布陣 三 前
待ち人来たる、というお話。
三
剣護は公立琵山高校の正門の門柱に寄りかかり、目当ての人物が来るのを待っていた。
怪しくなってきた雲行きを見て、顔を顰める。彼には降水確率を確認して家を出るという習慣が無かった。朝はよく晴れていたので、傘を持つ必要性を感じなかったのだ。つい先日、気象庁が梅雨入り宣言を発表していたのを、遅まきながら思い出す。
(梅雨を舐めてたなー)
いざとなったらコンビニでビニール傘を買うか、と思う。出来れば待ち人が早く来て、雨が降り出す前に用件が片付けば良いと願っていた。
スポーツの成績は今一つ振るわないが、勉学において優秀な生徒を多く擁する私立陶聖学園とは異なり、琵山高校は文武両道の伝統校として知られていた。正門に立っていても、運動部の活発なかけ声が大きく聞こえてきて、剣護を感心させた。
(陶聖は運動そっちのけのガリ勉が多いからなあ)
そう考えながら、のんびり腕組みをして立つ剣護の姿は、かなり目立っていた。
今は季節がら半袖シャツに黒いズボンを着用しているが、基本的に男子は学ランを制服とする琵山高校の正門で、チェックのネクタイにアイスブルーのシャツを着て、グレーのズボンを穿いた格好からして既に浮いている。加えてハーフの目立つ容貌が、正門を通る琵山校生の注目を更に集めていた。
洗練と優秀な頭脳を誇る陶聖学園と、伝統と文武両道を誇る琵山高校には、互いに張り合うような空気があった。
しかし剣護に向けられる視線の多くは、羨望の眼差しだった。特に女子たちは剣護の姿を見ると、必ず何事か囁き合うような態度を見せた。「あの制服、陶聖よね」、「誰かの彼氏?」、「目が緑だよ!ハーフかな」、「足、長ーい」等々。
(客寄せパンダじゃねーっての)
目立つことがそう嫌いではない剣護も、しつこい注目を浴び続けることにはげんなりしていた。一旦は正門を通る誰かに待ち人のことを知らないか訊こうとしたのだが、相手の名前を知らないことに気付き、自分にはただ待つしか術が無いことを悟った。物は試しと、「赤い髪の奴、知らない?」と通りがかりの男子生徒に訊いてみたが、何人もいるから誰のことか解らない、という返答が返ってきて、剣護は閉口した。陶聖以上に、風紀にはルーズな学校のようだ。
(まあ、待ってりゃその内来るだろ)
それまでは向けられる好奇の目も遣り過ごそう。
そう思っていたところに、件の人物がやっと姿を見せた。
「おい――――――」
明臣、と続けようとしたが、彼の隣にいた女子の存在が、剣護に言葉を呑み込ませた。
だが向こうは、剣護に気付いた。
隣を歩く女子に声をかける。
「じゃあ、和久井さん。またね」
「―――――――うん、バイバイ」
その女子生徒は、剣護にもあまり関心を向けることなく正門を出て行った。
「―――――悪い、邪魔したか?」
「まあ少しね。でも君は、僕に用事があったんだろ?太郎清隆」
真っ赤な髪の明臣は、そう言った。
「…あの子、彼女?」
明臣が笑みを浮かべ、得意そうに言う。
「かわいいだろう。でも、彼女じゃない。今度一緒に、メンタルクリニックにデートだけどね」
なんじゃそら、と怪訝な顔をする剣護に、で、と明臣が尋ねる。
「何か話があって来たんでしょ?どっか、近くのカフェに入ろうよ」
剣護はファーストフードの店で良い、と言ったのだが、明臣が安っぽい味の店は嫌だと言い張った。結局、琵山高校近くのカフェの、趣ある木の扉を彼らは開いた。
「いらっしゃいませ」
中年を過ぎた頃合いの、マスターらしき男性が穏やかに声をかける。店の中には落ち着いた音楽が流れ、煙草を吸う人間の姿は一人も見当たらない。カウンターやテーブル、椅子などは深い茶色で統一され、見る者に安心感をもたらす。よく見れば各テーブルの上にはささやかな野の花が飾られている。
(……真白が好きそうな店だな)
今度連れて来てやるか、と考えながら、剣護は明臣と差し向かいで座った。重厚な皮張りのソファの座り心地は、確かにファーストフード店では望めないくつろぎを与えてくれる。
「明臣って、学校では何て名乗ってんの?」
明臣はクリームソーダを、剣護はアイスカフェオレをそれぞれ注文したあと、剣護が明臣に尋ねた。
「渡辺定行」
「…意外にフツーだな。ちょっと、武将っぽいけど」
明臣が軽く笑った。
「定行は、僕が人間として生きていたころの名前だよ」
剣護が瞬きする。
「え、元人間だったの?」
「うん。……そっか。そのこと、荒太しか知らないんだっけ」
そう言った直後、明臣が耳を澄ます素振りをした。丁度、店に流れる音楽が切り替わったころだった。深く、激しいピアノの音色が流れる。
「――――――ショパンの幻想即興曲だ。良いね」
「神様は芸術に造詣が深いんだなー」
感心するよりむしろ呆れた口調で剣護が評した。
「木臣が好きなんだよ、音楽とか絵とか。色々味にもうるさいし」
「木臣…。あの、緑の髪の人か。ああ、それでマリアージュ…何とかの紅茶も知ってたのか」
注文したものが、それぞれに運ばれてくる。
「人間だった時のフルネームは何て言うんだ?」
シロップをアイスカフェオレに入れながら剣護が尋ねる。
「訊いてどうするの?」
そう返して、明臣はクリームを一匙掬うと口に入れた。
「ただの興味だ。そっちばかり俺たちの、嘗てのフルネームを知ってちゃ不公平だろう」
「――――古賀朱丸定行。さっきの彼女は、当時の僕の許嫁の生まれ変わりだ。――――――…理由あって、非業の死を遂げた。僕は五百年の間、ずっと彼女を探していたんだ。……さあ、これで少しは公平になったかい?」
明臣はソーダから目を上げずに淡々と語った。
剣護は苦い顔をしていた。ここまで踏み込んだことを、訊くつもりは無かったのだ。
「……悪かった」
「良いよ、別に。確かに僕たち花守は、君の、前生における成り行きを概ね知ってる。君や次郎清晴の前生での最期も、立派に非業の死と言えるしね」
明臣はちらりと笑った。
「…とりあえず俺たちの頭は、俺が務めることになった。花守たちにも、そこんとこを了承しといて欲しくて話しに来たんだ」
「ようやく本題か。――――――うん、良いんじゃない?雪の御方様を前面に出すのは、避けたいだろう。花守としても、それはよく理解出来る心情だ。それに君には、実際大将の器がある」
「……純粋に実力で言えば、荒太も次郎も俺に引けは取らないぞ」
アイスカフェオレの二口目を飲んでから、剣護が物申した。
緑の液体に浮いていた白いクリームの塊を食べきって、明臣はにこやかに言う。
「資質の話をしてるのさ。次郎清晴も嵐由風…荒太も、どちらかと言えば参謀タイプだ。腹に一物あっても、涼しい顔でそれを隠せる。―――――でも太郎清隆。将の器とは言え、君だってその点では負けてはいないよね」
剣護が無表情で明臣を見返す。
「ほら――――――来たよ。解ってたんだろ?」
次の瞬間、カフェの店内は様相をがらりと変えた。
店の内側だけ、くるりと切り取って別の場所に貼り付けたように。