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面相 二 前

       二


 真白と荒太が坂江崎家に戻ると、一磨が初め来た時のように出迎えてくれた。

「丁度、剣護君から、あらかたの話を聞き終えたところだったよ。…そちらの話は、済んだかな?」

 一磨のにこやかな声に、真白が頷く。まだ顔が赤く、動きもぎこちない。荒太は何事も無かったかのような顔をしている。何かあったと思わない訳でもないだろうが、一磨は二人の変化については全く言及(げんきゅう)しなかった。

「はい、すみません」

 真白の言葉に一磨が笑う。

「良いんだ。さ、入りなさい」

 真白と荒太は、客用スリッパを()いて再びリビングに向かった。


「荒太、真白。一磨さんもな、魍魎(もうりょう)に遭ったことがあるんだそうだ」

 戻って来た妹と荒太に、剣護が告げる。坂江崎家を出る前の位置に座り直した二人が、同時に一磨の顔を見た。

「うん。一月(ひとつき)ほど前くらいだったかな。会社帰りに突然、奇怪な生き物が襲って来たので、撃退と言うか、斬り崩したのだが。あれがそうだったとはなあ。戦国の世でもたまに出会う手合いだったぞ?…世の乱れが生む異形(いぎょう)という程度に思い、あまり気にも留めなかったよ。今の世も、(しず)まり切った平穏(へいおん)の世とは言いにくいからね」

 荒太の頭に、「磊落(らいらく)」という言葉が浮かぶ。成る程、小事(しょうじ)(こだわ)らない(さま)は、荒太の良く知る小笠原元枝(おがさわらもとえだ)の気質と重なる。並みの人間の気の持ちようでは有り得なかった。

「斬り崩したって…」

 尋ねる荒太に対して、真白は納得したように頷く。

「―――――――水山(すいざん)ですね」

 若雪は、小笠原元枝の館に滞在中、彼と幾度となく立ち合いをした。

 真剣で立ち合ったことは一度もないが、彼の愛用した剣の銘は、はっきりと覚えている。

「そう。今生でも、僕の声に応じてくれるよ。……真白ちゃんは、雪華が使えなくなったと聞いたが?」

 真白が(うつむ)き加減になる。

「はい…。他の祓詞(はらえことば)も含め、(かみ)(ちから)に関わる働きかけが、今は出来ない状態なんです。せいぜいが、家の結界を言霊(ことだま)で解いたりするくらいで……」

 一磨が考え深い表情になったのち、ふと気付いたように言う。

「ああ、そう言えば、うちの周囲にも何やらあるようだな。あれが結界かな?」

 これには剣護が答える。

「はい。三郎――――碧君(みどりくん)がいるので、念の為と思って。ここの家の人間に悪意のある存在が入れないように、勝手に張らせてもらいました」

 一磨が鷹揚(おうよう)な笑みを浮かべる。

「そうか…、ありがとう」

「いえ」

 その()()りを契機(けいき)に、四人共、それぞれの飲み物で口を(うるお)した。コーヒーはすっかり冷めていたが、それを問題にする人間は一人もいなかった。荒太も(ぬる)くなったオレンジジュースを、神妙(しんみょう)な顔で飲んでいる。

「――――――それにしても、その要君(かなめくん)と言うのは、不思議な青年だね。魍魎には避けられる、信長公の入念に張った結界には知らず入り込む、更には雷を使った治癒(ちゆ)の力……。案外、彼はキーパーソンになるかもしれないね」

 一磨の言葉に、荒太が考え込む。

 智真(ちしん)であった時から、彼は確かに物事の渦中(かちゅう)にあって、その鍵となった。

 人にして人でなく、神に近いが神でなく。

 存在の在り様は、どちらかと言えば真白に近いかもしれない。

「けれど、とにかく今は、真白の力を取り戻すのが先決です」

 剣護の断固(だんこ)とした声には、一磨も荒太も同意の瞳で頷いた。単に真白の自衛の為だけに留まらず、この戦における雪華の有無(うむ)は、彼らの士気(しき)にも大いに影響を及ぼす事象(じしょう)だからだ。一磨は、(かつ)て若雪に対して武人として一目置(いちもくお)いていたのと同様、真白にも戦闘における資質を期待している。それが裏切られる可能性は、(わず)かも考えていなかった。彼女の(はかな)げな外見に惑わされてはならないことを、前生で深く思い知らされていたのだ。

「さしあたっては、どのようにして理の姫とやらのおられる空間に移行するかだが…。雪華程の神つ力に満ちた神器(じんき)は、他にそうあるまい。他に、媒体と成り得る神器に心当たりは?」

 一磨に尋ねられ、剣護と荒太の頭に竜軌の操る六王(りくおう)が浮かぶが、現時点で竜軌の力を借りることは論外だった。

「…おや。丁度良いところに、向こうからお迎えが来たようだよ、真白ちゃん」

 一磨が皆を促すようにそう言うと、四人が集うリビングの空気が割れた。


 黄金の長い髪が、流れる。

「失礼――――――。理の姫様の命により、(ゆき)御方様(おんかたさま)をお迎えに参りました」

 凛々しい顔つきの美女が、重々しくそう告げた。

「…花守どのかな?」

 一磨の確認に、金臣(かなおみ)首肯(しゅこう)する。

「花守が一、金の属性である金臣と申す」

 彼女に応じて立ち上がった真白の腕を、反射的に荒太が(つか)んだ。彼の目には不安の色がある。真白は荒太に笑いかけ、彼の手の上に、自らの手を置いた。

「心配しないで。…行って来るね」


 金臣が高く(かか)げる明かりに先導(せんどう)され、真白は闇の空間を歩いていた。

「金臣」

「はい」

「次郎兄を助けてくれて、ありがとう」

 心から礼を言った真白を、金臣が微笑む口元を見せて振り向いた。

「姫様の命でございます」

「うん。それでも。…感謝してる」

 金臣が前を向き直り、少し間を置いて言う。

「理の姫様が、雪の御方様の御身(おんみ)を、案じておられました」

「そう……。真白で良いよ。私のことは」

「――――――はい」

 急に闇が開けたと思うと、辿り着いた場所は緑の平原だった。

 どこまでも続く空のもと、吹く風は至って穏やかだ。

 こちらに歩いて来る、髪の長い女性の姿が見える。

「…(こう)――――」

「姉上様――――――っ」

 理の姫が駆け寄り、真白の身に(すが)りつく。木臣とはまた異なる、優しい花のような芳香(ほうこう)が真白を包んだ。

「御無事で…、何よりでございます。信長の狼藉(ろうぜき)を防げず、申し訳もございません」

 黒く長い髪、変わらない薄青い瞳で()びる理の姫は、たおやかな風情に(くや)みと悲しみを含んでいた。真白は安心させるように、彼女の腕に手を添える。

「大丈夫だよ。荒太君と、要さんが助けてくれたから。それより、私―――――」

 真白が何か言う前に、理の姫が頷いた。

「神つ力の件でございますね。案じられますな。回復の手立てはあります。既に、薬師如来(やくしにょらい)と話がついておりますゆえ」

(薬師如来―――――?)

 真白は思ってもいなかった名前に、目を丸くする。

「こちらへいらせられませ、姉上様。――――――金臣、御苦労(ごくろう)だった」

 理の姫が真白の手を取り、平原に歩みを進めた。金臣は拝礼(はいれい)してその場に留まり、二人を見送る。

 この地は、神界なのだろうか。平穏と安らぎに満ちた空間は、理の姫や花守たちが(いこ)うのに相応(ふさわ)しい空間に思える。彼方には澄んだ水の満ちた湖も見える。木臣の言霊で眠りに落ちた際に見た夢にも、このような空気がたゆたっていた。

(薬師如来って、あの、左手に薬壺(くすりつぼ)を持った、仏様だよね…)

 阿弥陀如来の国土を極楽浄土と呼ぶならば、薬師如来の世界は、瑠璃の光り輝く浄土、瑠璃光浄土(るりこうじょうど)と呼ぶと言う。

 いくら理の姫や花守たちから、己が神だと呼ばれようと、その自覚に(とぼ)しい真白には、ひどく(おそ)れ多い存在に思えた。

 理の姫に手を引かれている内に、空気が切り替わる気配を感じた。

 次の瞬間、真白は驚きの表情を浮かべた。

 先程まで頭上に広がっていた青空が、今は満天の星の(またた)く夜空になっている。満ちた月が空に浮かび、冴え冴えとして清らかな光を地に投げかけている。

 行く手に、六角の御堂(おどう)のような建物が見えた。そこから、真白たちを迎えに出たと(おぼ)しき人影が現れ、こちらに()を進める。

「おいでかえ」

 そう言って姿を見せたのは、スウェットの上下を着た、年齢が幾つとも判断しかねる相手だった。真白よりも小柄で髪は刈り込まれたように短く、男性とも女性ともつかない。容貌は平凡で、全身を眺めても強く印象に残る要素は見出せない。だが、彼、または彼女の額にある白毫(びゃくごう)が、確かに相手が仏であることを知らしめていた。

 余りにカジュアルで人間臭い服装に、名前からイメージするものとの大きな落差はあった。しかし少し古風で、威厳の感じられる装束(しょうぞく)を身に(まと)う理の姫と並び立っても、総身(そうしん)から漂う空気の強さは劣らない。

「薬師如来―――――。こちらが姉上。雪の御方様だ。神つ力が、封じられておいでなのだ。あなたに、何とかしていただきたい」

 薬師如来が自らの(あご)に手を添え、真白の顔を金色の瞳で静かに(のぞ)き込む。その視線は医者が患者を()るそれに似て、適度な親しみと淡泊(たんぱく)さを備え、不快感は無かった。

「ふうむ、成る程。力の安定に欠いておられる。観想(かんそう)を強めることが肝心(かんじん)だな。よかろ、しばらくの間、御身、お預かり致そう。神つ力とあなたはそも、渾然一体(こんぜんいったい)なのだから、力は確実に再びその御手に返る。この薬師如来が、保障しよう」

 あっさり言ってのける相手が、薬師如来そのものとは、まだ真白にはぴんと来ないが、発する言葉には力強さがあった。

「あの…、どのくらい、時間がかかりますか?」

 如来がコトリと首を傾げる。

「はて。我らに時とはあって無きものであるゆえ…」

 不安な顔つきになった真白に、理の姫が言い添える。

「姉上様。こちらと現世(うつしよ)では、時の流れが異なります。姉上様が御力を取り戻されるまで、現世では一両日(いちりょうじつ)程度(ていど)でございましょう」

 それを聞いて真白は安堵した。

(…でも、その間、私がいないことを剣護たちは、どうフォローするだろう)

 懸念(けねん)が無いこともなかった。

「では、薬師如来。姉上様を、頼む」

「承知した」

「姉上様。では私はここで。また、お迎えに参ります」

「うん。ありがとう、光」

 長い黒髪を(なび)かせて遠ざかる、理の姫の後ろ姿に、不意に薬師如来が問いを投げ()った。

「理の姫よ。水臣(みずおみ)は、(いま)だ花守に籍を置いているのかえ?」

 理の姫の後ろ姿が、固くなったように真白の目に映った。

「―――――置いているが?」

 振り向かないままで答える彼女に、ふむ、と薬師如来が思案する間を置く。

 礼儀を重んじる気性の理の姫が、顔をこちらに向けず答えることに、真白は(かす)かな違和感を覚えた。らしくない気がしたのだ。

「あれは花守には相応(ふさわ)しからぬと、私は前々から思っているのだがな」

「………心に留めておく」

 重い声音を響かせると、今度こそ理の姫の姿はかき消えた。

 薬師如来が理の姫を見送る眼差しには、憂慮(ゆうりょ)するような色があった。

「…水臣が、花守に相応しくないって、どうしてそう思うんですか?」

 尋ねる真白に、ちらりと金色の視線が向かう。

「あれが、水臣が理の姫の一事(いちじ)しか頭に無い男ゆえにな。相思相愛(そうしそうあい)と言う言葉の響きは麗しいが…。水臣の恋着(れんちゃく)は、(いささ)か度を越している……。本来、神と称せられるに相応しい在り様とはとても言えまいよ。その内、道を踏み外すのではないかと危ぶんでいるのは、私に限ったことではない。…まあ、あなたには余り関わりの無い話だ。堂の内に参られよ」


 六角堂の中には何も無く、簡素な空間だった。装飾的なものは一切施されていない。

 そこに座るよう促され、真白は腰を下ろす。

「よろしいか。神つ力が行使出来ない状態と、神つ力そのものを失う状態とは、まるで異なる。あなたが今、陥っている状況は、ただ神つ力を(あやつ)るだけの力と心の繋がりが、弱まっているだけのことだ。回復は、さほど難しいことではない。観想(かんそう)をなされよ。己を信ずる心の糸が、あなたの中に眠る力と繋がりを得た時、再び神つ力をあなたは操るだろう」

 薬師如来が去ると、真白は独り、六角堂の中に取り残された。

 観想の為の具体的な行為は提示されなかった。この空間に身を置いていれば解る、とのみ言われた真白は少し心細い思いで、御堂から外を眺めた。こんなことになるとは予想もしていなかったので、オフホワイトのズボンに淡い茶色のシャツブラウスを着た自分の格好が、ひどく場違いにも感じた。

(…でも、薬師如来さんからしてスウェットだったし……)

 六角堂の前には、湖が広がっている。真白は招かれるような気分で、六角堂から外に歩み出た。

 満天の空を映し出す湖と、天との境目(さかいめ)は見分けがつかない程で、外を歩もうと思えば、頭上にも足元にも星が散りばめられる錯覚(さっかく)(おちい)った。

 その天空と、湖に、真白は若雪と真白の人生を見た。これまでの時の流れが、星々の合間(あいま)投影(とうえい)されて真白に迫る。

 痛みと悲しみと、喜びがそこにはあった。

 親しく関わった人々の姿があった。

 彼らを守りたかったのだ、と真白は思った。それは()き出る清水のように自然で、それでいて強い思いだった。彼らとの関わり合いに()って立つ自分だからこそ、依拠(いきょ)するところである大事な人たちを守り、そうすることで自分の心を守ろうとした。

(勝手な話だけれど、そういうものかもしれない。私は、単一の個体というよりむしろ、様々な人や、事柄の欠片(かけら)が寄り集まって、構成されているものなんだ………)

 自分という存在の不思議に、真白は改めて思いを()せた。

 振り返れば、自分を創り上げているものたちが、確かに真白を深い眼差しで見守っている。桜の花びらが、ひらりと流れる幻を見た。

(…そう。そうだ。最後は、嵐どのと、桜の舞う竹林で過ごした。私たちは、きっと何度でも、あの竹林に戻る―――――――何度でも、何度でも)

 それは、この世が終わっても続く約束事(やくそくごと)のように。

 逢いたい、と思った。

 星々の瞬きに抱かれて、真白は(あたた)かな涙を流した。



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