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流離 四 後半部

 微笑ましくもユーモラスな光景だ。加えて、シュールとも言える。

 見ると真白が、ソワソワとして落ち着きが無い。

 そうだった、と剣護は思い出した。真白は動物に目が無い。そこに猫がいれば、必ず抱き上げたり撫でたりしたがる性分だった。山尾を見てどういう反応に出るか、考えるまでもない。触られたい山尾と触りたい真白。思いは一つだ。荒太が駆け付けたのには二重の理由があったのだ。

「ダメだぞ、真白。触りたいなら中年のおっさんじゃなく、他にしなさい。俺の頭でも触ってなさい」

「だって、山尾は可愛いもの…」

 そう言って真白が手を伸ばす。山尾もいかにも物欲しげに、金色の瞳を期待に輝かせてひげをヒクヒクと動かしている。

 その姿を見るにつけても剣護でさえ山尾の愛嬌(あいきょう)は認めるところだったが、中身が中年男性と聴いては、やはり迂闊(うかつ)に妹を近寄らせることは出来なかった。かと言って首根っこを掴んで放り出す訳にもいかない。嵐下七忍は真白に忠義を尽くしてくれる面々なのだ。猫と軽んじて(おろそ)かには扱えない。

剣護が山尾に伸びる真白の手を掴み、無理やり自分の頭に向ける。

「受験生を(ねぎら)いなさい!はい、可愛い可愛いっ」

 グリグリと、自分と同じ色の髪を撫でさせられた真白は、物足りなさそうな顔をしている。荒太は荒太で、嫌そうに山尾を抱え込んで動きを封じている。自分も真白に触って欲しいと顔に書いてある。

「荒太君も、コーヒー飲む?頂き物のバームクーヘンもあるよ」

 真白の声に、荒太の目が輝く。

「飲む、飲む。食べる、食べる」

「コーヒーはホット?アイス?」

「ホットで」

 剣護が()に落ちない、という表情でぼやく。

「俺にはバームクーヘンがあるとは言わなかったのに。どうしてこの食いしん坊には言うんだよ、真白」

「忘れてたの!」

 真白がキッチンから弁解する。

「…剣護先輩もいい加減、妹離れして彼女とか作りましょうよ。モテるのに、勿体無いじゃないですか」

「お前な、邪魔者を追い払おうって魂胆(こんたん)を少しは隠せよ。残念でしたー。兄離れ出来ないのは真白も同じですー。俺らは似た者兄妹なんだよなー、しろ?」

「先輩。それ、洒落になってませんって」

 自分も妹離れ出来ていないという事実は、最初から認めている。

 真白がコーヒーとバームクーヘンの載った皿を、トレイで運んで来る。

「そんなことないよ。兄離れくらい、出来てるもの」

 もしこの言葉を真白が本気で言っているのだとすれば、自分というものを理解していないな、と荒太は思う。そう思ったのは剣護も同様らしく、あしらうように口を開いた。

「俺に彼女が出来たら、お前、絶対寂しがる癖に」

「…そんなことないよ」

 けれど、反論する端から真白の顔は(かげ)りを帯びていた。自分でも強がりを言っていることは十分に解っている。剣護はいつも近くにいて当たり前の存在で、真白にとっては空気のようなものだ。彼が大事な人を他に作る、と想像するだけで、自分でも驚く程に気が沈んだ。焦げ茶色の頭が(うつむ)く。

 荒太は苦虫を噛み潰したような顔で、そんな真白を見ている。俺一人がいれば十分だろう、と真白に詰め寄りたい衝動を抑えているのだ。

「いや、あのな、大丈夫だぞ、真白。当分、俺にはそんな余裕無いし。…バームクーヘン、食うか?」

 半ば本気で落ち込んだ真白に、きっかけとなる発言をした当人である剣護があたふたと声をかけて、自分用に切り分けられたバームクーヘンが載った皿を持ち上げて見せる。

 真白はそれに対して首を横に振ったが、この遣り取りに既視感を覚えた。

「…前にも、こんな話したっけ?」

「――――――さあ?してないんじゃないか?」

 真白は、唇に指を当て考え込んだ。

(剣護が、行ってしまう。私を置いて、他の人の手を取って)

 そんな風に、確かに以前、感じたことがあった気がした。

「剣護……」

「ん?」

「どこにも行かないよね?」

 真白の言葉は唐突だったが、(すが)るような眼差しには、本気で案じる色があった。

 緑の瞳がきょとんとする。何を今更、と言った顔だ。

「行かないよ。志望大学だって地元だし、キャンパスライフを謳歌(おうか)しながら、お前と荒太の仲も温かく見守ってやるって」

「それ、(てい)の良い監視ですよね、先輩」

 大口を開けて勢い良くバームクーヘンを頬張(ほおば)りながら、荒太が嫌そうな目をする。

「ははは。言葉は受け取る側の心の在り様が出るんだぞ、荒太」

 他愛ない会話が、沈んだ自分の為に交わされるものだと知りつつ、真白の胸には正体の解らない不安が込み上げていた。


 その夜、風呂から上がった真白は、洗面所でドライヤーを使い、髪を乾かしていた。

 目の前には洗面台と鏡がある。

 髪が短いことも手伝って、すぐに八割がた乾いた髪をブラシで()いていた時、鏡面が揺らいだ。ギョッとしてブラシを取り落す。カターンと硬質(こうしつ)な音が鳴った。

 揺らいだ鏡面は、更に赤く波打ったかと思うと、真白から見ても華奢な少女の姿を映し出した。肩を過ぎる黒い髪。細い首、細い手足。全身の細さが強調されるような赤いワンピース。

 こちらを向いた彼女の顔に、真白は覚えがあった。

 けれど、どこで出会ったものかまでは思い出せない。

 よく見れば彼女の右足首には、(かせ)がある。それはまるで生き物のように、赤く光っていた。

囚人(しゅうじん)〟と言う言葉が胸に浮かぶ。

 彼女の唇は、ささやかに動いていた。目を()らして見るが、何と言っているものかまでは、(うかが)い知れない。

 辛うじて、最初の三文字だけは読み取れた。

「タロウ―――――」

 映像はそこでふっと途切れ、鏡が映し出すのは、真白の顔だけだった。

 眉を(ひそ)めた自分の顔を見つめる。

(タロウ―――――太郎清隆?)

 真白は冷たい鏡面に触れ、不可解な今の現象を、頭の中で整理しようと試みた。


 ドアの開く音に、少女はハッとした。

 ゆっくりとした動きで、革靴の音を響かせてギレンが部屋に入る。

「おいたは感心致しませんね。透主様」

 何気ない表情で床に落ちる赤い鎖を踏みにじる。

「あ、ああああ――――――っ」

 苦痛から洩れ出る響きに、ギレンは眉一つ動かさない。

「今後は、このようなことが無いように、改めてくださいますか?」

 歯を食いしばり苦痛に耐える少女は、答えない。

 ギレンは無表情のまま右足を上げると、勢いをつけて鎖に振り下ろした。

 ダンッという音と共に、少女の身体が、身の内を貫く激痛に()()る。

 見開かれた瞳からは、生理的な涙が流れていた。

「改めてくださいますね?」

 念を押す声に対して少女は弱々しく俯き、ギレンはひとまずそれで満足する。

「全く…、あなたがそこまで門倉剣護に執着(しゅうちゃく)する意味が解りませんよ。今では彼も、もちろん門倉真白も、あなたのことを覚えてはいない。いや、彼らだけではない。この世の誰一人、あなたを覚えている者などいないのですよ、透主様。御自分で確認なさっておきながら、まだ納得されませんか」

 今では、少女は微動(びどう)だにせずベッドに座っていた。

 ギレンは彼女の耳に、更なる毒を(そそ)ぎ込む。

「門倉剣護が、門倉真白に対する情の(こま)やかさは大層なものです。本来であれば今頃は、あなたに向けられる情だったのかもしれませんね?…門倉真白は、それを奪った」

 奪った、という言葉が、がらんどうとして虚ろな少女の胸にひどく大きく響いた。何も映さない少女の目から、透明な涙が静かに流れる。

 陽光のような、彼の笑顔を思い出す。

 それはたった一つだけ、()がれるように少女が望んだものだった。

「太郎清隆…門倉剣護だけを望むあなたに対して、門倉真白は実に貪欲(どんよく)だ。あれもこれも、失えない存在ばかりを持っている。不公平だとは思いませんか」

 眉根を寄せた少女の、耳元に囁く。低く怜悧(れいり)で、(つや)のある毒が少女の耳を打つ。

「奪ってしまえば良いのです。それ程に恋うる存在だと言うならば」

 少女は目に涙を溜めたまま、何もかも諦めた風情で静かに首を横に振る。

「あなたはね、」

 天蓋(てんがい)つきのベッドに両手を置きながら、ギレンは尚も続ける。

「この世界のどこからも切り離された、流人(るにん)なのですよ。神つ力の系譜(けいふ)(つら)なる身でありながら、魍魎(もうりょう)でも在り得る。そんな出来損ないの存在に、居場所などある筈がないでしょう?ですからお願いです。我らにとっての、道具としての御自身の価値を、どうぞ大切になさってください」

 少女の片頬を手の甲で撫でると、彼女は(おび)えたように身じろぎした。

 その反応に低い笑いを洩らす。

「…私の可愛い透主様」

 優しい微笑を浮かべながらも、これ以上無い程に冷たい瞳で、ギレンは告げた。

 少女の頬を濡らした涙など、ギレンには何の意味も持たなかった。



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