断章――水無瀬真昼
宿敵《チガエシ》の切り札を利用して、現実世界を窮地に追い込み、凱旋を演出――《ディエスイレ》急進派の計画は、ついに最終段階を迎えようとしていた。
墓地の奥に建つ教会地下で、誰より早く計画成功を確信したのが水無瀬真昼だ。
急進派の上位幹部から直接勧誘を受けた、七人いる計画実行犯の中心人物。
現時点でも、急進派中位幹部級の権限、そしてIAIの卵という稀有な《力》を手にしている。その上、計画成功後には富と名誉と富が約束されていた。
しかし、栄華の極みを前に、なぜか真昼の表情は暗い。
特に、とある人物の調査報告書が届いてからは機嫌が悪化の一途を辿り、暗雲垂れ込める有様だった。
――平坂樹、か。
厄介な遊撃組の切り札も一機押さえて、お膳立ては完璧だったのに……。
報告書の最上段に記された名前を、恨み言と一緒に心中で呟く。
その名前は、もはや計画関係者全員の忌み名と表現しても、過言ではない。
だが、計画の成功を確信する真昼は、他の者たちとは全く別の理由で、平坂樹に憎悪の念を寄せていた。
――このまま必要最低限の被害で、隔離対象者の待遇改善を成し遂げれば、僕は歴史に偉人と記される。しかし完璧を求めるなら、もう一手間必要だ。
想定外の事態に見舞われた真昼だが、そこは大逆無道のロマンチストだ。苛立ちながらも、全く絶望していない。
自らが用意した保険を信じて、素早く対応策を組み立てる。
木切れの椅子に座って真昼が思索に耽る。
そこに、仲間である筋骨隆々の黒人男性が寄ってきた。
「静かだな。てっきり、あの痛々しい妙な女が追ってくると思ったのに……」
「比奈枷――あれで異界統一戦線の生き残りだ。下手な陰口叩くと殺されるぞ」
「こ、怖ぇこと言うなよ……」
比奈枷の子供っぽい容姿に似合わぬ壮絶な戦技を思い出すと、真昼の背筋にも震えが奔る。奇襲も裏切りも通じず、洗脳状態の高位術者を数人使い潰してなお、殺せなかった。陸軍上がりの常人が臆するのは、無理からぬことかもしれない。
「まぁ、籠城予定地に辿り着いた今なら、いくら〝生ける伝説〟配下と言えど、簡単には攻め込めないさ。例の〝キリングマシーン〟も控えてるんだろ?」
「ああ。半数は俺が用意したんだ。それは間違いない」
「よく個人で用意できたもんだよ。お前、御上にコネでもあったのか?」
「コネと言うか……実は俺、元々完全な独断で動いてないんだ」
仲間の暴露話を聞いて、真昼は顔をしかめた。
「僕が言えた義理じゃないが、那雲司令も大変だな。内外問わず敵だらけか」
「あんたは〝生ける伝説〟を――いや、白波那雲を高く買ってるんだな」
「地獄のどん底から這い上がった……あの人は僕の理想だよ」
そんな偉大な先達の忠告を無視して、自分は急進派の計画に参加している――司令室での一幕を思い出し、真昼は苛立ちを募らせた。
罪悪感の欠片まで粉砕せんと切歯する。
その耳に、携帯電話の震動音が届いた。
「電脳空間の方で問題が生じた。予定通り、呪式電脳戦の備えを有した僕が単独で対処する。地上で籠城の準備を進めてる防衛組にも、そう伝えておいてくれ」
「了解。……なぁ、本当に援軍はいらないのか? せめて急進派から何人か寄越してもらった方が……」
額に脂汗を滲ませて、黒人男性が不安気に告げる。妻が隔離被害者となり、某国陸軍を離反した彼は、計画の成否が心配で仕方ないようだ。
図体に反して気が小さい仲間の進言を、真昼は鷹揚に笑い飛ばした。
「無理だよ。穏健派との約定で上位幹部は謹慎中。中位以下じゃ防衛線を突破できない。……第一、敵は民間協力者を含めても、たった三人だ。援軍の必要なんてあるものか。大船に乗ったつもりで、待っててくれ」
必要なら、同じ釜の飯を食った同期も襲う真昼だが、基本は絵に描いたような好青年だ。仲間には優しく、気遣いも忘れない。
全て打算故の言動だとしても、それを一々暴き立てて責める輩は皆無に近い。
黒人男性も真昼の言葉を疑わず、次第に落ち着きをとり戻していった。
「さすが〝生ける伝説〟の秘蔵っ子を制した主席だな。頼もしいぜ」
「任せておけ。ご希望は妻との再会だったか? ……何なら、今すぐ隔離されたらどうだ? 緊急避難用の隔世結界発動体は、ちゃんと持ってるんだろ?」
「もちろん。だが、子供のことを考えると、これを使うワケにはいかない」
消えた妻のことも大切だが、それと同じくらい子供の未来が大切なのだ。
仲間の苦悩は、真昼にも察せた。
「そうか……分かった。安心しろ。僕が今日にでも家族を再会させてやる」
「ああ、期待して待ってるぜ。その間、お前の実体には指一本触れさせない」
「ありがたい話ではあるが、いざとなったら僕より、奥で解呪中の《パンドラ》を優先してくれよ?」
自信満々に言い切る護衛に、真昼は計画実行犯の中心人物として建前を返す。
それから彼は、携帯電話を模した新型端末と鈍色に輝く首輪を用意して、電脳空間に自らの魂を接続した。
≠ ≠ ≠
大逆無道のロマンチスト――水無瀬真昼は、傍目に華々しい人生を歩んできた。
多くの分野で優秀な成績を残し、周りも『二流どころの水無瀬から、麒麟児が誕生した』と、頻繁に賛辞を送ったものである。
しかし、真昼が天に愛されていたかと問うなら、答えは否。
周りの認識ほど、真昼は才能に恵まれていない。
特に血筋の面では落ちこぼれも同然で、生家水無瀬の宿業――妖の因子を受け継いでいない生粋の人間だった。真昼が収めた成功の全ては、自らの意思で魔道に踏み込み、血が滲むような研鑽を積んだ結果だ。
文武両道で魔道に通じる真昼の実力は、士官学校の中でも抜きん出ていた。
が、同期には彼の立場を脅かすバケモノがいた。
白波萌。邪法で誕生した、複数の人外因子を宿すハイブリッド。
その凶悪な《力》から、白波那雲の保護下に置かれ、斑蛾晶からは特殊な術理体系を伝授されたと噂されている。
天の愛ではなく呪詛に塗れる萌の存在は、良くも悪くも真昼を刺激した。
電軍士官学校の前期終業を祝して打ち上げが決まった、残暑厳しい夏の夕暮れ。
萌と一緒に買出しを担当した真昼は、帰路の途中で彼女に因縁を吹っかけた。
切っ掛けとなるような特別な出来事があったわけではない。ただ、相手は主席を争うライバルで、人外の《力》に関して真逆の境遇に立つ存在だ。意識しない方が無理――そう思っていたのに、萌は真昼を羨むどころか敵視もしていなかった。
強いて言うなら、それが真昼の癪に触ったのだ。
成績や生い立ちから態度に言葉使い、果ては保護者に絡めて……途中まで真昼が一方的に罵っていた。
しかし、とある〝イレギュラー〟の介入を境に、状況は激変した。
『――そうですね。水無瀬真昼。貴方は斜に構えず、もっと格好を付けるべきだ』
白波萌が本性を現したのだ。
『さっきから、見苦しいくらい格好悪いので』
『何だと……! モルモットの分際で、偉そうにっ!』
『だから、それを止めろと言っているんです。軽々しく喧嘩を叩き売りする前に、少しは自分の言動を省みなさい。その上でと言うなら、お相手しましょう。
ですが……後ろで〝この子〟が見ている以上、貴方は私の〝敵〟だ。同期でもない三流悪役に、手心など加えませんよ?』
その瞬間、ついに真昼は気付いてしまう。自分があらゆる意味で、白波萌の歯牙にもかかっていなかったという、残酷な現実に……。
『貴方の妬んだ生い立ち上、私と澪は学者や術者垂涎の貴重なモルモットです。犯罪に手を染めてでも、この身を欲す輩は多い。だからこそ〝生ける伝説〟は、自分の身を護る術の数々を仕込んでくれました』
士官学校での成績は僅差など、真昼の思い上がりも甚だしい。萌は前期で開花させた支援火力の才能以外、真価の片鱗も周囲に見せていなかった。
『《力》を御する斑蛾晶と、《力》を狂わす白波那雲。〝生ける伝説〟と謳われし二人の秘奥を、今この場で披露してみせましょうか?』
今の自分じゃ、勝負にならない。それを闘わずして理解した真昼は、固めた拳を振り上げもせず、悪態と唾を吐き捨てて踵を返した。
――その姿は、正しく〝三流悪役〟そのもの。
他ならぬ真昼本人が、誰より深くそう感じた。
以来、真昼は禁術にまで手を出して、萌を見返すことに執念を燃やした。逆に、萌は卒業後を見据えて良く学んだ。
結果、士官学校主席の座には、当然の如く〝水無瀬真昼〟の名前が輝いた。
かつての真昼なら、その時点で満足したはず。
しかし実際は空虚な思いを噛み締めるばかりで、報われたとは思わなかった。
三流悪役にまで貶められたせいか、主席ぐらいでは納得できなかったようだ。しかもその後、IAIの不当な判断で活躍の場を奪われてしまう。
何をやっても上手くいかず、鬱屈とした日々が続く。
不満は募る一方。比例して、要求のボーダーも上がっていく。
かくなる上は、自分と同じ〝出涸らし〟の境遇から、〝生ける伝説〟にまで這い上がった理想像――白波那雲のような偉業を成し遂げるしかない。
歪みに歪んだ渇望が、真昼を急進派の下に導いた。
自分はいつか必ず報われると信じてやまない、大逆無道のロマンチスト――水無瀬真昼が、満を持して戦場に立つ。
相対するは、自分が報われない可能性を認めた上で、なお格好を付け続ける、理想嗜好のリアリスト――平坂樹。
二人は奇しくも互い無自覚のまま、いつかの因縁を清算しようとしていた。