5――白波萌の憂鬱は、だいたい相棒のせい
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妖魔の巣窟と化した防衛施設の一角で、私――白波萌は死闘を演じていた。
「ふっ!」
角を生やした天狗の正拳突きを受け流して、合気の要領で投げ飛ばす。
鬼の怪力と引き換えに羽を失った新種の妖は、受身もとれずに頭から落下した。
すかさず自動拳銃を持ち出し、心臓部に攻勢データの弾丸を撃ち込んだ。
これで本日のスコアは百の大台に突入。
この調子で進行方向の敵集団を一掃したいところだ。
しかし、後ろの邪魔者がそれを許してくれない。
フード下で自己主張する銀の〝狐耳〟が、忍び寄る餓鬼の気配を捉えた。
視覚確認を待たずに素早く反転する。
外套の下、中華風装束の足回りに施されたスリットから銀狐のような尻尾が飛び出すが、今は人目を憚る必要がない。
振り返り際に全身全霊で蹴り上げた。
軍靴越しに感じる、確かな手応え。
私の背後を奪って油断したのだろう。人間サイズの餓鬼が一撃で白目を剥いた。
この機を逃す手はない。
餓鬼の首根っこを掴み、腹部に銃口を押し当てフルオート。弾丸が痩せ細った体を貫いて、後続にまで被害を出す。
生命力に恵まれた妖怪変化のこと、致命傷には遠かろう。
しかし現在、転移用魔方陣から新手が続々と登場しつつある。進行方向以外の敵は生かさず殺さず、壁として扱うのがベストだ。
私は、虫の息となった餓鬼を蹴り飛ばして、ついでに閃光弾を転がした。
「コール・マテリアライズ/マガジンA」
膨れ上がる極光に背を向けて、音声でコマンドを入力する。すぐさま手中に新しいマガジンが顕現した。
急いでリロードを行い、次の標的に照準を合わせる。
このマガジンが空になるのと同時に、目的地に続く通路の制圧が完了した。
脇目も振らずに深部を目指す。
百鬼夜行を生み出す背後の魔法陣は放置でいい。
囮の身としては、増援は望むところだ。
普段なら流石に、もう少し安全を重視して進むのだが、今は保身が二の次となるくらい深刻な心配事があった。
「また油断や凡ミスをしてなきゃ良いのですが……」
見た目は単なる段ボールの特殊なステルス装備で、施設中枢に潜入しているはずのIAI――メイは、私にとって唯一無二の相棒だ。
ただし、彼女に全幅の信頼を寄せているかとなると話は別。
本当に本当に……いろいろ迂闊で危なっかしい子なのだ。
別行動の時間が長引くにつれ、心配の度合いは増していった。
せめて任務の同行者が〝誰か〟もう一人いたら、と考えずにはいられない。
でも、私は人外の因子を宿す特殊な身の上で、メイに至ってはイレギュラー。孤独でない幸運に感謝を懐くべき立場である。
今以上の助勢は贅沢がすぎるというもの。
理解している。そこを推して、機械仕掛けの神さまに求めたい。
メイを任せることが可能な〝誰か〟の登場を。
願わくば、一年前の罪を償う機会とともに――。
「柄でもないことを」
苦笑する。敵地でこんな快走が長く続くはずもなく、すぐに新手が出現した。
「鎌鼬……?」
それっぽい化生が、廊下をズタズタに切り裂きながら飛翔してきた。
カクリヨで独自の進化を遂げた妖怪に、過去の分類が当てはまることは少ない。
今回も多例に漏れず、いろいろ常識外れだった。
鎌鼬といえば三匹セットが通説のはずが、単体。しかも、鷲のような翼が生えており、その羽一枚一枚が鋭い刃と化している。
削岩機も真っ青な全身凶器の鎌鼬もどきを相手に、接近戦は論外だ。今すぐ撃ち落とそう――即決し、脚を止めて照準を合わせた。
途端、ガシャッと真横で金属音が。
排気口に通じる金網を蹴破って、無数の小鬼が登場した。
……数が多い。放置は死を意味する。
舌打ち、私は狙いを新手に変更した。
小鬼は知能の低い最下級兵士だ。三秒とかからずに殲滅が終わる。しかし、おかげでマガジンは空っぽ。
絹を裂くような鳴き声を発して、鎌鼬もどきが距離を詰めてくる。
リロードの猶予はなく、防御は自殺と同義。こうなっては最寄りの小部屋に退避するしかない。
幸運にも、手近に認証不要の自動ドアが。
急いで駆け寄り、開いた瞬間に転がり込む。
紙一重で刃羽の直撃を回避した。余波に背中を撫でられたが、問題ない。特殊なデータ処理の施された外套は、見た目以上に頑丈だ。多少の鉤裂きこそ生じたものの、私自身はダメージ零。
ホッとしたのも束の間、視界端に【トラップ探知】のアラートが表示された。
「しまった!」
施設のトラップは、妖魔の《力》に汚染されて別物同然に変容している。
パワー不足の普及端末でレジストできたのは、わずか数秒足らず。
十重二十重のセキュリティーが、次々に突破されていく。
抵抗の余地はない。
どうか致死性の罠ではありませんように――そう祈る私の脳裏に、簡潔なシステムメッセージが刻まれた。
【転移】
強制転移のトラップが発動。
距離の概念を覆す上位コマンドが、ネットワーク機能の不全も意に介さず、白波萌の魂を此処ではない彼方に運んだ。
転移終了。
干渉特有の軽い感覚不全に陥りながらも、私は即座にその場から跳び退いた。
顕現済みの予備マガジンを持ち出してリロードを断行。傷を負った小動物みたく縮こまって、勘を頼りに銃を構える。
敵襲は……ない。
弾丸をバラ撒きたい衝動を抑え、神経を尖らせて状況を確認した。
居場所は、中型コンテナの内部と思われる薄暗い屋内だ。荷が大量に積み上げられている。
肝心の妖魔や罠などの追撃は、五感の全てを駆使しても察知できない。
「……?」
腑に落ちず、サーチプログラムを奔らせてみた。
結果はオールグリーン。半径十数メートルには敵性反応もトラップもない。
しかしサーチの結果を確認しても、私が緊張を緩めることはなかった。
意図せず、狐耳がレーダーさながらピクピクと揺れる。尻尾の毛並みも逆立ったまま戻らない。
五感とは別の感覚が、続く危難を声高に訴えていた。
他人と世界から忌み嫌われる性質だが、人外の因子は私の一部だ。
疑う気はない。
おそらく、サーチの範囲外にいるのだ。
警戒に値する力を秘めた〝何か〟が。
「……《禍異》」
連中のテリトリーに招くのが強制転移の狙い?
だとしたら最悪だ。単独では勝ち目が薄い。発見される前に逃げよう。
相棒手製のハッキングツールで搬入口のロックを解除し、外に踏み出す。
次の瞬間、轟音が衝撃となって伝播した。耳朶のみならず、総身がビリビリと震える。
「いったい何が……」
顔をしかめて音源を確認したところ、頭上から巨大な蜘蛛が降ってきた。
「嘘でしょう!?」
咄嗟に身体を床に投げ出す。
多脚の隙間を潜り抜けることで、辛くも圧殺を免れた。しかし、存命を喜ぶ気分にはなれない。
まさか、いきなり《禍異》と遭遇するだなんてっ!
私は自分の不運を呪いながら立ち上がり、はたと異常に気付く。
この蜘蛛、瀕死だ。
どのような責め苦を味わったのか、そこかしこで緑色の体液がしぶいている。多脚など半数が欠損し、体勢を立て直す最中にも繰り返しバランスを崩していた。
原因は、共喰い以外に考えられない。
近くに別の《禍異》がいるのだ。
この蜘蛛単体でさえ、私個人の手には余る相手なのに……!
愚痴を飲み込んで後退る。
すぐに蜘蛛の複眼が、私の姿を捕捉した。
――一部の情報生命体は他者の情報を喰らって、自らの情報を補強する。
特に私のような〝変わり種〟は、珍味かつ栄養豊富らしい。
以前、姉貴分から『雑魚を千人喰らうよりも、白波萌一人を喰べた方が効率が良い』と、冗談交じりに教わったことがある。
半死半生の蜘蛛にとって、私の登場は鴨ネギ当然、脇目も振らず襲ってきた!
「くっ!!」
大人しく餌となる義理はない。銃を構えて、立て続けにトリガーを引く。
照準は罅だらけの脚部関節。全弾を叩き込むことで、辛うじて撃ち砕いた。
蜘蛛は怯むどころか、回避の素振りも見せなかった。
例え脚を一本失っても、それが通常の攻撃手段による負傷なら、すぐに再生可能と踏んでのことだろう。
不老不死は《禍異》の強みであり、慢心の源だ。
自重を預けた脚の破壊に、蜘蛛が一時バランスを崩す。生じた隙を利用して、私は突進を回避――しようとしたのだが。
蜘蛛も私も、目の前の相手に夢中で〝それ〟の接近に気付かなかった。
床に巨大な影が差し込むや否や、不吉な色の流星が堕ちてきた。
「――――ッ、ォォォォオオオオオオオオオオオオオオオッ!!」
天を裂いて登場した〝機械仕掛けの黒騎士〟が、着地ついでに蜘蛛の胴体中央へと拳を叩き込む。
凄まじい衝撃が奔った。プラスチックの砕けるような快音と、粘着質な水音が連続して、蜘蛛が悲痛な絶叫を発す。
そんな中、黒騎士は怖気付くことなく、高らかに勝利を謳った。
「とどめだ、必殺パイルバンカー!!」
「ノリノリなところ悪いけど、あたしの必殺技パイルバンカーじゃないからね!?」
……とっっっっっても馴染み深い声が聞こえた。
「そんなマニアな無駄機能あるはず、ない……のに何であるのよぅ!?」
装填音を響かせて、蜘蛛にめり込む手甲のシリンダー型機構が駆動した。直後、杭を模す歪な剣が撃ち出された。
蜘蛛の腹部を紙のように突き破り、えげつない昆虫標本を完成させる。
「デリート!!」
間髪を入れずに刻まれた上位コマンドを、絶命寸前の蜘蛛はレジストできない。ガラスが砕け散るような音を響かせて、跡形もなく消滅した。
不老不死を誇る《禍異》の調伏。
この出鱈目な退魔の《力》の持ち主は、私の相棒以外に存在しない。
「メイ」
しかし、彼女が搭乗者だとしたら、眼前の機体はどういうことだ?
御伽噺に登場する騎士じみた出で立ち。ただし全体的に色合い暗く、フォルムも歪な部分鎧を装備するかのよう。傍目から善性は感じ難い。慣れ親しんだ愛機とは、まるで違う。片割れが同じである以上、機体の外観は似通うはずなのに。
疑問は外観だけに留まらない。
剣を床から引き抜く挙動一つ見ても妙だ。自然すぎる。機械的な挙措が目立つメイの操縦とは正反対で、試作機から慣らしてきた義兄のそれに近い。神経系の誤差や二心一体特有の〝不協和音〟が、全く感じられなかった。
いったい誰が動かしているのだろう?
「やっと倒せたぁ。んもー、疲れたのなんのって……」
「あそこまでドラマチックに騒げば、そりゃ疲れもするだろうさ」
「そっ、そそそその辺のことは忘れる約束でしょ!? 誰のために、あんな……っ」
謎の人物とメイによる漫談が、機体のマイク越しに響く。声から察するに、操縦者の正体は若い男性のようだが、私には心当たりがない。
「ごめん。忘れるから泣くな。ほら、俺に構ってる場合じゃないんだろ」
「あっ。そうだ萌! ニグレードでもないのに、何で《禍異》と闘ってんの!?」
「俺たちも、ついさっきまで同じことをしてたのに……」
「無事なんでしょうね!?」
同乗者の愚痴を無視したメイの安否確認に、私は肩を落として返答した。
「……怪我一つありません。誰かさんのおかげです」
「ふふーん、感謝の言葉ならいらないわよ。あたしと萌の仲じゃない」
「そうですね。メイには説教の言葉が腐るほどあります。覚悟しておくように」
「何で!?」
露骨な上から目線のメイを雑に流して、本題に入る。
「それで。私が真に感謝を捧げるべき誰かさんは、どこのどなたでしょうか?」
見上げると、黒騎士は困り果てたかのように天を仰いだ。
これが私――日本非公式電軍《チガエシ》所属〝同族殺しの魔弾〟白波萌と。
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俺――今年の春から高校に通い始めた民間人、平坂樹の出会いだった。
AIあるいはIAIと人間は、特殊なシステム上でリンクを繋ぐと擬似的なデータ結合を起こす。
本来別個の存在が単一と誤認され、複合的な姿で顕現。
機械と人間の長所を併せ持つ兵器――ニグレードになる。
当然の帰結なのか何なのか、内実はロボットそのもの。
利点は対格差や能力の不利を補うだけに留まらない。
リンク内容に改竄を施すことで、ある程度のチューニングが効く。過剰な痛覚は分散され、操作においても分担が可能となっていた。
――以上、メイが力説するニグレード情報だ。
俺の直面した現実は、ちょっと違う。
『アクセス失敗!? 何でっ、この! あたしの言うことを聞けーッ!!』
あらゆる改竄を受け入れず。
『これくら、い!? った……く、ない――わけあるかぁ!! 痛い痛い、超痛い!!』
痛覚は分散どころか、片方に集中し。
『ちょ、タンマタンマ! 待って――、ぶぎゅ。……あれ? 立てない……?』
操作は分担こそされていたが、強制で変更不可。
あんな大口叩いての体たらくだ。メイは焦りと混乱から、泣いて叫んで大騒ぎ――彼女の名誉のために、この辺の仔細な描写は避けようか。
忘れる約束だ。
結局、俺が生身と同じ要領で機体を操り、蜘蛛神を撃破。
メイの相棒と合流を果たした。