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接触 一 後半部

「……前生の時からそうでした。あなたは、殊更(ことさら)偽悪振(ぎあくぶ)る時があった」

 荒い息の下からも、竜軌はふん、と鼻を鳴らした。

小賢(こざか)しいことだ。されどその小賢しさをもってしても、お前は男を解っておらぬ。ただ事情がある、それだけのことで乱行(らんぎょう)に及ぼうか」

「ではなぜ」

 竜軌の黒い瞳が、真白の焦げ茶の瞳を見据えた。

「――――欲しいと思うたからよ。なぜその理由を否定したがるか、そのほうが俺には皆目解らん。雪白の肌に惹かれる男がどれだけおるか、お前本人が最も解っておらぬ」

「私には荒太君がいます。あなたのものにはなれない」

 言い切った真白に、竜軌が軽く笑う。雪白と言う彼の顔色こそが紙のように白い。

「奪い取って何が悪い?強奪、侵略、搾取(さくしゅ)。乱世を、俺はそうやって切り開いてきた――――――なあ、真白」

 青一色の空間で、竜軌と言葉を交わすのは不思議な気分だった。

 赤と黒の色彩を持つ少年の姿は、真っ青な世界の広がる中、異質で浮いていた。

(…時代の覇者と言っても良い人なのに、いつもこの人は寂しく、世界から取りこぼされているようにさえ感じる…。余りに、先に進み過ぎて)

 それは(かんなぎ)の資質を持つ竜軌の、(ごう)のようなものかもしれないと真白は思う。

 震える程の恐怖を、今は少しも感じない。それは竜軌が怪我を負っているからだけではなく、彼から獰猛(どうもう)な気配が発せられていないからでもあった。

「お前、俺と一緒に来ないか?」

 軽く、乾いた声から真意を読み取ることは難しかった。

「一緒に…?どこへですか」

 竜軌がちらりと笑う。目に悪戯(いたずら)っ子のような光がちらついた。

「世界の果てまで」

 いきなり飛んだ話に、真白が瞬きする。

「中国、イギリス、フランス、アメリカ………。あらゆる国を、見てみたいと思わないか。この国は、相も変わらず狭苦(せまくる)しい。いっそ攻め滅ぼしてやりたくなる程に」

 真白は自分でも知らず、悲しげに微笑んだ。

「…私には無理です。国外へだなんて。そうそう行ける筈もない」

「身体のことか?お前が歩けない時には、俺がおぶってやる。熱を出したら、お前の兄貴みたいに、看病してやる。怪我を負えば手当をして、俺がお前を守ってやる。休みながら眺める景色も、悪くなかろう。――――真白。お前のような荷なら、俺はあっても良いと思っている。お前は担いで歩くに値する女だ。…俺の手を取れ」

 無骨(ぶこつ)で色気の無い物言いだったが、前生まで含めても、これ程優しい言葉を話す竜軌を真白は知らない。

 真白は、竜軌が伸べた大きくて力強い手を見た。兄たちや荒太と同じ、戦う人間の(てのひら)だ。

 荒太以外の人間の手を取ることなど、真白には考えられない。

 けれど、孤高な王のような竜軌の在り様が、真白の胸に痛ましい思いを喚起(かんき)させた。

「―――――俺の孤独を哀れむならば、お前が傍らに立てば良い。俺もお前も、余人(よじん)には理解出来ぬ境地に在るは同じであろう」

 真白の思いを読んだかのように、竜軌が言った。

 竜軌の孤独。真白の孤独。

 常人には聴こえない声を聴く巫である竜軌と、神としての資質を有しながら人として生きる真白に、通じる孤独は確かにあるのかもしれない。けれど、真白がその在り様を選んだのは荒太がいてこそだ。彼がいなければ、若雪が人として転生する選択肢を選ぶこともなかった。

 自分と竜軌の孤独は、呼び合って理解し合えるかもしれない。

 だがそこまでだ。それ以上の感情を、真白は彼に対して持ち得ない。誰もがそうして竜軌を置いて行くのかと思うと、真白の胸は再び鈍く痛んだ。

「…そこで泣きそうな顔をするのが、お前の弱さだ」

 竜軌はあっさりと手を引っ込める。

 平生(へいぜい)と変わらない目で真白の顔を眺めてから、目を逸らした。そうかもしれない、と思いつつ、真白は悲しい思いで口を開いた。

濃姫様(のうひめさま)とは、仲睦(なかむつ)まじくしておられるように拝見しておりました」

 彼女では、竜軌の隣にいられないのだろうか。

 濃姫、という名前に竜軌がピクリと反応したのが解った。

「……あれが今どこにいるものか、俺の耳であっても聴き取れぬ」

 では竜軌は、(かつ)ての伴侶(はんりょ)を捜そうと努めはしたのだ。その事実は、真白を少しだけ安心させた。


 その時、青一色だった空間に、外界の光が差し込んだ。

 結界が破れ、図書室はいつもの様相を取り戻した。

「真白!無事か!?」

 図書室に駆け込んだ剣護は、そこに妹と竜軌の姿を見て驚きの表情を見せたが、即座に二人の間に割り込み真白を背に庇うと、戦闘態勢に入った。低い声で呼ばわる。

臥龍(がりゅう)。頼む」

 豪奢(ごうしゃ)金色(こんじき)の太刀を手にした兄を、真白が慌てて止めにかかる。

「待って、剣護。違う。新庄先輩は、魍魎と戦ってたの。私が、たまたまそこに入り込んだだけだよ」

 真白の声に、剣護がことの是非を確認する厳しい目で竜軌を見遣った。

 うずくまった彼の出血のひどさに気付き、眉を(ひそ)める。

 救急車を呼ぶか、と考えた剣護の思惑を読んだように、竜軌が言った。

「家の人間に迎えに来させる。要らん世話をするな、門倉」


 数分後、竜軌はスーツに身を包んだ男たちに伴われて学園をあとにした。その大層な警護振りに、剣護も真白も唖然とした。図書室に残った血の跡さえも、学園に残った数人の男が綺麗に後始末をして去って行った。

(何の稼業やってんだ、あいつの家は)

 剣護が呆れ混じりにそう思うのも、無理は無かった。

 教室に戻った真白と剣護を、怜たちが安堵した表情で迎えた。他の生徒は既に教室を去っていた。剣護が自らも真白から聞いた状況を、手早く説明する。

「…もう少ししても戻らなかったら、俺たちもそっちに行こうと思ってたよ」

 怜の言葉に、荒太も市枝も頷いていた。荒太はとりわけ真白を案じる顔つきだった。自分も行くと言い張る荒太を、ここはひとまず剣護に任せておけと怜たちが止めたのだ。

「…市枝、先輩はきっと大丈夫だよ」

 励ます声に複雑そうな顔を浮かべる市枝の横で、そんなことはどうでも良いとばかりに荒太が真白の腕に手を伸ばして訊いて来た。

「真白さん、大丈夫?あいつ…、何もしなかった?」

 無言で深く頷く真白を、まだ心配そうな表情で見ている。

〝俺の手を取れ〟

 竜軌の強い漆黒の目。

「お?お?どうした、しろ」

 真白は剣護の背中にピッタリくっついた。誰にも今の顔を見られたくなかった。

(どうして。荒太君に触れられたところはやっぱり熱くなるのに。鼓動が早まるのに)

 それはほんの一瞬だった。

 ほんの一瞬だけ、真白は揺れた。孤独な魂の共鳴を感じて。

 そしてそんな自分を恥じた。荒太しかいない、と思うと同時に揺れる自分が理解出来ず、真白はその場にいる誰の目も直視することが出来なかった。

軽薄(けいはく)だ……私)

 竜軌に優しく誘われただけで簡単にほだされる自分を、思春期の少女特有の潔癖さで真白は嫌悪した。


通話を切った兵庫は、反動をつけてベッドから起き上がった。チャリ、と胸元のネックレスが鳴る。白いタオルケットの下で微睡(まどろ)んでいた女性が、目をこすりながら甘えるように身を()()せて来る。ここで暑いとは言わないのが大人のマナーだ。

「どうしたの、(ただし)くん。電話、誰から?」

「俺の大事なご主人様」

 臆面も無く言ってのける兵庫に、女性は顔を歪める。

「何それ。…行っちゃうの?」

 頭からシャツを被りながら頷く。

「うん。ゆかりちゃん、そのお客にまた暴力振るわれるようだったら、今回みたいに俺に知らせな。俺が優しいーく、言い聞かせてやるから。あ、鍵は郵便受けに入れといてね」

 そう言いながら、キャリーバックに大きな猫――――山尾を入れる兵庫に、ゆかりは怪訝(けげん)な顔をする。

「にゃんこと一緒に行くの?」

「ああ。ご主人様の、ご所望(しょもう)でね」

 ふうん、と面白くなさそうな声で、ゆかりが応じた。

「そのご主人様って女でしょ」

「そうだよ」

 兵庫は誤魔化しもしなかった。


「兵庫」

 真白の家近くのバス停留所に降り立った兵庫を呼ぶ、重低音があった。

 濃いグレーのスーツを着た、偉丈夫(いじょうふ)。夏の太陽の下では、目に暑苦しい印象を受ける。

「よう、(くろ)。何してんだ、こんなところで」

黒羽森(くろうもり)ー?」

 兵庫と山尾の声が響く。

「裁判日程の調整に行く途中だ」

 スーツの(えり)には弁護士バッジが光っている。

「お宅の事務所から裁判所に行くには、遠回りなんじゃないか?」

 嵐下七忍の一人、黒羽森は兵庫の問いには答えず、山尾の入ったキャリーバッグを物言いたげな目で見下ろした。

「…真白様の御用か?」

「そういうこと。だから怖い顔してないでどけよ」

「お前たちは主君に馴れ馴れし過ぎる。特に真白様は、まだ少女でおられるのだぞ」

 憂う表情を見せる黒羽森に、兵庫は聞き飽きたという顔をして見せる。

「少女だからこそ、乗って差し上げるべき相談もあるんだよ。多感なお年頃だからな。(ひが)んでないで、何ならお前も一緒に来れば?」

 黒羽森は考えられない、と言う顔で深い溜息をつきながら立ち去った。

「苦労性だよなあ、あいつも」

 キャリーバッグの中から山尾が言う。お前と比較したら大抵の人間は苦労性だよ、と兵庫は胸の内で思った。


 キャリーバッグの戸を開けると、山尾は二本足で一目散に真白のもとに駆けた。

「真白様ー」

 両手を出して構えていた真白が大柄の身体を抱き上げてやると、満足そうに喉をゴロゴロと鳴らす。もっちり、ふんわりした感触に、ざわついていた真白の心が癒される。

 山尾は普段、兵庫の住まいを拠点として自由に動き回っている。

 山尾単独でも真白の家まで来られないことはないのだが、目的地が同じ場合は、兵庫と同行するのが手っ取り早かった。車も持っている兵庫だが、真白の家への出入りを目立たないようにする為、今日は公共交通機関を利用して来たのだ。

「真白様、程々になさってくださいね。そいつ、中身はメタボのおっさんですから」

 双方共に幸せそうな少女と猫を見て、兵庫が注意を促す。

 目の前に置かれた紅茶からは、湯気が立ち上っていた。

 真白は名残惜しそうに山尾を放し、兵庫の向かいのソファに座った。どさくさに紛れて、山尾もその横に居座る。

 初めは少し言い淀んだものの、真白は今日起きた一件を、自分の感情も交えて兵庫に話した。呆れられるかもしれない、という恐れが真白にはあったのだが、話を聴いた兵庫はあっさり断じた。

「そりゃ本命がいたって、ぐらつく時はぐらつきますよ。普通です、普通」

紅茶を口にして、目を細めている。その様子に真白は力が抜けた。

 さも一大事を打ち明けた顔をしている真白を見て、兵庫は内心そんなことか、と思っていた。些細(ささい)な気持ちの揺れを深刻に思い悩むあたり、潔癖な性分は昔と変わっていないらしい。真白の切実な思いを察するゆえに、くだらない用件で呼び出したと彼女を責める気持ちも起きない。むしろ荒太への愛情に忠実であろうとする真白が健気に思えた。

「そう…なの?」

 自責(じせき)の念を色濃く宿す焦げ茶の瞳に、安心させるように頷いて見せる。

「そうですよ。ましてや、相手は信長公。(あらが)いがたい魅力ってやつがあるんじゃないですか?そんなこと一々気にしてたら、身が持ちませんて。まあ前回の一件は、向こうが強引過ぎたと思いますけどね。あれは犯罪ですから。…七忍を敵に回す行為でもありますし」

 まだ若雪に触れられずにいたころ、嵐は他の女性と関係を持つこともあった。真白にだけ自分以外を見るなと言う資格は無いだろう。

(言いそうだけど)

 そのあたりの事情を真白に明かさないのは、真白同様に主君である荒太への忠義立てと言うよりは、男としての仲間意識からだ。

「もし、若雪だった時に織田様に同じように手を差し出されたら、どうなってただろう…」

 自分と同じく孤独な魂に惹かれ、手を預けていただろうか。

「その仮定は無意味ですよ。どちらにしろ若雪様には嵐様が、真白様には荒太様がいるんですから」

 兵庫がすっぱりと言い切る。

「……兵庫は色んな女の人に魅力を感じて、たくさんの恋愛を楽しんでるの?」

 この言葉に、紅茶を飲んでいた兵庫が軽くむせた。〝自由恋愛〟の一件が、まだ尾を引いている。

「ですからそれは、荒太様の誤解ですって」

「本当に?」

 真白の焦げ茶色の瞳が、貫かんばかりに兵庫を凝視する。

「本当ですよ」

 兵庫はにっこり笑って表情を取り繕ったが、真白にどこまで信用されたものかは疑問だった。

 それを示すかのように、真白が上目遣いにポツリと言う。

「でも兵庫、今日は甘くて良い香りがするよ。…誰かと一緒だったんじゃないの?」

 あくまでさりげない顔を装いながら、兵庫は内心、舌うちしていた。

 ゆかりの香水が移ったのだろう。失態だ。

 事情を知る山尾は、それ見たことか、と言わんばかりに兵庫から視線を逸らし、真白の腕に頭をこすりつける。気儘(きまま)な生活がたたってか、ふっくらしたお腹を気にしているだけに、メタボと言われたことを根に持っていたのだ。

「兵庫は、本当の意味で好きな人っていないの?」

 兵庫が薄い笑いを浮かべる。〝本当の意味で〟という言葉の使い回しが可愛いと思う。

「どうでしょうねえ」

 言いながら首筋を手で掻いた。

 黙り込んだ真白を見て、おや、と意外な顔をする。

「……この場面だと、相手を追及されるとばかり、思ってましたが」

「追及しても、兵庫は言いたくない時は絶対に言わないでしょう」

 静かな表情で言う真白に、兵庫が笑う。主君である聡明な少女の相手は楽しい。

「お察しの通りです」

「いつか、教えてくれる?その気になったら」

「良いですよ」

 嵐下七忍でも嵐に次ぐ地位にいた男は、軽い口調で請け負った。

捉えどころのない気性の兵庫だが、仮に前生においても彼にそんな大事な人がいたのだとしたら、本能寺では死んでも死にきれない思いだったに違いない。口に出してもきっと受け取ってはもらえないであろう謝罪を、真白は心の中で述べた。



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