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流離 二 後半部

 赤、緑、青、黄、紫……。

 めくるめく色の光が、怜を取り巻いていた。

 昔、田舎に住まう祖父の家の近所で見た、灯篭流(とうろうなが)しを思い出す。

 盆の最後の日に魂の明かりを運び送る、川の水。独特な雰囲気が川辺に満ちる中、水の匂いさえいつもより濃いように感じられた。

魂送(たまおく)りと言ってな。婆さんもあれと一緒に帰るんだ〟

 いつも矍鑠(かくしゃく)とした祖父の、どこかしんみりとした顔が印象的だった。

〝おじいさんは、寂しくないの?〟

 つい尋ねた怜に、祖父は笑いかけた。

〝おう。怜がほれ、ここにいてくれるからな〟

 慰め、励ましたかった祖父に、逆に慰められた気がした。


 うっすらと目を開けた怜は、自分が日本家屋の一部屋のような場所に寝かされていることを自覚した。線香のような懐かしい匂いと、また別の匂いが入り混じったものが微かに鼻をくすぐる。

「…だからな、あの子たちの為にも……」

「もうすぐ、来るのだから…させるなら早く…」

「しかしまた……よりによって、こんな時期に」

 数人の男女の会話が、聴くともなしに小さく聴こえた。

(――――――真白)

 怜は妹の名前を思い出すことで、意識がはっきりと覚醒した。

 身を起こし、あたりを見回す。枕元には、古風にも行燈(あんどん)が置いてある。

(どこだ)

 迫るトラックの、大きな車体が脳裏に蘇る。

 自分は五体満足だが、真白までそうとは限らない。

 真白の姿を求めて立ち上がったその時、カラリと板戸が開いた。

「起きたのかい」

 ()せぎすの、四十がらみと見える、着物を着た女性が声をかけてきた。

「どこか痛むところはないかい。あんたのほうは熱は無さそうだね。あんたたち、浜辺に転がってたんだよ」

 見開いたような目は黒々として、濡れたように光っている。そこには確かに労わりの情があった。素っ気無い態度とは反対の性分のようだ。ちらほらと白いものの混じる長い黒髪は、後ろで一つに(くく)られている。もう少し身に肉がつけば美女と言って()(つか)えない容貌になるのではと思われたが、怜にとってそれは些末事(さまつじ)だった。女性に言われて初めて、自分の衣服が着替えさせられていることに気付く。茄子紺(なすこん)の、単衣(ひとえ)の着物だ。手を口元に遣り匂ってみると、確かに(いそ)の香りがした。

 女性が口にした「あんたたち」と言う言葉に、怜は飛びついた。

「俺と一緒に、女の子がいませんでしたか。浴衣を着た、肩につくくらいの髪の」

「あんたと一緒に倒れてた子なら、隣の部屋で寝てるよ。あんた、あの子のこと後生大事(ごしょうだいじ)に抱え込んでたんだよ。…あんたとは顔立ちも少し似てたから、兄妹かとも思ったけど。熱があるようだったし、部屋は別にしといたが良いだろうと思ってね」

「会わせてください」

 間髪入れずに要求する。

 一瞬、女性は怜を探るように見たが、怜が寝ていた部屋を囲む板戸の一つを黙って指し示した。三方を板戸で仕切られたこの部屋の、残る一方は縁側に向けて開けている。カタリ、と示された板戸を開けると、捜していた妹の姿がそこにはあった。

 眠る真白の顔を見て、怜は安堵の深い溜息を吐いた。真白の眠る傍らにも、行燈は置かれていた。特にどこを怪我しているという様子も見受けられない。

(真白…。良かった)

 白く浮かび上がるような額に手を当てると、確かに熱い。僅かに開いた唇から洩れる息も少し荒く、辛そうだ。良く見ると真白もまた浴衣を着替えさせられていた。しかし着る物は、怜のそれより質の良い品に見える。寝かされている布団も、身体にかけられた布団も、客人にあてがうに相応しい物のようだ。

 額に当てられた手のせいか、真白がぼんやりと目を開けた。

「真白」

 怜の穏やかな呼びかけに何回か瞬きをすると、微かに眉を(ひそ)める。

「次郎兄…?ここ、どこ?」

 自分でも答えようのない質問に、怜は明確な返事が出来なかった。求める答えを得られないことで、真白が混乱や不安に拍車をかけないよう注意する必要を感じた。

「…真白、もう少し寝ておいで。あとでちゃんと、説明してあげるから」

 そう言ったあとに、案内してくれた女性に目線で状況を教えて欲しいと訴えた。女性は軽く頷くことで、怜の目線に承諾の意を返した。

「―――――次郎兄、どこかに行っちゃうの?」

 熱により、いつもより気弱になっている真白が不安がっているのが解った。彼女の白い手が無意識の内に、空気の中を泳ぐように怜に向かう。その手を取って、このまま付き添ってやりたい気持ちを抑える。真白を守る為にも、何より今は情報を得て現状把握することが肝心だった。

「少しの間だけだよ。また戻ってくるよ。真白」

 小さな子供に、宥めて言い聞かせるような柔らかい声を出す。真白は依然として不安な眼差しをしていたが、怜に向けて伸ばしかけた手を中途で止めた。

 板戸にもたれかかり様子を見ていた女が、怜に対して(あご)をしゃくる。

 怜はそれに首肯すると、真白の手を布団の中に戻してやり、部屋をあとにした。


「兄妹以上に兄妹みたいだったね、あんたら」

 女の感想はある意味穿(うが)っていた。

 怜が通された部屋は、最初に話し声が洩れ聞こえてきた方向の部屋だった。

 部屋には二台の燭台にともされた明かりが置いてあるのみで、薄暗い。明かりには魚油(ぎょゆ)を使ってあるのだろうか、匂いが鼻につく。怜も電気の無い時代に使われていた明かりの原料となる油のことなど、知識としてしか知らないので、自分の見立ての正誤の確認は出来ない。光に群がる蛾が時折、火に飛び込み自らの身を燃やしている。

 そこには白いあごひげを生やし、片目の色が白濁(はくだく)した老人と、しゃんと背筋の伸びた老婆がそれぞれ円座(わろうだ)に座っていた。怜を案内して来た女は、怜を二人の正面の円座に座るように促すと、自分は老婆の横の円座に腰を落ち着けた。三人共、似たような簡素な単衣を身に着けている。横手には囲炉裏(いろり)があり、更にその向こうには釜などが置いてある、台所と思しき場所が見えた。古い木造の家屋は、最初に感じた印象より広いようだ。しかし夜であることも手伝ってか、暗い木の色調がやや陰気(いんき)な印象だった。家の中に流れ込んでくる潮風が明かりを揺らめかし、燭台の油の匂いを一層濃くする。

 老人が、一つ深い息を吐く。それが、これから話を始めると言う合図のようだった。女二人が、引き締まった顔つきになる。

「さて、本来であれば(まろうど)であるあんたがたは、手厚く遇されるべきものなんじゃが…。時期が悪かったのう…」

 奥歯に物が挟まった言い様に、怜は眉を顰める。

 湿った風が老人の話す間も家の板戸を揺らし、カタカタと音を立てた。

「どういう意味ですか?いや、そもそも、ここはどこですか?日本…ですよね」

 老人がおもむろに怜を見据える。白濁した目も、まるで見えているかのような圧があった。長い年月を生きた者が時々有する諦観の眼差しを、この老人も備えていた。

「ここは現世や神界から遠く外れた、辺境の世界。爪弾(つまはじ)きにされた空間。どこにも行き場の無い者たちがひっそりと身を寄せ合い、暮らす土地じゃよ。ごくたまに、時空のひずみに落ちたあんたらのような貴人(あてびと)が訪れることもある」

「―――そんな世界が、本当に在るんですか」

 老人の眼差しが重みを増す。

「お前さんが今、現にここにおる。それ以上の証明が必要かね?」

 老人の話が真実であれば、確かにこの時代がかった家屋や着る物などの納得もいく。未だ信じ難い思いはあったが、怜は老人の語りを一応、理解したものとして自分の内に呑み込ませた。

「…貴人とは?」

「あんたがた、神つ力をお持ちであろうが。つまりは神界に近いお人ということじゃ。しかもあの女の子からは、神気まで感じられる。こんな時期でもなければ、村中総出で宴でも開き、歓待すべきところじゃ」

 神つ力の気配を察知(さっち)出来(でき)るのか、と驚きながら、真白のほうが身に着ける物その他において、怜より優遇されている理由も解った。怜は更に尋ねるべく口を開いた。円座に正座していた足の膝頭(ひざがしら)が、気付けば老人に詰め寄るように前進している。

「時期が悪かったと言うのは」

 そこで老人を始めとした彼ら三人は、(うかが)い合うような視線を互いに交わした。老人が眉間に深い(しわ)を刻み、重い口を開く。

「……もうすぐこの村を、暴悪な(あやかし)が訪れる。儂らが避難の手筈を整えておったところに、現れたのがあんたがたじゃ。その妖は定期的にここを訪れては、人々や家畜を喰らって行く。あれは災いじゃ。恐ろしき(まが)つものじゃ。すぐに元の場所に戻れるものではないのなら、儂らと共に、お前さんたちも逃げなさい」

 怜は考えを巡らせた。この話の場合の妖とは、吹雪によって生じた魍魎とはまた別の存在なのだろうか。そうでなければ、「食われた」と言うこと自体が、忘れ去られている筈である。

「その妖が来るまでに、あとどのくらいかかるんですか?」

「村の巫女の予言では、三、四日というところだそうじゃ」

(三、四日――)

 真白が動けるようになるまで、そう長くはかからないだろう。雪華を行使すれば、恐らく元の現世に戻ることもたやすい。

「今寝ている彼女が…、あの子が動けるようになるまでは、こちらに置いていただくことは出来ないでしょうか」

 老人たちが顔を見合わせた。

「そりゃあ構わんが。儂らは仕度(したく)が整い次第、ここを離れるぞ?」

「はい、そうしてください」

 怜はきっぱりと言った。

 いざとなれば、虎封をもって(くだん)の妖を斬る。

 怜は自らの名前と真白の名前を彼らに告げ、改めて助けられた礼を述べた。それから振る舞われた夕飯を食べ、再び真白の部屋に戻った。


「真白――――?」

 どうやらこの家には、畳が敷かれた部屋というものが一つも無いようで、どこを歩いても板張りの床がギシギシと鳴る音が響いた。おまけに夜の屋内の暗さときたら相当なもので、まず見知らぬ家の中を、手燭無(てしょくな)しで動くことは困難だった。つくづく自分が常日頃、どれだけの恩恵を電気にあやかっているものか思い知らされる。近付く足音で、真白もすぐに怜が戻ったことを悟った。

「次郎兄。良かった…。戻って来てくれた」

 行燈の柔らかな暖色の明かりが、本気で安堵している真白の表情を照らし出している。真白は怜が去ってからもずっと起きていたらしかった。

「戻って来るって言っただろう」

 怜は優しく答えて、老人から聞いた話を、端的にまとめて真白に伝えた。

 話を聴き終えた真白は、少しの間黙ってから口を開いた。

「私…、体調が戻れば、きっとその妖を倒せるのに」

 かなり奇想天外な内容であっても、現状を掴めたことで真白はいくぶん落ち着いたようだった。話を聴いた真白がそう言い出すのではないかということは、怜には予想の範囲内だ。

「必要があれば、俺が虎封を使う。真白は、今は余計なことは考えずに、身体の回復に努めるんだ。熱が引かないと倒すものも倒せないよ。――――――きっと、太郎兄たちも心配している」

「…うん」

「少しで良いから、ご飯を食べられる?膳を持って来たよ」

「うん」

 膳に載るのは里芋と豆腐の入った味噌汁、干し魚の焼いた物、そして木の椀に形ばかりに入った玄米だけだ。漁村と見られるこのあたりで、白米は貴重な物なのだろうと察せられた。真白であれば十分かもしれない食事内容だが、これが荒太などであれば、さぞかし餓えに悩まされることになっただろう。怜でさえ、玄米のご飯と味噌汁を二杯食べて尚、腹は満たされていないのだ。成長期の男子には辛い環境と言えた。

 この辺境の世界にも、四季はあるのだろうか。虫の音が聴こえてくる。極寒の雪国などでなくて、せめてもの救いだったのかもしれない。

「起きて来られる?星がすごいよ。真白」

食事を終えた真白を、怜は自分が最初に目覚めた部屋から縁側に導いた。

 海岸近くに生息する浜姫榊(はまひさかき)がまばらに生えた上空には、砂粒のような星が散らばっていた。浜姫榊が生える更に外側には、(しば)などを粗く編んで作った(まがき)があり、庭を含めたこの家の周囲を取り囲んでいるようだ。柴があるということは、この村の近くには柴が生える山野があるのだろう。夜の涼風を感じ、怜は真白の身体を気遣う。怜たちがいた現世より、この世界の季節は秋めいているようだった。カーディガンとまでは望めなくても、彼女の肩に羽織らせる為にもう一枚の単衣が欲しいと思った。ふと部屋の隅にある、柳行李(やなぎごうり)が目に入る。開けてみるとそこには、数枚の着物が畳んで置いてある。使えと言うことだろうと解釈して、怜はその内の銀鼠色(ぎんねずいろ)の一枚を手に取ると、真白の肩に羽織らせた。それは真白の着ている淡い藤色の着物に良く映えた。

 縁側に座る真白は、星空に見入っていた。天を仰ぎ見る真白のすんなりとした首は、星々の輝きとは別に仄白(ほのじろ)く光るような風情だ。そんな真白を見ると、改めて彼女が神界に属する存在だと知らされるようで、妹が遠く離れ行くような不安が怜の胸をよぎる。それはただの錯覚だ、と怜は心中で自嘲した。

「本当、綺麗だね……」

 瞬く星々の世界は、現世ではそう拝めるものではない。潮風の匂いを運ぶ空気は、それさえも透き通った青い色をしているようだった。

 真白は、薬師如来の世界、瑠璃光浄土を思い出していた。

「…次郎兄は、私のお隣の部屋に寝てるんだよね?」

「うん。何かあったら飛んで行くから、安心しておいで」

「……同じ部屋で寝るのは、やっぱりダメなの?兄妹でも良くないこと?」

「――――――」

 怜が言葉に詰まる。見知らぬ土地で寝込んでいる為、いつも以上に落ち着かなくも物淋しいのだろうとは思う。

 しかし、幾ら兄妹とは言え六畳あるかないかという部屋に、もう子供でもない男女が二つ布団を並べて寝るのは、やはり問題がある気がした。怜の胸に一つの懸念が生じる。

「…真白。もしかして、俺が成瀬でも同じことを言う?」

 これには即答が返った。

「言わない!!絶対言えないよ、そんなこと。…次郎兄や、剣護だから言えるんだもの」

 顔を赤くした真白が下を向く。それはそれで問題がある気がしないでもない。

 だが、ひとまず妹の危機管理能力を確認した怜は、少し安心した。

「同じ部屋では寝てやれないけど、真白が寝つくまで傍にいるよ」

「……()(まま)を言ってごめんなさい」


 眠り入るまで、真白は熱に潤んだ目を天井に向けたままじっとしていた。何を見ているというものでもなく、ただ身体の苦痛を遣り過ごそうとしているのだろう。それは幼いころから彼女に習慣づいた仕草のように見えた。

 怜はその横であぐらをかいて座り、妹の顔を見ている。人並みに健康な身体に生まれついた彼には、病弱に生まれ育った妹の辛さを実感として解ってやることは出来ない。ただ心中では、自分が代わってやれるものならばと思っていた。どちらにしろ今日は、徹夜するつもりだった。自分たちを拾ってくれた老人たちを悪人とは思わないが、まだ完全には信用しきれるものではない。これが自分一人であれば高いびきもかけようというものだが、真白が共にいる現状では、用心してもし過ぎるということはなかった。

 真白の(まぶた)がゆっくり閉ざされていくのを見守りながら、怜は不穏な気配を見逃すまいと、いつも以上に感覚を研ぎ澄ませていた。

 その時、剣戟(けんげき)の音が怜の耳をかすめた。



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