表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
66/102

短編 白い蕾を腕に

短編 白い蕾を腕に


いつかまた

出逢えた君に

笑いかける

優しい面影

空に立つ虹


 目の前に座る医者はにこやかに剣護に話しかけ、剣護も可能な範囲でそれに答えた。

 退屈な時間がやっと終わり、母親が医者に頭を下げる姿を彼はぼんやりと見ていた。その部屋は白っぽく、観葉植物の鉢が三つ程置いてあり、積木やブロック、他にも子供の喜びそうな玩具(おもちゃ)が置かれていた。

〝カウンセリングルーム〟と呼ばれる部屋らしい。

 清潔で穏やかで、部屋に訪れた人間を心和む気持ちにさせるべく(しつら)えられたこの空間も、剣護の心を癒しはしなかった。

 それは門倉剣護が小学二年生の秋のことだった。凄惨(せいさん)な悪夢にうなされ不眠症になった彼は、食事量もかなり減った。結果、腕は細り、目の下には色濃い隈が出来た。それまでは良く食べ良く動き良く眠る、健康そのものだった腕白坊主(わんぱくぼうず)の姿が、今は見る影も無い。

 激変した息子を心配した両親が心療内科に連れて行ったが、悪夢の原因の究明は一向に(らち)が明かなかった。

 自宅に戻った剣護を、車の音を聴きつけた従兄妹の門倉真白が、隣家の玄関から迎えに出て来る。

 幼稚園でも年長の組に入った従兄妹は、話す言葉もだいぶしっかりしてきた。

 常に傍にいる剣護が、心身共にひどく不調だということを、誰よりも早く気付いたのは真白だった。

「お帰りなさい、剣護。…大丈夫?」

 心配そうに自分を覗き込む焦げ茶の瞳は、精神的に滅入(めい)っていた剣護を和ませた。

「うん」

 真白を安心させるように笑いかけると、自分より更に小さな背丈の彼女の髪をかき回す。柔らかくて細い髪の毛の感触はいつもと変わらず、剣護は少し落ち着いた。

「しろちゃん、申し訳無いんだけど、今晩もこの子に付き添ってやってくれる?」

 自分の両手を包むように握り込んだ剣護の母・千鶴の頼みを、真白は強く頷いて請け負った。なぜか真白と一緒であれば、剣護は辛うじて睡眠をとることが出来るのだ。腕の中の真白の温もりが、血生臭(ちなまぐさ)い悪夢まで遠ざけるようだった。赤を遠ざける白い色が、今の剣護を守っていた。

 

そして夜が来て、剣護と真白は薄手の掛布団に二人してくるまった。

 その様子は、外敵から互いを守るべく巣穴の中に丸くなる、小さな二匹の獣のようだった。

(来る…。夢が―――――あの夢が)

 ドクン、ドクン、ドクン、と大きく脈打つ自分の心臓の音さえ聴こえそうだ。

 真白を抱き締める剣護の腕に、力が籠る。

 まだほんの小さな従兄妹の存在が、今の剣護が(すが)る全てだった。

 また同じ夢を見るかと思うと、気が狂いそうな程に恐ろしくて(たま)らないのだ。

 父が殺され、母が殺され、兄弟も(やいば)に倒れる。

 全ては突然に起こった。

 妹が母の言い付けで届け物に出かけている間、見たことも無い男たちが刀を手に家に押し入って来た。無言の彼らは皆殺気立っており、自分や弟たちに躊躇(ためら)いなく斬りかかった。まるで理由の解らない悪意、殺意。自分に向けて振り下ろされる無数の(やいば)、刃―――――――。

 血を帯びた鈍い鉄が、座敷のそこかしこで(ひらめ)いた。

 刺客と切り結ぶ中で、頭の中には〝今、妹が帰って来ませんように〟という強い思いがあった。その間にも、ずっと血の花は舞っていた。

 襲撃が終わりを迎えるころには、剣と剣が打ち合う音も静まった。

自分も刀を手に取り必死に応戦したが、刺客の人数の多さに()され、自分を含めた家族は残らず殺された。たった十二歳の弟でさえ、凶刃(きょうじん)から逃れることは叶わなかった。刺客もまた多く死んだが、彼らが仕掛けたそれは、実際のところ容赦(ようしゃ)のない殺戮(さつりく)だった。唯一人(ただひとり)、家にいなかった妹だけが、剣護の願いどおり難を逃れた。


誰だ、こいつらは。なぜ、俺たちを殺そうとする。なぜだ。

どうして。俺たちが何をした。来るな。来るな。

駄目だ。殺さなければ、殺される―――――――。ああ。父上、母上。そんな。

次郎、後ろだ、危ない。どこだ、三郎。くそ。痛い。痛い。

若雪、帰って来るな、若雪。ああ、傷が痛い。息が、苦しい。苦しい――――――。


「剣護、剣護」

 真白の声で目覚めた剣護の頬は涙に濡れていた。

「う、うう―――…う――――」

 食いしばった歯の間から泣き声が洩れる。自分の腕の中で、真白が息をひそめてじっと寄り添ってくれている気配を感じた。小さな手がそっと伸びて、剣護の頬の涙を拭う。

 この手が、この温もりが無ければ、きっと自分はとっくにおかしくなっていた。

 余りにリアルな夢だった。

 息が途絶える時に見た、もがきながら宙に伸ばした自分の血塗(ちまみ)れの左手を、今でも覚えている。何を求めて手を伸ばしたのかは、自分でも解らない。ただ、無念だったことだけは確かだ。

(若雪―――――――)

 まだ十七で死ななければならないことへの無念、弟たちを守ってやれなかった無念、妹を独り残して逝くことへの強い無念が、最期(さいご)に心を占めていた。このままでは死んでも死にきれない。そう思いながら、意識は闇に落ちて行った。

 それが夢に見る人生の終焉(しゅうえん)だった。

 まるで、(かつ)て本当に起こった出来事のような夢を思い出し、小さな従兄妹に声をかける。涙声なのが少し恥ずかしい。

「真白……?」

「うん。剣護。ここにいるよ」

 腕の中の温もりが答える声を聴いてホッとする。顔をくっつけたサラサラした焦げ茶色の髪からは、(ほの)かにシャンプーの匂いがする。

 かなりきつく抱き締めているのに、真白は文句一つ言わない。

 まだ幼稚園児なりに、年上の従兄弟を助けなければと思っているのだ。

「私、ちゃんとここにいるよ。ずっといる。だから安心して眠って、剣護」

 幼い声がたどたどしくも必死に言葉を並べる。

 焦げ茶色の澄んだ瞳が剣護を見上げていた。

 真白を見ていると、不意に懐かしさが込み上げて(たま)らなくなる時が剣護にはあった。この時も、郷愁(きょうしゅう)のような思いが剣護の胸を満たした。

(ずっと昔、すぐ近くにいたような)

 振り向けば手が届くような距離に。

 気付けば剣護は再び泣いていた。

 いつか将来、真白と離ればなれになる日が来ても、きっと最後に自分が思いを馳せる存在はこの従兄妹なのだろうと思えた。真白は剣護にとって唯一の陽だまり、白く世界を照らす希望だった。

「しろ、真白―――――」

 悪夢さえ遠ざける腕の中の小さな光を、剣護は必死になってかき抱いた。


 剣護がいつものように真白を抱き締めて眠りに就いたある晩、(さや)かに美しい女性が夢に現れた。常に見る悪夢とは全く様子の異なる夢に、剣護は驚いた。

 女性は清浄な空気を(まと)い、血の惨劇の夢からはかけ離れた存在に見えた。そして彼女は、夢に自分の妹として出て来る〝若雪〟と言う少女に面影が似ていた。

 綺麗な女性(ひと)だな、と子供心に思う。

 いかにもたおやかな彼女が、淡く色づいた唇を開く様に魅入ってしまう。

〝苦しい夢だっただろう、小野太郎清隆(おののたろうきよたか)。…だが、あれは(まぎ)れもなくあなたの前世。十七にして命を落としたあなたの、短い人生の夢なのだ〟

 その声は(いた)わりに満ちていたが、剣護はショックで言葉がすぐには出て来なかった。今まで見ていた悪夢が実際に起きた出来事だと告げられて、すんなり受け容れることは難しい。(ゆう)()して固い声で問いかける。

〝あなたは、誰ですか〟

 女性は微笑んで答えた。

摂理(せつり)の壁の番人。理の姫・(こう)。あなたが腕に抱くのは、私の姉上様だ〟

 この言葉を聴いて、剣護の胸に(にわ)かに警戒心が起こった。真白がこんな大人の女性の姉である筈が無い。

 眠る真白を抱き締める腕に力を籠める。

〝真白を、どこかへ連れて行くんですか〟

 剣護を安心させるような微笑を更に浮かべ、(いや)、と理の姫は答えた。

 それから彼女は剣護に、若雪と嵐に関する話から摂理の壁の崩壊、光の吹雪、(みそぎ)の時の話など、知り得ること、これから必要になるであろう知識を全て伝えた。

 語られた話は長きに及んだ。

出来得る限り解りやすく、噛み砕いて語られていることは感じたが、まだ幼い剣護はそれらの話を明確には理解出来なかった。ただ、精一杯努力して覚えておかなければならないことだとは察した。過去において自分の妹だったらしい若雪が、嵐という特別な存在を得た話を聴いた時は、剣護の胸に一陣の風が吹き抜けた。それは寂しさと言う名の、自分でも予期せぬ風だった。

あらましを語った理の姫は、おもむろに剣護に尋ねた。

〝……思い出さないか?若雪であられた姉上様は、確かに今もあなたの近くにおいでになる。禊の時を、過ごしておられる〟

 薄青い瞳に促すように見据えられ、剣護は腕の中の真白を見つめた。

〝―――――真白が?〟

 自分の妹だったと言うのか。それは剣護にとって至極、納得出来る話だった。

胸に湧く郷愁の念には、確かに理由があったのだ。

 その夢を見て以来、剣護は少しずつ前生のことを思い出した。

 辛い記憶。優しい記憶。大事で愛しい記憶程、ゆるゆるとあとから明らかになった。それは大輪の花の花びらが一枚一枚開き、ついには美しい金色の花芯(かしん)を露わにするような感覚に似ていた。小野太郎清隆が春を、夏を、秋を、冬を、廻る季節の中で成長していった思い出が、剣護の中にありありと浮かんでいった。朝日に光る宍道湖(しんじこ)。出雲大社を吹き抜ける、清涼とした風―――――――。そして思い浮かぶたびに、剣護はそれを自分のものとして心の内側に取り込んだ。前生における十七年分の出来事が、彼の中に蓄積された。

 中でも、自分には大事な弟と妹がいたという事実は、剣護の中で最も大切な記憶として胸に仕舞い込まれた。

 冷静沈着な努力家の弟・次郎清晴。

 無邪気で幼い弟・三郎。

 そして大切に慈しんだ妹・若雪。

 今生で兄妹全員が揃うことは、剣護の何よりの願望となった。


 三か月程の間、真白は剣護と共に眠った。やがて剣護は格闘技教室に通い始め、深刻な睡眠障害も徐々に治っていった。


「真白。風邪、ひいたってー?花見までに治せるかー?」

 剣護が小学校三年の春を迎えるころには、普通に睡眠がとれるようになっていた。面立ちもそれまでよりしっかりとして、緑の目は強い光を(たた)えるようになった。そのことを剣護の両親はもちろん、真白の両親も祖母も、そして真白も皆、手を取り合って喜んだ。

真白は、今年には剣護と同じく小学生となったが、元来病弱で、今日も風邪の為に学校を欠席していた。

庭の桜が満開に咲き誇る午後。

 剣護の声を聴いた途端、真白はベッドから起き上がり、駆けて来ると剣護に飛びついた。

「剣護ー」

 甘えて引っ付く真白の頭を撫でてやりながら、ベッドに戻らせる。

(かゆ)、作ってやるよ。何入れる?」

 しかし真白は、首を横に振って剣護から離れようとしない。

「剣護がいてくれたら良い」

 真白の言葉に、笑みが浮かぶ。

 いつまでそんな台詞(せりふ)を言ってくれるものかと。

 全てを思い出した剣護にとって、真白はその昔守ってやることの出来なかった大事な妹だ。そのぶん、今生では彼女を守り抜こうと思う。

「お前さー、そういう口説(くど)き文句は恋人とかに取っとけよ。大丈夫だぞ、真白。俺な、今度こそ、ちゃんとお前を守るから」

 前生を思い出してから剣護は時折、その言葉を口にした。

〝今度こそ、ちゃんとお前を守るから〟

 真白はそのたびにきょとんとした顔を見せた。

「…剣護、ずっと一緒?大人になっても?お(じい)さんになっても?」

「しろはそれが良いの?」

「うん!」

 剣護は目を細めて笑いかけた。

「じゃあ、そうしてやるよ。……ずっと一緒だ」

 理の姫の話が確かならその内、妹の目の前に嵐の生まれ変わりが現れる筈だ。

 真白はいずれ自分の手を離れるだろうと、予測はついている。

 けれど今だけ、夢のような約束を交わしても良いのではないかと剣護は思った。

 部屋の窓から見える春の空は、青く透き通っている。

 こんな日くらいは、奇跡を願っても許されるだろう。小さな妹と、ずっと共にいられるように――――――――。

 例え叶わなくても、願った想いだけは真実だ。

 屈託なく抱きついてくる真白を受け留めながら、剣護は(ささや)きかける。

「真白。お前に、いつか返すよ」

「何を?」

「そうだなぁ。心臓とか、魂とか?」

「…要らない」

 すげなく断られ、剣護は笑う。

 真白がいてくれたお蔭で、悪夢に(さいな)まれる日々を()()ごせた。

 守られ、助けられた命は彼女のものだ。

 緑の瞳に優しい光を宿し、いつか返すよ、と剣護は胸の内で繰り返した。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ