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目覚め 四

       四


 市枝の家は、真白の家から3キロメートル程隔てた、高級住宅街の中にあった。

 星数の寂しい晩だった。

 市枝は開いていた雑誌をパタンと閉じた。

 部屋を出て、トン、トン、と螺旋(らせん)階段を降りると、家人に見つからないようそっと玄関を出る。色鮮やかなステンドグラスの()まった厚い木製の扉を、音を立てないよう静かに閉めた。

 静まった夜の家々に挟まれた道を少し歩くと、足を止める。

 双眸(そうぼう)には、冴えた光があった。

 ふう、と息を吐くと髪をかき上げる。

「―――――かような夜更けに、無粋(ぶすい)(やから)よの」

 彼女の周囲には、赤く揺らめく影があった。

 セロファンのように透ける赤は、薄くなったり濃くなったりしてその濃度を一定に保つ様子を見せない。ビラビラとした体躯(たいく)は薄っぺらいが、そのことがこの(あやかし)の力の弱さを示す訳では無かった。

(真白を襲った輩は、肌が溶解(ようかい)していたと聞くが…)

 今日の昼間、真白が魍魎(もうりょう)に襲われたという情報は、既に剣護より聞かされていた。

 市枝も十分に警戒するよう、(あらかじ)め忠告されていたのだ。

 この魍魎は、真白を襲ったという妖程グロテスクではない。

 市枝は美しいもの、華やかなものを好み、醜悪(しゅうあく)(いと)う。

(ならばまだましと言ったところか)

 市枝は真白たち程に鋭敏な感覚を持ち合わせていないが、赤い魍魎が放つ(よど)んだ敵意は明確に感じ取れた。空気を淀ませる敵意、悪意。

 そして―――――それのみに留まらず、これら魍魎の(かも)し出す紛れも無い殺気を感じ、市枝は目を細めた。その目には、事態を楽しもうとする余裕さえある。市枝は元来、その兄・信長にも似て好戦的な性格であった。

「加減は無用じゃな?―――――――参れ、百花(ひゃっか)

 市枝が手を伸べた先、何も無い空間から、(にわ)かに扇が出現する。

 それを手に取った市枝は、パン、と勢いよく開いた。

 扇の華麗な(がら)が明らかになる。

 金の地に、雪の中花開いた牡丹(ぼたん)の絵。

 (かつ)て市が若雪に手渡した扇は、元来の持ち主の手へと戻っていた。

 ふ、と市枝が(あで)やかに笑み、その笑みを浮かべる口元を、隠すように扇で(おお)う。

 その一瞬、市枝の姿は華やかな打掛(うちかけ)(まと)った姫君の様相(ようそう)(てい)した。それは(かつ)()りし日の幻だった。

 むしろ優しげにも聴こえる口調で、誘うように魍魎たちに呼びかける。

「のう、そなたら。扇の刃を味おうてみたことはあるかえ?」

 赤の揺らめきが怒声(どせい)のような(うな)り声を上げ、一斉(いっせい)に市枝目掛けて襲いかかった。


 翌日の日曜日、真白たちは再び集まった。

 今度は荒太も加えて、市枝の部屋での話し合いとなった。

 連絡を取る際、退院間も無い荒太を気遣って、「来れるか?」と訊いた剣護の問いに、荒太は一も二も無く「行く」と即答したと言う。


 真白と市枝が相次いで襲撃を受けた事実を前に、男子一同の顔は当然険しいものだった。

「市枝、怪我(けが)は無かった?」

 心配する真白に、市枝は笑いかける。

「大丈夫よ。四体まとめて(つぶ)しておいたから、結構数が稼げたわね。でも、私には空間の浄化までは出来ないから………」

 前生、神官家で生まれ育った真白たち兄妹に引き換え、市枝には祓詞(はらえことば)の心得が無い。

「それなら、俺がここに来る前に伊吹法(いぶきほう)(ほどこ)したから、心配無い」

 剣護が落ち着いた口調で答える。

 戦いの余韻(よいん)を残す場所を、指し示されるまでもなく彼のアンテナは(とら)えていた。

 市枝の部屋は真白の部屋よりもずっと広く、十畳程はあるフローリングで、めいめい部屋のそこここに座り自分の居場所を確保している。男子が三人いても、座り場所に不自由は無かった。部屋中央に置かれたアンティークのような趣のある華奢(きゃしゃ)なテーブルには、先程家政婦が運んで来た紅茶が人数分載っていた。三原家では、週に三日、家政婦が訪れることになっている。まだ熱い紅茶の入ったティーカップを手に持つのは、荒太と市枝だけだ。

「これで(めっ)したあちらの数は合計で八体になったな。残りは百より少ないってことか。今までの俺たちへの襲撃はたまたまだったんだろうけど。今回は明らかに焦点を絞ってきてる感じがするな――――――しかし女性陣を先に狙うとは、不穏だよなあ」

 剣護がのんびりとそう評したが、眼には鋭利な刃のような光があった。

「うん、いただけない()(くち)だ」

 怜が頷いて静かに同意の声を上げる。

 そう言えば、と剣護が顔を上げて荒太を見た。

「真白を助けてくれたんだな、荒太。恩に着る」

 怜も同じく、と言うように荒太に頷いた。

 荒太は首を軽く振った。

「大したことはしてません。それより―――――問題はこれからですやろ」

 顔ぶれが顔ぶれだからか、荒太は関西弁に戻って話している。

「理の姫に加担する話なら、無しだよ成瀬」

 物憂(ものう)げに怜が先手(せんて)を打つ。

 荒太が彼に目を向ける。

「せやかて、俺らがなんもせんでも火の粉が降りかかって来る以上、放置も出来んやろ」

 そう言って荒太は、出された紅茶を一口飲んだ。

 真白は、荒太が自分の考えを後押しする決断を下したことを悟った。

 安堵(あんど)が顔に出ないよう、心がける。

「………一度、話をしてみるか」

 剣護の言葉の意味を真っ先に悟ったのは怜だった。

「理の姫と?」

「うん。まあ、見舞いも兼ねて。花守とも話しておくべきだろうな」

 怜は口元に手を()り、考え込むようだった。

 真白は、剣護の譲歩を察した。

「でも、どうやって会うの?彼らは普段、神界か摂理(せつり)の壁付近か、自分たちの作った空間の中にいるんでしょう?」

 市枝が当然の疑問を口にする。真白はそれを聞いて、何となく、野生動物のことでも話しているかのような気分になった。それもごく希少な。

 あながち的外れでもない発想かもしれない。

「真白」

「はい?」

「――――――雪華を使えないか?」

 剣護の言葉に真白は首を傾げる。

「どういうこと?」

雪華(せっか)に、百花(ひゃっか)。それに、飛空(ひくう)

 美しい銘を並べた剣護に、市枝と荒太が目を向けた。

「それらの武器には、(かみ)(ちから)が宿っているだろう。とりわけ雪華には。媒体にして、理の姫たちがいる場所に行くことは可能なんじゃないか?」

「…剣護先輩、百花のこと知ってたの?」

 市枝の警戒した顔つきと同様、荒太も不審げな眼差しで剣護を見ている。

 そんな彼らを、剣護は軽く笑った。

「俺や次郎を、あまり()めるなよ?情報を先んじて握っておくことは、戦略の基本だろう」

 荒太が、そんな剣護を見遣って言った。

「――――まあ、そうですね。俺も、虎封(こほう)臥龍(がりゅう)のことを知ってましたさかい、これでおあいこですやろ」

虎封(こほう)臥龍(がりゅう)

 真白は胸中で、聞き覚えのあるそれらの名を繰り返した。虎封は次郎清晴(じろうきよはる)が、臥龍は太郎清隆(たろうきよたか)が、それぞれ元服(げんぷく)すると同時に与えられた剣の銘だ。

 剣護が薄い笑みを浮かべ、怜がへえ、と面白そうに言った。

 (さら)していない手の内を既に知られていたのは、剣護たちも荒太もお互い様らしかった。一方的に百花のことを知られていた市枝は、当然のごとく不機嫌な顔をしている。

「―――――雪華」

 真白が静かに呼ぶと、何も無い空間から美しい一振りの懐剣が姿を現した。一度呼び出したことで、名を呼べば真白のもとに来ることはもう解っていた。それはまるで忠実な生き物のようだ。

「………」

 その昔は若雪が愛用していた懐剣を見て、荒太が目を細める。

 剣護も怜も懐剣を注視(ちゅうし)していた。

「ああ、ちょう待って。その前に」

 唐突に荒太が声を上げたので、皆何事かと彼に注目した。

「市枝さん、折り紙かなんか持ってへん?無ければノートの紙でもええんやけど」

 市枝は怪訝(けげん)そうな顔をしたが、黙って机の引き出しの一つを開けると、美しい千代紙を取り出した。荒太に手渡す。

「こらええな。使うてええ?」

「どうぞ」

 荒太は千代紙の一枚を使い、器用に蝶の形を折り上げると、ふっ、とそれに息を吹きかけた。

 すると折り紙はたちまち金色の蝶に姿を変え、少しの間ふわふわ飛び回ると、姿を消した。

「…綺麗ね」

 素直な真白の賞賛に、荒太が微笑んだ。

先触(さきぶ)れか?」

 問うた剣護に頷く。

「いきなり押しかけて、敵襲や思われたらかないませんしね。こんくらいやったら、俺かて出来ますから」

 真白は蝶が消えたのを見届けると、改めて雪華の鞘から白刃(はくじん)を抜いた。

その刃は、こぼれるような光を弾いた。

誰に教えられるでもなく、言うべき言葉が真白には解っていた。

「門倉真白が命じる。……その(やいば)をもちて道を開き、我らを導け。先導の果ては理の姫・(こう)、並びに花守たちの居所(きょしょ)なり」


 広がる空間は、柔らかな光に満ちていた。

 人を労わるような空気の気配に、真白は自分が目的とする場所に、確かに辿り着いたことを知った。

 ここは、理の姫の創り出した空間だ―――――――。

 そう、確信した。

 自分の背後を振り向くと、剣護たちの姿もある。彼らを導くことが出来たことに、真白はひとまず安堵した。

「――――――いらせられませ、姉上様」

 静かに響いた声は憂いを含み、親しみこそあるものの、歓迎する意思は感じられなかった。

 正面に向き直ると、総勢六名の男女の姿がそこにあった。

 中心に座す人物が、理の姫と見て間違いない。何度か目にした姿と、少しも変わるところが無い。

 艶やかな長い黒髪。白い面に、たおやかだが弱弱しさは感じられない、凛とした表情。

 うっすらと青い双眸(そうぼう)。身を纏うのは(さや)かな衣だ。

 常に持つ錫杖(しゃくじょう)を、今は手にしていない。

(……真白に似ている)

 これが初見では無かったが、剣護は理の姫の容貌を見て、改めてそう感じた。

 若雪にはもっと似ている、とも思った。

(―――――それに)

 容貌もそうだが、彼女たちに何より通じるものは身を包む清浄な空気だ。

 理の姫を含め、居並ぶ男女の全てが拝礼した。

 真白に対しての敬意だと剣護たちにはすぐ察せられたが、拝礼を受けた当の本人は戸惑う様子を見せた。神の眷属である自覚が未だ薄い彼女には、無理の無いことだった。

「理の姫……。怪我は、もう大丈夫なの?」

 理の姫の固い表情が、ふと緩む。

 しかし、何より気懸(きが)かりだったことをまず尋ねた真白に答えたのは、理の姫の向かって右に立つ、長い金髪を後頭部で高く結った女性だった。

「御安堵なされませ、雪の御方様。姫様は既に快癒(かいゆ)しておられます。雪の御方様におかれましては、お初にお目にかかります。私は花守が一、金の属性を有する金臣(かなおみ)と申します。以後、お見知りおきくださりませ」

 どこか男性的な、凛々しい美女の名乗りに、真白はともかくも頷いた。

 理の姫の怪我が既に治っているという言葉に、肩の力が抜けるように安心する。

 続いて、向かって左に座る若草色の髪の女性が、口を開いた。

 こちらは金臣とは対照的で、ふわふわと波打つ肩までの髪に縁どられた顔は、ひどく女性らしい甘い美貌だ。その口から出た声も、同じく蜜のように甘く感じられた。

「姫様を御心配いただきましたこと、心より御礼(おんれい)申し上げますわ、雪の御方様。私は木の属性の花守、木臣(もくおみ)と申します。よろしくお見知りおきくださいませね」

 そう言うと木臣は愛らしく小首を傾げて、にこっと甘い微笑みを真白に向けた。真白は荒太以下、男性陣の様子をそれとなく窺ったが、木臣の甘い魅力に鼻の下を伸ばしている者は、少なくとも表面上は一人も見当たらなかった。

「さあさ、あなたも名乗りなさいな、黒臣(くろおみ)。沈黙を通すのは無礼に当たるわよ?」

「……今、名乗ろうとしていた」

 木臣にせっつかれた背後の男性が、低い声で苦々しく言った。

「あら、それは失礼」

 少しも悪いとは思っていない口調でけろりと言った木臣を、彼はそれ以上相手にしなかった。

「―――――お初にお目もじ仕る、雪の御方様。花守が一、土の属性、黒臣と申します。以後、お見知りおきを」

 それは無愛想にも取れる、必要最低限の名乗りだった。

 黒い髪、黒い瞳、纏う衣も墨のようで全体が黒々としているが、真白は彼から無骨だけれど誠実な印象を受けて、自覚の無いまま微笑んでいた。

 黒臣は驚いた表情を一瞬露わにしたが、すぐに自身もごく小さく微笑した。

 そうすると堅いばかりに感じられる彼の印象が、(わず)かに和らいだ。

「僕はもう名乗ってるから、次は君の番だよ、水臣(みずおみ)

「―――大丈夫、彼のことは覚えてる。…若雪の時に、名乗りも挨拶(あいさつ)も受けたから」

 真白は水臣を促す明臣(あきおみ)に言った。

 それは事実だった。忘れようも無い。

 (かつ)て自分を――――若雪を、初めて「雪の御方様」と呼んだ花守。

 若雪が、運命違(さだめたが)えの術を行おうとする嵐を止める為、自らの命を絶ったのは水臣の言葉があったからだ。(みそぎ)の時を経る前に初めて出会った水臣の印象は、鮮烈だ。理の姫でさえ、彼を(ぎょ)しかねているように感じた。

 真白は別段彼のことを恨んではいないが、剣護ら他の面々が彼に向ける眼差しは、あまり穏便(おんびん)なものではなかった。

 しかし、黒にも見える深い青の長髪を一つに(くく)り、腕を組んで立つ水臣には少しも悪びれたところが無かった。彼は真白に対し、にっこりと笑いかけさえした。

 ふてぶてしい笑みだった。

「御記憶いただけて光栄の至りでございます。雪の御方様にはご機嫌麗しゅう」

 そこまでしゃあしゃあと言ってのけた水臣に対しては、剣護や怜ばかりでなく同じ花守たちからも呆れたような視線が集中した。

「だからいつも言ってるだろう。水臣はもう少し、恐縮する、って言うことを覚えたほうが良いんだよ」

 明臣が溜め息混じりに言った。(もっと)も彼が言ったのでは、あまり言葉に説得力が無かった。

 理の姫・(こう)が淡く色づいた唇を開く。

「お座りになられませ、姉上様。他の方たちも。―――――お話を、伺いましょう」



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