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散華 四 前

       四


 金曜日の午前中、チャイムの音に玄関のドアを開けた公立琵山高校(こうりつびざんこうこう)に通う和久井琴美(わくいことみ)は、そこに同級生の渡辺定行(わたなべさだゆき)の姿を見た。普段着でいても、やはり彼の真っ赤な髪は目立つ。彼とは今年の梅雨のころから、友達以上、恋人未満といった微妙な関係が続いている。

 様々な事情から、当初は彼の存在を不気味に思っていた琴美も、次第に、彼から向けられる素直な好意に気持ちがほぐれていった。夏休みには一度だけ、デートらしきものもした。心配性の父親が、どうやら娘に彼氏らしき存在が出来たと勘付いて、紹介しろと最近うるさい。だが、定行とはまだそこまではっきりした仲ではないし、彼の真っ赤な髪を保守的な父が見たらどう反応するかなど、簡単に想像がついてしまうので琴美に紹介する気は全く無かった。大体今時、わざわざ恋人を父親に紹介するなど、流行らないと琴美は思う。結婚を前提にした大人の話であればともかくだ。

 そうした思考はさておき、定行が前触れも無く家に来ることなど初めてで、また、住所を教えた覚えも無いので琴美は面食らっていた。

「…何かあったの?渡辺君」

 どうやって住所を知ったのかなどという疑問を脇に置いて思わずそう訊いてしまったのは、彼がいつになく悲壮な雰囲気を漂わせていたからだ。

 彼は琴美の問いに答えず、俯いた。ドキリとする。

(泣いてるの…?)

 小学生の弟が、ひょいと顔を出す。夏休みを満喫している腕白盛(わんぱくざか)りが家にいると、(やかま)しくて仕方がない。好奇心の塊のような彼が、定行の真っ赤な髪に興味を示さない筈がなかった。

「お、ねーちゃん。彼氏か、彼氏か?すっげー髪!不良?」

「うるっさいっ!あっち行って宿題でもしなさい。今から、ねえちゃんが良いって言うまで、ねえちゃんの部屋に近付いたら怒るからね!――――――ごめん、渡辺君。とにかく、上がって?」

「…お邪魔します」

 定行は泣いてはいなかったが、今にも泣きそうな目で一言、告げた。唇だけが、いつものように弧を描いていた。


「え、と、狭い部屋でごめんね?」

 オレンジジュースを運んで来た琴美が詫びると、定行がくすりと笑った。

「勝手に押しかけたのは、僕のほうだよ。そんなことで謝らないでよ」

 そのまま、室内に沈黙が満ちる。

 落ち着かない気持ちの琴美は、部屋の隅に置かれた、大きな犬のぬいぐるみを抱え込みたい気分だったが、それを定行に子供じみていると思われたら、と思うと出来なかった。

 ああ、部屋の掃除をここ数日サボっていた、とそんなことも考える。定行が潔癖症の綺麗好きなどでなければ良いと思うが、今はそれどころではなさそうだった。

 琴美の知る定行は朗らかで明るく、琴美はいつも彼に引っ張り回されていた。

 これ程までに沈み込んだ定行を見るのは、初めてのことだった。

「…今から言うのは、ただの僕の、ちょっととち狂った作り話だと思って聴いて欲しいんだけど。ついて来られなかったら、遠慮なくドン引きしてよ」

 やっと話を切り出した定行に、琴美は力強く頷く。

「うん。渡辺君のそれは、もう慣れてるもの」

 彼は時折、自分のことを、ずっと探していた生まれ変わり、などと言う電波系な発言をして困らせるのだ。しかもそれは、応仁の乱のころに遡る話だというから呆れる。

 そしたらあなたは何者なのだ、と問うと、花守と言う神の眷属だと答えるので、もうそれ以上、何も言う気を無くしてしまった。その突拍子も無い発言も琴美に対してしかなされないので、学校ではごく普通の、明るい人気者で通っているのだ。

「僕たちのお仕えしていた姫様が、亡くなられた。恋人の花守に死なれることに耐え切れず、自ら命を絶たれたんだ………。世を照らす光のような方だった。あのお方は永遠だと、ずっと変わらずにおられるのだと、そう、信じていたのに。僕の…」

 そこで定行は深く息を吸った。

 まったりとした風に、レースのカーテンが揺れる。白いレースのカーテン。

 光が差す。光――――――――。

(金臣。木臣。黒臣。……一人だけ、残った僕を責めるかい?)

 だが明臣は、目の前で心配そうに自分を見つめる少女と、離れることが出来なかった。

〝明臣はそれで良いんだ。…すまない〟

 金臣は最期に、自分にそう言い残してくれた。独りで花守の責を負うことになる明臣に、詫びた。彼女の流れる黄金の髪も、もう見ることは叶わなくなってしまった。

 金と若草と黒は、明臣の見守る目の前で散った。

「僕の仲間の花守も、…皆、殉死(じゅんし)した。姫様と生まれ変わりを同じくする為に。僕は――――――、僕だけは、皆と逝けなかった」

 端整な顔に流れる涙から、琴美は目が離せなかった。

(殉、死。…殉死って)

 主君の死を追って、自殺することだ。

 喉まで出かかった、時代錯誤だという言葉が、定行の涙の前に引っ込む。

 作り話にしろ、定行が死ぬかもしれなかった、という事実に、恐れを抱く自分を琴美は自覚した。―――――彼がいなくなることを、怖いと、自分は思っているのだ。

 泣いている定行を慰めたいと思い、おずおずと手を伸ばすと、その赤い、綺麗な髪に触れた。柔らかくて、温かい。生きている。

「お蔭で僕は、今では唯一残った花守だ。…君がいたからだよ、和久井さん」

 彼の目が、射るように琴美を見る。その目が薄い青だと気付いたのはいつだったか。

 赤い髪に触れる手が戸惑いに止まる。

「え――――…と、どうして?」

 明臣が(わら)った。見たことのない笑いに、琴美は少し怯える。

「五百年だよ?君のこと、五百年探してやっと逢えたっていうのに、ここで僕が下手に転生の輪に入ったら、すれ違って会えなくなるかもしれないじゃないか。もうこれ以上は、僕には耐えられなかった。だから―――――、だから、和久井さんには僕のこと、慰める義務があるんだ……」

 声には力が無く、定行が本気で言っている訳ではないと琴美にも解った。だが、琴美は自分の意思で、定行のことを出来る限り慰めてあげたいと思った。

(私のせいで、置いてけぼりにされちゃったの?…私の為に、残ってくれたの?)

 定行の話は、今までで一番、真に迫って琴美の耳に響いた。

「勝彦ー!!」

 大声で名を呼ばわると、ドアの向こうで聞き耳を立てていた弟がドタバタと慌てる物音がした。部屋から出てその首根っこを掴むと、財布から取り出した五百円硬貨を手に握らせる。

「お小遣(こづか)いあげる。だから、あっ君でも誘って、しばらくお外に行ってなさい!解った?」

 勝彦は握らされた五百円玉と姉の顔を見比べた。上目遣いの黒い瞳が疑惑に光る。

「…いーけどさ。ねえちゃん、あの赤いにいちゃんとエロいことするんじゃねーだろな。テレビドラマでさ、こーやって母親が子供を外に出してさ、愛人連れ込むとことかやってたぜ」

 何てことを言うのだ、と琴美は怒り、呆れた。今度から弟にテレビのリモコンは触れさせまいと、固く決意する。

「莫迦っ。あんた、テレビの観過ぎよ!!信じらんない」

「いで!!」

 頭をさすりながら外に出かける弟の後ろ姿を見送り、琴美はふう、と息を吐いた。

 そして、そのままドアを背に、狭い玄関の三和土(たたき)にズルズルと座り込んで泣いた。

 ヒヤリとした三和土の冷たさに、なぜだか無性に泣けてしまった。

(――――何でだろ。渡辺君が泣くと、私まで悲しいなんて)

 思っていた以上に、自分は彼のことが好きなんだろうか。

 定行の嘆きをうつされてしまった、と思いながら、琴美はしばらく部屋に戻ることが出来なかった。


「あ、ごめんね、ほったらかしにして。ちょっと、お手洗いとか行ってて」

「…和久井さん、目が赤いよ」

 時間を置いてやっと部屋に戻れた琴美は、定行に指摘され、赤面した。

「そう?」

 素知らぬ振りを通す。

「――――ねえ。私、渡辺君の為に何が出来る?」

 定行が目を見開く。

「…直球だね。普通、引くよ?あんな話。だいぶ気違いじみたこと、言ったと思うんだけど」

「茶化さないで教えて。出来ることはするから」

 琴美の声は柔らかかった。

(――――――富)

 主君も同胞も失った自分に唯一、残った存在。

 このタイミングで彼女と再会出来ていたことは、運命の皮肉だ。

「じゃあ、お言葉に甘えて。二つ、お願いしたいんだけど」

「うん」

「情けない話、僕はこれから結構泣くと思うけど、その間、胸を貸してもらっても良い?」

「い、良いよ」

 こんなことなら、先日買った新しいキャミソールでも着ていれば良かった、と琴美は後悔していた。

(せっかく奮発(ふんぱつ)した、シルクのキャミだったのに!)

 一つ目がこれだ。二つ目は何だろう、と琴美は自分で言い出しておきながら恐々と思う。二つ目は、簡単なようでいて、中々の難題だった。

「あと、僕のこと、定行って名前で呼んで欲しいんだ」

「が、…学校でも?」

「うん。いつでも」

 ただでさえ、半ばカップルのような目で見られている自分たちだ。定行をファーストネームで呼べば、それが確実視されることになるだろう。

(渡辺君は、それが良いのかな…)

 それだけではない気がした。何か、他に理由があるように琴美には思えた。

 ふっと意識が浮遊(ふゆう)する感覚に陥る。

(―――――だってあのころも、定行様と呼んでいたもの)

 そう考え、ちょっと待て、と自分の思考を停止させる。

 またこれだ。いけない。

 定行といると、時々、彼の妄想癖(もうそうへき)に引き摺られて、自分まで妙なことを考えてしまう。それを改善する為に二人でカウンセリングにまで通っているというのに、それが全く功を奏していない。

 けれど、と琴美は思った。結局、自分は彼が好きなのだ。それで打ちひしがれている姿を見ると、甘やかしてあげたくなってしまう。優しくしてやりたくなる。琴美は開き直った。

「良いよ、…定行君。じゃあ、私のことも、琴美って呼んで?」

 琴美が微笑んでそう言うと、定行は一瞬、目を丸くし、それから泣き笑いのような表情を浮かべた。

「良いの?」

「うん。今、解った。私、定行君にそう呼んで欲しいんだ」

 その言葉を噛み締めるように目を閉じた定行が、半身を傾けてゆっくり琴美の腕の中に頭を預けて来る。琴美は両腕を広げ、彼を包み込んだ。ポリエステルの素材など、この際、問題ではない。音高く鳴る心臓の響きが、定行に聴こえてしまうであろうことが恥ずかしかった。

 燃えるように真っ赤な髪が、琴美の視界を覆う。

 その赤い色を愛おしいと、琴美は思った。



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