再会 二 後半部
ミシ、ミシ、という危うい音を響かせて、剣護が二階から降りて来た。
見ればキッチンのテーブルに、紅茶の入ったティーカップが並んでいる。
要と真白が、差し向かいで座っていた。
二人の間に漂う、妙に親しげな空気に、剣護は怪訝な顔をする。
(何だあ?)
足音で剣護に気付いた真白が、顔を上げて尋ねた。
「剣護。次郎兄はどうだった?」
「――――――ああ、少し話したらまた眠ったよ。…しろ、お前、目が兎になってるぞ」
真白に答えたあと、要の顔を見る。剣護の指摘を受け、真白は慌てた様子で目に手を遣った。
要は、正面から剣護の視線を受け止めた。
「色々、お尋ねしたいことがあるんですけど」
「お答えします」
穏やかな微笑を浮かべ、要が頷く。
真白はその微笑の向こうに、風に散る桜を見た。
「改めて、あいつを助けてくれて、ありがとうございました」
真白の隣に腰を落ち着けた剣護が、深々と頭を下げた。真白もそれに倣う。
「いいえ―――――」
「あと、警察に連絡とかしないでもらえて、正直な話、助かりました」
要が思慮深げに微笑む。
「僕が彼―――怜君、ですか。を、発見した時の、状況が状況やったもんで。もし警察に通報したかて、話を信じてもらえるとは思えませんでしたしね。怜君のスマホに、何度か着信があったんは知ってたんですけど、しばらくは彼を家に運んだりで、出る余裕がありませんでした」
「柏木さんが、怜を助けた経緯をお伺いしたいんですが」
要がまた一つ頷き、語り始めた。
「要でええです。僕は聖ヨハネ大学院で、油絵を中心とした美術を勉強してます。怜君が倒れていた道の近くにある公民館の、ロビーに飾る絵を、以前描いたことがありましてん」
真白が納得したように言う。
「智真どのは、絵がお上手でしたものね」
要がこれに、はにかむように微笑んでから続けた。
「それが縁で、昨日も公民館で開催される、バザーと夏祭りの準備を手伝うてたんです。祭りも終盤にさしかかるころ、大量に出たごみを捨てに行く途中、………変な生き物が、横たわる怜君に刀のようなものを振り上げてる現場に出くわしました」
「―――――そいつ、要さんに襲いかかって来たりはしませんでした?」
剣護の言葉に、要が首をひねる。
「いえ――――――?僕が声を上げるとそれは、逃げるように…闇に消えました。……それで僕は怜君に駆け寄り、彼の左肩の、鋭利な刃―――恐らく、その妙な生き物の持ってた刀でしょう―――で、差し貫かれた傷を見ました。僕は、彼の状態を極めて危険なものやと判断しました。救急車を呼ぶ余裕も無いて――――――」
ギュッと真白が重ねた両手を握り締めたのを、剣護が横目で見る。
「あの…じゃあ、どうやってあいつは助かったんですか?」
訊き返す剣護の言葉に、初めて要が答えるのを躊躇う素振りを見せた。
「…僕がその場で…、………雷光で、傷口を焼いて塞ぎました。荒療治ですが、あの時は他に手が思いつかんかったんです。いちかばちかの、賭けでした」
「―――――は?」
意味が解らずに、剣護が素頓狂な声を上げる。
真白が、剣護のシャツを引っ張った。
「…剣護。この人、要さんはね、智真どのだったの。……以前、話したことがあるでしょう。覚えてる?堺の、明慶寺の…」
言われて記憶を探る。
「智真―――――?菅原道真の、後裔の…?―――雷雲を操ってたとか言う……」
この言葉に要が苦笑する。
「操る言う程、コントロールは出来てませんでしたけど―――――何の因果か、今生においても、僕はその力を持って生まれたんです。前生と違うて、今の僕は道真とは縁もゆかりも無いんですが…」
剣護が目を丸くし、その場が静かになる。
今この時、テーブルを囲んでいるのは、真白であり若雪であり、剣護であり太郎清隆であり、要であり智真だった。
(雷神の申し子―――――。本当に、そんな人間がいるのか)
以前真白が彼の力について語った際は、俄かには信じられなかった。
(そうか…。花守や真白が存在してるように、そういう人が普通の人の中に混じって、生活してることだってありなのか――――――――――)
剣護は改めて、まじまじと要の顔を見つめた。
要は、眉根を寄せて声のトーンを落とした。
「せやけど、僕の力だけでは、とても彼を救うことは出来ませんでした。出血がひどかったんです。輸血の必要がある思うて、もうほんまに病院に担ぎ込むしかないて考えてた時に、来客がありました。あれは―――――十時頃、やったかな」
要が少し遠くを見るような目をした。
「長い金髪をポニーテールにまとめた女性が、家を訪ねて来ましてん。怜君の知り合いや言うんで、とりあえずは部屋に通しました。二人きりにするんも心配やったんで、僕も傍にいたんです。彼女には、部屋を出て欲しいて言われましたけど。そしたらその女性は怜君の身体に手をかざして、何やら呟いてはりました。怜君の蒼白だった顔色が、赤みを帯びたもんに変化したことに気付いたんは、彼女が帰ったあとでした。――――明らかに血色が良うなって、呼吸するんも楽そうになってました」
「………その人、他に何か言ってませんでしたか」
「はい。自分は、〝花守〟言うて、彼の味方やと。せやから警戒することはないて、言わはりました。……僕には何のことかよう解りませんでしたけど、彼女に害意は無いて思うた」
真白と剣護は、顔を見合わせた。
長い金髪の花守――――――。
「………金臣だ。きっと光が、状況を知って遣してくれたんだ」
「だな」
真白の言葉に、剣護も頷く。
「…でも、どうして金臣だったんだろう。他の花守じゃなく」
「花守なら、誰でも治癒の力を持ってるんじゃないのか?たまたま彼女だっただけで――――――」
「―――――ううん、違う」
え?、と剣護が真白に目を向ける。真白は思考を働かせる顔つきになっていた。
「金臣の属性は、金だよね。だから、金属や鉱物―――――。剣護、血液を構成するものは何?」
「…赤血球、白血球、血小板および血漿」
剣護が受験生らしく、すらすらと答える。
「あ、そうか。えっとね、そっちじゃなくて、血に含まれる栄養素があるでしょう」
「鉄分―――――――。そうか、それで金臣か」
剣護が腑に落ちた、という顔をした。
要は、大人しく二人の会話を見守っていた。
そっと、疑問を差し挟む。
「その、花守て言うんは―――――――?」
そこで剣護と真白は、今現在の状況を全て、初めから要に説明した。
要は真白たちの話を、作り話と退けることもなく信じた。
「―――――そんなら僕が見たんも、その魍魎やったんですね。……けど、魍魎は人も襲うんですよね。ニュースなんかで、そないな話は聞いたことないですけど―――――――」
尤もな疑問だ、と思い、真白も剣護を見る。
剣護が真剣な顔で口を開いた。
「………俺たちが魍魎を滅せる範囲にも限界があります。俺たちと行き当らない魍魎は、基本的に自由です。…自由がままに、人を喰らう。ただの人間には、防ぎようが無い。そして魍魎に喰われた人間は、最初からいなかった存在になるんです。魍魎に喰われた時点で、その人が生きて、今まで関わったどの人の記憶からも、消えて無くなってしまう―――――――。痕跡すら、全て含めて。花守や、俺らのような神つ力に関わる存在は稀な例外ですが。俺たちは、普通の人間より世界の理にひっかかりを残しやすい。痕跡を残しやすく、また、世界そのものの変動に関して敏感です。―――――例え魍魎に喰われても、忘れられることもなければ、魍魎に喰われた存在を忘れることもない。要さんも、恐らく例外の範疇に入るでしょう。けど俺たちだって、万が一ということもある。絶対に忘れていない、忘れない、忘れられないとは言い切れない」
真白も要も、どこかショックを受けた表情でそれを聞いた。
真白は、剣護や荒太が魍魎に喰らわれ、彼らのことを忘れた自分を、彼らのことを忘れ笑って生きて行く自分を想像して、冷水を浴びせられたような心地がした。
―――――――そんな自分は、自分ではない。
(…時間をかけて魍魎を倒せば良いという話じゃない。魍魎が人を一人喰らえば、その瞬間、世界中からその人の存在は丸ごと、根こそぎ失われてしまうんだ)
完全な忘却という悪夢――――――――――――。
「ひどい――――――」
「ああ」
真白の呻きに、剣護が相槌を打つ。
その時剣護は、自分に注がれる要の視線に気付いた。
彼は、穏やかな光を目に宿し、剣護をじっと見ていた。
「―――――何か?」
「ああ、いえ、すんません。あなたや怜君、――――――若雪どのの兄君が、今生では真白さんの傍にいはるんやな、思うと、嬉しくて」
「嬉しい………?」
剣護が訝しむ顔をした。
要が軽く頷く。
「…若雪どのを守る人間が、前生では嵐くらいしかおらんかった。嵐であっても、庇護する言うところまでは、よういかんかった。ほんまの身内みたいに接するんは、やっぱり難しい。―――――若雪どのは何でも出来るお人やったけど、生き方が不器用でした。御兄弟が生きてはったら、どんなにか彼女はもっと楽に生きていけたやろうと、そう思うてたんです。……けど今生では、あなたたちが生きて、真白さんの傍にいてくれはる。彼女を、守ろうてしてくれる」
それが嬉しいんです、と要は言って黄緑の目を細め、少し照れたように笑った。
その言葉と笑みに、剣護は友情より深いものを感じた。
(…ひょっとしてこの人――――――)