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目覚め 三 後半部

(関西弁じゃない…)

 当たり前だ。彼は、嵐であって、嵐ではない。

 標準語を喋ることに安堵するのも落胆するのも、荒太に対して失礼だ。

 それに彼は、真白の窮地を救ってくれた恩人だ。

「大丈夫。…私のことも、真白で良いよ。――――――助けてくれて、どうもありがとう」

 心からの感謝を伝えて、真白は荒太を凝視した。

 嵐ではない、と承知しながらそれでもつい見比べてしまう。

 荒太は、外見はやはりどことなく嵐に似ていた。

 背は、嵐より若干高いように見える。

 但し退院直後だからか、嵐だった時よりも今は細身だ。

 顔の輪郭(りんかく)も細い。

(でも――――――)

 優しげな顔立ちは相変わらずだ。

 ――――――気性のきつさも相変わらずだろうか。

「俺が手出しする必要があったか、判らないけどね」

 黙って荒太を見ていた真白はハッとして、この言葉に強く首を振った。

「そんなことない―――――。私は、まだ若雪程には強くないの。誰も味方がいないし、すごく心細かった………」

 言葉に出すと改めて恐怖が蘇り、自身の両腕を掴んで、ぶるり、と大きく身体を震わす。

 荒太が、困ったように首を傾けた。

 それで真白は、自分が今、泣いていることに気付いた。

 それは、恐怖から逃れ得た安堵感と、荒太に逢えた喜びの両方から来る涙だった。

 荒太は黙って真白の涙を拭いた。

 直接手で拭うところは変わっていない。

 労わるような優しい手つきに、真白はますます泣けてしまった。

 衆目を、この際二人は気にしていなかった。

「――――――荒太君」

「うん?」

「また逢えて、嬉しい」

涙と共にこぼれ出た真白のたどたどしい言葉に、荒太は満面の笑みを浮かべた。

「うん。俺も」

「リハビリ、すごく頑張ったんだね」

 真白が取り出したハンカチで目元を拭いながらそう言うと、荒太は若干苦笑いした。

「本当なら、もう少し時間をかけなくちゃいけないんだけどね。医者からもトレーナーさんからも渋い顔されたし。…けど、早く逢いたかったから」

「……ありがとう」

 荒太は穏やかな顔で、礼を言われることじゃないよ、と微笑んだ。

 それから、真白の着ている淡い青紫のワンピースを見て目を細め、似合うね、と言った。


「荒太君、御両親は、今日は?」

 荒太の家は矢立総合病院の近くにあるらしく、二人は徒歩で家に向かい静かな住宅街を歩いていた。真白は彼の荷物を持つ、と言ったのだが、荒太はその申し出を断った。

 手持無沙汰ではあったが、真白は荒太の家の前まで、彼を送って行くつもりだった。

「ああ、来ないで良い、って言っておいたから、普通に家にいるんじゃないかな」

「どうして」

 真白は驚き、そう尋ねた。

 一月以上も眠った状態にあった息子の退院だ。迎えに来たいのが親心と言うものだろう。

 荒太は真白を横目で見て、笑った。

「剣護先輩が妙に病院を出る正確な時間を訊いてくるし。……多分、来てくれるんだろうと思ってたから。邪魔されたくなかったんだ」

 真白は頬を染めながらも思った。

(次郎兄と同じだ――――――)

 荒太もまた、恐らく未だ成瀬荒太より望月嵐としての記憶のほうが、彼の中で根強いものなのだ。真白は少し複雑だった。若雪ではない自分を、本当は荒太がどう見ているのだろうと思った。――――――若雪はほとんどの事柄において完璧だった。真白が記憶の中の嵐と荒太を見比べたように、彼もきっと自分と若雪を比較せずにはいられない筈なのだ。

 そんな真白の物思いに気付かず、荒太は少し改まった口調で問いかけた。

「ねえ、真白、さん。さっきみたいなことは、今までにもあったの?それとも俺が知らないだけで、この時代には割と普通だったりするのかな」

 真白は迷った。

 ここで竜軌や兄たちのもたらした情報を荒太に明かせば、荒太まで魍魎(もうりょう)との(いくさ)に巻き込むことになりはしないか――――――――。

 しかし何も知らないでいることは、明臣も指摘したように、より大きな危険に荒太を(さら)すことになるかもしれない。知識を得れば得ただけ、荒太なら、きっと自分の身を守る手立てを抜かりなく整えておくだろう。先程、魔を祓う秘文を唱えて魍魎のバスを消し去ったのが良い証拠だ。

 真白が思案を巡らせている間、荒太は彼女をじっと見ながら大人しく答えを待っていた。

「………荒太君。そのことに関して、話さなくちゃいけないことがあるの」

「じゃあ、俺の家で話して?」

 荒太に事情を明かすことを決めた真白に、荒太はあっさりと言った。


 荒太の家は、住宅街の中の小奇麗なマンションにあった。

 マンションまでの道には街路樹のハナミズキが、淡紅色の花を咲かせていた。

 六月に入って最初の土曜日は、良く晴れていた。もうしばらくすると、梅雨の時期に入るだろう。晴天の下を、真白と荒太は黙ったまま、ゆっくりと歩いた。けれどそれは気詰りなものではなく、穏やかで心地好い沈黙だった。

 グリーン・ハイツと書かれた建物の、入口に設置された機械に彼が無造作に部屋番号を押すと、応答する声が聞こえた。

 少しすると自動ドアが自然に開く。

 エレベーターで6階まで昇り、降りると荒太はスタスタと605と書かれた一室の前で立ち止まり、チャイムを鳴らした。

 扉を開けて出て来たのは、活発で明るい感じのする中年女性だった。顔立ちは、荒太に似て優しげに整っている。但し荒太には無い、目の端に出来た笑い皺が、彼女の性格を物語るようだ。

「荒太、ああ、良かった。ちゃんと帰って来れたのね。あんたったらもう、こっちの心配もお構いなしで、退院の時は迎えに来るな、なんて言うんだから。母さん、気を()んじゃったわよ。残ってた荷物はちゃんと持って帰って来れた?帰りはタクシー使ったの?」

 一息でまくしたてた荒太の母は、真白の存在に気付いて目を丸くした。

「―――――こちらのお嬢さんは?」

「あ、初めまして。門倉真白と言います。荒太君のクラスの、クラス委員をしてます」

 真白が慌てて頭を下げる。

 途端に荒太の母が相好を崩し、どこかにやにやした顔で荒太を(ひじ)でつついた。

「なあに、この子は。そういうこと?いつの間にこんな綺麗なお嬢さんとお近づきになってたのよ。成る程ね、お母さんのお迎えなんか、要らない訳だ」

 荒太には大体予想出来ていたリアクションだったらしく、これををさらりと流した。

「親父は?」

「休日出勤よ。急に仕事が入ったの。どっちにしろお父さんは、あんたを迎えには行けなかったわね。あら、ごめんなさい、こんなところで立ち話しちゃって。どうぞ、入って、門倉さん。飲み物は何が良いかしら?」

 真白を家に招き入れ、パタパタとスリッパの音を立てて荒太の部屋まで案内した。

「さあさ、久しぶりのマイルームへどうぞ、若様?目覚めてからのお言い付け通り、風を一日二回通すことと(ほこり)を時々払う以外は、何も手をつけてないわよ」

「はいはい、どうもね」

 荒太は完全にあしらう口調だった。

「じゃあ、私は飲み物を持って来るから。門倉さん、ごゆっくりね」

「どうぞお構いなく」

 パタン、と荒太の母が部屋の扉を閉めると、急に静かになった気がした。


(やっぱり………)

 荒太の部屋の様子を見て、真白は微笑ましくなってしまった。

 完璧に整理整頓された空間。

 本棚の本は一糸乱れることなく並び、床には(ちり)一つ落ちていない。勉強机の上には必要な参考書や辞書、教科書の(たぐい)以外、無駄な物は一切置かれていなかった。ただ、本棚にあるメンズファッション雑誌の並びと、『手間がかかっても美味しい料理』と題された本その他数冊の料理本が、荒太の個性と嗜好(しこう)を物語るようだった。料理本の中には、真白も耳にしたことのある有名な料理研究家の著書もあった。驚いたことに、編み物のテキストまで置いてある。しかもその背表紙には「上級者編」とも書かれていた。

(編み物もするんだ、荒太君――――――)

 その発見は真白に、器用に和裁をこなしていた嵐の姿を思い出させた。

 クローゼットの中までは見て取れないが、真白には見なくてもきっちり整えられた中身が見えるようであった。

「クッションとか無いから、ベッドにでも適当に座って」

 そう言った荒太は、勉強机の前の椅子に背もたれを前にして座った。

 そっとベッドに腰掛けた真白は、その後荒太の母が持ってきてくれたオレンジジュースを飲みながら、語り始めた。


 話を聴き終えた荒太は、難しい顔をしていた。

「ふうん……。信長公がついにお出ましか」

 これを言う時だけは、どこか楽しげだった。

「でも、私にはちょっと不思議に思うところがあって」

「何?」

「…どうして私たち、こんなに近い場所に集まったんだろうって。あまりに都合が良いと言うか」

 この疑問に関して、荒太はあまり同調しなかった。

 首の後ろをがしがしと掻きながらあっさり言った。

「それは多分、真白さんがいるからだろう」

「私?」

 荒太が真顔で頷く。

「うん。力を持つ者は、同じく力を持つ者の傍に集うものだ。若雪どのの時からして、そうだっただろう。俺や、信長公や、智真(ちしん)が良い例だ。だから今生でも、そういうことなんだよ」

 キイ、キイ、と椅子の音を立てながら語られた内容は、確かに納得のいくものだった。

「……私は、今生ではまだ智真どのに会っていない。荒太君は?」

「俺もまだ」

「そう――――――」

 部屋の中が静けさに満ちた。

 立ち上がった荒太が、部屋の窓を開けると気持ちの良い風が入り、薄い茶色のカーテンが風に(あお)られて揺れた。

 その様子を見ながら、真白がそっと切り出した

「それで…、花守からの要請の件なんだけど」

 窓に向いた荒太の後ろ姿が静止する。

「―――――――真白さんは、理の姫を助けてやりたいんやな?」

 急に荒太が関西弁になったので、真白はびっくりした。

 まるで嵐その人がそこに立っているような、錯覚に陥った。

 荒太がこちらに向き直り、苦笑する。

「ああ、ごめん。時々関西弁が出るんや。親に不審がられんように、普段はなるべく標準語使うてるんやけど。で、どうなんや?」

「あ…、うん。理の姫は、私の妹でもあるし、…恩もあるから」

「―――――労咳(ろうがい)のことやな?…一度目の」

「そう。あの時、生き延びたお蔭で、若雪は嵐どのと夫婦になって、娘を授かることも出来た。……家庭を持った若雪は、本当に幸せだったから。その機会をくれた理の姫には、すごく感謝してるの」

 理の姫の助けが無ければ、禊の時から帰って幾らも経たない内に、若雪の生は終わっていただろう。嵐と添うことも、娘を産み、育てる喜びを知ることも無く―――――――。

 生き永らえた末に得られたのは、決して長くはない、けれど真実幸せと言える日々だった。

 荒太は一瞬だけ、何かを噛み締めるような、切なげな顔をした。

(覚えてる?)

 真白は目で問いかけた。

(覚えてる)

 荒太の目はそう答えた。

「……言うてることは解る。けど、剣護先輩たちの気持ちも、よう解る。さっきのバスかてそうや。真白さんがそうそう魍魎らに遅れを取るとは思えんけど、本格的に理の姫の陣営に加われば、あんなことはきっと日常茶飯事や。――――若雪どのは、大事な者を守る為にあの乱世を生きてた。今のこの、平穏な世になってまで、同じような生き方をして欲しゅうはない。……それでも、真白さんは助けたい思うんやな」

真白は無言で頷いた。

荒太は再び窓の外に顔を向け、少し経ってからまたこちらに向き直った。

「――――あんな、真白さん」

「はい?」

 荒太が、やや切り出しにくそうな声で真白を呼んだ。

「嫌やったら嫌やて言うて欲しいんやけど…」

「うん。何?」

「――――――抱き締めてもええ?」

「……………………………」

 言葉の意味を理解するまで、真白は数秒かかった。

 そして理解したと同時に、カッと顔が熱くなった。

 荒太の母がジュースを持って来てくれたあと、荒太が部屋のドアの鍵をカチリとかけた時、理由も無く鼓動が大きく鳴ったことを思い出す。

 荒太は窓際に立ったまま、こちらをじっと見て真白の返事を待っている。

「―――――若雪を?真白を?」

 言ってしまってから、真白はハッとして口を押えた。

 荒太が瞠目(どうもく)する。

思わず口をついて出た言葉は、真白自身さえ予期しないものだった。

 真白はますます赤面した。

(何を言ってるんだろう…。自分だって、嵐どのと荒太君を比べた癖に)

 ―――――いや、それだからだ。それだからこそ、自分と同じように、荒太も真白に若雪を投影しているのではないか、と疑ってしまったのだ。

今ある空が戦国の空とは違うように、花の香りさえあの頃とは違って感じるように、真白ももう、若雪であってそうではない人間として生きている。

 もし「若雪」を期待されているのだとしたら、荒太を落胆させるだけではないか。

「……真白さんをや。若雪どのは、真白さんの中におるんかもしれんけど、俺は間違えたりせえへんよ。俺は、真白さんに抱き締めてええかどうか訊いたんや」

 静かな荒太の言葉を受け、恥じ入った真白は俯いた。

「ごめんなさい……」

「謝罪は要らん。訊きたなる気持ちが解らんでもないし。それで、返事は?」

 荒太の口調はあくまで明快だった。

「………うん。…良いよ」

 蚊の鳴くような小さな返事だったが、荒太の耳には届いたらしい。

 真白がベッドから立ち上がると彼は慎重に歩み寄り、予想していたよりも強い力で真白を抱き締めた。

「―――――――――…」

 驚いたことに、荒太は泣いているようだった。

 彼に釣られたのか、真白もひどく切ない気持ちになり、荒太の背に回した手に、力を籠めた。少し早めに響く、荒太の胸の鼓動が聴こえる。真白の胸もまた、兄たちとは異なる体温に、早鐘(はやがね)を打つようだった。

(逢えた―――――また。今度は、この現世で。嵐どのじゃなく、荒太君と)

 しばらくしてから、荒太はそっと真白から離れた。

 その顔には、もう泣いた形跡は見られなかった。

 感情の切り替えが素早いのだ。別人でも、嵐と通じるものはある。

(それでも、荒太君は荒太君だ)

 彼が真白を若雪ではなく、真白と見て間違わないと言うなら、真白もまた同じようにいられるだろうと思えた。同じようでありたいと思った。

 真白の心境を他所(よそ)に、それから少しの間、荒太は何かを迷うように思案顔だった。

「理の姫に助力したい言う件――――――少し、考えさせてくれ。俺の中の結論次第では、真白さんの援護に回ってもええ。剣護先輩らを説得したる。けど、今はまだ結論は出せへん」

 真白は、それでもホッとした。

 頭ごなしに反対されなかっただけでも有り難い。

「ああ、せやけど、俺はまだ学校には行けへんわ。当分は、家でリハビリの続きせなあかんしな。――――真白さん、一人での行動はなるべく避けるんやぞ。出来る限り、江藤か剣護先輩と一緒に動くんや」

 荒太が退院すればすぐ登校、と思い込んでいた真白は肩透かしを食った気分だった。

(……そうよね。まだ三週間しかリハビリしてないんだもの)

「うん…解った。荒太君は、いつから学校に来られるの?」

 途端に表情が沈んだ真白を見て、笑いながら荒太は答える。

「まあ、いくら俺でも一週間くらいは無理や。一週間で様子見て、あとは通学しながらのリハビリに移る時を決める」

「―――――解った」

「結論が出たら真白さんにも、剣護先輩にも連絡するわ」

 これにも解った、と答えかけて、真白はふと思い留まる。

「―――――――私のアドレス、知ってたっけ?」

「いや?知らん。剣護先輩のは前に聞いたけど。せやから、真白さんのも教えて?」

 にっこり笑って荒太が言った。


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