布陣 四 前半部
オトメンとは、というお話。
四
市枝を送り届けたあと、荒太は自宅に戻り部屋でスマートホンを片手に話していた。
勉強机の前の椅子に片膝立てて座り、キイ、キイ、と音を鳴らしている。
窓から見える雨空にちらりと目を遣り、真白は濡れなかっただろうか、と思う。
「―――――そうか。お前でも難しいか、兵庫」
『魍魎のあとを辿っても、全く関係無さそうな場所に出るか、途中でいきなり姿をくらますんですよ。あの痕跡の消し方は見事なもんです。あれは、透主に接近する者を、相当警戒してますね。あと嵐様、俺の名前、今は河本直ですから、そこのところよろしく。〝二丁鎌の兵庫〟は、今では過去の人間です』
口ではそう言うものの、兵庫――――河本は昔と何ら変わりないように感じられた。
「…お前も俺のことを嵐と呼んだじゃないか」
またこいつは似合わない名前で生まれ変わったもんだ、と荒太は思っていた。
『あああああ』
いきなり河本が声を上げたので、驚く。
「何だ、どうした」
『いやー、やっぱり関西弁じゃない荒太様ってしっくり来ないなーと思って』
そんなことか、と荒太は呆れた。
「俺は真白さん以外から言われても、口調を変える気は無い。あとは気分次第だ」
きっぱりと言ってのける。
『はいはい、そうでしょうとも、ご自由に。ああ、それから、若雪…、真白様が、魍魎に遭いました』
荒太の顔つきが険しくなる。それを早く言え、と叫びたくなるのを堪える。
「――――――怪我は」
『兄上様も御一緒でしたし、無傷ですよ…。身体のほうはね』
含むような物言いに、荒太が片眉を上げた。
「……どういう意味だ?」
『そのまんまの意味です。精神的にちょっと、ショックを受けたようですね。荒太様と違って繊細なようで。今は熱を出して寝込んでます。…真白様は、御身体があまり丈夫でないみたいです。若雪様と似てたり、似てなかったり。生まれ変わりって不思議ですねえ。――――――お見舞いに行ったらどうですか?』
「…………せやな、マドレーヌでも焼いてくか。――――それから、俺は結構、繊細やで」
『あはははははは。うけるー。まあね。誰しも認めたくない自分ってのはあるもんですよ』
無意識に関西弁になった荒太に、癇に障る笑いと持論を放った河本が、一言評した。
『荒太様みたいなのをオトメンって言うんでしょうね』
「―――なんや?そのオトメンって」
『そんな言葉も知らないんですか?荒太様、おっくれってるー。それじゃまた、連絡します』
「ちょう…、待てや!」
呼び止める言葉は完全に無視され、通話は一方的に切られた。
どうなる訳でもないのだが、荒太はしばらく通話が切れたスマートホンを睨んでいた。
一旦報告を済ませた以上、再度こちらからかけ直しても応じるような相手ではない。マイペースを地で行くような男だ。
「相変わらずやな……、あいつ」
人間一度死んでも、そうそう変わるものではないらしい。
(むしろ遠慮の無さに磨きがかかってへんか?)
そんなことを若干の苛立ちと共に考えながら、荒太は本棚からお菓子作りの本を取り出した。
雨の中、手作りマドレーヌをタッパーに詰めて持って来た荒太を出迎えた剣護は、呆れ半分、感心半分だった。荒太はそんな剣護の表情を気にも留めない様子で、差して来た傘を閉じると傘立てに入れている。
「耳が早いね、お前。……そのマドレーヌ、まだ温かそうだな」
タッパーに剣護の視線がじっと注がれる。マドレーヌに穴が開きそうな気がして、荒太はタッパーを高く後方に掲げ、剣護から遠ざけた。
「剣護先輩に作って来た訳やないですよ。とりあえず、真白さんの顔、見せてください」
今にもマドレーヌに手を伸ばしそうな顔の剣護を、突き放すようにして言う。
「はいはい、まあ上がれよ」
怜はまだ真白の枕元に陣取っていた。荒太や、一旦家に戻り濡れた制服を着替えて来た剣護と違い、怜だけがまだ制服のままだった。珍しくネクタイを緩めて、シャツのボタンも上二つ外している。彼は荒太の姿を見ても無表情で、驚いた様子も見せない。眠る真白の顔色の悪さを見て取り、荒太も剣護と同様に眉間に皺を寄せた。
「…江藤がついとって、なんでこないなことになってん?」
いきなりの切り口上に、慌てたのは剣護だった。怜と荒太の間に、身体を置く。
「待て、荒太。次郎に非は無い。―――――次郎、麦茶の盆下げて、紅茶でも淹れて来てくれないか?荒太が陣中見舞いを作って来てくれたらしい。俺がその間に説明しとくよ」
「俺は真白さんの為に作って来たんや」
荒太が頑なな口調で言った。
その頭を、剣護がペシ、とはたく。
「子供みたいなこと言うんじゃないよ。とりあえずお前、座れ。あと、でかい声出すな」
全くの無表情で怜が真白の部屋を出て、階下に降りて行ったあと、剣護は荒太の顔を見遣った。
――――――――いつに無く、余裕の無い表情をしている。
「江藤って、紅茶淹れられるんですか?」
疑わしげな眼差しで荒太が訊く。
「真白程じゃないけど、美味いよ、あいつの淹れる紅茶」
「ふうん…」
剣護の言葉に相槌を打ちながらも、荒太はどこかそわそわとして落ち着かなかった。
目を逸らそうとしているようでいて、気が付けば彼の目は、真白の寝顔に向いている。
(ひょっとして、こいつ―――――…)
「…若雪のことを、思い出してるのか?」
荒太が剣護に目を向けた。その目にはもう険は無く、どこか不安で心細い色があった。
「…―――――二度目に罹った労咳で、若雪どのは亡くなりました。少しずつ、横になる日と、時間が増えて行って――――……」
荒太の目線が、剣護から逸らされた。
「…最期のほう、嵐は毎日、若雪どのの寝顔を見てたんです。―――――いつその時が来るかて、怯えながら…見てる他、なんも出来ひんかった」
語る声は平淡だったが、聴く者の胸を突く切実さがあった。
「―――――もう、あんな思いはたくさんや」
「…………」
「その時」とはつまり、若雪が息を引き取る時だ。
それは、若雪と連れ添って、彼女の最期まで傍にいた嵐の記憶を持つ荒太にしか、理解出来ない心情だ。剣護にはかける言葉が無かった。
(こいつは…、嵐は、二回も若雪を亡くしたんだよな。それも自分の目の前で)
共に生きたゆえの喜びがあるように、共に生きたゆえに負う、苦しみや悲しみがある。それすらも羨ましいとは、安易に言えるものではなかった。
「…で、真白さんに何があったんですか、剣護先輩?」
吐息を一つ落としたあと、幾分落ち着いた表情で、荒太が尋ねた。
「……そいつ多分、秋山や」
話を聞き終り、真白を「化け物」と呼んだクラスメートの名を、荒太があっさり挙げた。
眉間には再び皺が刻まれている。
「何で判った?…次郎は名前までは言わなかったぞ」
剣護が怪訝な顔をする。
「秋山は、真白さんに憧れてたようやったけど…、最近は真白さんに向ける視線がなんや卑屈なもんになってました。真白さんが挨拶しても、返ってこうへんかったみたいやし。そんで、塾に向こうてたとなると、多分そうでしょう。――――――間違うてるか、江藤?」
丁度その時、部屋の戸の向こうで真白も含めた人数分の紅茶を載せたトレイを、怜が運んで来たところだった。だが両手が塞がっていて、戸が開けられない。
気付いた剣護が、戸を開けてやる。
現れた怜の顔には憂いがあった。
「……間違ってないけどね。わざわざ、名前を挙げる必要があるの、成瀬?知ってしまえば、嫌でも太郎兄だって秋山に対して悪印象を持ってしまうだろう」
「それがなんや?秋山は恩を仇で返した。その結果が、真白さんの今の状態や。変な情けをかけるんは、間違うとる」
怜は深い眼差しで荒太を見た。
「短絡的な考えだよ、それは。秋山も被害者だ。もっと根本的なところから、物を見て考えろ。お前は今、頭に血が上ってるんだ」
「あー、そうだな。とりあえず二人共、病人のいる部屋で言い争いは止めろ。次郎はさっさと紅茶を配れ。荒太はマドレーヌをいい加減出しやがれ。紅茶もマドレーヌも、冷めない内が美味しい」
至極最もな剣護の言葉に、怜も荒太もさすがに黙って従う他無かった。