12――発展途上の第二世界と発展しすぎた少女
……。
…………。
……、……待てど暮らせど体調は変わらない。
記憶に新しいあの甚大な変調は、初回限定の出来事だったのか?
俺は脳裏に疑問符を浮かべつつも安堵の息を吐いて、ゆっくりと瞳を開いた。
「うわぁ……」
思わず声を上げてしまう。
感嘆ではなく、落胆からの呻き声だ。
電脳空間は下地不足だから、呪式電脳戦用の調整が必要――ハッキング前、メイがそのようなことを口走っていた。
光源や足場や重力の体感問題だろう。情報生命体ならいざ知らず、電脳適応率の低い人間には、どれも必要不可欠な要素だ。
しかし、調整結果の感想は〝違和感〟の一言に尽きた。
頭上で燦然と煌く極光も、足場となる世界の礎も、何もかも嘘臭い。
生命の息吹はおろか流転の気配さえ感じられず、出来の悪い絵画の中に閉じ込められている気分だ。
三百六十度見渡す限り続く、人工の荒野――。
「だ・か・ら! どーして《ディエスイレ》のみぃが、電脳空間にいるのよ!」
「誘拐犯を捕まえるためって言ったろ! 晶さんが急進派と話をつけてくれた!」
しかも、BGMは子供の口喧嘩ときた。
電子の大海の神秘性など、欠片も感じられない。
ここから少し離れた場所で額を突き合わす、メイと澪。敵対組織に所属する二人ではあったが、ああした姿は気の置けない喧嘩友達のようだ。
「ポンコツだけじゃ不安なんだよ! 樹さまのことも心配だけど、ボクはカクリヨで晶さんのお世話になってるから、誘拐された二人は妹分みたいなものなんだ!」
「いやいやいやいや、待ちなさいよ! その二人って、あたし同様に晶ちゃんが孫扱いしてる子でしょ? なら、あたしの妹分じゃない!」
「仕方ないから、お前も仲間に入れてやる。ボクをお姉ちゃんって呼んでいいぞ」
「何であたしの方が妹扱い!? 順序的に考えても、あんたの方が妹でしょ!」
「実年齢はボクが上だ。精神年齢も若干」
相性が良いのか悪いのか、喧々諤々の応酬には終わりが見えない。
どうしたものやら……などと、微笑ましい気分で俺が頭を悩ませた瞬間。
二人の真横から、ミミズと似て非なる巨大な〝何か〟が伸びた。
鎌首をもたげるそいつの先端には、水銀状の液体に塗れる注射器めいた毒針が!
「避けろッ!!」
俺が叫んだ瞬間、澪とメイが反発する磁石のような勢いで散開した。
ミミズもどきがバネ仕掛けじみた跳躍で、二人の元居た空間を貫く。
さらに、そのまま急下降。荒れた砂地を物ともせずに抉り、大地の底に潜り込んでしまった。
「おいポンコツ、何だ今のは!?」と、ギョッとした顔の澪が叫ぶ。
「敵防衛システム本体が放った尖兵よ! 情報生命体とは違う、呪式プログラムの亜種。呪式電脳戦にも適応して、最低位の式神と同じ機能が――」
「あぁーっ、もういい! ポンコツの説明は一々長くてくどくて難しいんだよ!」
同感だね。
雑魚だが殺傷能力を有する敵と知れた以上、それ以上の詳細情報は要らない。
今は情報よりも、闘う術が必要だ。
俺は胸元で揺れる指輪型コンソールを弄り、ツールを呼び出した。白波さんの教えを振り返りながら、慎重に操作を進める。
視界端で円環状に連なるアイコン群を動かし……これか。
俺の操作で、端末プリインストールのデータ一覧が表示された。その中の一つに意識を重ねてコマンド選択。
【MATERIALISE】
手中に顕現した拳銃を握り締める。
敵がいて、武器を用意したなら、やることは一つだ。意気込みを新たに走り出す。同時に、地面から再びミミズが飛び出て二人を襲った。
「ボクの前に出るなよ、ポンコツ! 黒より暗くなお昏く――」
澪が懐から大量の符をとり出して謎の呪文を紡ぐ。
すると彼女の手を離れた黒塗り金紋様の符が、次々と虚空に流れて真円を描き、薄暗い障壁を生成した。
ミミズの毒針が澪の《力》らしき障壁に激突、眩い火花を散らす。
せめぎ合いは障壁の勝ちだ。
ミミズは勢いを失い、地面に落下した。瞬間、毒針の逆端で眼球じみた機構が忌々しそうに歪んだ。――あそこが弱点臭いな。
毒針が地面を抉る。再び地中に潜って奇襲する気だろうが、そうはさせない!
俺はその場で足を止めると、見よう見まねで不恰好に銃を撃った。
さすがに初弾命中とはいかない。だが、標的を狙う感覚なら、ダーツやボーリングで鍛えてある。都合三発目で、ミミズの眼球を撃ち抜くことに成功した。
「ふぅ……。二人とも無事か?」
緊張と一緒に拳銃の構えを解いて確認する。
澪は「樹さまっ」と花咲くような笑顔で歓迎してくれた。
一方、掌を地面に押し当てるメイからは、鋭い叱責が返ってきた。
「バカッ! イツキは自分の身を護んなさい!!」
その言葉に、俺は理性ではなく本能で反応した。
地面を強く蹴って跳ぶ。身体が宙に浮き上がった直後のこと、真下の荒地を貫いて二匹目のミミズが出現した。
「チィ……!」
照準合わせの間も惜しんで銃を乱射する。ミミズの急襲速度は俺の跳躍速度を凌駕していたが、銃弾の雨が功を奏した。急襲の軌道が直撃コースから外れる。
ただし、今度のミミズは一匹目と違って、先端の形状がはさみ型。
左右に限界まで開いた刃の片方が、俺の二の腕を掠めた。初期装備のジャケットごと、肌を浅く切り裂かれてしまう。
「い、っ!」
ぐ、至極普通に痛ぇっ!
やっぱりカクリヨの時と同じで、ノーハンデなのか。
「まだよイツキ! 五秒後に七時方向から一匹追加!」
メイの予言を頭に叩き込む。
……焦るな。まずは地を這うはさみ型から倒そう。
照準を合わせてトリガーを引く。
カチリと無常な音が響いた。
「弾切れ!?」
さっきの乱射で撃ち尽くしたのか。
……最悪。リロードの方法なんて知らねーよ!
愕然と立ち尽くす俺の首を狙い、ミミズのはさみが肉食獣の顎門みたく広がる。
「く……っ、この!!」
俺は咄嗟に首を引っ込めて、はさみの交差口に銃身を叩きつけた。おかげで斬首は免れたが、ミミズの突撃自体にかなりの勢いがあった。
踏み止まれない。
このまま押し倒されるのは御免だ。自ら後方に吹き飛ぶ。
地面を転がった先では、先端が歪な円錐型の三匹目が待っていた。
あの形状は、もしかして――円錐が耳障りな異音を発して高速回転を始める。
「だと思ったよチクショウ!!」
どこからどう見ても男の浪漫、ドリルそのもの。あれは防ぐ術がない。しかも、はさみ型が追撃を仕掛けてきやがった。
挟撃。
ヤバイ、マジで絶体絶命だ……!
窮地を悟って歯噛みする。
それでも、諦めはしない。この場合、少しでも生存率が高そうな方は、はさみ型だ。片腕失うぐらいで済んだら僥倖……ッ!
「それ以上――」
地面を転がりドリル型から離れた俺の視界端に、金色の獣が映り込む。
「――樹さまに触れるなァッ!!」
倶風が逆巻いたかと思うや否や、ミミズが二匹仲良く粉々に砕け散った。
「は?」としか言いようがない。
俺は数秒間抜けに横転を続けて、勢いを完全に失ってから上体を起こした。直後、双眸に涙を滲ませる絶世の美女が、正面から抱きついてきた。
「樹さま! ごめんなさい、ボクが一緒にいながらっ。すぐ手当てを――あ! ダメ、だ……仮想体にボクの《力》は通じ難い。はっ、よく見たら頬にも傷が!」
男性垂涎の豊満な胸部を俺に押し当て、狼狽える美女。
その大人びた顔立ちの真上では、白波さんのそれと似て非なる金の狼耳が、陽炎のように揺らめいていた。声色などは澪と寸分変わらない。
まさか、三姉妹じゃあるまいし……そういうことなのか。
「どうしようっ、どうしよう、どうしようどうしようどうしよう!?」
「どうもしなくていい」
「痛っ」
俺は女性に軽いヘッドバットを決めることで黙らせ、なし崩しに話を進めた。
「強いて言うなら、素直に礼を受けとってくれ。肝心な場面は見逃しちゃったが、キミがミミズもどきを破壊して、俺を助けてくれたんだろ?」
「……ぁ、はい。一応、そうなります……」
「そっか。ありがとう、澪。……で合ってるよね?」
「? ええ、もちろ――ん!?」
肯定の途中、澪は視線を自分の胸部に落としたかと思うと、バッと身を翻した。
「こ、この姿は……っ、その……変身! そう、強くなるための変身なんです!!」
「いや、澪の場合そっちが素だろ? 狼っぽい要素が漏れてるぞ」
「ふぁっ!?」
耳と尻尾は自覚していなかったらしい。
俺の指摘に、澪は今度こそ顔面蒼白となった。
「あ、あぁ、あわ、あわわわわわわわ! こ、ここ、これは違う、違うんです!!」
「何も違わないでしょ。開放した《力》の余波で、偽装が解けかけただけ」
誤魔化そうと必死な澪の努力空しく、メイが淡々と正解を告げてしまう。
「白波さんの姉妹だもんな。彼女の方は隠せなかったみたいだけど」
「そこが隔離被害者との差ね。今のみぃは萌と違って、人外の《力》をそこそこ自由に扱えるのよ。耳と尻尾を隠して別人に化けるくらい、朝飯前」
俺の感想に注釈を入れながら、メイが歩み寄ってきた。
気を緩めず、警戒を維持してくれていたのだろう。ソナーらしき映像が映るウインドウが、今も彼女の周囲を衛星のように浮遊している。
「後続の半自律型攻勢プログラム群は、みぃの《力》を警戒して退いたみたい。さっきまで周りにうじゃうじゃいたのに、今は影も形もないわ」
「そいつらの出所を探れば、本体に行き着くんじゃないか?」
「逆探知なら、もうやって――訂正。もう終わったわ」
さすが。
「《パンドラ》とネットの接続地点も割り出し完了。直接転移は阻害されてるから、やっぱり防衛システムの本体を片付けなきゃいけないわね」
メイはウインドウを消すと、俺に掌を差し出しながら澪を睨んだ。
「ニグレードの出番よ、イツキ。それと――みぃ。今さら帰れとは言わないけど、本気で手伝う気があるなら、偽装なんかに《力》使ってんじゃないわよ」
「……分かってるよぅ」
なぜか澪は機嫌を窺うように俺を一瞥してから、立ち上がる。
とぼとぼと肩を落として歩く彼女の背を眺めて、俺は小首を傾げた。
「すごく綺麗なのに、何でわざわざ姿を変えてたんだろう?」
「乙女心は複雑なの」
とぼけた様子のメイと、俺の掌が重なる。
直後【IAI/MEI・LINK……OK】と、数時間前に聞いたものと一言一句変わらない、システムメッセージが響いた。
【SYSTEM NEGLADE・呪式展開/■■■■……SETUP】
表示一つで膨大な量の情報処理が進み、システムが起動する。
【機体識別名/《MUMEI》……IGNITION!】
緑炎が周囲で渦巻き、IAIメイと人間平坂樹が一機のニグレードと化した。
『もしかしたらって期待してたんだけど、やっぱり全設定変わらずかぁ』
視界端に機体設定らしき表示が浮かぶも、メイの愚痴に伴いすぐに消えた。
入れ替わりに半透明のタイマーが出現し、カウントダウンを始める。
現在の表示は、十二分三十六秒。
『視界端のタイマーが、ミッションの予想タイムリミットよ。遊んでる時間はないわね。イツキ、防衛システム本体の最寄りまで転移するから、先にみぃを拾って』
メイの指示を聞き入れ、機体の無骨な掌を澪に差し伸べる。
すると彼女は、常識外れの跳躍力を発揮して掌を飛び越した。腕を伝って左肩の上に陣取る。走行中に落っこちないか不安だ。
「澪。そこじゃなく、掌の上で指につかまっていた方が」
「わたしのことなら心配無用です。樹さまの片手が塞がる方が危険ですよ!」
助けてもらったばかりの身では反論し辛い。
澪の《力》を信じて、お言葉に甘えるとしよう。
すぐに【転移】とコマンドが響き、ニグレードの巨体が電子の果てに運ばれた。
『――はい、到着。景色は変わり映えしないけど、確かに別の場所よ。防衛システムの本体は真っ直ぐ進んだ先の、丘の上にいるわ』
メイが示す通り、遠くに薄っすら丘陵が見えた。
ニグレードなら三分とかかるまい。
『罠や奇襲に対する警戒は忘れて構わない。全部あたしが見抜いてみせる。イツキは機体に順応することだけを考えて、駆け抜けなさい』
『至れり尽くせりだな。ありがたい』
メイの保証に背中を押されて、俺は勢い良くスタートダッシュを切った。
重厚な鋼の塊と化していながら、身体は羽が生えたように軽い。早く速く迅く、ひたすら加速を重ねていく。
……まぁ、いずれ自壊しそうな危うさもひしひしと感じられるのだが。
「すごい……。でも、何でこんなに適応して……?」
荒野を飛ぶように疾駆する自機の肩で、澪が感嘆の息を吐く。
そこにメイが茶々を入れた。
「みぃの身体の方がすごいわよ。あんた、また成長したでしょ? 特に胸と尻」
「いっ、いい、いいいきなり何だ! ボクだって好きで育ってるわけじゃない!」
「贅沢者め。今の、萌の前では言わないでよ。あの子、地味に落ち込むから」
かく言うメイも不満気である。
彼女だってスタイルには恵まれている方だが、今の澪は天上の女神もかくや。同姓として、澪の態度には思うところがあるらしい。
しかし、澪には澪の言い分があるようだ。
ピッチピチな装束の上から、肉感あふれる双球を隠すように押さえて、涙目で子供っぽく頬を膨らませた。
「何で落ち込むんだよ? あいつはズルい。もうすぐ二十歳なのに、あんな可愛いだなんて……! 嫌がらせか? 暗にボクを老けて見えると嘲笑ってるのか!!」
「そんなわけないでしょーが」
……あ。
二人の漫談を契機に、俺はとある可能性に思い至った。
今まで、白波さんの妹って事実と俺限定のバカ丁寧な言動から、自然と澪を年下扱いしてきた。でも、別に彼女が年下だとは限らない。
むしろ、真の容姿や姉の実年齢を考慮するに、年上って方が自然か?
「悪ぃ。失礼承知で聞かせてくれ。澪って、歳いくつ?」
「ぅ……。もうすぐ……じゅぅ……に……さい、です……」
小・学・生!!
『年下で正解どころの騒ぎじゃなかった。ぎりぎりアウトだ……!』
『余裕でアウトだ!!』
ガックリ項垂れた気になっていると、メイの切れ味鋭いツッコミが飛んできた。
『見た目ばかりがアレな萌と違って、澪の場合はマジのマジで犯罪だからね! いや、何をする気かは知らないけどっ!』
『すこぶる無念だが、仕方ない。あと一年の辛抱だ』
『早い早い一年でも早過ぎる! 何をする気かは知らないけどぉっ!!』
そんな俺とメイのアホな通信を知らず、澪が恐る恐る言葉を続けた。
「あの、樹さま。わたし変じゃないですか? まだ子供なのに、こんな身体……」
「澪が世話になってる人は、何か健康上の問題を懸念していたか?」
「いいえ。晶さんが言うには、妖狐の因子が活性化したからで無害だと」
「そうか。なら答えは簡単」
問答の最中、俺は偽りの万能感に深酔いしそうになっていたことを自覚した。
今の平坂樹はシステム兵装ニグレード。大妖に負けず劣らぬ馬力や、銃弾を弾く鋼鉄の肌を誇り――肝心な場面で幼子一人慰められないガラクタだ。
頭を撫でる程度の優しさも、家族のような温もりも持たない。
「身体の健やかな成長は元来祝い事だろ? 他人より早熟だからって、容姿を偽るような必要があるものか。素直に喜んでおくといい」
今できることは、どうか伝わりますようにと祈って言葉を紡ぐのみ。
「狼の耳と尻尾も含めて、澪はとても綺麗だよ。断じて変なんかじゃない」
「樹さま……。……ありがとう……ございますっ」
飾り気の薄い俺の答えに、澪は涙を流して頷いた。
『慣れない真似をした甲斐はあったかな?』
『そうね。みぃを泣かせたけど、萌には黙っててあげる。……でもイツキの本音は、ボンキュッボンの獣娘を心置きなく堪能したいだけなんじゃ』
メイの意念の後半は、届かなかったことにしよう。