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憧憬 三 後半部

 その時、柔らかな声が、当惑(とうわく)の色をもって真白の横から響いた。

「………何してはるんですか?」

 買い物袋を持った要が立っていた。彼の目は、荒太と竜軌に向けられている。

 要が手に()げた袋からはネギや大根が飛び出し、闇の広がる空間の中、妙に生活感があった。

「―――――――要さん。どうして、ここに」

 目を見張り、小さく声を上げた真白の状態を見て、温厚(おんこう)な顔立ちの眉根が寄る。

「真白さん、何が…、いや、とりあえず、これ羽織(はお)ってください」

 そう言うと、Tシャツの上に着ていた明るいレモンイエローのシャツを脱いで、真白の肩にかけた。

 要の存在に気付いているのかいないのか、闘いに没頭(ぼっとう)する二人はこちらを見向きもしない。

「要さん。助けて――――――、助けてください。あの二人を、止めてください。私、雪華を呼べないんです。今の私じゃ止められないんです――――――」

 言葉が足りない、これでは伝わらない、と真白はもどかしく思った。

 黄緑の瞳が静かに真白の言葉を受け止める。

 要が、肝心(かんじん)な一点のみを確認するように訊く。

「……彼らを止めたら、ええんですね?」

 両手で顔を覆った真白が、無言で何度も頷いた。お願いします、とか細い声が聴こえた。

 要が穏やかな声で()()う。

「解りました。大丈夫、何とかします。―――――真白さん、もう少し離れててください」


 それは丁度、六王(りくおう)飛空(ひくう)(やいば)が離れた瞬間だった。

 黄と紫の凄まじい光が、荒太と竜軌の間を駆け抜けた。

 同時に轟音(ごうおん)が鳴り響く。

 竜軌が、さすがに呆気(あっけ)に取られた顔になる。真白のいる方向に目を遣った荒太は、彼女の前に立つ要の姿を見た。

 彼のかざした右手からパリパリと放電(ほうでん)名残(なご)りの音が鳴り、小さな稲光(いなびかり)()(のぼ)っている。

「……刃を収めたってください。二人共。せやないと、また雷を呼びますよって」

 竜軌が要を値踏(ねぶ)みするように、視線を上下に走らせる。

「―――そうか。お前が智真とやらか。………どうやってこの空間に入った?」

「僕は普通に歩いてただけです。…その槍、置いてください」

 竜軌は少しの間要の顔を見ていたが、数秒後には手にしていた六王が消えた。

 要が荒太を見る。(なだ)めるような、静かな声を出す。

「お前もや、荒太。飛空をしまえ」

 荒太は(けわ)しい顔で要を(にら)んだ。その視界の中に、うずくまって自分を見る真白が入る。真白の懇願(こんがん)する表情に、黙って飛空を手放す。同時に飛空も消えた。

 竜軌もまた、一切の興味を無くしたように、闇から消えた。

 千切(ちぎ)れたブレスレットの残骸(ざんがい)と、落ちていた真白のネクタイを荒太は無言で拾い上げる。

 未だうずくまる真白に向かい、一歩、二歩と歩みを進める。三歩目から荒太は駆け出した。

 真白に走り寄ると、彼女は荒太に向かい、両手を伸ばした。

 細い身体を抱き締める。

「―――――――荒太君…っ」

「…ごめん、真白さん」

「どうして、荒太君が謝るの」

「俺の油断だ。それに――――――」

(…真白さんが不安がっているのを解っていながら、側にいてやらなかった。信長を打ちのめしたいという自分の衝動を、優先した)

 真白が首を横に振る。

「ごめんなさい、荒太君」

「……どうして真白さんが謝るの」

「ブレスレット…。私、浮かれて。せっかく、荒太君が作ってくれたのに。―――――つけて来るんじゃ、なかった」

「また作るから、またつけて来て。…泣かないで」

 荒太が抱き締めた真白の身体は、まだ震えていた。

「―――――――雪華が、呼べなかったの。……何も、何も出来なくて。怖かった。…こんな、恐怖もあるんだね。全然、知らなかった」

「……知る必要の無いことだよ」

 戦場では珍しい光景でも無かった、と荒太は思う。決して口には出さない。

〝妻は、私に隠れて身を売ろうとした〟

(簡単な気持ちで、出来ることじゃない。こんなこと。絶対――――――――。山田正邦は、やっぱり解ってなかったんだ)

「今日は、江藤には会わないほうが良いね」

 荒太の言葉に、真白は小さく頷く。

 無言で二人を見守っていた要が、そっと口を出す。

「…せやけど、(うち)には来たほうがええ。………真白さんの…その…、シャツのボタン、姉さんに直してもろたがええと思う」

「………ああ」

 荒太は頷いて、真白の背に回した腕に力を()めた。


 真白たちを出迎えた舞香は、弟のシャツを羽織った真白の様子に目を丸くした。

 それから何も言わずに真白を抱擁(ほうよう)すると、真白の両目から大粒の涙がこぼれた。

「舞香さん……」

 名を呼び、舞香の胸に(すが)りつく。

「大丈夫。大丈夫よ、真白。もう怖いことは無いわ。もう大丈夫。…私の部屋に行きましょう。ボタンをつけてる間に、着る物を貸すわ。…要、ホットミルク作っといて。蜂蜜(はちみつ)を入れてね」

 コトリ、コトリ、と一歩ずつ、真白と舞香が階段を昇るのを、要と荒太は見送った。

「……剣護先輩にぶっ飛ばされるな」

 荒太が真白の背中を見ながら呟いた。


 舞香の部屋は、二階の左端にあった。一階のリビングに比べると片付いているが、部屋の中には様々な画家の絵の載ったポスターが貼られ、ドレッサーや机の上には所狭(ところせま)しと写真立てが並んでいる。要も写った家族写真らしきものから、友人たちと写った写真、風景写真まで被写体は多種多様だ。

 真白は、貸してもらったシャツを着て、舞香のベッドの上に座り込んで膝を抱えていた。ベッドにはステンドグラスを愛する舞香らしく、色とりどりの布が縫い合わされた、パッチワークのベッドカバーがかけられている。

 ボーダー柄のシャツは真白には少し大きく、膝を抱えた姿と合わせて、頼りない子供のような風情(ふぜい)だった。

 手には、ホットミルクの入ったマグカップがある。一口飲むと、お腹に(あたた)かなものが()み込むようで、ほんの少し落ち着いた。それと同時に再び浮かび上がりそうになる涙を、真白は懸命に押し込めた。

 舞香もベッドの端に座り、真白のシャツを手に針と糸を器用に動かしている。

「……舞香さん…」

「なあに?」

「――――私、自分では色気が無いと思ってたんですけど。…もしかして知らない間に、新庄先輩のこと、誘ってたんでしょうか」

 舞香が、危うく指に針を刺しそうになって、真白をまじまじと見た。

 真白は真剣な顔だ。冗談を言っている訳ではないのが、思い詰めた表情からも見て取れる。

「…私、実は魔性(ましょう)の女なんでしょうか。自分で気付いてないだけで」

「………安心して、真白。あなたに、そっち方面のハイスペックは無いと思うわ。魔性の女っていうのはね、もうちょっとこう、違う感じよ」

(解らない―――――新庄先輩は、どうしてあんなことをしたんだろう)

 何かを試したかったのだとすれば、それは何だったのだろう。

「…今日は、天気も良くて」

「そうね。お洗濯日和(せんたくびより)だったわ」

 舞香が針を持つ手を休めることなく頷く。

「熱も下がって、次郎兄も回復に向かってて、荒太君が、嬉しそうに笑ってくれて」

「そう、素敵ね」

「良い一日だって思ったんです…。こんな日は、何でも上手(うま)くいきそうな気がして」

 けど…、と先に続く言葉は無かった。

「明日はきっと良い一日になるわ、真白。明日のこと、明後日(あさって)のことを考えなさい。あなたの目の前には、未来が広がっている。まっさらなキャンパスみたいにね。さあ、シャツのボタンも元通りよ。ホットミルクを飲み終えたら、下に行きましょう。…(あわ)てなくて、良いから」

 真白はコクリと頷いた。


 荒太と要は、それぞれキッチンのテーブルに(なな)め向かいの位置でついていた。

 要の()れたコーヒーには見向きもせず、荒太はテーブルを右手人差し指でコツコツと(たた)いている。

「荒太。さっきの男は、一体誰やったんや」

 要が(こら)えられなくなったように訊く。

 荒太がつい、と視線を要に向けた。

 下から(すく)い上げるような目で確認する。

前生名(ぜんしょうめい)?」

 要は無言で頷く。

「―――――織田信長」

 荒太の答えに、黄緑の目が大きくなる。

「…信長公……やったんか。あれが―――――」

「お前は前生でも面識無いしな。解らなくて当然だよ」

「けど…、そしたらなんで信長公が、あないなこと…。そら、若雪どのは信長公に見込まれてはったようやけど、…側室にするとか、そんな感じやなかったやろ」

 荒太が戸惑う要をじっと見る。

「俺にも解らない。……真白さんは、何かを試す為だったと言ってたけど」

「それにしたかて、あんなやり方は…」

 要は理解に苦しむ、と言う表情をした。

 荒太がテーブルを叩く指を収め、両手を組む。

「―――――――要。…お前、今でも…」

 そこで荒太が躊躇(ためら)うように言葉を切った。

「なんや?」

「……今でも真白さんが好きか?」

 要が無言で固まる。

 しばらくキッチンは沈黙に包まれた。黄緑の瞳が揺れる。

「…よう解らん。…今生では、会うたばかりやし…。智真が、若雪どのに(あこが)れてたのは事実やけどな」

「憧れ?」

「せや。――――――憧れを含めた、恋愛感情を持ってた」

 それらの事柄は、嵐と智真の間で触れないこと、という不文律(ふぶんりつ)になっていた。

 その為、前生では一度もこんな会話を交わしたことは無かった。

 要がゆっくり口を開く。

「………智真は初め、若雪どのを、自分に近い感覚を持ったお人や思うてたんや。けど、次第に彼女は変わって行った。ステンドグラスやないけど、智真にはその変化が(まぶ)しく映った。雷を呼ぶ力のせいで両親に捨てられた智真は、色んなことを諦めて過ごしてた…。―――――そんな人間の目に、世界が明るく映る筈もない」

 荒太は驚きもせず、要の言葉を聞いていた。彼にとっては前生において、大体の察しがついていた話だった。智真の穏やかな笑みの向こうにある孤独と諦観(ていかん)が、時折、嵐の目には()けて見えた。

 要は目を閉じて語り続けた。表情は優しく、穏やかだった。

「…せやけどな。せやけど若雪どのが笑うたら、智真が諦めてた世界に陽が差すように感じたんや。自分やなくて良い、若雪どのがそない笑えるんなら、彼女の傍らに立つのが誰でも良いて思うた。智真は彼女のお蔭で変わった…。前を向くことを、考えるようになった。……憧れは、人を前進させる原動力になるんや」

 再び目を開けた要の顔に浮かぶ、(にじ)むような笑みを荒太は見た。

 前生で若雪が息を引き取ったあと、嵐と智真はそれぞれ、大き過ぎる喪失感(そうしつかん)に打ちのめされた。嵐には若雪の(わす)形見(がたみ)小雨(こさめ)がいたが、智真は独りで痛手(いたで)に耐えた。紅葉(こうよう)の美しい秋のことだった。(かえで)の葉が舞う中、無言で(たたず)んでいた墨染(すみぞめ)の後ろ姿を、荒太は今でも覚えている。

(知っていた――――――俺は。智真の気持ちも、その切実さも。知っていて、最後の最後まで、知らない振りを通した)

 智真もまたそのことに気付いた上で、何も言わなかった。二人共、言葉に出すことで壊れる何かを恐れたのだ。

 荒太が下を向く。

「…嵐で良かったのか?傍らに立つのが。……人間的に未熟だって自覚は、俺にもあったぞ」

「――――――ああ。…智真は、嵐で良かったて思うてた」

 間を置いてから、ふん、と荒太が笑う。

「今生でも俺は相変わらずアクセルで、お前はストッパーだ。割に合わないな」

「ほんまその通りや」

 要も笑った。

 その時、階段のほうから足音が聞こえた。


 舞香に(ともな)われて二階から降りて来た真白に、要は気遣(きづか)うような視線を向け、荒太は座っていた椅子から腰を浮かした。

「真白さん――――――、大丈夫?」

「…うん」

 真白は辛うじて微笑んだが、顔色はまだ青かった。

「リビングに来てごらんなさい、真白。丁度良い時間帯(じかんたい)だわ」

 舞香の声に導かれるまま、作品群で占められたリビングに足を踏み入れる。

 強い西日の差しこむ室内は、光の洪水(こうずい)(あふ)れていた。

 様々な色のステンドグラスが作り出す、色彩の海。

 その海の中に、真白はいた。

 ささくれ立っていた心に、穏やかな波が押し寄せる。

(―――――綺麗……。クレーだったっけ。確か)

〝私は色彩に捕らえられた〟

 そう言った画家がいた。

(捕らえられる…。色が余りにも鮮やかで、悲しみまで遠ざかるみたい)

 隣に立つ舞香が口を開く。彼女の目は弟とはまた異なり、綺麗な琥珀色(こはくいろ)だ。

「キリスト教ではね、神は光なの。ステンドグラスは、その光を具現化(ぐげんか)する扉。光が差すことで完成するアートよ。ウィリアム・モリスの友人は、ステンドグラスを、〝芸術が到達(とうたつ)し得る最高点〟と言ったのよ。こんな光景を見ると、そう言いたくなる気持ちも解る気がするわね」

 真白はしばらくリビングに立ち、ぼんやりと色彩の海に(ひた)っていた。そうしていると光に身を(ゆだ)ねて、柔らかく慰撫(いぶ)されているような気持ちになった。

 荒太も要も、光の中に立つ真白を黙って見つめていた。


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