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流離 一 後

「真白さん、お腹、空いてない?あんまり食べてないでしょう」

 二人になった途端、機嫌の良くなった荒太が、持前の細かな気配りで真白に尋ねる。

 碧が占有(せんゆう)していた彼女の左手とは逆の右手を、今はしっかり繋いでいた。繋いだ時に真白が見せた、くすぐったくも嬉しそうな顔が、荒太の機嫌を更に押し上げた。

「うん。りんご飴…食べたいかな」

「え、そんなんで良いの?」

「うん。実は今まで食べたことないの。あれ、一個丸々食べきれるかなあ、って思って」

 荒太が笑う。

「食べきれなかったら、あとは俺が引き受けるよ」

 真白もまた、この言葉に笑みを浮かべた。

「ありがとう」

 それからしばらく二人は、参道の出店を冷かして歩いた。こうした祭りではお馴染(なじ)みの金魚すくいやヨーヨー釣り、射的などを見て回りつつ、たまにはそれらに挑戦してみたりもした。祭り特有の浮足立つような雰囲気に、荒太も真白も地面からほんの少し離れた宙を歩く気分だった。

 真っ赤なりんご飴を手にした真白は、帯の赤いことも手伝って、絵に描かれたような少女振りだ。

 荒太は、彼女を独占出来る喜びを心中で噛み締めていた。自分でも滅多に無い上機嫌だと解る。

「……ヘアピン、可愛いね」

 そんな言葉も、今は素直に口から出て来る。真白がピンに手を遣り、微笑む。

「ありがとう。…次郎兄が、用意してくれたの。私が、騒いだから」

「騒いだ?」

 何の話だと荒太が首を傾げる。

「浴衣を着たあと、髪の毛が物寂しい気がして…ヘアピン、ヘアピン、って剣護も巻き込んで騒いじゃった。…変だよね。荒太君と会う時はいつも、普段なら気にならないことが気になるの。何だか、自分が自分じゃないみたいで」

 そう言ってりんご飴をかじった真白は、真顔だった。

「…真白さんは、その理由が解ってる?」

「……うん」

「本当に?」

 荒太が覗き込んだ真白の顔は、りんご飴程ではないものの、赤かった。

「うん。解ってるよ」

「じゃあ、その理由、俺に教えて」

 からかいと笑みを含んだような口調に、真白は少しむくれた。

「――――教えない」

「どうして」

 空とぼけた荒太の問いかけに、焦げ茶の瞳が睨むような色を浮かべる。

 固く結ばれた唇は、りんご飴の色が移り、日頃よりずっと赤みを帯びていた。

 祭りの熱気に酔いしれる人々の間を、その熱気に伝染したかのように、(ぬる)い夜の風が駆け抜ける。その風は真白の髪をもサラリ、サラリと揺らして行った。

「荒太君は知ってるから。…私は、言葉に出してもうちゃんと言ったもの。解らない振りをして、とぼけるのはずるいよ」

 さすがにここで、荒太が謝る。

「うん。ごめん。でもさ、何回でも聴きたいものなんだよ。真白さんはさ、周りに大事な人が多いでしょう。その中でも、特別だって自信を持ち続けるのは、結構大変だから」

 ふ、と真白が透明な視線を荒太に向けた。

 荒太の鼓動が一つ、大きく鳴る。

 赤い唇が静かに動く。

「竹林の世界を、覚えてる?」

 笹の葉擦(はず)れも(さや)かに鳴り、桜の花びらの流れる二人だけの世界。命尽きたのちに辿り着く遠い場所。

「――――覚えてる」

「もし、私が…先に向こうに行ったら、あの世界で荒太君を待ってる。荒太君が先に行った時は、待ってて。私も、必ず同じところに行くから。約束…ね」

 今生では、自分は荒太よりあとから逝くのだと決めている真白は、心の中で荒太に願った。

(待っててね)


「何で、こんなになるまで我慢してたんだよ!?」

 数分後、真白は荒太による叱責(しっせき)を受けていた。

 八幡宮の社務所近く、小さな稲荷社(いなりしゃ)の前の石段に腰かけた真白は首を(すく)めた。樹齢千年とも言われる巨大な(くすのき)の葉が、頭上にざわめいている。

 下駄を脱いだ白い素足の親指と人差し指の間は、赤くこすれて皮が破れ、見るからに痛そうだった。新調(しんちょう)したばかりの下駄を、甘く見た結果だ。

「ごめんなさい…」

「俺も今日はリバテープとかの持ち合わせはないよ」

 普段は持ち歩いているような口振りだ、と真白は思う。荒太なら有り得そうなことだった。どうしたものかと考えている荒太に、真白が声をかける。

「家までだったら、我慢出来るから」

 荒太が怒った顔を向けて言い放った。

「却下!その足だと五分歩くのも絶対きついって」

 ここで更に大丈夫、などと言おうものなら、ますます怒られると察する真白は、沈黙した。荒太は腕を組んで思案していた。

「浴衣でおんぶはきついし…。真白さんさえ良ければ、抱き上げて帰っても良いんだけど」

「それは絶対、嫌っ!」

 お姫様抱っこで家まで運ばれるなど、真白にとっては顔から火が出る行為であり、論外(ろんがい)だった。荒太が少なからず傷ついた顔を見せる。

「…そこまで拒絶しなくてもいいじゃない」

「剣護に電話して、自転車で迎えに来てもらうから」

 言うと同時に、荒太が不快感を露わにする。

「…真白さん、やっぱり解ってないし」

「何が?」

「―――――二人で一緒にいる時に、本当は他の男の名前なんて聞きたくないんだよ。兄だろうと従兄弟だろうと、それは変わらない」

 真白が途方に暮れた顔になる。

「…ごめん」

 荒太は怒った顔で真白を睨んだ。

「俺が色々、我慢してるのだって気付いてないでしょう」

「え…、荒太君も足が痛いの?」

 荒太の眉が釣り上がる。

「そこじゃなくて!いつもより真白さんの唇が赤かったり、しかも浴衣だったりすると、こっちも抑えないといけない欲求があるんだよっ。あんまり無防備な顔を見せないでって言ってるの!!」

 八つ当たり混じりの勝手な言い分だということは、荒太自身にも解っていた。

 荒太の怒声に真白がパッと唇を手で覆った。

 叢雲から出た月が照らし出す荒太の顔には、怒りと困惑がある。

「ごめ…、ごめんなさい。気付かなくて。私、そういうの、無神経なところがあるから…ごめんなさい」

 羞恥(しゅうち)に頬を染めた真白は、おろおろと言葉を繋いだ。

 荒太も気まずい様子で一度唇を引き結ぶと、懐を探った。

「剣護先輩に連絡するよ」


 祭囃子と虫の音が響く中、二人は沈黙していた。

 月は再び叢雲に隠れ、姿を消した。闇夜にくすんだ色合いの狐の像が、ぼう、と浮かんで見える。

 荒太は真白の斜め後ろの石段に座っていた。その位置に他意は無かったのだが、俯いた真白の白い首筋が露わに見える角度だと、今になって思い知らされていた。嵐として若雪と夫婦になったのち、細くて白い彼女の首に、何度も触れた。自制心を働かせてあらぬ方向に目を逸らしているものの、心臓に悪いタイミングで、そんな記憶を思い出してしまう。早く、それが公然と許される間柄になりたかった。

 真白は泣きたいような思いだったし、荒太も今では事態の収拾をどうつけるかと頭を悩ませていた。真白を追い詰める、きつい口調になったこともかなり反省していた。

(短気な性分が直ってないよな…)

 自覚はあるのだ。

 その時、再び姿を現した月を、真白と荒太が同時に見上げた。そして互いにその気配を感じた。

 交わされる言葉は無い。祭囃子の音も虫の音も、その時ばかりは二人の耳に届かなかった。

 無言のまま顔と顔が向き合い、視線が合う。

 荒太の顔が迫っても、真白は逃げなかった。

 真白の赤い唇は、見た目通りに甘かった。



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