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憧憬 二 後半部

 木臣の言霊(ことだま)甲斐(かい)もあり、金曜の朝には真白の熱も下がった。

 登校時には早朝から起き出すことの多い真白だが、熱がある間は祖母たちからも剣護からも、早起きを禁じられていた。その名残(なご)りで今日の目覚めも普段よりはゆっくりだった。体温計で熱を測った真白は、出た数字に微笑む。

 様子を見に来た剣護に笑顔を向け、パジャマ姿のまま子供のように駆け寄った。

(…ちっちぇー足)

 駆け寄る真白の白い素足(すあし)を見て、靴のサイズ27センチの剣護は思った。

「剣護、私、熱が下がったよ!」

「よし、おでこ出しなさい」

 剣護が芝居(しばい)がかった口調で重々しく言う。

「はい」

 結果はもう(わか)っているので、真白も素直な声で応じる。

 大きな手が真白の額を(おお)う。

 緑の目が(なご)んだ。

「――――うん、合格」

「やったっ!」

 真白は無邪気な声で喜びを(あら)わにした。花守として別の勤めも忙しいらしく、木臣が顔を出したのは前回と違い、一日だけだった。市枝が泊まりに来てくれた晩はとても嬉しかったが、あとの日はほとんど一人だった。これでもう、寂しい思いをしながら寝ていなくて良いのだと思うと、真白の心は(はず)んだ。

(やっと、次郎兄のお見舞いにも行ける)

「次郎兄も随分良くなったって本当?木臣が、次郎兄のとこにも行ってくれたんでしょう?」

 真白の言葉に、剣護も笑みを浮かべて頷く。喜ぶ真白の様子が、尻尾(しっぽ)を勢い良く振る子犬を連想させて、内心(ないしん)可笑(おか)しかった。

「ああ。すげーな、花守って。マジで神様仏様って感じだ。来週からは登校も出来そうだってよ。あいつ、死にかけたあとだってのに期末試験のこと気にしてたから、安心してるだろうな」

 弟の回復に加え、久々に憂いの無い真白の笑顔は、剣護にとっても喜ばしいものだった。

「ほら、とっとと着替えて来い。……それ、つけてくのか?」

 真白の頭をポン、と軽く叩いたあと、手首のブレスレットを見てにやりとする。

「あ……、駄目だよね、つけないほうが良いよね。寝てる間中つけてたから、何だか今度は逆に外せなくなっちゃって―――――――」

 真白が照れたように笑う。

 剣護は首を傾け、元生徒会長として思案してみた。

「―――――いんじゃね?もっとごついのやら、派手なのジャラジャラつけてる奴、いるだろ。うちの学校は。風紀検査(ふうきけんさ)なんて、あって無いようなもんだし。俺のクラスにも、でかい数珠(じゅず)みたいなの()めてる奴いるぜ」

 真白の目が輝く。

「本当?」

「うん。でも、見せびらかしたりはするんじゃねーぞ。人の(ねた)みはこえーからな。…今から荒太が莫迦(ばか)みたいに喜ぶ顔が、目に見えるな」

「そんなことないよ。――――――急いで着替えて、ご飯食べるね。待ってて」

「おう。バスの時間までまだ余裕あるから、(あわ)てなくて良いぞー」

 真白をリビングで待つ間、剣護の顔には笑みが広がっていた。

(…こういうのなんだよな、結局。俺たちが守りたいのは)

 陽が柔らかく包み込むような日常―――――――。


「真白さん、それ…」

 荒太が指摘したのは昼休みだったが、真白の登校時から、既に彼女の手首の変化には気付いていた。

 冬服では見えにくいブレスレットも、夏服では目立つ。

 まして普段から目敏(めざと)い荒太が、真白の手首に光るものに、気付かない筈が無かった。

装飾(そうしょく)無頓着(むとんちゃく)な「女流歌人」がアクセサリーをつけて来た、という情報は、一年A組男子の間で早くも広まっている。

「……うん。一度つけると、外せなくなっちゃって…」

 つけて来たの、と少し赤い顔で言う真白を、荒太が凝視(ぎょうし)した。

「――――――駄目だった?デートの時じゃないと、つけちゃいけなかったかな」

「いや――――――、良い。全然、良い。…全然良い」

 基本的にシャイで照れ屋の真白が、学校に自分の作ったブレスレットをつけて来てくれた、というだけでも荒太は心中で快哉(かいさい)を叫んでいたのだが、真白の口から出た言葉がとどめとなった。

(あの、どさくさに(まぎ)れてしたデートの約束も、忘れられてなかった)

 会話に混ぜ込んで、(なか)詐欺(さぎ)まがいに取り付けた約束だったので、反故(ほご)にされても仕方ないくらいに考えていたのだが。

(やっぱり前生での進展が、どう考えても遅すぎたんだ。あわよくばこのままの流れで大学在学中に学生結婚……!邪魔な兄貴二人がもれなくついて来るけど……!)

 荒太は拳を作って一足飛(いっそくと)びに未来予想図を描いた。

「真白さん、俺、甲斐性(かいしょう)あるから安心してね」

 脈絡(みゃくらく)の無い言葉に、真白が返答に迷い首を傾げる。

 二人の横で市枝が、ズコーッと音を立てながらいちごミルクを飲んだ。

「…そこのばかップル。人目(ひとめ)をはばかりなさいよ。特に荒太、あんまり真白をファーストネームで呼ばないこと。真白もよ。変な噂が立つと困るでしょ。真白はクラス委員だし…。江藤はそのあたり、ちゃんと(わきま)えて学校ではほぼ真白を名字呼びしてたでしょうが。見習いなさい」

 荒太が満面の笑顔で市枝を見る。

「噂じゃなくてさ、もうこの際、公認カップルでいいじゃない。それに江藤だって、たまに真白さんを教室で名前呼びしてたよ」

(公認カップル…。そういう選択肢(せんたくし)もあるんだ。―――――――考えたこと無かった)

 しかしその単語を意識しただけで、真白の身体は恥ずかしさに凝固(ぎょうこ)した。荒太が学生結婚まで考える横で、真白は公認カップルという言葉だけで身を固くしている。二人の意識の落差は、かなり激しかった。

「江藤だって、うっかりする時くらいあるわよ。あんたはその比じゃないでしょうが。ずうううっと、真白さん真白さん真白さん……。最初は見てくれに(だま)されてあんたに気があった女子が、それで何人引いて江藤に流れて行ったことか。今じゃA組の女子はほとんどが江藤狙いよ。他所(よそ)のクラスのうちにまで、その情報が回って来てるんだから。江藤と真白は割と仲良く見えるから、真白が女子にもモテるタイプじゃなかったら、嫉妬(しっと)の対象になってたわよ、全く。危ない危ない」

 情報通の市枝と異なり、この手の話題にはかなり鈍い真白には、荒太らと同じクラスでありながら初耳の話だった。

(そう…。そうだよね。荒太君、モテるよね。格好良いし、何でも出来て……、私と違って、料理まで完璧だし。次郎兄が女の子にすごく人気あるのは、昔から知ってたけど。…そっか…。荒太君、モテるのか。公認カップルになったら、そんなことも無くなるのかな。公認カップル……)

 真白は少なからずショックを受けて悶々(もんもん)と考え込んだが、荒太は市枝の言葉を聞いても、痛くも(かゆ)くもないという顔をしている。

「人を壊れたCDプレーヤーみたいに言わないでよ、三原さん」

「私の名前は別に良いのよ。成瀬と私がどうこうなんて、どうせ誰も思っちゃいないわ」

「だよね」

 にこ、と荒太が笑う。

(……めちゃくちゃ機嫌良いわね、こいつ。まあ、嵐の時から若雪がからむと、喜怒哀楽(きどあいらく)の激しくなる奴だったけど)

 荒太が食べ終えた弁当を布で包みながら、にこやかに言う。

「今日、風見鶏の館への付き添いは、俺が行くよ。市枝さんは剣護先輩に送ってもらって」

「―――――ちょっと、それは行き過ぎなんじゃないの、成瀬」

 市枝がタンッといちごミルクのパックを机に置いた。

「どうして?俺も遥がちゃんとやってるか、見に行かないとって思ってたんだ。監督責任(かんとくせきにん)ってやつだよ」

 取ってつけたような空々しい言葉に、市枝は半目になった。

「はあー言うわねー。思ってもなかったことをいけしゃあしゃあと」

 真白の様子を見て声をかける。

「真白、大丈夫よ。最初は見た目によろめいても、成瀬の本性知ったら大半の女子は引くから。引かないでいられるマニアックな女子、真白くらいだから」

「嫌だなー、市枝さん。俺がジョニー・デップみたいに(くせ)があるだなんて」

「言ってないわよ、一言(ひとこと)も」

 真白が市枝の言葉に目を丸くしている。

 なぜ解った、と言う顔が、見ていて面白い。

「………私、そんなこと考えてなかったよ。市枝」

「はいはいはいはい」

「――――――本当だよ?」

「はいはいはい」

 市枝はてんで相手にしなかった。 

「…剣護先輩には自分で交渉しなさいよ、成瀬」

「もちろん」


 剣護の了承を得た荒太は放課後、真白と共に足取りも軽く風見鶏の館へと向かった。

(何だか、これだけでもうデートみたいだな…)

 行きの電車の中、上機嫌の荒太の隣に座る真白は、そう思った。

(若雪は家族を失ったけど、気付いた時には傍に嵐どのがいた。今は、剣護も次郎兄も三郎も元気で生きてて、こうして荒太君もいてくれる)

 様々な難題(なんだい)はあるが、自分は恵まれていると真白は感じた。

 ずっと寝込んでいたので、数日振りに見る景色が新鮮に見える。

 今日も眩しいような晴天だ。外に出て、自分の身体で暑さを実感出来ることが、真白は嬉しかった。ひんやりと涼しい空間で、一人寝て過ごすよりずっと良い。

 隣には荒太がいて、怜は回復に向かっていて、空は晴れている。

 揺れる電車のリズムさえ、優しいものに感じられる。

(私、単純なのかな。……こんな日があれば、山田正邦のことも、何とかなるような気がする。私がどんな結論を出しても、荒太君はきっと傍で見ていてくれるから)

 ふと思う。

「……荒太君」

「何?」

 呼びかければ、答えてくれる人がいる。

「……山田正邦には、誰もいないんだね」

「―――――え?」

「病気になったら心配してくれる人も、泣いた時に涙を()いてくれる人も、…当たり前みたいに隣に座ってくれる人も。…ひどい火傷(やけど)を負っても、(ひと)りで耐えるしかなくて。―――――――私が持ってるものを、あの人は何一つ持ってない」

「…だから恨まれても仕方ないなんて思わないでよ、真白さん。それは間違ってるからね」

 慎重な荒太の声に、真白は頷いた。

「うん。思わない。ただ、こうして時間を置いてみると、一人でも彼の傍に誰かいたら、今生でもっと違う生き方が出来たんじゃないかって考えが浮かんで来るの。……いなかったのかな、誰も」

 荒太の顔が思慮深く、真面目なものになる。

「あいつだけじゃないよ。人間は誰かを失くしたり、得たりを繰り返して生きてるんだ。自分をどこまでも孤独と感じて、心を(えぐ)られる思いをしてる人は、きっと今この瞬間もごまんといる。確かに苦しいよ―――――(ひと)りは」

 前に向き直り、噛み締めるように荒太が言う。

 実感の(こも)った声に、今度は真白が荒太の横顔を見る。

 電車の向かい側の窓から、強い日が()(そそ)いだ。荒太の横顔の輪郭(りんかく)が、光で(ふち)どられる。

「――――――真白さんが今考えてることに、簡単に答えは出ないと思う。…前の俺だったら考えるな、って言ってたかもしれないけど、…今は考えたって良いと思ってる。答えの出ない考えでも、時間を費やして良いんじゃないかな。せっかく生きてるんだ。俺は、それを無駄なことだとは思わない」

 荒太の言葉は、ただの甘やかしではなかった。そのぶん響く声の真摯(しんし)さが、真白の背を押した。

(生きてるから、悩む。迷って…それで良いんだ。(かたく)なに、自分の正しさにしがみつかなくても。揺れる時があっても。放棄(ほうき)せずに考え続ける道に留まれば、いずれ上昇(じょうしょう)の風は吹く)

向き合う手立てを考えようと思った。

 最終的には、山田正邦と切り結ぶことになるとしても。

 荒太の横顔と、左手首に光る小さな石を見る。

「――――――荒太君がいてくれて良かった。私、前を向いて行ける」

 真白の言葉に、荒太の横顔が微笑んだ。


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