表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
39/102

憧憬 三 前半部

       三


 電車を降りて公民館や怜のアパートを通り過ぎ、幾つかの角を曲がり歩いて行くと、風見鶏の館が見えて来た―――――――。

 存在感のある建物だと改めて真白は思う。

「え、あいつ、勉強道具持って来いなんて言ったの?」

 荒太が歩きながら嫌そうな顔をする。

「うん、期末試験対策だって。兄として面目躍如(めんもくやくじょ)する、って言ってたから。剣護が昔使ってた教科書とか、持って来たの。重くない範囲で良いって力説(りきせつ)してたけど、一応、五教科分は持って来た」

 それを聞いて荒太が真白から学生鞄(がくせいかばん)をひったくる。

(――――――十分、重いじゃないか。江藤の奴、言葉が足りないんだよ。三教科分だけとか言えば良いんだ)

 ちなみに中間試験結果の学年順位は、一位が真白、二位が怜、三位が荒太だった。荒太が嫌な顔をしたのは、期末試験において、少なくとも怜には上を行かれたくないという思いもあってのことだった。

「………荒太君。鞄、返して」

「良いから。…何で江藤からアパートの(かぎ)、借りないの?人の教材だと使い勝手が違うだろうに。中身だって多少変わってるだろ」

「私もそう言ったんだけど。……何だか、私には部屋に入って欲しくないみたいだった」

 メールで、怜がやんわり真白の入室を拒否した文面を思い出し、真白は(いささ)か落ち込んだ。

「あー、成る程」

 納得したような荒太の声に、真白が反応する。

「荒太君、理由が解るの?」

 荒太の脳裏(のうり)には、怜の部屋で着る服を物色(ぶっしょく)していた際に見つけた、ウィスキーのボトルと日本酒の一升瓶(いっしょうびん)が浮かんでいた。

(……あいつも優等生面(ゆうとうせいづら)してる割に、中々どうして曲者(くせもの)だよな)

 嫌な親近感を覚えてしまう。

 ここで暴露(ばくろ)しても良いのだが、ピッキングで部屋に入った後ろめたさに加え、真白にばらしたら必ずあとから何がしかの報復(ほうふく)があるだろう、という考えが荒太の口を閉ざした。

(ああいう奴の仕返しってのは大抵、陰険(いんけん)性質(たち)が悪いに決まってるんだ)

「…いや。誰にでも、人に見られたくない物とかあるじゃない」

 真白が眉を(ひそ)めて立ち止まった。

「………………エロ本とか?」

(――――――――しまった。そっちに行ったか)

 真白の勘の鋭さは、たまに見当違(けんとうちが)いの方向に行く。

「ええと、いや、そういうのに限らず、何やかやと、」

 どうして俺が尋問(じんもん)される羽目(はめ)になる、と荒太は狼狽(うろた)えた。

「―――――次郎兄は、そんなの見ないよ。…剣護は判らないけど。……荒太君は見るの………?」

 何となく真白の中にある兄二人のイメージの察しがつき、荒太はうっかり剣護に同情しかけたが、他人事(ひとごと)ではなかった。真白の疑惑(ぎわく)矛先(ほこさき)は今、自分に向けられている。風見鶏の館まであと少し、というところで荒太は追い詰められていた。

「―――――――」

 真白の焦げ茶色の瞳にじっと見つめられ、(へび)(にら)まれた(かえる)のように、荒太は硬直(こうちょく)した。

(……返答に詰まるってことは、答えてるも同じことでは…)

そう考えた時、ふと名前を呼ばれた気がして、真白は振り返った。

 

〝決して振り返ってはなりませぬ〟

 創世神話において、黄泉(よみ)の国まで自分を追って来た夫・伊弉諾尊(いざなぎのみこと)に、妻・伊弉冊尊(いざなみのみこと)が告げた(いまし)めの言葉。

 けれど伊弉諾尊は振り返り、妻を再び失うことになる。

 なぜかその話が真白の頭をかすめた。

 振り向いた先に待ち構えるのは、暗い陥穽(かんせい)

 取り返しのつかないことが起きる予兆(よちょう)を、真白は感じ取った。

そこには闇が広がっていた。

 隣を歩いていた筈の、荒太の姿が消えている。

 代わりに闇に立つのは―――――――。

 一瞬、山田正邦かと思ったが、違った。

「…新庄先輩……」

「病は癒えたようだな、真白。随分(ずいぶん)幼稚(ようち)なお(しゃべ)りで笑えたぞ」

 口ではそう言いながら、竜軌は無表情だった。その口振りと顔つきに、真白は違和感を覚える。胸に生じた(おび)えを自覚した。

「何か―――用ですか。私、次郎兄のところに行くんです。この結界、解いてください」

「自分で解いてみたらどうだ。神の眷属(けんぞく)・門倉真白」

 竜軌の意図(いと)が読めなかった。

 とにかくここで()往生(おうじょう)している訳にもいかない。

 きっと荒太も心配している。

「……幽世の大神、(あわ)れみ給い恵み給え、幸魂奇魂(さきみたまくしみたま)、守り給い幸い給え」

大国主(おおくにぬし)に頼るか。さすがは出雲大社・御師(おし)の娘だな」

 しかし結界は少しも揺るがなかった。

 真白は他の祓詞(はらえことば)も試したが、闇はただ、闇のままだ。シン、と静まり返っている。

(どうして――――――)

 竜軌がそんな真白をおもむろに見て、口を開いた。

「自覚が無いようだから教えてやる。お前はな、今、(かみ)(ちから)を行使出来ない状態なのだ。心身に受けた打撃が未だ尾を引いて、力を操るバランスに欠いている。熱が引いただけで回復したと思い込むとは、浅はかにも程がある。花守では(おぎな)いきれなかったようだな。…実に無防備だ。太郎清隆、あれだけ近くにいながら気付かないとは大したうつけよ。今のお前には魍魎一匹(もうりょういっぴき)倒せまい。そんなお前が俺の創り上げた空間にいるということが、何を意味するか解るか?」

 いつもの竜軌と違う、と真白は思った。自分の言葉に大笑いした彼ではない。魍魎に対する姿勢を(いさ)め、忠告してくれた時のような親しみが、今は微塵(みじん)も感じられない。

 ()()えとしていて、身を低くして構えた(けもの)のような威圧感がある。

 真白は竜軌の問いには答えず、無意識に一歩、後ずさった。

 しかし距離を取る前に、パシ、と左手首を(つか)まれる。青紫の雫が揺れた。

「――――――――放して」

 目の前にある、黒い一対(いっつい)の瞳が怖かった。どこまでも黒く光り、底が知れない。

(暗くて深い―――――怖い)

 真白の制服のネクタイに、竜軌の指がかかる。その意図(いと)(さと)り、真白の腕に鳥肌(とりはだ)が立った。

「嫌だ、放して!!雪華(せっか)っ!雪華、来て!!」

 叫ぶが、美しい懐剣が姿を現すことはない。

「雪華が泣いているぞ。お前の呼びかけに応じられずに」

 竜軌が淡々と語る。

(―――――――雪華が呼べない―――――――?)

 真白が衝撃(しょうげき)を受けている間にも、ネクタイが取り外され闇に投げられた。

「―――――――!」

 真白の振り回した手が、竜軌の頬に一筋の血を走らせる。

 竜軌は全く(ひる)む気配を見せない。

 シャツブラウスのボタンにかかる手を必死に払おうとするが、腕力で(かな)うものではなかった。

 竜軌が、今気付いたように青紫の雫に目を()る。

 彼が無造作(むぞうさ)に右手を振りかざした次の瞬間、()千切(ちぎ)られたブレスレットが地に落ちた。

「あ…………っ」

 真白がそれを追って伸ばした腕も、(はば)まれる。

 コン、コロンと小さな音を立て、雫型の石が転がった。真白の目には、荒太の笑顔も一緒に遠ざかったように見えた。

(あんなに、喜んでくれたのに)

 大きな手が、はだけたシャツから見える、真白の首筋から肩にかけての肌に、直接触れた。地面に手荒く押さえつけられる。

(いた)っ―――――――)

 押さえつけられた皮膚の痛みに涙が(にじ)む。

雪白(せっぱく)が良く似合う〟

(どうして――――新庄先輩)

 獲物(えもの)を捕らえた虎狼(ころう)の目が、上から迫る。

「―――――…嫌っ!荒太君!!荒太君、荒太君!!」

 生理的な嫌悪(けんお)と恐怖に、真白は激しく叫んだ。焦げ茶色の髪が乱れる。

(剣護、助けて、次郎兄―――――――。こんなのは嫌だ。嫌だ――――――)

 竜軌の動きが不意に止まった。


奇一(きいつ)奇一(きいつ)たちまち雲霞(うんか)を結ぶ、宇内八方(うだいはっぽう)ごほうちょうなん、たちまちきゅうせんを貫き、玄都(げんと)に達し、太一真君(たいいつしんくん)に感ず、奇一奇一たちまち感通、如律令(にょりつりょう)!」

 咒言(じゅげん)のあとに姿を現した荒太は、肩で息をしていた。両膝(りょうひざ)に手をついている。

「くそ…陰陽師(おんみょうじ)でもない(くせ)に、やたら面倒臭(めんどうくさ)い結界、張りやがって………!」

 竜軌は、変わらない無表情のままで荒太を見た。

 真白を押さえていた手の力が緩む。

 荒太もまた、地に仰向(あおむ)けになった真白を見た次の瞬間、ふっと表情が消えた。(ただ)内奥(ないおう)(ひそ)む激情が感じられる点で、竜軌とは異なる。

「彼女から離れてください、信長公。………真白さん、こっちに来て」

 声は怖いくらいに平淡(へいたん)だった。

(―――――――――荒太君)

 真白は渾身(こんしん)の力で竜軌の身体を突き飛ばすと、荒太のもとに駆けた。

 飛び込んできた彼女の身体を、荒太が一瞬だけ強く抱き締め、素早く背後に回す。

 地に落ちたブレスレットに、ちらりと視線が行った。

 押し殺した声が、闇に響く。

「――――――信長公、一度だけ訊きますよ。…何の、つもりですか」

 信長の表情は変わらず、荒太の問いにも答えない。

「お前が来たか……」

 ゆっくり立ち上がると、ただそれだけを言った。

 荒太の身体が発するざわりとした殺気(さっき)が、背後の真白にも感じられた。

「飛空、ここだ」

 常より低音(ていおん)の呼びかけに現れる、(かざ)()の無い腰刀。その(さや)を、少しの迷いも無く荒太が払った。

 白い刀身(とうしん)が輝きを放つ。

 ここで初めて、竜軌が薄い笑みを見せた。

「長い付き合いだが、お前とは初めて(やいば)を交えるな。面白い。―――――起きろ、六王(りくおう)

 竜軌の声に応じて現れたのは、剣ではなく素槍(すやり)だった。漆黒(しっこく)の柄に、螺鈿(らでん)の装飾が美しい。3メートル程はあろうかというそれを、竜軌は軽々と手にした。

 剣よりも間合いの長い槍を一瞥(いちべつ)して、荒太が背後の真白を見る。

「真白さん、出来るだけ離れてて」

 言われた真白は、荒太のシャツに手をかけた。

「待って――――――待って、荒太君。…多分、新庄先輩は本気じゃなかった。何かを試したかっただけだよ。……刀を、収めて」

 けれどそう言う真白の声も、荒太のシャツを握る手もまだ震え、顔色は蒼白(そうはく)だった。

 荒太の(ぬく)もりが無くなることが怖かった。

(手を握ってて欲しい―――――抱き締めてて欲しい。離れないで、側にいて)

 今の真白はただそれだけを、(せつ)に願っていた。

荒太がボタンの千切れた真白のシャツの、胸元を見る。露わになった白い肩を見る。ギリ、と言う歯軋(はぎし)りが、真白の耳にも聴こえた。荒太の視線を受けて、真白は(あわ)ててはだけたシャツを直した。

「出来ない。狙いが何かあったにせよ、これは許容範囲(きょようはんい)を超えてる」

 彼の目は、既に目の前に立つ竜軌だけを(とら)えている。

「―――――――――」

 行かないで、という言葉が出なかった。(のど)の奥でつかえたかのように。

 竜軌が、風の(うな)り声と共に二回、三回と六王を高く(かか)げて回転させ、構えた。

 それを見届ける間も無く、荒太が駆ける。

 飛空の初太刀を受けた六王が空気を横に()ぐ。

 それを避け、宙に跳躍(ちょうやく)した荒太の飛空が、竜軌の頭に迫る。

 半身でかわした竜軌が、更に六王を()り出す。一突き、二突き。荒太はそれを巧みにかいくぐり、飛空で内側から六王に斬りつける。

 闇の空間に、激しい剣戟(けんげき)の音が響き渡る。

(どうしよう。どうしよう。今の私では止められない。あの二人が本気でこのまま戦ったら――――――どちらかが死ぬかもしれない。どうしよう。剣護も、次郎兄もいないのに)

 考えている間にも、六王の()(さき)が荒太の肩をかすめる。血は出なかったものの、真白は悲鳴を上げかけた。

 こんな自分は知らない。無力に震え、ただ見ているだけしか出来ないことなど、今までに無かった。力は常に、当たり前のように真白の身に備わっていた。

 何も出来ないということが、これ程人を打ちのめすものだとは思いもしなかった。

 恐怖、悔しさ、絶望。そして屈辱(くつじょく)

それらの感情が、ないまぜになって真白の内側を支配する。

(剣護。剣護。次郎兄――――――助けて。誰か。誰か。誰でも良いから)

 彼らを止めて――――――――。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ