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面相 一 前半部

第六章 面相(めんそう)


浮かぶ(おもて)

右を向いて

左を向いて

無限の広がりが

ただそこに在る


     一


 立ち上がった剣護が部屋の電気のスイッチを押すと、室内と一緒に窓の外側にいる男の姿もパッと照らし出された。(まぶ)しそうに眼を細めた彼の顔を、真白は改めてじっと見つめる。

 兵庫を名乗る男は、黙って真白が自分を検分(けんぶん)するに任せていた。

 真白は特に、彼の双眼(そうがん)注視(ちゅうし)した。相手もまた、自分をさらけ出すように真白を見返す。

(害意も、敵意も、感じられない。むしろ、私に対する(おも)()りのような念を感じる。―――――…大丈夫。彼は、本当に兵庫だ)

「―――――入って良いよ」

 真白の言霊(ことだま)が空気に溶け込むように響き、兵庫(ひょうご)の身体からパチン、と何かが(はじ)けるような音がした。真白たちが開けるまでもなく、元々、窓の(かぎ)は閉まっていない。

 カラカラカラ、と軽い音を立てて、網戸(あみど)とガラス戸が開けられた。

「お邪魔しまーす」

 さらりとした声と共に、兵庫は真白と剣護の前に軽やかに降り立った。裸足(はだし)であるところを見ると、屋外(おくがい)のどこかに靴を置いてあるのだろう。

「……………」

 迷彩柄(めいさいがら)のズボンに、Vネックの黒い半袖シャツ。

 精悍(せいかん)な男らしさと大人の色気を感じさせる顔立ちは、前生とあまり変わらないように見えた。いかにもオードトワレなどをつけていそうな雰囲気だが、香ってくるものは何も無い。忍びの心得(こころえ)を守っていることが(うかが)える。

 (まと)う空気は剽軽(ひょうきん)で、怜悧(れいり)相反(あいはん)するような性質が、彼の中には共存している。

「…兵庫」

 まだ少し茫然(ぼうぜん)とした真白の(つぶや)きに応じるように、兵庫が(ひざ)を折り、(こうべ)()れる。

「お久しぶりです。―――――真白様。嵐下七忍(らんかしちにん)が一・兵庫、参上が遅れましたことをお許しください」

 告げる声に浮ついた響きは無く、真摯(しんし)な思いが籠っていた。

 人を食ったような言動の多い男だが、嵐と若雪に対しては誰より厚い忠誠心と誠意を抱いていたと真白は記憶している。彼に寄せた信頼を、裏切られたことはただの一度も無い。

〝兵庫と片郡(かたこおり)が死んだ〟

 嵐の声が(よみがえ)る。

「兵庫――――――」

「はい」

 何の(こだわ)りも見せずに顔を上げ、兵庫が返事をする。

 彼に対する慙愧(ざんき)の念が、真白の心に沸き起こった。

(…痛かったでしょう。…苦しかったでしょう。――――――私の言葉が、あなたを本能寺で死なせた―――――――)

 そう言おうとして動かしかけた唇は、兵庫の顔を見て止まった。

 彼の静かな表情が、それを口に出してはならないと物語っていた。

 言えば兵庫の誇りを傷つけることになる――――――。

〝あいつらの覚悟を、そないして侮辱(ぶじょく)したらあかん〟

 再び蘇った嵐の言葉に、真白は震える息を吸った。

「……元気だった?」

 代わりに発した言葉は、ありふれた問いかけだった。

 それで良い、と言うように兵庫が笑みを浮かべる。

「はい、お蔭様(かげさま)で」

「…髪が、短いね。…茶髪(ちゃぱつ)だし」

 昔は黒い髪を後ろで一つに結んでいた。

「時代に合わせたビジュアルを心がけてますから」

「そう――――…」

 他にかける言葉が思い浮かばず、真白は兄を振り返る。

 剣護は静観(せいかん)する表情で真白たちを見ていた。兵庫に対する警戒を、まだ完全には解いていない。いつでも真白を(かば)える位置に立っている。

「剣護。…この人は、嵐下七忍(らんかしちにん)の一人で、兵庫って言うの。前生で、嵐どのと若雪に仕えてくれてた。……今の名前は…」

 何と言っただろうか。

 荒太に聞いた筈なのに、思い出せない。真白にとって、兵庫はどこまでも兵庫だった。

 気付いた兵庫が、自ら名乗る。

河本直(こうもとただし)ですけど、兵庫で構いませんよ、真白様。兄上様も。荒太様がね、これまた何度訂正しても、俺を兵庫と呼びますし」

 剣護は黙って兵庫の顔を見ると、おもむろに尋ねた。

「――――あんた、夕飯は?」

「まだですけど」

 そこで剣護が思案する顔つきになる。

「…俺たちもまだなんだ。夜食(やしょく)に、(にぎ)(めし)くらい作って来ても良いんだが―――――」

 竜軌の乱行(らんぎょう)を聞いたあとだけに、真白と兵庫を二人にして良いものかどうか、剣護は迷っていた。

 それを察した真白が言う。

「大丈夫だよ、剣護。…兵庫は、兵庫だから」

 真白の示す無条件の信頼を見ても、剣護はまだ判断を下しかねた。

「兵庫。――――もうしばらく、外で待てるか?真白はまだ制服だし…、一息つかせてやりたい」

 剣護の言葉の意味するところを悟り、兵庫は頷く。

「窓の外で待機(たいき)してるんで、頃合(ころあ)いを見計(みはか)らってまた呼んでください」

「………御近所に見られないよう、気をつけてくれ」

 兵庫が面白そうに笑った。

「そんなへまはしませんよ」


 真白が風呂から上がり、部屋着に着替えて部屋に戻ると、まだホカホカと温かそうな、たくさんのごま塩お握りの載った陶器の大皿と、麦茶の入ったコップ、冷水筒(れいすいとう)を小テーブルに置き、剣護と兵庫が向かい合って座っていた。室内は空調で心地好い程度に冷やされている。

「…大丈夫か?真白」

 気遣う剣護の問いに、頷く。

「うん。待たせてごめんなさい」

 真白がテーブルにつくと、先に座っていた二人は同時に「いただきます」と行儀良く手を合わせ、お握りに手を伸ばした。真白もそれに(なら)う。

 大の男二人が、決して大きくはない小テーブルに向かいお握りを頬張(ほおば)る様子は、何となくユーモラスだ。真白が少し笑うと、剣護も兵庫もどこかホッとした表情を見せた。

 (またた)く間に消えて行くお握りの山を前に、剣護はあることに気付く。

 真白が大人しく一口ずつお握りを食べる前で、兵庫の食事の姿勢もそれに合わせるように礼儀正しい。咀嚼(そしゃく)そのものは素早いが、がっつくような食べ方は、間違ってもしない。

(…真白の前だからか。主君の前だから、(かしこ)まっている訳か――――――)

 目の前の男にとって妹は、昔と変わらず敬うべき存在なのだ。主従のけじめが、現在でも尊重するものとして、兵庫の中に刻まれている。前生において、自分亡きあとに妹が歩んだ人生の中で、築いていった(きずな)()()たりにするのは、不思議な気分だと改めて思う。

(俺たちのいないところで、頑張って生きたんだな―――――若雪)

 (なお)のこと、今生では叶う限り、真白を見守ってやりたいと願った。

「俺、これをいただいたら退散しますね、真白様。今夜はゆっくりお休みください」

 兵庫の言葉を聞いて、真白の顔が名残惜(なごりお)しそうな色を浮かべる。

「え…、もう、行くの?」

 兵庫がにっこり笑う。

「今日は、お顔を拝見したかっただけなので。夜分(やぶん)に失礼しました。…あと、神つ力の件ですけど」

 剣護がお握りを頬張(ほおば)る手を止める。

「俺に言えることは何も無いんですが、理の姫様に相談したらいかがですか?(もち)餅屋(もちや)です。的確な助言なり、(もら)えるんじゃないですかね」

 真白と剣護が顔を見合わせる。

(その通りだ――――――。(こう)なら、きっと何か知ってる)

 麦茶をぐいっと飲む兵庫を見る。

 彼はいい加減に家を訪れた訳ではない。神つ力を使えなくなった真白を心配して、様子を見に来たのだ。けれどそんな内心を表わすような態度は、おくびにも出さない。変わらない彼の気質が、真白にはひどく懐かしかった。

(今生でも、またあなたに助けられてるね――――――)

 今も変わらず受け継がれる絆の温かさを、嬉しいと感じる。

 その時ふと、荒太の言葉を思い出した。

「兵庫」

「はい」

「自由恋愛を楽しんでるって本当?」

 それまで終始にこやかだった兵庫の表情が強張(こわば)る。

「…誰がですか?」

「兵庫が。荒太君から聞いた。前生でもプレイボーイだったって。私、全然、知らなかった」

 兵庫の固まった笑みに、青筋(あおすじ)が立つような気配を剣護は感じ取った。

「ああ――――――それは、荒太様の勘違いですね。…俺は大人ですから、それなりに女性との交流も大事にしないといけません。そのへんを少し、誤解されただけでしょう」

 さらさらと流れるような訂正文(ていせいぶん)だった。

(…こりゃ荒太の言葉が本当だな)

 納得したようなしないような表情を見せる真白の横で、剣護はこっそりそう思う。

「じゃ、俺はこのへんで失礼します。あとこれ、俺の名刺(めいし)です。ケータイの番号も載ってるんで、御用の際はいつでも呼んでください」

 兵庫が真白に名刺を渡し、そそくさと立ち上がる。

 剣護も真白が手にした名刺を(のぞ)き込む。

 そこにはフリーライター、という肩書(かたがき)があった。

胡散臭(うさんくせ)え…)

 カラカラと窓を開け、身軽に外に出る兵庫の背中を見て、剣護は思った。

「あ、兵庫――――」

「…はい」

 再び真白がかけた声に、今度は何を言われるか、と言う顔で兵庫が振り向く。明らかに、早く退散したがっている様子だった。そんな彼に、真白は(ほの)かな笑みを浮かべて言った。

「あの…、ありがとう。…来てくれて。元気そうな顔が見られて、良かった」

 一拍(いっぱく)の間を置いて、兵庫は目を細め、口角を上げる。

「どういたしまして」


「真白。今晩は俺がついててやるから、安心して寝ろ」

 剣護が決定事項(けっていじこう)のようにそう宣言した時、真白の表情は揺れた。

「――――過保護だよ。…私ばかり、甘やかされてる…」

 剣護が真面目な顔で語った。

「それは違う。別に誰も、理由なくお前を甘やかしたりしてない。お前は、このところ色々とあり過ぎた。……今日みたいなことがあって、周りの人間がお前を気遣うからと言って、それのどこが甘やかしだ?…理不尽(りふじん)に傷を負った人間が(いた)わられるのは、人同士の触れ合いの中では、ごく当然のことなんだよ」

 それでも剣護が自分を犠牲にする理由にはならない、と真白は思う。そもそも彼は、真白の為に自分の時間を(けず)ることを、犠牲とすら感じていないのだ。

 大きく迫る、竜軌の(てのひら)が蘇る。肩を押さえつけられた時の痛み、恐怖。

 思い出しただけでも息苦しく、動悸(どうき)が激しくなる。

 今の状態のまま、一人で眠ることなど出来ないだろう。

(――――いて欲しい―――――でも)

「…剣護は、受験生でしょう。お家に帰って勉強して。あんまり、叔母さんたちに心配かけちゃ駄目(だめ)だよ」

 下を向いて言う真白の髪を、剣護が手荒くかき回す。

「一人前に、分別臭(ふんべつくさ)いこと言ってんなよ」

「こんなことが重なって、もし剣護が浪人したら私のせいだもの…。責任、取れないよ」

 呆れたような表情を、剣護が見せた。

「お前なあ、もっと俺様を信用しろって。成績万年トップは伊達(だて)じゃねーぞ?参考書と単語帳、持って来るから。お前は着替えてベッドに入ってろ。お前に見られてると思うと、俺だって勉強に身を入れない訳にはいかないからな。実際のところ、はかどるくらいだ」

「――――――本当に、一人で大丈夫だから」

嘘吐(うそつ)け。俺がいないと眠れないくせに」

 剣護があっさりと真白の言葉を退(しりぞ)ける。お互いに長い付き合いだ。見透(みす)かされている。

 真白がいたたまれない気持ちで、口を開く。

「………剣護―――――。そんなに、背負わないで。自分のことを、(おろそ)かにしないで。大事な時期なのに、剣護にばかり負担がかかってる。……兵庫が来るまで私、知らずに引き留めてて、ごめん」

「――――あのな、真白」

 穏やかに呼びかけられて、真白は顔を上げる。

「良いんだよ、これぐらいは。俺は、お前らの兄貴なんだから」

 当たり前のようにそう言って笑う剣護を見て、真白は唇を()んだ。

 兄だからというだけの理由で、剣護は妹や弟に降りかかる危難全(きなんすべ)ての(たて)になろうとする。そんな荷は、放棄(ほうき)すれば良いのだ。前生のことなど知らないと言って投げ出しても、誰も彼を責めることなど出来ないだろう。けれどその安楽な道を、剣護は決して選ばない。

 きっと表看板(おもてかんばん)を背負うと言った時から、剣護はとうに覚悟していたのだ。

「…剣護の莫迦(ばか)

「おいおい、ここは〝剣護、頼もしいっ!〟だろうが」

「だって莫迦だもん」

 苦情を申し立てる剣護に、真白は言い張った。

 いつかとは逆の()()りをしている。

(剣護の負担を軽くする為にも、また雪華を呼べるようになりたい)

 早く光に会わなければ、と真白は思った。



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