表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
21/102

惑乱 二 後半部

怜の住まうアパートの部屋は1DKで、ダイニングキッチンは六畳、居間兼寝室も六畳の広さだった。そこそこ自炊(じすい)の出来る怜にとって、広めのキッチンと使い勝手の良いコンロがついた物件(ぶっけん)は有り難かった。高校生の割にそつなく、また礼儀正しく振る舞うので、大家(おおや)からの受けも良い。

 しかしその大家も、今の怜の()(よう)を見れば目を()くだろう。

 完璧に整理整頓(せいりせいとん)とまではいかないまでも、そこそこに片付いた部屋の中、怜は氷の浮かぶウイスキーが入ったグラスを一人傾(かたむ)けていた。()(たた)みの出来る小振(こぶ)りなテーブルの上にはウイスキーのボトルの他に、(さかな)につまむアーモンドが()ったガラス皿がある。

 白い半袖(はんそで)のVネックシャツに、ストレッチ素材の効いた黒のジーンズを穿()いた怜は、グラスを傾けつつ時折(ときおり)アーモンドに手を伸ばし、(くつろ)いでいた。

 真白は知らないことだが、たまの晩酌(ばんしゃく)は怜の楽しみの一つだった。押入(おしい)れにはこっそり、ウイスキーのボトルと、日本酒の一升瓶(いっしょうびん)が隠されている。一人暮らしの家具を(そろ)える際、冷凍室付きの冷蔵庫を選んだのは、実はウイスキーを飲む時の氷を作る為、という理由が一番大きかった。そのあたりの動機(どうき)からして、既に法律違反に踏み込んでいる。それでも一度に飲むのは、せいぜいウイスキーをロックでグラス一杯か、日本酒を(さかずき)に一、二杯程度ではある。

 例えば真白が、怜に飲酒(いんしゅ)()めろと懇願(こんがん)してくれば、すぐにでもそれに従うことは出来る。

 だが今のところ、怜の(ひそ)かな習慣は彼女にばれていないし、止めろとも言われていない。

(太郎兄がチクッたりしなければ、当分はこのままだな……)

 そんな風に考えていた。

 カラン、と氷を揺らし、グラスの中身をコク、と飲む。

 (のど)の内を通り抜ける流動体(りゅうどうたい)の感覚は、冷たく、熱い。

 怜はかなりのアルコールが入っても、顔に出ない。酔いも浅く、すぐに()める。全く素面(しらふ)の時と変わらないのでつまらない、と以前市枝の家でワインを飲んだ時に、剣護から不満そうに言われた。

〝そんなところまで変わってないんだな、次郎〟

 ――――――どこかで太鼓(たいこ)の音が鳴っている。(にぎ)やかな音楽も流れて来る。子供のはしゃいだような声も、時々聴こえて来る。

 そう言えば今日は近くの公民館(こうみんかん)で、昼間にバザーが開催(かいさい)されたあと、夜には夏祭りが行われるのだとアパートの大家が言っていた気がする。

(祭り、か……)

 グラスを(かか)げて、昔のことを思い出す。

 出雲大社に仕える神官家であった小野家は、祭事(さいじ)(おり)にはその下準備やら精進潔斎(しょうじんけっさい)などで忙しかった。太郎清隆(たろうきよたか)次郎清晴(じろうきよはる)も、まだ幼い時分(じぶん)からその手伝いに駆り出されたものだった。そして途中から若雪がそれに加わるようになり、三郎も加わった。

 今では、遠い思い出だ―――――――。

 だがどうしても怜は、小野次郎清晴(おののじろうきよはる)として生きた記憶に、執着(しゅうちゃく)せずにいられなかった。

 それはたった十五年で()()られた人生だったが―――――――――。

 彼にとってはそれ程に大事な家族で、―――――兄妹だったのだ。

親不孝者(おやふこうもの)!〟

 前生の記憶を思い出した怜が、転校して一人暮らしをする、と言った時に母親から泣きながら言われた言葉は、今も耳に残っている。

 それでも、怜は真白たちを選んだ。そして少しも後悔していない。

(実際、親不孝者ではあるんだろうな…)

 冷静に、自分のことをそう分析(ぶんせき)する。

 何の色も浮かばない瞳で、怜はグラスを傾けると琥珀色(こはくいろ)の液体を口に含んだ。


 竜軌が支払いを済ませて、四人は焼肉店を出た。

 支払いの時に、竜軌が手に持っていたゴールドカードがちらりと目に入り、真白は驚いた。真白にとっては都市伝説(としでんせつ)のような代物(しろもの)であるそれを、竜軌はさも無造作(むぞうさ)に扱っていた。

(本物のゴールドカード、初めて見た…)

 市枝といい、竜軌といい、織田家の兄妹は随分(ずいぶん)富裕(ふゆう)な家に生まれたものだ、とこっそり思う。

 今夜は(くも)っていて、月も星もよく見えない。どこからか虫の鳴く音だけが聴こえてくる。

 湿度(しつど)は高いらしく、肌にまとわりつくような湿気(しっけ)が、やや鬱陶(うっとう)しかった。

焼肉店の広い駐車場まで来たところで、荒太が言った。

「俺が真白さんを送って行きますんで、新庄先輩は市枝さんをお願いします」

「市枝も真白も、俺がまとめて送って行ってやる。タクシーを使えば問題無いだろう」

 あっさり言う竜軌に、やはり経済観念(けいざいかんねん)が違う、と真白は思った。

 竜軌の自宅がどこにあるのかは知らないが、市枝の家と真白の家の双方(そうほう)を回ったあとで帰宅するのだとしたら、タクシーのメーターは大変なことになるのではないか。

 感覚の落差(らくさ)に呆れたのは、金銭の無駄遣(むだづか)いを嫌う荒太も同じだったらしい。

 竜軌に対し、渋面(じゅうめん)になって(さと)すように言う。

「タクシーじゃキャッシュカードは使えませんよ」

「そのくらいの現金、持ち合わせている」

「公共の乗り物を使ってくださいよ。まだ、夜もそこまで遅くはないんだから」

「うるさい。俺の金の使い道にお前が口を出すな。相変わらずの吝嗇家(りんしょくか)め。……ほら見ろ、お前が細かいことでぐずぐず言うものだから、来てしまっただろうが」

 その言葉に振り向き、真っ先に反応したのは真白だった。

雪華(せっか)!」

 真白の手に吸い付くように、(すみ)やかに現れる美しい懐剣。

「――――飛空(ひくう)、ここだ」

 一拍遅(いっぱくおく)れて荒太の声が響く。

 嵐が愛用していた腰刀の柄が、その手に握られる。感触を確かめるかのように、荒太が(さや)を払った飛空をブンッと一振りする。それは実戦仕様の装飾皆無(そうしょくかいむ)な刀で、剣護の扱う豪奢(ごうしゃ)臥龍(がりゅう)とは対極的(たいきょくてき)だ。

(飛空―――――――)

その腰刀を横目に見た真白の目に、感慨(かんがい)が浮かぶ。

飛空という銘は、嵐の頼みで若雪がつけたものだった。

 市枝も百花(ひゃっか)を呼び出していた。

 そんな彼らに対し、竜軌は何をするでもなく、ゆったりと腕を組んで見物する姿勢を示した。

真白が感慨に(ひた)ったのは、一瞬のことだった。飛空に向け()らされた目は、再び正面を見据(みす)え――――――――そして、大きく見開かれる。

 虫の鳴く音は、いつしかピタリと止んでいた。


 真白は今まで、魍魎(もうりょう)(あやかし)とは恐ろしいものだと考えていた。(みにく)くおぞましい、人に害を()す生き物だと―――――――――――。

 しかし今、目の前に立つのは。

「何、これ――――――?」

 それは半透明の身体を持ち、いかにも無垢(むく)な雰囲気で(たたず)んでいた。

 整った面立ちに、小柄(こがら)な身体。小首(こくび)(かし)げるような仕草は、害意(がいい)を持っているのかどうかさえ疑わせる。しかも彼らの瞳には、邪気(じゃき)見出(みいだ)せない。

 そんな生き物が、二体立っていた。

(二体――――いえ、二人?)

澄んだ目をした彼らに、真白たちは混乱の面持(おもも)ちだった。

 これは何なのか。

 魍魎と呼ぶにはあまりにも――――――――――。

「これを、斬れと言うの………?」

「何か問題があるかな?」

唖然(あぜん)として発した真白の言葉に、返って来た声があった。

低く、(つや)のある男の声。けれどどこか聴く者の耳にひやりと響く。

「誰!?」

 市枝が厳しい声を上げる。

 するり、と半透明の生き物の背後から出て来たのは、一目で高価と(わか)るチャコールグレーのスーツを身に着けた男性だった。年のころは三十から四十程。銀に光る細いフレームの眼鏡の、奥にある目は笑みに細められている。スラッとした長身で、出来るビジネスマン、といった風情(ふぜい)だ。

 一見して怜悧(れいり)な印象を強く受ける男だった。

(でも…、何だかいかにも、だ)

 真白は男の風貌(ふうぼう)凝視(ぎょうし)してそう思った。

 この男はまるで、記号のように解りやすい容姿(ようし)を、あえて形にした作り物のようだ。この外見を備えるまでに、男が歩んで来た筈の人生の、年輪(ねんりん)のようなものが感じ取れない。

 そんな印象を真白は受けた。

(けれど、生きている、という気配はする)

 命を持つ存在の重量感が、目の前の男には確かにある。

「…あなたも、魍魎?この子たちも?」

 信じられない思いで真白が尋ねる。

 真白の当惑(とうわく)した表情を、ひどく楽しそうに男は(なが)めていた。

「その通りだよ、門倉真白(かどくらましろ)。おや、随分(ずいぶん)と驚いた顔をしているね。何をそれ程、不思議と思うことがある?」

 男は見た目の余裕そのままに、悠々と言い切った。

「だって、そんな―――――」

 今まで見た(あやかし)と、あまりに違い過ぎる。

「今まで見た妖と、違い過ぎる?」

 胸中(きょうちゅう)を呼んだかのような男の言葉に、真白は驚いた。

「ふむ…。そもそも、魍魎がなぜ醜悪(しゅうあく)な姿形をしていたか、解っていないようだ。それはね、彼らが人に降りかかる自然災害(しぜんさいがい)代行者(だいこうしゃ)として生まれたものだからだよ。しかしだな…門倉真白、人の世では実に安直(あんちょく)に、一口(ひとくち)に災害と言うが、ただ起きる自然現象を、人が(わざわ)いと呼ぶのはなぜだと思う?」

 なぜ――――――――?

 真白には、考えたことも無い疑問だった。災いは―――災害は人に嘆きを呼ぶ。死を招く。――――――――だから、あってはならないものの(はず)だ。(しょう)じてはならないものの筈だ。そう考えるのは、人として当然ではないか。人として――――――――。

 (あわ)れむような微笑を浮かべて、男は続ける。

「それは、その自然現象が、人にとっての悪だからだ。人にとって、起きては都合の悪い現象だからだ。災いを災いたらしめるもの。それは、人の意識(いしき)だよ」

 男は両手を広げ、芝居(しばい)じみた口調で得得(とくとく)として語り続ける。

「現象そのものは、善とも悪とも定まって生じるものではない。要は見る側が、己の眼をもって見る、何を善とし、何を悪と決めつけるかだ。それが、真実だ。――――――どうだ、門倉真白?そう考えてみると魍魎たちも、甚大(じんだい)なる霊力の顕現(けんげん)である吹雪(ふぶき)が原因で生じた、被害者(ひがいしゃ)と言えなくも無いだろう?希望をもたらす光の吹雪とは、聞いて呆れる――――――――。立派に不幸を生んでいるではないか!」

 真白は何も言えなかった。

 今まで考えてもみなかった問題を突き付けられ、雪華の柄を握る手の力が、知らず弱まる。

 それを敏感(びんかん)に見て取った男は、ますます愉悦(ゆえつ)に満ちた声で言い(つの)った。

「この真実を踏まえても(なお)、我ら魍魎を滅し続けると言うのなら、それは既に善行(ぜんこう)ではない。単なる狩りだ。殺戮(さつりく)だ。そして(われ)らは全力でそれに(こう)するだろう。つまりはただの、(ころ)()いが()(ひろ)げられるだけの話だ。解るか?闇と光は、いつ入れ替わってもおかしくはないものなのだよ」

 有効(ゆうこう)な反論が思い浮かばないまま、これだけは(ゆず)れない事実を真白は口にする。

「…………あなたの言うことが正しいとしても、私には、守りたい人たちがいる」

 それは自分自身にも言い聞かせる言葉だった。

 ()()めた表情の真白に、男は(もっと)もらしく頷いて見せた。

「そうだろうとも。だがその為に殺せるか。君の守りたい存在と同じく、脈打(みゃくう)つ命を、響く鼓動(こどう)を、自らの手で奪えるか?」

「―――――……」

 自分が(めっ)した魍魎の姿を、真白は思い出していた。今まで()った魍魎は、異形(いぎょう)だった。人とは程遠(ほどとお)い、醜い姿だった。あまりに大きな自分たちとの差異(さい)ゆえに、生命が宿る相手と意識することなく雪華を振るうことが出来たのだ。

 けれど、今目の前に立つ魍魎は。

 真白たちが男の言葉に圧倒(あっとう)され押し黙っていると、その沈黙を破る威勢(いせい)の良い声が響いた。

「またベラベラと、よく(しゃべ)る魍魎だな。安っぽい現身(うつしみ)を取りおって。真実がどうのと、お前はうつけか。襲い来る危難(きなん)に向かい戦わんと(ほっ)するは、人でも(けもの)でも変わらぬ(さが)であろうが。つまらぬ理屈を並べ立てるその口、今ここで永遠(えいえん)に封じてやろうか」

 腕を組んだまま、竜軌がジャリ、と半歩(はんぽ)、男に向かって踏み出す。

 スーツの男は片眉(かたまゆ)(ゆが)めて竜軌を見ると、警戒(けいかい)するように間合(まあ)いを取った。

「織田、信長…。ふん、成る程。粗暴(そぼう)な男だ。私は今日は、この子たちの紹介役(しょうかいやく)として付き添っただけでね。残念ながら、君と(やいば)を交えるのは又の機会にしよう。―――――ああ、そうだ。門倉真白。もうすぐ、懐かしい顔に出会えるよ。(もっと)も彼は、君が憎くて仕方がないようだがね。君が彼と再会した時、どんな顔をするか、今から楽しみだ。君と彼の関係もまた、光と影に似たところがあるからね。では」

 語り終えた男は、すうっと闇夜に消えた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ