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流離 三 前

       三


 怜の鋭敏な感覚が、大きな力の気配を二つ、察知する。

 一方は冷え切った水を思わせる神つ力の、そしてもう一方は燃える炎を思わせる魍魎の発するものだった。相反する二つの力は、水を思わせるもののほうが優勢に感じられた。

「ちょっと、ちょおーっと待って、待ってってば」

 次いで聴こえた耳障(みみざわ)りな声は、確かに怜の知る人物のものだった。

 縁先(えんさき)雪崩(なだ)れ込んで来たのは、佐藤春樹と、彼を追う水臣だった。浜姫榊が激しく揺れ、ザワザワと騒ぐような音を立てた。卵形をした濃い緑の葉が幾枚も落ちる。籬を破損することもなくどうやってこの庭に入り込んだものか疑問に思うと同時に、水臣と対峙する春樹の手にした火焔(かえん)のような剣を見て、怜の目が険しくなる。水臣もまた剣を手にしてはいるが、それは春樹の手にある物とは対照的に、透明な水が(こご)ったような清浄(せいじょう)な剣だった。

 事態が掴めないまま、それでも念の為に怜は虎封(こほう)を呼ぶ。その神つ力を使う気配に、春樹と水臣が同時に目を向けた。戦闘の名残(なご)りか、両者の間には赤く輝く火の粉が散っている。

 春樹が目を丸くすると、怜の存在を歓迎するかのように両手を大きく開いた。

「なになに、江藤じゃーん!何でこんなとこにいんのお?…ああ、まあこの際お前でも良いや。この、おっかないお兄さんから助けてよ~。もおー、怖いって、この人。よりによってさあ、俺に対して水の属性とかさあ。イジメでしょ、これ」

 怜は混乱する頭を働かせた。剣戟の音と力の気配、そしてあっけらかんとした大声に、真白が目を覚まして部屋から出て来た。先程と同じく、淡い藤色の着物に銀鼠色(ぎんねずいろ)の単衣を羽織っている。単衣は、真白の掛布団の上から怜がかけて置いたのだ。

「どうしたの。何かあったの?次郎兄…」

せっかく眠ったところだったのに、と怜は水臣と春樹に対して若干腹立たしく思う。妹を背後に(かば)う形で、虎封を手に問いかけた。

「―――佐藤。お前は魍魎だったのか?」

「佐藤君?」

 真白が目を大きくし、春樹がやべ、と言う顔をする。

「うあー、まだバラすなってギレンには言われてたのにぃ。バレちゃったし。ああ、ギレンってあのスーツに眼鏡の気障(きざ)なおっさんね。ねえ、ここだけの話にしといてくれない?お仲間に話すのは構わないけどさ、ギレンには言わないでおいてよ、怖いから」

 通常とは逆であろう春樹の懇願に、怜が呆気に取られる。同時に、一磨は無事だったろうかという思いが頭をよぎった。真白も言葉が出ない様子だ。

 水臣に目を向ける。彼は未だに剣を手放していない。春樹の火焔のごとく揺らめく剣は、とうに消え失せていた。

「…水臣。あなたも、剣を収めるんだ。真白は熱があるんだ。ここでは騒がないでくれ」

 水臣は冷たい瞳で怜を見遣ると、黙って透明に輝く剣を消した。それを見届けてから、怜もまた虎封を闇に帰した。

「真白ちゃん、風邪ひいたの?大変じゃん、俺もお見舞いするよー」

 どこまでもマイペースな春樹に、怜は呆れた声で告げる。

「…佐藤。妖であるお前を、真白に近付ける訳にはいかない」

 春樹がへらへらと笑う。そうした笑い方が、実に良く似合う外見だった。

「だあーいじょうぶだってぇ。俺、今のところ、真白ちゃんを殺す気はないから」

 春樹が口に出す言葉には剣呑(けんのん)さがあったが、彼自身の正直な心情を述べているようにも思えた。

「とにかく、こちらの部屋で話そう。…真白、…一緒に彼らの話を聴くかい?」

 気が進まない口振りで、怜は一応確認する。予想通り、真白はコクリと頷いた。


 虫のすだく中その音色を聴きながら、縁側に開けた部屋に水臣、春樹、怜、真白が車座になって座る。怜は真白を自分の背後に隠すようにして座らせた。その上で春樹からは距離を取る。かと言って、水臣であっても無条件に信用出来かねるのが厄介ではあった。

 剣戟の騒音は、日中の労働に疲れ熟睡している家の人間たちを起こさなかったらしい。怜たちの部屋が庭先に面していることが幸いした。

 行燈の火と外の星明りだけでは、それぞれの表情が読み辛いと怜は思う。特に二人の異分子(いぶんし)の顔の変化は見逃さずにいたかった。ただ、彼らの感情の表出(ひょうしゅつ)はまるで正反対で、春樹が余りに明けっ広げであるのに対して水臣は凍ったように無表情だった。

 解りやすいようで解りにくい、と思いながら怜が口を開く。

「確認するけど、佐藤は、魍魎なんだよな?つまりは俺たちの敵で、命の遣り取りをしている」

「うん、まあそうなってるけどお、俺、そういう風に行動を決めつけられんの、嫌いなんだよね~。自由に、佐藤春樹を満喫(まんきつ)したい訳。あ、俺の本名、ホムラね。そもそもが、大火となって家やら何やらたくさん焼く筈だったの」

 口調こそ呑気で陽気だったが、これまでのチャラ男振りでは全く予想だにしない、春樹の正体だった。火を真実の姿とするなら、確かに水の属性を持つ水臣とは相性が悪いだろう。逃げ腰になるのも頷ける。

「でも、佐藤君からは何の気配もしなかったよ。…普通の、人間だとしか思えなかった」

「いーいとこに気がついた!それはね、真白ちゃん」

そう言って勢いづいた春樹が顔を真白に近付けたので、怜がその身体を邪険(じゃけん)に押し()る。

「近付き過ぎだ」

「俺がね、そういう特殊な魍魎だからだよ。戦闘状態の時以外なら自分の気配を自在に出し入れ出来る、例外中の例外。スペシャルな訳よ」

 怜の冷ややかな声も一顧だにせず、春樹が右手人差し指を立て自慢げに告げた。

「…どうしてここに来たの?」

「そこの、おっかない顔した花守のおにーさんに、剣持って追いかけられたんで、とりあえずここを避難場所にしたの。隠れるには最適って感じじゃん、ここ?深い考えは無いよお。まー、すぐ見つかっちゃったけどさ」

 春樹の言葉に、真白も怜も水臣の顔を見る。次は彼が事情を語る番だった。

「私は現在、花守の責を離れている。単独で魍魎狩りを続けていたところに、大物が感覚に引っかかったので、追って来ただけの話だ」

 重々しくも簡潔な説明だった。

「やー、大物だなんて、照れるね」

 頭を掻く春樹を相手にする者は誰もいない。

 水臣が花守の責を離れている、ということ自体、真白にも怜にも驚きだった。光はその事実をどう受け止めているだろう、と真白は彼女の心情を案じた。

「――――――光の為?」

 真白の印象で見た限り、水臣はどこまでも理の姫・光に関する理由でしか動かない。

 尋ねた真白に、水臣が変わらない顔で頷く。

「お察しの通りでございます。雪の御方様。……私は、自らと姫様の御為に、この戦に早く終止符(しゅうしふ)を打ちたいのです」

 明かりが心許無いので明確には見えないが、薄青い瞳の水臣はどこか寂しそうだと真白には思えた。戦を終わらせ、そうして彼は何がしたいのだろう。水臣が考えていることは、本当に光を幸せにするだろうか。

「…この村を襲う妖も、やはり吹雪が生んだものなの?」

「はい。人を喰らっても忘却(ぼうきゃく)の彼方にそれを追い遣ることのない、特殊なものです」

「………」

 真白が黙った。焦げ茶色の瞳が思案に(ふけ)る。

(魍魎も一筋縄(ひとすじなわ)では行かない。佐藤君や、この地を襲う魍魎のように例外もいる。…それなら透主は?やっぱり他の妖にはない、特別な何かがあるんだろうか。…知らないって怖いな。どんな風に足元を(すく)われるか解らない)

 春樹から何とか情報を訊き出せないものだろうか。

考える額には細かな汗が浮いている。それを見て取り、ここらが限界だと怜は思った。

真白本人に自覚は無いようだが、息が再び荒くなってきている。

怜が止めに入る寸前、真白が声を発する。

「…ここにいる間は、皆、休戦協定ということでは駄目かな。そして、出来るなら村の人を喰らう妖を、協力して倒すというのは…」

 果たして水臣と春樹がこの提案を受け容れてくれるだろうか、と胸中で危ぶみながら真白はゆっくりと唇を動かした。水臣はまだしも、春樹にはメリットが無いどころか同士討ちということになる。半ば断られることを予想していた。その場合にはせめて村を襲う魍魎の味方をせず、戦いにおいては傍観(ぼうかん)してもらえるよう頼むつもりだった。それさえ聞き容れられない時には、彼とも刃を交える覚悟をしなければならない。だが未だ同級生という印象の色濃い彼とそうなる事態は、出来れば避けたかった。

 しかし真白の提案を、意外にも春樹は挙手して真っ先に受け入れた。

「俺は別にいーよー」

「でも、佐藤君の仲間でしょう?」

 確認するように真白に問われて、んー、と僅かに考える目を見せたが、にこっと笑う。屈託がないと言うよりは、何も考えてない笑顔だ。

「俺、そういうのあんまり気にしないんだ。今、自分がどうしたいかが基準だしぃ。そちらさんと違って魍魎全員が仲良し小好(こよ)しってこともないもんな。アオハやギレンを相手にすんのはさすがに気が引けるけどさあ」

「…透主相手、だったら?」

 真白の試す問いかけに、春樹はにんまり笑う。

「さあ。どうだろうね~。やだな、真白ちゃん策士だなあ。俺から情報訊き出そうなんて」

 やはり、そう簡単に情報収集出来るものではないらしい。

「――――水臣は?」

 口には出さないが自分たちも春樹が言う程一枚岩ではない、と思いながら真白が尋ねる。

「私も異論ございません。しかし、ここを出た暁には改めて、この魍魎を滅しにかかるとは思いますが」

 淡々と宣言された春樹が、うんざりした顔を見せる。水臣の頑強(がんきょう)さに辟易(へきえき)している様子だった。性分的(しょうぶんてき)にも、どこまでも相容れない二人のようではある。

「男に追いかけられても嬉しくないし…。どうせなら真白ちゃんに追いかけて欲しーなあ」

 春樹の軽口は捉えどころが無い。

 そこまで話したところで、真白の頭が不意に怜の肩に載った。長い(まつげ)は下を向いて意識を飛ばしている。入り組んだ話をしたことで、また熱が上がった可能性があった。肩に感じる彼女の額や頬が熱い。

「ありゃ。真白ちゃん、気絶しちゃった?」

 そう言って春樹が真白の白い頬に伸ばそうとした手を、怜が払いのける。

「気安く触るな」

 穏やかな中にも、相手に無視することを許さない声だった。

 春樹が目を丸くする。

「へえ!江藤って、学校では人当りの良い優等生って感じなのに、結構、シビアなとこあるのな」

「そうだな。俺が優等生に見られやすいのは確かだよ。実際のところ、自分の中での優先順位をこれ程明確にしてる、冷めた人間もいないと思うけど。さあ、今日の話はこれで終わりだ。二人共、人間じゃないからには屋外で過ごすのも遣り用があるだろう。俺は真白を運ぶから」

 言外に退去するよう告げる。

 そうして妹の身体を抱え上げると、怜は隣室に姿を消した。それは協力を求める側の態度ではない。真白は保険の為と、彼らの行動を把握する思惑もあって水臣と春樹の協力を仰いだのだろうが、二人がそれを拒んでも、雪華と虎封がこの土地を襲う魍魎に遅れを取るとは怜は考えていなかった。

 水臣と春樹を置き去りにしたその行動は実際、怜が自分で明言した通りのものだった。


 真白がふと目を覚ますと、傍らにはあぐらをかいて座り込んだ怜の姿があった。

(次郎兄…)

 薄紫(うすむらさき)(もや)が漂う明け方の気配の中、閉ざされた(まぶた)のあたりには疲労の気配がある。

 腕組みをした彼の手にそっと触れると、怜は静かに目を開けた。安穏(あんのん)と、寝ていた訳ではないことがすぐに判る。その唇が微笑みを形作る。

「お早う、真白。体調はどう?」

「お早う。うん。昨日より楽だよ。…次郎兄、ずっと起きてたの?」

「いや、少しは寝たから心配しないで。真白、起きられる?この家の人たちに紹介するよ。多分、もう皆起きているだろう」

「うん、大丈夫」

 ギシギシと床板の音を響かせながら短い廊下を通り、真白は怜のあとに続いて居間のような部屋に姿を見せた。軽く緊張していたが、隣に立つ怜の落ち着き払った態度を見ている内に、真白の気持ちも静まった。

 そこでは昨晩、怜から聞いた通りの人物たちが朝食をとっているところだった。真白が目覚めるよりずっと早くに起き出していたことが察せられる。

 怜により、片目が白濁した老人の名は嶺守(れいじゅ)。老婆は(かや)、女性は(みお)と言う名前だと知らされていた。三人は真白たちの姿を見ると、箸を置いて平伏(へいふく)した。

「お目覚めでございましたか」

 微かに畏れの感じられる声音で、そう告げたのは嶺守だ。

 彼らの反応には真白も慌てた。助けられたのは、自分たちのほうなのだ。

「どうぞ頭を上げてください。あの、昨日は助けていただき、本当にありがとうございました。それで…ご迷惑とは思うんですが、もう二、三日、こちらに置いてはいただけないでしょうか」

 嶺守が白濁していないほうの目で、(すが)るように真白を窺い見る。そこには隠しようの無い希望の光があった。

「……妖を退治していただけると、そういうことでございましょうか」

 怜は嶺守の言葉から、自分たちを保護した際、既に彼らの中にはそういう計算も働いていたのではないか、と推測した。神つ力の気配を察知出来るのだとすれば、猶更(なおさら)その可能性は高い。けれど自分たちへの待遇が、純粋な厚意のみで行われたものではなかったとしても、彼らを軽蔑(けいべつ)する気にはなれなかった。もとより人間とはそうした生き物だと怜は考えている。彼らに対して僅かに不快に思う点があるとすれば、幾ら神気が感じられるとは言え、見た目にはか弱い少女である真白に、平然と危険な行為を求め期待することだった。

 しかし真白は静かな瞳で頷いた。

「そのつもりでいます。幸い、私たち二人の他にも、戦力になる存在がいますので」

 嶺守たちが再び平伏したのち、真白と怜の前に、朝食が整えられた。その内容は、昨夜の夕食よりもはるかに充実していた。


       

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