 東雲ひのでは僕の幼馴染で、僕と同じ十七歳、さらに言えば十七年来の隣人でもある。

 生まれたときから隣人だった訳だから、彼女が暮らす東雲家と僕が住む藤見家という単位で見れば、僕たち二人は生まれる前からお付き合いがある訳だ。


 二人とも兄弟はいないが、兄妹同様に育てられてきたからか、一人っ子の寂しさを感じたことはない。

 小学校に入る前はいつも二人で遊んでいたし、小学校に入ってからは二人っきりで遊ぶことこそ減ったが、登下校は必ず二人一緒だった。

家に帰ってきてからも必ずどちらかの家で宿題をしたり、晩御飯をごちそうになったりと殆ど一緒に過ごしていた。

 十歳を超えた辺りからは流石に四六時中べったり、という訳にはいかなくなったが、部屋の行き来や家族ぐるみでのお出かけなどは今でも続いている。


 そんな二人の関係性は、やはり幼馴染、という以外には表現し得なかった。

 友人、というには少し近すぎるし、兄弟というには少し遠慮がある。多少相手を意識することはあれど、間違っても恋人という関係ではない。感覚的には従兄同士に近いのかもしれないが、やはり幼馴染といった方がしっくりくる。


 そう、僕とひーちゃんは幼馴染。間違っても恋人ではないのだ。


「おじゃましまーす」


 どこか機嫌が良さそうに、両家の窓に架けた板を橋がわりに渡ってきたひーちゃんは、相変わらず露出度が高いキャミソールとショートパンツ姿だ。

十年前だったらいざ知らず、十七歳になって随分と大人っぽくなった幼馴染の肢体は目に毒だ。

 部屋に入ろうと窓の外から伸ばされた真っ白な脚に、思わず視線が釘付けになる。そのまま上半身に視線が行かなかった自分をほめたいくらいだ。


 肢体をくねらせ、もとい、身をかがめて部屋に入ってきた――このとき僕の視線は意味もなく五時過ぎを指す時計とひーちゃんを往復していた――ひーちゃんは、上りかけの太陽を追い抜いてきたかのような笑顔だ。

 そのまま「おじゃまします」と挨拶する様子が眩しくて思わず目を逸らす。

 しかし、そんなその場しのぎの抵抗も空しく、僕の薄弱な意志に逆らうように、視線が一人勝手にひーちゃんを追いかけまわしていた。


 肩甲骨を隠すくらいまで伸びた長い黒髪は、こんな早朝だとは思えない程綺麗に整っている。

 ゆるくふわっとウエーブがかっているもののバサッと広がっているなんてことはなく、ひーちゃんの髪質の良さと、手入れの細やかさが見てとれる。

 これで、このパーマが人工ではなく天然だというのだから驚きだ。


 そのふわっとした感じがひーちゃんの雰囲気と上手くマッチしていて、僕はこの髪型が結構気に入っていたりする。

 彼女が僕の好みに合わせてこの髪型を選んだ、なんて事実は一切ないのだが、心の中で幼馴染の髪型に高得点をつけるくらいは僕の勝手だ。


「ひのではベッドに座るから、もーちゃんも隣においで?」


 人の部屋に早朝に押し掛けといて、家主を差し置いてベッドを占拠するだなんてどういう了見だろうか。

 いや、それだけなら構わないが、僕が座る場所にまで口を出される謂われはない。

 もちろん、魅力的な提案だなんてこれっぽっちも思っちゃいない。

 これっぽっちもだ。


「……いや、椅子に座るよ。ほら、ベッドに座るとそのまま寝ちゃうかもしれないし」


 僕の言葉に「ちぇー」と不満げな顔を見せるひーちゃん。


 彼女が動くたびに漂ってくるのは、なんの香りだろうか。

 僕の部屋を浸食するこの甘い香りが、嫌に僕の心臓を急きたてる。


 よく、女の子の香りは長い髪の毛から漂うシャンプーと化粧品のにおいだ、なんて話を聞くが、ひーちゃんの顔には男の僕が見て分かるような化粧っ気はない。

 ハンドクリームやボディクリームを化粧品に含むならその限りではないが、この香りはおそらくシャンプーの香りだろう。


 そう、冷静を装って分析してみるが、僕の心臓はそんなことお構いなしに元気よく跳ねまわっている。


 ……だめだ、やっぱりひーちゃんを窓から招くと心臓に負担がかかる。


「で、緊急事態って結局なんだったの?」


 ベッドに座ったひーちゃんを極力視界に入れないようにしながら尋ねる。

とは言え、意識は視界の端で揺れる白い足にあるのだから、僕の煩悩は筋金入りだ。

 きっと、百八じゃ効かない数の邪な念のようなものが僕の視線を乗っ取って操っているに違いない。


「えーっとね、ひのでの家がダンジョンになったの」


 しかし、ひーちゃんの突拍子もない一言に煩悩が吹っ飛んでしまった。


「え?今なんて言った?」

「だからね、ひのでの家がダンジョンになったの」


 なるほど、確かにこれが電話だったら叩き切ってやるところだ。



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