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白い現 五 中

 目が見えなくなった今、あの時に見ておいて良かったと改めて強く思っている。

 荒太は感傷に浸る剣護をそのままに、強い口調で語った。

「俺が剣護先輩に一目置いたんは、剣護先輩が今生でずうっと真白さんを守って来た人やからです。これからもそうしよういう、気概を見せてた人やからです。今も、そんなあんたの言葉やったら俺は尊重したかもしれん。けど、あかん。無様な自分を見られたない、いう理由で、真白さんを置き去りにするような男の言葉を、聞いたる気は無い。同情かて、してたまるかっ」

 激する荒太とは反対に、剣護は静かな口調で返す。

「……お前はそれで良いのか、荒太?」

「ええですよ。あんたを真白さんへの誕生日プレゼントにして、せいぜい株を上げます。今以上にね!」

 豪語する荒太に、真剣な顔で剣護が迫る。決して焦点が合うことの無い緑の目は、荒太を遣る瀬無くさせる一方だった。

「荒太、――――――良く聴け。俺は、この世に生きてる女の中で、真白が一番好きで大事だ。それは一生、変わらねえ。そういう俺を、あいつのもとに帰して良いのか、って訊いてんだ」

「やっかましいっ!!本邦初公開、みたいな顔で、誰でも知っとるようなこと抜かすなっ」

 があっと吠えた荒太に、剣護がやや怯む。

(言われるまでもない―――――あんたは真白さんを愛してる)

 でなければ、どうして命まで投げ出せる?

 最初から気付いていた。自分と同類の匂いに。けれどそれは荒太にとって怖い事実だった。だから真白を女性として見る存在が、自分の他には要だけだと目を逸らして誤魔化そうとした。

 少し口調を弱めて荒太は続けた。

「…俺、剣護先輩のことがずっと怖かったです。あんたが本気になったら、簡単に真白さんを横から(さら)われそうな気いして。怯えてた。生きてるかもしれんて判ったあとも、―――――ほんまは少しだけ悩みました。確かめに行くかどうか」

 それは荒太が初めて口にする胸の内だった。

 だが、真白と共に過ごした時間が、荒太の中に自信を培っていた。

 例え真白にとっては夢の中の現でも。荒太にとっては夢のような現だった。

 その全てが嘘で無意味だとは、荒太は思わない。

 真っ赤な顔を両手で覆った真白の告白は止めとなった。

〝私の荒太君だから〟

 おっとりした真白が荒太の為に初めて嫉妬し、激しい感情をさらけ出した。

 常に嫉妬させられる一方だった荒太がそのことをどれだけ喜んだか、真白は知らないだろう。人に譲る気性の彼女が、自分に対して示した強い独占欲が、荒太の中に剣護を迎え入れる決意を促した。

「……帰りましょう、剣護先輩。俺、真白さんに、俺は真白さんのもんやって言われてしもたんです。そんな訳で真白さんはもう俺にベタ惚れやさかい、大丈夫です。俺、剣護先輩のこと、道端の石っころくらいにしか思いませんし」

 剣護は荒太の言葉から、妹が荒太と過ごした月日で彼と幸せだったのだろうと察した。

 そしてその幸せを作り、維持するべく奮闘して来た荒太の姿が浮かんだ。

 それでもまだ、真白に自分が足りないと言うのなら。必要だと言うのなら。

 光を失っても、彼女の声を聴く耳は残っている。

〝剣護。剣護―――――〟

 記憶に残る、最後の真白の声は激しい泣き声だ。

(聴きたい)

 幸せに和らぎ、自分の名を呼ぶ真白の声を。逢いたかったと言う泣き声でも。

 どうしても聴きたいと思ってしまった。

 波の音を聴きながら、これで詰みかな、と剣護は思う。

 同時に、こんな辺境の地までやって来て、頑なな自分の覚悟を突き崩した荒太に感嘆するような脱帽するような念を抱いた。

 ただ現状維持を選び、真白を一人で確保し続ける道もあっただろうに。

 荒太にとって心穏やかでいられない存在である筈の、〝門倉剣護〟さえ真白に捧げようとする。

(呆れた奴だ。お前。――――――そんなに真白が好きかよ)

 成瀬荒太は正真正銘、本物の莫迦だ。

「……抜け抜けと言いやがって…。誰が石っころだ。誰が。俺はなあ、宝石で言えばさしずめエメラルドだぞ、この野郎」

「いてっ」

 目が見えなくても、頬っぺたをつねる程度の芸当は出来るらしかった。

 更に荒太の首を腕でグイッと引き寄せ、剣護が低い声で最終確認をする。

「―――――良いか?真白にくれてやった、エメラルドだぞ。あとで後悔するなよ」

「しませんよ。真白さんの指にはとっくの昔から、タンザナイトがありますから」

 あーあ、と剣護が見えない目で天を仰ぐ。

「今夜の宴は送別会になるな」



 真白は、日曜の晩を怜と過ごしていた。

 料理の出来ない真白の為に、荒太は、自分の留守中はなるべく怜と食事をとるように真白に言い置いて行った。自分の料理の腕前を自覚している真白は、保護者のような荒太の言い付けを従順に受け容れた。怜はむしろその事態を歓迎して、普段自分が食べるだけに作るよりも、ずっと張り切って食事の用意に取り組んだ。

 夕食が済んで真白が後片付けを終わらせると、二人してカーペットに並んで座り、推理ドラマを観た。

 怜はドラマの序盤で早くも犯人が解ってしまったようで、先程から真白に請われるままに、少しずつ犯人を指し示すヒントを出してやっていた。ドラマの間に入ったコマーシャル中に、真白が兄に話しかける。

「…ねえ次郎兄」

「ん。犯人、解った?」

「ううん、そうじゃなくて。――――――荒太君、いつ帰るのかな」

「まだ二日だろう。真白、寂しいの?」

 笑い混じりの問いにコクリと頷く。

「うん。……寂しい。今までは傍にいてくれるのが、あんまり当たり前になってたから。あのね、次郎兄。呆れないで聴いてくれる?」

 耳元に口を寄せた妹に、怜もまた頭を傾けて頷く。

「うん」

「絶対、内緒にしてくれる?」

「うん。何?」

「絶対だよ。――――――実は昨日ね、………こっそり、荒太君のベッドで寝たの……。…内緒だよ?きっと怒られるから。すごく恥ずかしいし。はしたないって思われるの嫌だから。荒太君は潔癖症だから、気付かれないように髪の毛一本見逃さないようにして、頑張って証拠隠滅して来たんだけど。もうね、警察の鑑識並みに神経を使ったんだよ」

 真白は最近、刑事物のドラマに凝っている。

「……内緒にするよ」

 複雑な思いを隠して、怜は真白に微笑んで請け負う。

 有頂天になった荒太の顔を見るのは面白くない。

 怜は荒太が、何をしに家を空けたのか知っていた。剣護生存の可能性の報告と同時に、前もって聴かされていたのだ。

 薄手のワークジャケットを羽織った彼は、パンパンに膨れ上がったナップザックを背負い、首には種のついたネックレスを下げ、手には真白から借り受けた雪華を持っていた。足に履くのはトレッキングシューズだ。一見、どこに何をしに行くのか解らない、奇妙な格好ではある。目的と任務の為なら、ビジュアルにも頓着しない意識の切り替えの潔さは、忍びならではとも言えた。

〝どんな結果になるか解らへんよって、真白さんにはなんも言わんで行く。俺が留守の間、彼女のこと、くれぐれも頼む。ええな、頼んだからな?真白さんに傷一つ、つけたら許さへんぞ!くれぐれも言うとくぞ!〟

 噛みつかんばかりの勢いで何度もしつこく念を押して迫る荒太に、俺は兄だぞと思いながらも怜は頷き、彼を送り出した。

 最初は、荒太の言葉がとても信じられなかった。

 閉ざされていく緑の結界を、怜は確かにこの目で見た。鏡子の身体から滲み出す汚濁を感じ取りながら。こちらを見る、とても静かな剣護の表情。

 それで全ては終わったと思っていた。

 今生で唯一、兄と呼べた存在を自分は失ってしまったのだと。

〝可能性はまだある。諦めるな〟

 荒太の声と目には、怜の底深くに埋もれていた希望を呼び起こすだけの力強さがあった。

(――――――もしも太郎兄が本当に戻って来てくれるなら)

 自分たちのもとに、剣護が戻るというのなら。

 それは怜にとって、奇跡の再現でもある。

 荒野に落ち着きつつあった怜の心が、大きく飛躍することになる。

 そして欠けていたピースが揃うことで、真白は夢から目覚めるだろう。

 目覚めて、今度は彼女を傷つけることのない、幸福な現実と向き合うだろう。

「なあに、次郎兄?」

 自分の頭を撫でる次兄に、真白は首を傾ける。

 優しい目でそんな妹の顔を見て、きっとそれは叶う、と怜は信じた。

 ひたすら強く祈った。奇跡の再現を。

(頼むぞ、成瀬)

 ふと、怜は笑う。

 気付けば自分はいつも、剣護に関しては肝心なところで荒太に頼っている。

 それは荒太の剣護に対する、ひいては真白に対する執念の賜物だった。真白の幸福を、いつもがむしゃらになって追いかける荒太の姿は、兄としても感じ入るものがある。

 そろそろ観念して認めてやる頃合いなのかもしれない、と怜が考えていた時。

 チャイムの音が鳴った。


 パチン、と、どこかで泡が弾ける音を聴いた気がして、真白は瞬きした。

 目の前には着物姿の剣護が立っている。

 剣護が立っている。



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