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目覚め 一

「吹雪となれば」シリーズの続編です。舞台は現代に移りますが、相変わらず時代がかった口調や呪文等は健在です。よろしければ「吹雪となれば」をお読みになられた上で、ご覧ください。解りやすく読めると思います。

第一章 目覚め


時の(めぐ)りゆくまあるい()

また逢いましょうねと

あなたが笑う

魂はまだ

旅路(たびじ)の途中


     一


 夕闇(ゆうやみ)の中、道を歩いていたブレザーの少年は、ふと立ち止まった。

「……こんな風に、人気(ひとけ)の無いところを選んでくれるとこちらとしても助かるよ」

 そう言って学生鞄(がくせいかばん)を地面に置く。周囲に人がいれば、独り言を言っているように見えただろう。

「出ておいでよ。隠れん坊に付き合う気も暇も、無い」

 少年の端的な言葉に触発されたように、近くの民家の外壁として積まれた煉瓦(れんが)から、黒い影がぬるりと抜け出た。

 その顔部分についた、握り拳程の大きな目玉は一つ。見ている端から、泥のような皮膚がボタリ、ボタリ、と地面に落ちる。シュウシュウと煙を上げながら、落ちた部分のアスファルトが溶けた。

 明らかに、異形(いぎょう)のものだった。

 姿を現したそれは、唸り声のような咆哮(ほうこう)を上げながら、少年に襲いかかった。

 生臭い、嫌な臭いがあたりに漂う。

醜悪(しゅうあく)だな…)

 慌てふためくこともなく、少年は眉間に(しわ)を寄せながら思った。形の良い唇を開く。

「ひふみよいむなや こともちろらね」

 少年の口から出た言葉に、人ならざるもの――――(あやかし)が動きをピタリと止める。

 その言葉は落ちる清水の波紋のように、空間の汚れを浄めていった。

「しきるゆゐつ わぬそをたはめくか うおゑにさりへて のますあせえほれけ」

 少年が滑らかに言葉を紡いでいく程に、清水がなみなみと満ちゆくようであった。

それに伴い、みるみる異形が収縮していくのが解る。

 しかしそれは、最後の足掻(あが)きを見せた。

 濁った色彩を持つ肉体の中、そこだけはやたらに白く、鋭い刃を剥き出しにして、少年の肩に喰らいつこうとしたのだ。

 難無く、少年はそれをかわす。

「粘るね。――――――虎封(こほう)、行くよ」

 その声に応じるように、少年の差し出した手に、どこからか日本刀らしきものが忽然(こつぜん)と現れる。

 少年はその刀の(さや)を素早く払うと、妖に向け苛烈(かれつ)な一閃を放った。

 その一閃は妖がかろうじて現に留めていた形状を、瞬く間に(ちり)と化した。

(…空間の汚濁(おだく)がひどい。最後の一閃で飛散させたか。このまま放置すれば、またここに魑魅魍魎を呼ぶな)

 虎封と呼ばれた刀は消え、代わりに伊吹法(いぶきほう)と呼ばれる祓詞(はらえことば)(さや)かに響き渡る。

「神の御息(みいき)は我が息、我が息は神の御息なり。御息を以て吹けば(けが)れは()らじ。残らじ。阿那清々(あなすがすが)し、阿那清々し」

 少年はこれを唱えると、妖が滅したあたりにふっ、と強く息を吹きかけた。

 再び満ちる、清水の気配。

 それを見届け、笑んだ少年は地面に置いていた学生鞄を拾い上げ、ポンポン、と土埃(つちぼこり)を払うと帰路の続きを歩み始めた。

(これで俺が一体、太郎兄(たろうあに)が二体か。…先は長いな。えーと、今日は魚介(ぎょかい)の特売日だったっけ。(さば)の良いのが出てたら味噌煮(みそに)にでもするか。…めんどくさ。(あじ)の開きでも焼くかな)

 先程あった出来事は、既に(りょう)の中で過去のことになっていた。学生の一人暮らしは、考えることもすることも多い。いつまでも一事(いちじ)にかかずらってはいられないのだ。夕飯のおかずを思案しながら、怜は、明日は真白(ましろ)の家を訪ねようと思った。

(そろそろ目覚めそうな気がするんだよね)

 彼の大切な妹が。

 

目が覚めた時、真白の頭はまだ茫漠(ぼうばく)としていた。

「……嵐どの…」

 何を考えるでもなく、気付けばその名を口にしていた。

 息をするように、自然に。

 木目調(もくめちょう)の天井が見える。

 ベッドに横たわったまま視線を巡らせると、懐かしい顔が目に入った。

 (かが)む体勢で、こちらを(のぞ)き込んでいる。

 彫りが深めの顔。やや癖のある焦げ茶の髪。灰色がかった緑の目。

「太郎…兄。―――――剣護(けんご)?」

 どちらで呼ぶものだったかと、まだ定かでない意識で、真白は考えた。

 呼ばれ方をあまり気にしない様子で、緑の瞳が喜びと安堵に輝く。

「ああ――――――お帰り。真白」

 胸に染み入るような声でそう言われて、真白にも〝帰って来たのだ〟という感覚が芽生えた。

 若雪である、という自我が遠のいて行く。

 微笑を浮かべて答えた。

「うん……。ただいま」

 言いながら、剣護の手を借りて身を起こす。やけに身体が重く感じる。あちこちの関節が、ぎこちない音を立てるのが聴こえるようだ。枕元には、(みそぎ)(とき)の間、誕生日プレゼントに剣護たちから買ってもらったテディベアが置かれていて、真白の笑みを誘った。

「ギリギリセーフってとこだな」

「ギリギリセーフ?」

 剣護がホッと一息吐く様子で言った言葉に、真白が首を傾げた。

「ああ。明日になってもお前が起きなかったら、誰が何と言おうと病院に連れて行く、ってばあちゃんたち息巻いてたから。まあ、当然って言やあ当然なんだけど」

 まだぼんやりした頭で、病院、と呟く。

「…私、何日眠ってたの?」

「今日を入れると四日になるか」

 それでは祖母たちが騒いでも無理は無い。

「そっか…」

「うん」

「ごめん」

「いや。しろが悪い訳じゃないし」

 そうは言っても、真白が突然眠りから覚めなくなった間、剣護が心配する祖母たちを必死に(なだ)め続けてくれたことは想像に(かた)くない。

 有り難いとも申し訳無いとも思うし、久しぶりに顔を合わせて何だか少し、照れ臭くもあった。実際、目覚めと共にその実感が薄れはするものの、真白が剣護に会うのは久しぶりと言う言葉を、軽く超える年月を経ているのだ。

 今度は禊の時とは違う、今生きる、この生が、間違いなく自分のものなのだ。

 門倉真白(かどくらましろ)のものなのだ。

 突然、真白の目から涙がこぼれ出た。

 若雪(わかゆき)として過ごしたたくさんの記憶が、波のようになって真白の脳裏に押し寄せた為だ。

 ――――――蘇る蒼天。

 春、夏、秋、冬。

 花を匂い、水に触れ、音を聴いて風を感じた。

 季節ごとのありありとした感覚。暑さ、寒さ、―――――春咲く桜。

 桜吹雪――――――――。

 身近に、共にいた懐かしく、慕わしい人々。

 嵐。小雨(こさめ)智真(ちしん)(いち)……。笑い怒り泣き、確かに生きていた人たち。あの、戦国の世で自分も彼らと生きていたのだ。

(生きていた―――――あの中で)

 明確な実感は今でも真白の中に、根付いている――――――奥深く。

 自由なようでいて縛られ、けれど何より空を広いと感じたあの時代独特の空気。

 ―――――――この平和な時代の、窓から見える空は(せま)い。

 命を落とす危険の低さの代償に、自分たちはとても小さく狭く、生きる場所を切り抜かれてしまった気がする。

(―――――寂しい)

 禊の時を生きていたころには思わなかった。

 あのころは比較する記憶を持たなかったからだ。

「―――狭いよ、剣護――――――」

 最初、剣護は真白の言葉の意味を測り兼ねた。

 この部屋のことを指して狭いと言っているのかと思った。

 それは確かに若雪の使っていただろう部屋に比べたら、狭く感じるのも当然かもしれないが――――――――。

 両手で顔を覆い、泣きながら真白は再び言った。

「ここの空は、狭い―――――――」

 剣護は自分の思い違いを悟った。

 真白が何を言っているのか、なぜ泣いているのか、解る気がした。

「……ああ、そうだな。――――――――――あのころの空は、俺たちの空は、広かった」

(今はもう無い)

 不意に剣護はそう思い、真白に()()られそうになっている自分に気付いた。

 真白が顔を手で覆ったまま何度も頷く。

「剣護、話してもいい?聴いてもらってもいい?…若雪が、あのあとどう生きたのか」

 嵐も傍にいない今、それを知るのは自分自身しかいない。真白はそれを無性に寂しく感じ、せめて兄でもあるこの従兄弟に、聴いてもらいたいと願った。

 剣護は穏やかに頷いた。

「うん、聴くよ。でもその前に、次郎の奴を部屋に入れてやって良いか?今日あたり、お前が目を覚ますんじゃないかって言って来てるんだ。全くあいつ、勘が良いよ。とりあえず、下で今、絵里ばあちゃんが茶を出したところだ。ばあちゃんたちにも、お前が起きたこと教えて来るから。まあ、感動の御対面は俺たちが引き揚げるまで待ってくれって、ごねるつもりだけどな」

次郎兄(じろうあに)

 二人の兄に、揃って会える喜びが、真白の涙を緩やかに止めた。

 剣護の差し出してくれたティッシュの箱を受け取り、涙を拭いて鼻をかむと、少しだけ落ち着いた。

 呼吸が楽になり、はあ、と息を吐く。

(…そうか。当たり前だ。おばあちゃんたちにも、すごく心配をかけてしまった)

 落ち着くと、そこまで考える余裕も生まれた。

「…うん。え、と……この格好で良いかな」

 真白は自分の着ているパジャマを見下ろす。

 剣護が軽く笑う。

「まあ、兄妹だしな。構わないだろ」

 そう言い置いて、剣護は部屋を出て行った。

 彼の言葉に、真白は安堵した。

 真実生まれ変わっても、まだ彼らのことを兄と呼んで許されるのだ。


 怜は剣護のあとについて、静かに部屋に入って来た。

 剣護も怜もこの時間帯に私服であるところを見ると、今日は休日なのだろう。

「…お帰り、真白」

 真白の泣いたあとの顔を見て少し驚いたような顔をしたが、怜は剣護と同じ言葉を、同じくらい優しく口にした。

「―――――戻って来てくれて、ありがとう」

 もう泣かないだろうと思っていたのに、真白の目に再び涙が満ちた。

「次郎兄―――――――!!」

 叫ぶと同時にふらつく足で彼に駆け寄り、その身体にしがみついた。

〝戻って来てくれてありがとう〟

(一人じゃない―――――――。一人じゃない、若雪も、真白も)

 反射的に真白を抱き留めた怜は(つか)()驚きを露わにしたが、やがてそっと妹を抱き締めた。

(俺の時には無かったぞ)

 些か不満に思う目で、剣護がその光景を見守っていた。

 その後、真白は二人の兄に語った。

 禊の時を経て戦国時代に戻ったあと、若雪がどのように生きたか。どれだけ幸せだったか。

 但し、途中で辛そうになった真白の様子に怜が気付き、その視線を受けた剣護が一旦部屋を出て、スポーツドリンクのボトルとコップ、それにお(かゆ)を盆に載せて戻って来て、話は中断した。

 四日間眠り続けた真白の身体は、当然衰弱していた。

 本人は気持ちが(たか)ぶって自覚が無かったようだが、ひとまず栄養を()らせる必要性を二人の兄は感じたのだ。

「俺たちは逃げたりしないから、ゆっくり食え」

 剣護にそう言われ、まずは飲み物を口にした真白は、次にお粥を口に運んだ。

 真白も、自分の身体がそれらの栄養を喜んでいるのを感じた。お粥の温かさは、物の入っていなかったお腹に()みるようだった。

 お粥を食べ終えると、今度は急激な眠気が真白を襲った。

 それでも話を続けようとする真白を制して、剣護が今は眠るように勧めた。

「………でも、目が覚めたら次郎兄は帰ってるでしょう?」

 子供のように真白が言うので、怜が笑った。

「帰らないよ。真白が起きるまで待ってる。いざとなれば、太郎兄の家に泊めてもらうよ」

 剣護が怜の言葉に頷いた。

 安心した真白は、電池が切れたように再び眠りに落ちた。

 次に目が覚めた時は、既に夕方に差し掛かるころだった。

 真白は慌てて部屋を見回した。

 こちらを向いて座る怜と、それに相対する形で座る剣護の広い背中を見つけ、安堵する。

「あ、目が覚めた」

 怜の指摘に、剣護もぐるっと首を回して真白を見た。

寝坊助(ねぼすけ)だなー、しろ」

 そう言ってに、と笑った。


 真白の話の続きが終わるころには、もう夕食の時間になっていた。

 話し終えて気抜けした真白が再び眠り込む前に、祖母が運んで来たお粥を何とか食べさせ水分も摂らせると、剣護も怜も真白の家を出た。部屋を出る前に、明日は病院に行って点滴だからな、と剣護が言うと、真白は素直にコクリと頷いた。そのあとは、待ち()びたとばかりに、改めて二人の祖母が揃って真白の部屋に我先にと入って行った。剣護は真白の家の合鍵を持っていたので、見送り無しでも問題は無かった。

「ばあちゃんたちには無理言ったよなー」

 さすがに申し訳無い思いで剣護が言った。

 隣家である剣護の家の玄関の扉近くまで来た時、怜が念を押すように訊いた。

「太郎兄、本当に今日、泊めてもらって良いの?」

「おう、良いよ。お前の家、近くの駅から三駅だったよな。今から帰るのも面倒だろ。…ああ、お袋がうるさいかもしれないけど、それでも構わないならな」

「うるさい?いきなり泊まることになるから?」

 違う違う、と剣護が首を横に振る。

 そして、怜の顔を指差す。

「お前の顔だよ、顔」

「は?」

 怜がきょとんとした。

 人差し指で顔をポリポリと掻きながら剣護が説明する。

所謂(いわゆる)イケメンが好きなんだよ、うちの母親は…。全く、息子がイケメンなだけじゃ足りないのかね。お前みたいな整った顔立ちの奴が来たら、お袋が大喜びしない筈がない。だから、それがうるさいかもって言ってんの」

「はあ……」

 怜はいまいちぴんと来ない様子で、瞬きした。

 剣護の前置き通り、突然の怜の宿泊に、剣護の母は迷惑がるどころか熱烈な歓迎ぶりを示した。慣れているのか黙々と食事に集中する剣護とその父を置き去りに、彼女はいるのか、スカウトされたことはこれまでに無いのか、等々夕食の間中質問攻めにされた怜は、剣護の部屋に布団を敷くころにはやや疲れた面持ちだった。

 予想通りの展開に、布団の上に胡坐(あぐら)をかいた剣護が笑う。

「悪いな」

 同じく布団の上に片膝立てて座り、大丈夫、と言うように首を振った怜は考え深い表情になって、真白の話を改めて回想した。

「……まさか俺たちに(めい)っ子がいたとはね」

 剣護は何の話かすぐに察したようだった。

「あー。小雨だっけ?しかしそうなると、この現代に、若雪の子孫がいるかもしれないって話になるよな」

「うん。そう考えると、ちょっと感慨(かんがい)(ぶか)いね。――――――小野家の末裔(まつえい)か」

 そう言う怜を見て、剣護は少し黙ったあと、おもむろに口を開いた。

「真白がさ、」

「うん」

「空が狭い、って言ってたんだけど。ここの空は狭いってさ。お前、解る?その感覚」

 怜が目を細めた。

「………よく解るよ」

「そうなんだよな。―――――記憶があるぶん、解っちまう。俺たちは。でも、それは良いことか?」

 怜が思慮深い眼差しを剣護に向ける。

「――――良い悪いの基準は?」

「例えば戦国の世を知る感覚が、今、この現代を生きる上で妨げになるのだとしたら、それはもう障害でしかないだろう。真白が息苦しさを感じながら生きるようなことには、俺はなって欲しくない。俺たちはまだ前世の呼び方を続けてるが、それも改めたほうが良いのかもしれない」

「…杞憂(きゆう)だと思うよ、それは」

「そうか?」

「うん。今の真白にとっては、むしろ前生で縁の深かった存在との接触が、救いになるんじゃないかな。……孤独を感じないで済むのなら、多少手狭な世の中でも人は生きていけるものだ」

 怜は前生、小野次郎清晴(おののじろうきよはる)の記憶を取り戻してから、一人でこの見知らぬ土地までやって来た。急に前生の記憶を取り戻し、たった独りでそれと向き合わねばならなかった。剣護には真白がいて、真白には剣護がいたが、怜には思い出した自分を受け止めてくれる相手がいなかったのだ。真白や剣護に会うまで、孤独を感じなかった筈はない。

「…お前はそうだったのか、次郎」

 剣護が複雑そうな表情をした。

 怜が微笑んだ。

「まあね。――――――俺は、真白や太郎兄に出会うことで救われたんだ。だから真白はともかく、太郎兄のことは、そのままで俺は呼びたい。きっと真白も、同じ感覚だよ」

「……そうか」

「ところで」

 怜が改まった顔つきと口調で切り出す。

「あの件は、このまま真白に伏せておくつもり?」

 剣護も顔つきを改めて頷く。

「ああ。……出来れば気付かれないまま、終わらせたい。真白は若雪と違ってあまり丈夫じゃない。知ればきっと無理をすると解っていて、教えるつもりは無い」

 怜が()()がちに言う。

「………遅かれ早かれ気付くよ、真白は。そういう子だ」

「それでもだ。気付くまでの間だけでも、俺たちで少しは数を減らす。幸い向こうの頭数は知れてる」

「少なくない数だけどね」

 剣護が(がん)として言った言葉に、怜は静かに応じた。

それきり、二人は黙った。

 電気を消して静まった真っ暗な部屋の中、布団に横たわった剣護の目は開いていた。

〝ここの空は狭い〟

 そう言って泣いていた真白の姿が、彼の目にはやたら鮮明に焼き付いている。

(…言ってることは解るよ、しろ。―――――それでも俺は真白に、あの時代のほうがましだったとは、思わないでもらいたい。今生きている、この現代に向き合って欲しい。教えない、ってことは、真白の為だけじゃない、俺の身勝手な願いの為でもあるんだ……)

 それを知っても、きっと怜は自分を責めないのだろうと剣護は思った。


 目覚めて翌日から三日間は点滴を受けに通院し、その間も含めて一週間の自宅療養を経て、真白は高校に復帰した。

 成瀬荒太の机はまだ無人だった。

 真白と時を前後して目覚めたものの、荒太は交通事故で一ヶ月以上眠り続けていた訳であり、当然のことながらリハビリに要する期間がしばらくは必要だった。

 この情報を剣護と怜から聞いた時、真白は見舞いに行きたい、と言った。

 しかしその言葉を聞いた二人は、互いに顔を見合わせた。


「……で、()めといたほうが良い、って言われたの?」

 真白の机の上に頬杖をついた市枝(いちえ)が言う。

 久しぶりの登校に加え、真白にとっては彼女との再会も、ひどく喜ばしいものだった。

 市枝の姿を見た途端、お市の方の訃報(ふほう)を聞いた時の悲しみが真白の中で蘇り、思わず目を潤ませてしまった。市枝はびっくりした顔でそんな真白を見ていたが、やがて優しい微笑を浮かべた。

「うん……」

「理由は?」

「男だから、だって」

「ああ…………」

 訳が解らない、と思いながら伝えた真白に対して、市枝はどこか納得したような声を出した。

「何?市枝」

 市枝は長い金茶の髪を首の後ろへかきやると、つまりね、と言った。

「プライドの問題よ。男ってプライドで生きてるようなとこあるから。衰弱状態から回復しきってない姿で、しかも歩行訓練してるところなんかを真白に見られるなんて、多分成瀬は嫌だろう、って考えたんでしょ、剣護先輩たちは。自分たちならそう感じるところだから、まあ、武士の情け?みたいな感覚で真白が行くのを止めたんじゃないかな」 

 全く、男って見栄っ張りよねえ、と()(くく)った市枝を、納得出来ない顔で真白は見た。

「……私は、どんな嵐…、成瀬君でも構わないのに。まだベッドに横たわってたところだって、見たことあるのに」

 それは若雪のころの記憶ではあるが。

 まあまあ、と市枝が(なだ)めるように言う。

 だが、真白は机に()()してしまった。

「…ねえ、市枝」

「なあに?」

 甘やかすような声で市枝が応じる。

「もしかしたら、――――――――――成瀬君は、もう嵐だったころの記憶はすっかり切り離して生きようとしてるのかな。若雪のことも、私のことも、……切り離してしまいたいと、思ってるのかな。もしそうだったら、どうしよう」

 誰もそんな事実を示唆(しさ)するようなことは一言も言っていないのだが、気落ちした真白は過剰に悲観的になっているようだった。

 これは重症だ、と思い、市枝は本来なら言うつもりではなかったことを明かすことにした。腕組みをして、わざとらしく(うな)り声を上げて見せる。

「う――――ん、まあ、普通だったら、切り離そうとしてる女の子の誕生日プレゼントを、何が良いかリサーチしたりはしないわねえ」

 途端に顔を上げた真白に、市枝はにやにやしながら続けた。

「成瀬が目を覚ました、って知ったあとね、剣護先輩と江藤は、一緒に病院に見舞いに行ったの。まあ、謝罪も兼ねてでしょうね。その時、たまたま真白の誕生日が近い、ってことを知ってあれこれ訊いたらしいよ」

「あれこれ?」

 真白が小首を傾げる。

「つまりぃ、今の真白の好みとか。――――解るでしょ?どういうことか」

「…………」

 顔を赤らめた真白に、市枝は笑いかける。

「出遅れた、って思ってるぶん、焦ったんだと思うよ。だからさ、今は剣護先輩たちの言うことを聞いて、男の面子(めんつ)を立てて少しだけ待ってやってごらんなさいな」

「―――――うん。何だか、市枝がお姉さんみたい」

「そりゃ、お市の方は若雪よりだいぶ年上だったもの~」

 歌うように言い、胸をはった市枝を見て、真白も声を立てて笑ってしまった。


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